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05.ありふれた「翻意」と「初めての戦闘」と「お肉」


転生4日めの朝。朝日がボクらのもたれた壁の方角から差すため陽光が遮られて心地よい影ができる。健やかに寝入ってしまい、起きたのは日の出からしばらく経った頃だった。シオンは胎児のように丸まってまだ寝ている。ボクは起き出しテラス階段を降りて脇の藪で小用を済ませ、池へ降りて手と顔を洗った。ついでに浄水器に通して池の水を手鍋ケトルに溜める。水葉の水は直に飲んでも問題なかったが、池の水は透明に見えてもどんな微生物がいるかわからない。浄水器で濾すのが無難。昨日の薪拾い時にもうひとつの群落を見つけ根こそぎ採取しておいた羊歯茸の半分を煮て茸汁を作り、シオンのケトル鍋を借りて茸と水葉芋の炒めを作る。匂いに釣られてシオンが目覚めたようだ。


「オシッコして顔洗っておいでよ。結界魔導器、腰に着けるの忘れないで」


茸汁と水葉芋&茸の炒め物。さらに携行食スティックを4分の1齧って朝ご飯終了。後片付けが終わった時点でボクは居住まいを正しシオンに頭をさげた。


「ごめんシオン。昨日は最初の街に着くまで暫定パーティっていったんだけど、その約束はなしにしてほしい」


石床に正座した膝と脛が石に擦れてゴリゴリ痛い。ヒップバッグに鍋を戻していたシオンが振り返る。


「え。なしって。解散ってこと。なんで。本気?」


「うん。ごめん。まさかダンジョン見つけちゃうとは思ってなくて」


シオンが身体をボクに向けがっしりとあぐらをかく。


「どういうこと?」


「うん。昨日はダンジョン探索は時期尚早だ、なんていっちゃったんだけど。あのときはそう思ったんだけど。でも、色々考えたら、ボクはせっかく見つけたダンジョン、探索して経験値稼ぎたい。素振りなんかの1000倍の単位で経験が積める」


シオンが腕組みしてしばし沈黙した。片手の腕組みを解き伸ばした指で顎を触りながら言葉を選ぶように話す。


「えーと。ミナトはこの世界で生き残るため、少しでも危険を回避できるよう知識を学んだりチュートリアルをやりこんだりしたんだよね。なのに命の危険が大きいダンジョンに入りたいって。らしくないっていうか、無謀じゃない?」


「無謀にならないよう慎重に進める」


「ミナトって、もっと石橋を叩いて渡るーみたいな慎重な印象だったけど」


正座があまりに辛くなったのでボクも膝を崩しあぐらをかいた。


「ボクは慎重っていうより臆病だよ。普通ならこんな初期ステータスの最弱状態でダンジョンなんて危険すぎて入ろうなんて思わない。死ぬのは嫌だし怖い。でも、ボクはダンジョンが怖いと思うより、このままこんな非力な初期状態のまま人間のひしめく街にいくのがもっと怖いんだ。ダンジョンより人間が怖い。だって、同じ日本人同士だって嫌な奴や悪い奴がいるのに、文化も習慣も倫理観も違う世界中の国から何千万人も転生してる。主義の違う国の人、戦争している国の人、女性の人権を認めない国の人、他の宗教を認めない宗教の人、犯罪組織の人や犯罪者、人種差別の人もいっぱい転生してる。短気な人、暴力的な人、自己中心的な人がうんざりするくらいいる。殺人犯の死刑囚が抽選に当たって死刑執行直前に転生したことが6年前に1度あるし、刑務所に服役してる囚人も毎年世界中で数十人は転生に選ばれてる。ルキナは潔癖なくらい公平なんだ。そんな無差別な人間のカオスで、治安やモラルがどれほど保たれてるのか。なんの取り柄もなく力もないボクがそんな中に放り込まれたら、どんなトラブルに巻き込まれるかわからない。悲惨な想像が色々できちゃう。ダンジョンで経験を積んでステータスをあげておけば、少なくとも最低限の対処、うーん、できれば自衛ができるくらいには力がつくと思うんだ」


