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08.ありふれた「撤退」と「雨」と「黒煙」


朝食は携行食スティック1/2本を羊歯茸と水葉芋スープに溶かしたオジヤ風。しっかりストレッチも行って身体も精神も覚醒させダンジョンに挑んだ。十字路まで進み、慎重に左右の通路の音を聞く。当面の安全は確認できたので新たなまっすぐの通路を手探りで進む。50mほど進むと通路の左右にドアが4つずつ並んでいる場所にきた。今度は左右のドアを手分けしてエコーロケーションで調べる。右側3番目のドアの向こうと左側3番目のドアの向こうが宝箱とヒトデの部屋だった。そして左奥4番目の部屋からは這い回る連結蟲の爪音が聞こえた。通路はドア群を超えても一直線に奥の闇へと続いている。ヒトデ狩りの前に音から判断して数の多いだろう蟲をやっつけることにした。ドアの左右に分かれて張り付き、壁に耳を押し当てて息を殺す。周囲とドア向こうの兆候を探る。ボクが光球を用意した。シオンがドアを30cmほど開く。光球を投げ入れる。一瞬で部屋内のすべてを見て取り、ドア近くに蟲がいないことを目でも確認して呪文を詠唱する。ふたりとも慣れて、かなりな早口で呪文を唱えられるようになってきた。見て取れるだけで蟲は20匹。爆発火球3連投6発で動く物がなくなった。奥の崩れた壁土から新たな蟲が出てこないか1分ほど待って部屋に入る。床の罠は探知できない。5分経って蟲が蒸発昇華し魔石を残す。慎重に拾い集めると220個あった。連結状態で22匹分だ。瓦礫の下とか陰に隠れていた蟲が2匹いたようだ。経験値が44000増えステータス覚値が6ポイントついていたが、崩れた石壁奥の土中からいつ蟲が飛び出してくるかと思うと落ち着かないので振り分けは後にした。続いてヒトデ狩りに入る。蟲退治の火球爆発振動を感知して天井から剥がれ落ちているヒトデがいるかと用心したが、ヒトデは鈍感なようだ。天井から降りたヒトデはいない。ボクもシオンも単純作業に慣れてしまったが、不測の事態への備えは怠らないようふたりで声をかけあって1匹ずつ確実に倒していった。左右の部屋合わせて11匹のヒトデを倒す。経験値がさらに44000ポイント入り、総合計は190000になっているはず。ステータス覚値が11ポイントついていた。最初のヒトデ部屋の宝箱には銀色の腕輪が1個。ふたつ目のヒトデ部屋の宝箱には金色の腕輪が1個入っていた。腕輪の幅は2cm程度。魔法陣に使われるような紋様がレリーフされている。触って調べると銀色の腕輪は『力の腕輪+5』、金色の腕輪は『生命の腕輪+5』だと表示された。


「これってただのアクセサリーじゃないよね?」


「+5なんて表記があるんだから魔装具ってヤツだね」


「マソウグ?」


「魔力のこもった装具ってこと。装具っていうのは身に着ける器具って意味だよ。英語でいえばアクセサリーか。触ってごらん」


手の平に乗せた腕輪を差し出すとシオンが指をタッチする。


「身体に装着することでステータスの補正をもたらす腕輪だって。+5って付いてるから覚値が5ポイントアップするのかな?」


「チュートリアルではプラス補正だけじゃなくマイナス補正の物もあったよ。呪われてて着けると毒状態になったり外れなくなったりするのもあった。これは呪いで外れなくなったりすることはなさそうだけど」


「なんでわかるの?」


「いままで状態異常があると説明の末尾にカッコ書きで表示されていたから。【強化状態】とかさ。呪われてたら【呪い状態】とか表示されそうだと思うんだけど、実際は着けてみないとわからないだろうな。装着はギャンブルだね。どうする?」


