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23時59分 と 書店 と 「前衛的な寝癖だね」

本年もよろしくお願いいたします。

 ──はて。

 眩しい蛍光灯に思わず目を細め、十秒もしない内に私はクリアな視界を取り戻した。

 白を基調とした空間。

 壁という壁を覆って所狭しと並ぶ本棚達。

 どこか懐かしい風景に私はぼうっと見惚れていて、


「すみません。これ、お願いします」


 白いブラウスの客が綺麗な指で一冊の本を差し出してきた。


「あ……はっ、はい!」


 不思議と目の前に現れるまで私は彼女のことに気付けなかった。

 反射的に受け取りながら背表紙のバーコードをスキャン。並行してポイントカードの所持を確認しつつ金額を告げ、スマホでの支払いを受け付ける。

 何百回も繰り返していなかったら、こうもスムーズにはできなかっただろう。


「前衛的な働き方だね」

「何がっすか……?」

「そりゃあキミ。レジに立ちながら居眠りしてる所が──だよ。立ち仕事なのに寝ながらお金を稼ぐなんて、前衛的だろう?」


 そうだ。

 大学一年の三月。

春休みで時間を持て余していたこの時期、私は書店でバイトをしていたんだった。

店内の温かい気温、平日午後と言うそれほど客のいない時間帯ということもあって、気が緩んで寝てしまっていたらしい。

立ったまま。

しかもカウンターでレジ打ちを任されながら、だ。

図太い神経に我ながら恐れ入る。

 思わず口が緩む緊張感のない私に女性は淡々と、


「感心しないな。仕事中に居眠りとは──」


 それからもはや何度目か分からない説教を小一時間。

 当時私は彼女が苦手だった。

 しかもこの怒っているのに覇気のない単調な説教がまた眠気を誘って、うとうとと舟を漕いではまた怒られてはをよく繰り返していた気がする。

 本当に懐かしい……──

 懐かしい……?

 そう思っているとどこからかカツオ出汁の匂いが香ってくる。


「くんくん……」

「おいキミ。聞いてるのかい?」

「いや、なんかいい匂いしませんか?」

「匂い?」

「カツオ出汁かな? いや、そばつゆ……?」


 小腹が空いてきて自然とヨダレも垂れてきそう──いや垂れてきた。


「キミ……仕事中だぞ……」


 呆れ顔にせっつかれて慌てて袖で頬を拭う。


「いや、さすがに私もこのまま仕事はしませんって」


何度も、何度も。


「あれぇ……?」

「全く。涎を垂らしながらレジを打つやつがどこにいるんだ。早く拭きなさい」

「いやそれが──」


 拭っても拭っても涎が濡れた頬が乾かないのだ。

 一体どうなってるんだ。


「背中もしゃんとして。シャツもそんな皴だらけでどうするんだ」

「う。すみません」

「お。カウントダウンまであともう少しだぞ」

「カウントダウン? 何がっすか?」


 何の事だ? まさか私のクビのカウントダウンではないとは思うが。


「店長ぉ?」


 話の途中にもかかわらず、私の呼びかけを無視して彼女の背中が遠ざかっていく。今日の説教タイムは終わりらしい。若い客が増えてきたのか、慌ただしい喧噪が増えて私の声も届かない。


「よく分かんないけど助かった……」


 ──のだろうか?

 年上で、何を話せばいいか分からないし。何考えてるか分からないし。

 終わりなら終わりで、またのんびりレジ打ちを再開するだけなのに、でも、なんだろう。頭の中がもやもやしてすっきりしない。

 繋ぎとめておかないといけない気がする。


「あ、そうだ」


 不意に遠い後ろ姿が振り返る。


「蕎麦。食うよな?」

「へ? あ、はい」


 ……蕎麦?


「──ふが」


 世界が九十度傾いた。

 口元からのヨダレで塗れた頬は天板に張り付いて自重で潰れ、身体はくの字型に折れて炬燵の中に潜っている。どうやら炬燵で寝落ちしていたらしい。

 懐かしい。

 学生時代に書店でバイトをしていた頃の夢。

 

「さすがにレジ打ちで居眠りはしていなかったけど。……してなかったよね?」


 いくら抜けた所のあった若かりし頃とはいえ、そこまで人間離れしていなかったと思いたい。

 スマホのボタンを押すと「23時59分」と表示された。

もうすぐ日付が変わり、そして年も変わる。

十二月三十一日。今年も残す所一分。

 結婚して引っ越して、奮発して買った大画面のテレビには年末特番が映っている。夢の中での喧噪の正体はきっとこれだろう。


「カウントダウンまで起きてようって、テレビ見てたんだっけ。ギリギリセーフかな?」


 バイトでは何度も遅刻して店長に怒られたっけか。

 なら、あの匂いの正体は、


「お待たせ。できたよ、年越しそば」


 見慣れた女性が部屋に入ってきた。カツオ出汁が香る湯気が立ち上った二つのドンブリをトレーに乗せて、行儀悪く足で扉を閉める。

 なるほど。彼女が台所で調理していたツユの香りか。


「良い匂い……」

「前衛的な寝癖だね」

「え?」

「キミは本当に変わらないね」


 そう笑う口元を隠した利き手には銀色の指輪が光っている。

最後までお読みいただきありがとうございました。

よいお年を!


2024/12/25のワンライ企画にて投稿

ワンライ(1時間ライティング)の制約を守れず1時間遅刻

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