昨日寝る前に考えた内容だった。女子高校生のシオンにあまり具体的な表現はできなかったけど、拉致監禁レイプや人身売買されての売春や奴隷堕ちだってあり得る。身体が女になってしまったから、特に性的な暴力を受けやすいだろう。早口でダラダラ語ったボクの言葉を眉を顰めて聞いていたシオンが、腕組みを解いた。


「わかった」


「あ。うん。ありがとう。じゃあ、シオンは自由に‥‥」


食い気味にシオンが言葉を被せた。眉があがってる。


「パーティ解散はなし。ウチも一緒にいく」


あぐらの両膝に手をついて身を乗り出してくる。ボクはあっけなく気押された。


「え。いや。待って。でも危険だよ。ゲームでもネズミランドのアトラクションでもないよ。命の危険だよ。化け物が本気で殺そうと襲ってくるんだよ。ボクは自分だけでいっぱいいっぱいで、シオンまでカバーできない」


「ミナトに庇ってもらうほど、お子様でもお嬢様でもない。自分のことは自分で責任持つ」


「でも、シオン殺せる?」


シオンの眉が再び顰められる。一瞬目線を下向かせたがすぐに見詰め返してくる。


「殺さなきゃ殺されるんだから、殺さなきゃならないときは殺すしかない」


「さっき見たあんな気色悪い魔物なら殺せるかもしれないけど、見ためだけモフモフでつぶらな瞳のぬいぐるみみたいな魔物だったら?」


シオンの眉がさらに顰められ眉尻が落ちた。


「うう。話してわかる相手じゃないのよね。うう。がんばる」


シオンの目は真剣で意志が感じられた。信じるしかないだろう。あとは実際に戦闘になってみなければわからない。恐怖に竦むかもしれないし逃げ出すかもしれない。そうなってもいいようボクは基本ソロで戦う心構えでいればいい。つねに最悪の事態を考えてしまうのはボクの悪い癖だけど、異世界ではサバイバルの基本かもしれない。


「最初にひとつ断っておくけど、ボクの戦い方は決してフェアプレイでも騎士道精神に則ってもいないから。シオンのやってたバスケットみたいにルールやマナーのあるスポーツじゃないから。卑怯でも狡くてもみっともなくても、なんでも使える手は使う。背中からだって襲うし、騙し打ちでも奇襲でもこちらが有利になるならやる」


「命のやりとりにルールなんてなくて、ルールがないってことは反則もないってことよね。わかった」


意外とバスケを通して戦いの駆け引きは学んでいるのかもしれない。


「じゃあ、慎重に、命大事にダンジョンアタック。よろしくお願いします」


ダンジョンアタックの装備に関して軽く相談したあと準備に入る。リュックはこのまま置いておき、獣避けに結界魔導器を1個作動させる。腰バッグだけを着け、中身を入れ替えて携行食スティック1本と水筒は満タンで2本。水葉芋を6個と絞った水葉40枚。布と紙とロープ。武装は腰バッグに付けたサバイバルナイフと剣。もう1個の結界魔導器はシオンの腰バッグに収める。迷ったがいまは作動させない。結界にどれほど隠蔽効果があるのか不明なのに、漫然と結界に頼って気が緩むのは嫌だった。ふたりで薮に入り用を済ませ、ボクはついでに程よい長さの落枝を拾った。枝葉を切り落として2メートルほどのまっすぐな棒を手に入れる。準備完了を確認してお互いに視線を交わし入り口へ向かった。足音を抑えながらダンジョンの入り口に近づく。日が登り、入口から1メートルほどは光が差し込んでいた。みっちり隙間なく敷かれた石畳。入口から数十センチの位置に昨日シオンが踏んだ床石がある。よくよく見ると他の石より周りの隙間が1mm以上広い。