「せっかくのお宝だもん。着けてみようよ」


「ギャンブラーだねシオン。じゃあ1個ずつ着けてみようか。どっちの腕輪がいい。シオンの好きなほう選んでいいよ」


「じゃあ生命の腕輪にする。昔はもっとスタミナがあったんだ」


期せずしてふたりの髪色と同じになった。シオンが腕輪を受け取って左手の腕甲を外し袖を捲って躊躇なく手首に嵌めた。


「どお?」


と訊くとシオンは親指を立てて見せた。


「レベルアップするときのムズッていう感覚は感じたけど、他は特に異常なし。外れなくなることもないし。呪われた感じはしないな。で、生命が15になってる」


シオンが袖と腕甲を直している。


「じゃあ、ボクも着けてみる」


腕甲止めベルトの手首側を外し袖を捲りあげて腕輪を嵌めた。体の芯がムズッとした。ステータスパネルを開くと腕力が15に増えている。腕輪の着脱は問題なく行えるし異常は感じない。この魔装具はかなり嬉しいかもしれない。


「ついでに覚値を振り分けちゃっていいかな。周囲の警戒しつつ」


猪突猛進のシオンがだいぶ慎重になってきた。いいことだ。


「そうだね。じゃあ、交代でやろうか。シオンが振り分けやってる間、結界も張ってボクは壁に耳を当てて警戒してるよ」


*************4日目

名前:シオン

【ステータス覚値:0/48】

筋力:9+2   敏捷:15+2

知力:15+2  精緻:14+2

生命:15+1  感覚:14+2

【生命の腕輪+5装備中】****

*************6日目

名前:ミナト

【ステータス覚値:0/48】

筋力:15+1  敏捷:15+2

知力:15+2  精緻:13+2

生命:10+2  感覚:14+2

【力の腕輪+5装備中】*****


腕輪で補正されるステータスに1ポイント振り、残りに2ポイントずつ振る。パーソナルアビリティ補正と習熟補正があることで、ついにシオンもボクも20ポイント越えする能力が出た。ボクは思考速度と記憶力。シオンは集中力と瞬発力と持久力と誤差が。20ポイントというと平均値の2.65倍になる。握力なら70kgオーバーになってるだろう。成人男性平均で50kg程度。男性と握手しても悲鳴をあげさせられる。確かリンゴを潰せる数値だ。シオンの瞬発力20はスーパー忍者レベルだ。姿が消えるくらい速く動けるっていったら大袈裟だな。とにかく生存確率は大幅に向上したと思う。


「よし。先に進もう」


シオンが頷き、ボクが杖で床を叩く。直線距離で40〜50mは進んだ。もう左右に扉はなく罠もなく突き当たりの観音扉にたどり着く。レリーフ紋様で埋め尽くされた金属製扉は片側が50cmほど奥へ開いていた。隙間から覗くと奥は広大な広間になっているようだ。天井が遥かに高くドーム状になっている。それが見えるほど広間全体が明るかった。


「明るい。でも照明らしきものは見当たらない」


シオンが声を顰めていう。声を顰めたのは広間の奥から雑多な声や生活音が聞こえてくるからだ。広間全体がこれほど明るいということは魔素濃度が異常に高いということで音が伝わりにくいはずなのだが、それでも聞こえるのはステータスアップで微小音聴力が2倍近くアップしているからだろう。木を折る音、金物が鳴る音、足音。怒鳴り合いのような喚き声と怒声。最初にボク、続いてシオンが身をくねらせて隙間を抜ける。抜けた先は石の柵状手すりに縁取られたバルコニーになっていた。左右にカーブを描く階段があり、降りた先は広場といってもいいくらいの広大なスペース。手すりに身を隠してそっと下を覗き込む。中央に円形の池があり、左右に密集して下生えと低木が立ち並んでいた。なにか黄色い果実のようなものや瓜みたいな緑色のものをもぎ集めている2足歩行の魔物が2匹。目玉トカゲだ。池の向こう、一段高くなった四角い石の露台の中央に巨大な台座が鎮座していた。祭壇なのか複雑な装飾が施されている。そのさらに奥、壁の手前に苔むした巨大な四角い穴が見えた。地下へ続く階段のようだ。祭壇周りに座り込み刃物を使って何かの作業しているトカゲが1匹。露台横の草地に設けられた炉の周りで調理でもしているのか怒鳴り合いのような会話をするトカゲが2匹。奥の木の間で寝転んでいるトカゲが1匹。


「トカゲ6匹。目眩し撃つ?」


「いや。遠すぎる」


バルコニーの手すりを飛び越えて下に着地できるくらい身体パラメーターは強化されているはずだけど音もなく着地は難しい。そこで見つからなくても池を回り込んで進む間は遮蔽物もなく丸見えだ。身を屈めたまま足音を立てないように降りても、階段がカーブしているため中程で丸見えになる。不意を打てなけてば6対2。行動を決めかねているうちに奥の階段から蛙の大合唱みたいな喧騒が湧き、穴から目玉トカゲの群れが溢れ出した。その数10匹。そして最後に巨大な目玉トカゲが2匹出てくる。他のトカゲたちの倍の大きさはありそう。全身がワイヤーロープ見たいな筋肉と腱でミチミチに盛りあがっている。身長2m超えのボディービルダーだ。オイルと日焼けでテカテカ光るのではなく、粘液と鱗で青黒く光る。先に出てきた巨大トカゲより最後に出てきた巨大トカゲの方がさらに大きかった。身長3m近い。腕も脚も胸板も腰回りも前のトカゲより遥かにゴツく太く大きい。比べてみると最初に出てきたトカゲが雌体型っぽく思える。前を歩く小型トカゲの1匹がジャレ合いなのかもう1匹の体を押し、押されたトカゲがよろけて雌トカゲに当たりそうになる。雌トカゲは刃物が空気を切るような声を出してよろけたトカゲを払い除けた。肉と骨がひしゃげたような音と共によろけトカゲは直線で宙を飛び、草地で寝ていたトカゲに当たって粘液質の悲鳴がダブルであがった。他のトカゲはアブクの弾けるような声を出し体を揺すっている。笑っているのだろうか。ボクは手を伸ばしてシオンに触れ、注意をボクに向けさせた。親指で後ろを指差しゆっくり後退りする。シオンがついてきた。ドア前で身を起こし、出来るだけ頭を低くしたままドアを抜ける。


「退却する。あの大きいのはヤバイ。いまのボクたちじゃたぶん勝てない。片手で普通サイズを吹き飛ばした筋力もすごいけど、腕の動きが見えないほど早かった」


「少数ずつ狭い通路とかにおびき出して順にやっつけるとかできないかな?」


レベルアップの実感があるからか、シオンの方が攻撃的だ。


「相手の力量が読めない。拮抗していたとしてもひとつのミスが命に関わる。圧倒的なくらい優越してないとリスクが大きすぎるよ。それに、えと、チュートリアルの知識でしかないけど、あの大トカゲとか異常な明るさの部屋とか‥‥『ダンジョン進化』が起こりかけてるんじゃないかと思う」


シオンが警戒を怠らず周囲に視線を配りながら言葉だけ返してくる。


「ダンジョンが進化?」


「広間が異様に明るかった。階段のある部屋は下の階の濃い魔素が立ち昇って魔素濃度があがるから部屋内の明るさが増すのね。普通は他よりほんのちょっと明るいくらいで、植物が繁茂できるギリギリの明るさなんだけど‥‥あの広間は昼間みたいに明るかった。大トカゲが出てくるとき空気が光ってるのが見えたし、大量の魔素が噴き出してるんだと思う。部屋全体がヤバイ魔素濃度になってるからあんなに明るいわけ。大量の魔素が溢れるのはダンジョンが進化する前兆なんだって。進化すると階層は面積が拡大して複雑性を増し、下へは新しい階層が生成されて深さが増す。そしてダンジョンの入り口から魔素が噴き出して周囲の環境ををダンジョン化しちゃう。周囲がダンジョン化すると中にいた魔物が外界で行動できるようになる」