「あの石。隙間が見える?」


「うん。よく見るとわかるね。じゃあ、あの石を踏まないように飛び越えクエッ!」


シオンがいいながら飛び越えようとしたので、止めようと伸ばした指が背の剣柄をかすめて襟首に引っかかった。精緻4は誤差30cmの円が24cmに狭まる程度。


「慎重にっていっただろ。なんのためにこの棒作ったと思う?」


「けほ。疲れたときに杖代わり?」


「違う。これで先を探って罠がないか確かめながらいくため。ボクなら最初の罠を発見した奴が油断して飛び越えるだろうって予想してもう1個罠作るけど」


そういいながら先の床をコンコン叩いているとビンゴだった。カチッと床石が沈んで、今度は床下から20cm間隔で横一列8本の鉄杭が腰あたりまで突き出した。


「ひええ」


「また昨日の魔物が様子見に来るかもしれないから少し待とう。正面から戦闘になるのは避けたいし」


時計がないのは不便なものだ。体感で10分ほど入り口の壁に背を当てて息を潜めていたけど、罠の作動で様子を見にくる魔物はいなかった。血や生気の流出に反応しているのだろうか。ボクは立ちあがり、入口の日の差し込む部分に半歩だけ足を踏み入れた。幅4m高さ4mもある通路だから、壁際に身を寄せれば罠のスイッチになっている石を避けても充分なスペースがある。でも罠はひとつとは限らない。入口直後の罠の向こうにもうひとつの罠があったことがいい例だ。囮の罠に気を向けさせておいて第3第4の罠があるかもしれない。ダンジョンはエネルギーを得て深化するにつれ知能が増し、罠の設置なども狡猾になるといわれてる。ボクは壁に耳を付け棒で前の床面を叩いた。目を閉じて石壁を伝う反響音を聞く。強さや生命力を抑えて感覚と知力をあげた甲斐があった。感覚の聴力サブ項目である「音析」の音波解析と「微音」の微小音感知が8にあがり、知力のサブ項目である「空識」の空間認識と「心象」のイメージ力が10になっていたおかげでソナーのように頭の中に周囲の反響音ビジョンが浮かびあがる。鮮明とはいい難いしぼんやりとしたイメージだったけど、罠の仕掛けを収める空間がわかる。入口の罠はその2か所だけで、他に壁や床・天井に胡乱うろんな空間は感知できなかった。


「罠はもうないようだけど、用心して進むよ。シオンはボクの後ろについてきて」


「いまなにしてたの?」


「エコーロケーションっていうテクニック。えと。コウモリとかが自分から音波を出して空中の虫とか障害物を探知しながら飛ぶときの方法。床を叩いた反響音を聞いて近場の構造をイメージできる。聴覚のサブ項目の音析と微音が8以上で、知力のサブ項目の空識と心象が10を超えると頭の中に透過画像みたいな立体図が描けるんだ。ボクは条件満たしてるからそこそこの画像が得られる」


「まるで超能力ね」


「いや。視覚に障害のある人が実際に使ってるし、普通の人でも週2回で10週間訓練したらできるようになったって研究報告があるよ」


「じゃ、ウチでもできるのか。あ。聴覚の音解析と微小音感知は9あるけど、空間認識が9でイメージ力が8しかない。無理か」


ステータスパネルを表示してサブウインドウを開くシオンの指使いは女子高生ならではの熟達した動きになっている。


「いや。無理じゃないと思うな。エコーロケーションのテクニック自体は聴覚の数値に準拠してるから、イメージが多少低くても感じるんじゃないかな。画像みたいには捉えられないかもしれないけど。やってみなよ」