「このダンジョンが進化しかけてるってこと?」


「たぶん。あの大トカゲは下の階の魔物なんだろうと思う。魔素濃度があがったから上の階に来れるようになったっていうか」


「なるほど」


「なのでダンジョンチャレンジは終わり。ここを離れる」


「え。入り口付近とかヒトデ部屋くらいでなら経験値稼ぎを続行できるんじゃない?」


「ダンジョンから魔素が溢れるのを『氾濫』とか『ダンジョンブレイク』っていうんだけど、氾濫が起きたら魔素の溢れ出した外のフィールドまでダンジョン化しちゃう。ボクたちのキャンプや水辺までダンジョン化して、下手するとあの大トカゲが出てくる可能性がある」


「あ。うーん」


罠の作動石を飛び越えながらシオンが考え込む。


「これってチュートリアルのtipsからの知識だから、こっちの世界で実際のところはどうなのか確証はないんだけどね」


「チップスって?」


「ヒントメモみたいな説明文」


「わかった。じゃあ、次はどうするの?」


「最初の目的通り、街を探して冒険者ギルドで冒険者登録」


「わかった。荷造りする」


キャンプに戻ったのは太陽の登り具合から見て午後3時くらいか。手早く水浴びして汗を流す。水筒を満たし絞った水葉を束ねる。干し肉はだいぶ乾燥ができていたので油紙で包み手分けしてリュックにしまった。鍋などの道具をガチャガチャ音がしないようにきっちりしまう。剣と荷を背負い外套を纏えば準備完了。池の水が流れ出している遺跡の西側はかなり急な崖になっているため東側から尾根へと向かう。森や山で迷子になったら川に沿ってくだるのは厳禁っていわれてるし。シオンは川に沿ってのくだりがなぜ危険なのかわからないようだったのでユーチューブのサバイバル知識を教えてあげる。


「ほぼ間違いなく途中に崖があるから。たとえ数mしか高さのない崖でも、滝の周りの草や木や岩は濡れているし苔むしてるし滑ったら最後滑落して下の岩に叩きつけられる。こんな山の中で重傷を負ったらジエンドでしょ」


「ウチ、もしミナトに出会えてなかったらとうに死んでるな。感謝だよミナト」


道なき原生林を歩くのは想像以上の難行だった。なによりくだりは登りの数倍の負担がかかる。下生えは足に絡むし地面は根瘤だらけだし、土はボソボソ崩れるし苔は滑る。ダンジョンでの経験値獲得のおかげでボクもシオンも筋力やスタミナがあがっているためなんとか歩き続けられた。尾根は最初北に伸び途中で北東に曲がる。木々の隙間から左の谷底に川と川原らしき森の開けた景色が望めた。どうやら遺跡の水は西側からだけじゃなく東側の山肌からも流れ出して川になっているようだ。尾根の所々で木々の隙間から谷間の川が眺められる。だいたい並行してくだっている。山中で2泊し干し肉の半分を食した。水葉芋と卵蕗と土筆モヤシは食べ尽くした。ほとんど会話もなくひたすら歩いたおかげで標高がさがり、右手や前方の木々の隙間に草原が見えてくる。左手の川の流れと離れだしたので谷へ降りることにした。傾斜はかなり緩やかになっていて厄介な高い崖もなさそうに思えたから。半日がかりで河原へ降りる。日が暮れかける頃、山を抜けた。草原の歩きやすさが感涙だった。川が左へ曲がる地点で草が踏み倒された道らしきものに行き当たる。暗くなりかけではあったがボクとシオンは夜目が効く。北方向、遥か道の先に黒い点が見晴るかせた。視覚の分解能もあがっているおかげで屋根の形状だと判別できる。民家だ。文明だ。一刻も早く向かいたかったが日が沈む。はやる気持ちを宥めてキャンプを張った。炉を作り火を起こして羊歯茸スープに携帯食を溶かしたおじやで身体を温め干し肉1枚を齧る。山歩きで汗にまみれた身体を川で心ゆくまで洗い流し、剣の素振りと研ぎの日課だけこなして早々に寝た。ボクより先にクークー寝入ったシオンが寝返りを打って身体を丸め、親指を口に当てながらパパママと呟く。閉じた目から流れ落ちた雫に星が映った。