素直に頷いてシオンが壁に耳を当てる。目を瞑って集中したのを見計らい木の枝で床を叩いた。


「ん。え。あ。わあ。何か。左の床とか天井とかに歪む感じがある。罠の位置だよね。すっご。んで。ミナトはなんでウインクしてるわけ。ウチにラブコールか?」


「ちげーよ。暗いところへ入るときにしばらく前から片目をつぶっておいて、入ったらつぶってた方の目で見ると闇に慣れた目ですぐに視界が確保できる」


「あーなるほど」


シオンが片目をつぶる。


「いまからやっても暗闇に慣れる時間がないと思うけど」


「いや。これは何でも知ってるミナトやるねえのウインク」


ため息を吐きながら入口から奥へと入った。暗闇に入るとつぶっていた方の目を使う。瞳孔が開いているのですぐ闇に馴染む。後ろから壁に手を突いてついてくるシオンの気配。通路を暗さに慣らした目で見るとぼんやり明るく感じる。床の血溜まりや引きずり痕もぼんやり見えた。シオンは入る前に目を慣らしていなかったので背後から情けない顰め声が聞こえた。


「うー。真っ暗でなんにも見えないよー」


「目が暗さに慣れていないから真っ暗に感じるだろうけど、慣れてくると薄ぼんやり光があるのがわかるよ」


「え。光があるって、どこから光が?」


「空間っていうか空気だな。それ自体がかすかに光を発してる。チュートリアルと同じだ。ダンジョンに満ちた魔素と空気中の原子が反応して光を発するらしい。魔素って電子に似てるんだ。感覚値をあげてなければわからないくらいの弱い光だけど、歩くくらいはできそうだよ」


「な‥て‥っ‥の?」


声が聞き取れなくて足を止めて振り返る。暗さに目が慣れずに足を止めたシオンと4mほど距離が開いていた。シオンの声が妙にこもって聞き取れない。耳の中に真綿が詰まっている感じ。シオンの元に取って返し繰り返した。


「ここなら聞こえるよね。えと。ダンジョンの中は空気そのものがかすかに光を発してる。チュートリアルもそうだった。ダンジョンに満ちた魔素と空気中の原子が反応して光る。弱い光だけど、歩くくらいはできる。っていったの」


「あ。聞こえた。へえ。光があるのか」


「シオンの目が慣れるまで待とう。なんか音がこもるのも魔素の影響ね。チュートリアルもそうだった。待ってる間にちょっと実験してもいいかな」


「実験って?」


「ちょっと離れて何回かシオンに声をかけるから、聞こえたら手をあげてもらえるかな」


「うん。わかった」


5歩離れて普通にシオンに呼びかける。


「このくらいなら聞こえるよね」


シオンの手があがり、うなずくのも見えた。10歩離れて同じ言葉を同じ声量で出す。シオンの手があがりかけたが、あがり切らなかった。もう少し声量を増して声を出すと手があがる。罠や奥からくる敵に警戒しながら15歩離れる。普通の声量で話しても手はまったくあがらない。大声で怒鳴るようにシオンの名を呼んでようやくシオンの手が反応した。20歩離れると怒鳴っても手はあがらなかった。シオンがかなり狼狽えた様子で何か叫んでいるのが見えたので側まで戻る。


「ひとりでいっちゃったのかと思った」


「ごめんごめん。実験に夢中で。魔素が波を吸収するのは知ってたし音の減衰はチュートリアルにあったけど、こんな急激な減衰じゃなかったように思うんだよね。だからつい好奇心が出ちゃって。このダンジョンの魔素濃度が濃いのかな。他と比べないとわからないか。でも、話し声程度なら5〜10mも離れれば聞こえなくなるってわかったから、床や壁を伝わる振動にさえ注意して進めば物音で魔物に気取られることはなさそう。目は暗いのに慣れた?」


「うん。ぼんやり見える」


「松明とか光魔法とか使うと遠くから見つけられちゃうかもなんで、明かりなしで進むのがセオリーかな」


「戦闘になってもこの暗さで戦うの?」


「さすがにこれじゃ当たるものも当たらなそうだから戦闘時には光魔法を使わないとね。シオンも使えるようここで練習しておこう。ダンジョンの中は魔素で満ちてるから外より魔法が発動しやすいよ。役割分担も決めておこう。もし先手を取られて襲われたら、ボクが対応するからシオンは光魔法であたりを照らして。もし先手を取ることができたなら、ボクが光魔法を発動させる。その時のやり方もちょっと練習しておいた方がいいな」


シオンに光魔法の呪文を教える。1回教えれば脳内の遮蔽が外れて自分のものにできるはず。シオンは1度で光の球を作り出し、まっすぐ飛ばすこともできるようになった。続いて先手が取れた時のやり方をレクチャーした。シオンの飲み込みはいい。ひと通り教えて練習もする。シオンが練習で作った光で収縮した瞳孔が開くのを待ち、いよいよダンジョンの奥に進む。シオンの手前落ち着きを装っていたが、こめかみがチリチリするほど緊張していた。ダンジョン内はひんやりと涼しく乾燥しているというのに手汗が凄い。魔素はかすかにハーブ臭がするもののハーブ的な鎮静効果はないようだ。心臓がドクドクうるさく鳴る。ショートパンツで何度も手汗を拭い、鼻から吸って口から吐く呼吸法で落ち着こうと努めた。魔素は身体的な影響が顕著で身体が軽く感じる。魔素酔いと呼ばれる効果もあって、精神にアルコールのような影響を及ぼすため気分が昂揚する。不注意に早足にならないよう心がけた。


10歩進んで壁に耳を当てエコーロケーションで周囲を索敵する。通路は30mほどまっすぐで、そこで左に45度の角度で折れていた。斜めに10mほど進むと前方の左右に扉が見えた。正確には扉の残骸。両開きの大扉だったものがすべて外れて奥の床に倒れ込んでいた。ぽっかりと四角い空洞が見えている。壁に耳を当てるが何の気配も感じられない。床の血の痕は左右の入り口を無視してまっすぐ奥に続いている。急に怖くなった。黒い闇の奥からこの世のモノではない存在が現れたら、悲鳴をあげてへたり込むかもしれない。後ろを振り返るとシオンも引き攣った顔をしていた。ここで引き返したらシオンに臆病者と思われるだろう。左の入り口壁にいったん背をつけて息を整える。動悸が治らないが意を決して恐る恐る覗き込む。ほんとは家屋侵入のSWAT隊員みたいに格好よくやりたかったのだが、腰が引けてもたついてしまった。奥の大部屋には何基もの朽ちた木のベンチが打ち捨てられていた。脅威になりそうなモノはなし。続いて右壁の入り口脇に背をつけた。さっきよりはキビキビと覗き込める。右の広間には壊れた棚と石台があった。ビリヤード台ほどの大きさ。厨房にしては竈門も水回りもない。何となく解剖台を思わせる。背後から聞こえるシオンの荒い息づかい以外気配はない。


「大丈夫?」


後ろに声をかける。


「すっごく怖い。子供の頃行った遊園地のお化け屋敷の方が怖かったけど、命懸けじゃなかったし」


「ボクも怖いよ。でも怖いから慎重になれる」


「そうだね。試合前の緊張感思い出した。うん。大丈夫。いける。ところで、あのさ。ちょっとウチの勘違いかもしれないけど、床の血の痕、さっきより薄くなってない?」


そういわれると、さっきまで帯のようにベッタリついていた痕が数十本の筋になってる。乾いて縮んだのか。見つめているうちに筋の端、数mmが溶け入るように消えた。


「いま、そこの端が吸い込まれるように消えた。ダンジョンに吸収されてるみたいだ」


「うう。そっか。ダンジョンて食虫植物の胃の中みたいなもんだっけ」


「なんでいまごろ吸収が始まったんだろう。半日タイムラグがある。ダンジョンの魔物に対する猶予かな。よくわからないけどまだ痕は追える。吸収されて完全に消える前に先に進むけど、いける?」