身体の下が石畳やゴツゴツの根瘤の隙間じゃなく柔らかな草地っていうのが嬉しい。病室のベッドしか知らなかったボクがわずか1週間で野宿が苦にならなくなっていた。山くだりで消耗していたからか目を閉じた瞬間に爆睡できて、結果まだ夜が明ける前に目が覚めてしまう。起きあがると空は分厚い雲に覆われ月も星も見えない。真っ暗闇で誰に見られるはずもないのだがそこはそれ乙女の嗜みというやつで草に隠れて用を済ませていると、ひんやり冷たい風が吹きつける。立ちあがると視界の端に光が見えた。遠くに見えた家の方角だ。目を凝らして眺める。ハッとした。家があったあたりが赤く輝いていた。チラチラと揺れる光。火じゃないのか。火事か。シオンはまだ寝ている。起こそうかと思ったが起こしてどうなるわけじゃない。ゆらめく赤い点をボーとしたまま見つめているとぱらっと頬に水が跳ねた。すぐにポツポツと頭にも身体にも水滴が落ち始める。あたりの草むらがバラバラと雨音を響かせ始めた。さすがのシオンも目を覚ましたようだ。


「え。雨」


「外套纏ってフード被った方がいいね。装備は着けちゃってリュックは外套の下に背負おう」


しばらくはゴソゴソ外套の下で身支度をした。雨宿りに木の下に入った方がいいのかこのまま平地にいた方がいいのか判断つかない。雨宿りに入った木に雷が落ちて木ごと丸焼けになる確率と平原にいてあたりよりも高い位置にある頭に雷が直撃する確率。どっちが高いのかわからない。木の下に入るためには1km近く戻らなければならず、ボクはその場でやり過ごす方を選んだ。できるだけ外套にくるまり丸くなる。雨脚が激しくなり、土砂降りになった。ずっと天気に恵まれてきたから雨がこんなにたいへんだなんて思いもしなかった。内心でヒーッと泣きながら雨に耐えていると10分ほどで雨脚が弱まる。