シオンがうなずいたので血の痕を追った。先に進むと再び通路が曲がる。今度は右に45度曲がり、入り口からの通路と同じ向きに戻った。左にひとつ入り口があったがエコーロケーションと視認で空っぽなことを確認し先へ進む。30mほどで十字路に出た。血痕の筋が左に曲がっている。左を後回しにして正面や右の通路をいくのは背後から襲われる危険を放置するに等しい。血のしるべをたどって左へ曲がり20mほど進むと、通路は直角に右へ折れていた。フワッと焼ける肉の匂いと糞の匂い、そして水の匂いを感じる。角の手前で止まって後ろを振り向き、唇に指を立ててシオンに合図した。壁に張り付いてそっと通路の先を覗く。いた。火を燃やしている。通路は曲がって5mほど伸び、奥に長い部屋に繋がっていた。魔物たちが焚いている火のおかげで奥までよく見える。奥の壁や天井は半壊して水が染み出し、小さな水場になっているようだ。瓦礫や壁が苔と白いキノコみたいな植物に覆われていた。その泉の前に火が焚かれ魔物が4体。2体が仕留めた獣の皮を広げて何かしていた。腰巻でも作っているのか。残りの2体は木の枝に刺して焼いたぶつ切りの臓物らしき物を喰っていた。魔物たちとの距離は10mほどか。どんなに早く走れても完全な奇襲は無理だろう。シオンを手招きして角の向こうを覗かせる。シオンは手と膝をついてサッと覗いた。すぐに身体を戻しボクを見あげる。その目にためらいは感じられなかった。


「完全な奇襲は無理だけど先手は取れる。さっき打ち合わせたやり方でいく」


シオンはうなずいて剣を抜いた。ひんやりする石の通路なのにシオンの額に汗の粒が光っている。ボクもうなずき呪文を唱えた。


「燦然たる軌条。太陽の雫。白陽の波動。闇を祓い標となりて導く。光灯れ」


手の平の上に小さな光の球。身体を被せて魔物たちの方向へできるだけ光が漏れないようにしたがそれでも漏れた光を見られたかもしれない。なのでここからは手早く、でも確実にやらなくては。その球に向けてもうひとつの呪文を被せる。


「繋がりの力。握り包む暗黒の渦。点への回帰。特異への歪み。内破する崩壊。狂える重力の収斂。玉響たまゆらの凝縮の果てに弾けよ」


重力魔法の一種。圧縮魔法だ。空中に浮かんだ光球の周りを手で押し包み絞り込むように握り潰す。光球の発光が鈍り、ピンポン球ほどあった光球がパチンコ玉ほどの弱く光る白球になった。それを掴んで角から進み出た。走り出す。走りながら手の中で浮いている白玉を砲丸投げの要領で前へ押し出した。ボクより少し早いだけの緩いスピードで白球が真っ直ぐ魔物たちの方へ飛ぶ。すかさず背後からシオンのカウントダウンが発せられる。


「3」


白球を離して自由になった手で背の剣を抜いた。背後でシオンの追従する気配。怖いとか思う暇もない行動とアドレナリンのおかげで自分でも驚くほど冷静だった。チュートリアルで魔物を斬りまくったおかげでもあるだろう。