「スコールみたいだった。泣きそうだよ」


シオンが半ベソでいう。ボクの顔も半ベソになっているだろう。


「雨が小降りになってる間に向こうに見えた建物まで行こう。さっき火が見えた気がしたんだ。もしかしたら危険があるかもしれないけど」


「火って、火事?」


「うん。いまは見えないからさっきの土砂降りで消えたのかも」


「危険って?」


「いや、わからない。単なるボクの妄想かも。安全優先で反対側へ離れるって選択肢もあるけど神経質すぎかもしれない」


「少なくとも建物らしきものが見えてるんだから行ってみましょうよ。ウチらふたりならなんとかなるよ」


根拠ゼロで超楽観主義なシオン。ボクも積極的に反対しなかった。屋根のある場所が恋しかったからだ。ふたりして建物の見えた方へ歩き出す。歩いているうちに風が収まってきた。小雨になりついに止む。上流の大雨で川が増水する危険性があるからしばらくは川に近づかない方がいいかもしれない。幸い道は川より高い位置にある。上空はまだ風が強いのか暗雲がスルスルと吹き払われていく。朝日が薄雲を通して紗のように大地に降り注ぐ。その光を汚すように道の先で黒い煙が立ち昇っていた。草の踏み分け道がしっかり地面の露出した幅広の道に合流する。三叉路に杭が打たれ方向指示の矢印板が打ち付けられていたが、ほとんど残骸と化していて町の名前などは読み取れなかった。煙の見えた方向に歩いていくと簡素な杭と針金の柵に行き当たる。針金には棘がつけられている。有刺鉄線というやつだ。獣除けか。道を塞ぐはずの木枠の扉は開け放たれていた。そこが村の境界なのか。柵の内側は広大な畑になっている。麦だろうか。収穫はほとんど済んだらしく、刈り取られて茶色になっている。牧歌的な田舎道を延々歩いているうちに前に見えていた煙が見えなくなった。風上にいるせいで臭いもしない。緩い起伏をくだって次の起伏をのぼると道が分かれて右手の道の先すぐに頑丈な木の柵が現れた。物騒にも先を尖らせた丸太がところどころに突き出している。馬防柵というものだ。昔々の戦いで馬に乗って突撃してくる騎乗兵を止め、あわよくば串刺しにして仕留めるための柵。柵の出入り口、破壊された門の残骸がぬかるんだ地面に倒れ込んでいる。馬車がすれ違える幅のある泥道の両側に中世ヨーロッパ風のレンガ家が一軒ずつ建っている。その奥が小規模な広場になっていて広場を囲むように3棟の家。家と家の間に木造の納屋や厩舎、倉庫などが点在していた。広場の奥、真正面のひときわ大きな2階屋の屋根が焼け落ち、いまだ薄く煙を立ちのぼらせている。さすがにここまで近づくと焼け焦げた匂いが鼻を突く。


「ミナト!」


シオンの押し殺した声。予想はしていたが見たくなかったものが右の家の傍、冬支度のためだろう積みあげられた薪の山の前ににうつ伏せに横たわっていた。死体だった。背中が斜め一文字に切り裂かれている。頭にも深い刀傷があった。血が噴き出しただろうけどぬかるみの泥に混ざって見えない。傷口は雨で洗われて切り裂かれた肉や脂肪の断面と白くて丸っぽい肋骨の断面が見えている。シオンが横で吐いた。ボクも込みあげたけどかろうじて抑える。そのとき声が聞こえた。赤ん坊の鳴き声と女性の悲鳴、そして下卑た笑い声。奥の方、燃えた家のあたりからだった。シオンがハッと顔をあげボクを見る。ボクはたぶん死体を見た衝撃で頭がボーッとしていたのだろう。深く考えず反射的に動いていた。一直線に広場へ出るほどバカじゃなかったのは幸いだった。建物の裏手を回って燃えた家へ近づく。家や納屋をやり過ごして広場右手の家の裏に出る。家の裏を通り抜け、角に身を隠して燃えた家方向を覗き見た。屋根付きの井戸があって見づらいが燃えた家の向こうに人影がある。薪山に被せられていた元は白かったろうシートが引き剥がされ、ぬかるんだ地面を覆っている。その上に押し倒された女性とその身体を跨いで膝立ちし押さえつけている大男。その横にひょろっとした細身の男が立っている。男ふたりは遠目に見ても薄汚い身なりをしていた。膝立ちの男が女性からなにかを引き毟るように取りあげる。盛大にあがる赤子の鳴き声。


「うっせえ。おい。このガキ殺せ」


そういって赤子を物のように放り投げた。痩せ男が危なっかしくキャッチする。女性が獣のような悲鳴をあげて取り返そうと暴れるが、ボクたちのところまで音が聞こえるほど殴られて倒れ伏した。


「だって兄貴」


「もっと大きくなってたら売れるがよ。乳飲み子なんて売れもしねえ。ここで捨てても野獣に食われるのがオチだ。いっそ殺してやる方がいいんだよ」


「ちぇ。後味悪いぜ」


痩せ男が赤子のおくるみ布ごと地面に置いた。シャランと脇の剣を抜く。その瞬間、ボクの脇で金色の突風が起こった。シオンが金髪を振り乱しながら全速で疾駆していた。


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