「2」


部屋の入り口をくぐったあたりで魔物の一体が気づいた。奇声をあげ、手にした臓物を放り投げる。その声で残り3体が振り向いた。


「1」


最初に気づいた魔物が慌てて棍棒を取りあげる。空中を進む白球は圧縮されて弱いながらも光を放っている。魔物たちの注意を引くのに充分なほど。


「いま!」


シオンの声でボクは目をつぶる。武器を持ち殺意まんまんの怪物の直前で走りながら目をつぶるのは意外と勇気がいる。つぶった瞼の裏が真っ赤に染まった。投擲した白球が圧縮を解かれ、光爆発を起こしたのだ。つまり魔法式の閃光弾。閃光が収まり目を開ける。閃光を放出しきった光球がふわふわと浮いてあたりを照らしていた。魔物は目前だった。瞬間で魔物たちの様子を見て取る。3体は閃光を直視したようだ。もともと光の少ないダンジョン内で生活するため発達した大きな目に光の直撃を受け、意識まで持っていかれたようだ。ヨロヨロしながら目を押さえている。奥の1体だけが偶然か直視しなかったようで、よろけることもなく石を括りつけた槍を手にして迎撃のため立ちあがろうとしていた。ターゲットは決まった。真ん中の1体の横をすり抜け槍の魔物へ急迫する。精緻性の低さを意識して上段からの斬りおろしではなく横薙ぎに剣を振る。鱗の胴体はさっくりと斬れた。


「ごめんなさい!」


っとシオンの声。同時にグギャっという魔物の断末魔が響く。1歩身体を奥へ進ませながら回すとシオンの姿が視界に入った。シオンの剣が袈裟懸けに右端の1体の胸半分まで食い込んでいる。シオンの腰が引けてるせいで斬り込みが浅かったのだろう。同時に僕の斬った魔物の上半身が床に落ちる。噴き出した魔物の血はボクが1歩動く前の位置へバシャバシャと落ちた。魔物の腕はまだひくついていたが、目に生気はない。まだ立っている下半身を横へ突き飛ばし、目が眩んで跪いているもう1体の首を薙ぎ払った。足場が悪かったのと斬り倒した魔物の身体が邪魔になって踏み込みが浅く、刃の角度が悪かったのだろう。首を飛ばせず半ばで止まった。魔物の背中に足をかけて引き抜き、うずくまった魔物の背中に剣を突き刺す。


「抜けない」


シオンの声がして目をやる。袈裟懸けに入った刃が肉に絡まり、魔物が倒れ掛かったことで角度がついて抜けなくなったようだ。横でもう1体の魔物が目が眩んだまま反撃しようと闇雲に棍棒を振り回している。それがシオンの斬った魔物の身体に当たり、死んだ魔物の身体がさらにのしかかった。シオンは必死でその身体を支え剣を抜こうと足掻いている。シオンの声を耳にした魔物が当てずっぽうで棍棒を振りおろす。シオンの頭のすぐ横を棍棒が走った。


「シオン、剣にこだわるな」


ボクの叫びを聞いたシオンの反応は早かった。剣から手を離し、倒れる魔物の身体が盾になる位置へと身体をずらす。同時に後ろ腰のサバイバルナイフを抜いた。ボクの声で魔物が振り向いた。巨大な目玉に巨大な瞼、忙しく瞬膜が開閉し涙を流している。目の機能がわずかに回復したのだろうか。ボクを見る視線の焦点が合ってきたようだ。シオンが逆手にナイフを構え無防備な背中の至近距離にいる。振り回される棍棒に当たらない安全位置から魔物の延髄にナイフを突き立てる絶好のボジションだ。一歩近づき腕を伸ばし下へ動かすだけで、ほとんど抵抗もなくナイフがうなじに埋まるだろう。だがシオンは動かなかった。いや、動けなかった。最初の1体は無我夢中で振った剣が偶然致命的に決まり倒せたのだが、生き物を斬るという不気味な手応えをあまりにも生々しく感じて竦んでしまったようだ。魔物は回復し始めた視界に入ったボクを標的に決めたのだろう。まだ間合いじゃないと思っていた4m近い距離を一瞬で跳び、棍棒を叩きつけてきた。避ける暇もなかった。かろうじて半歩さがり剣身で受けたが、とんでもない衝撃だった。腕と握り手に衝撃が走り、剣が跳ね飛ばされ自分の胸鎧に当たる。身体ごとよろけ、後ろに倒れていた魔物の死骸に踵が取られた。尻餅をついたボクの真正面で魔物が仁王立ちになり耳がちぎれそうなほど高音の雄叫びをあげる。棍棒を大きく振りあげ、ボクの頭へ振りおろそうとした。頭を庇い横に逃げようとして上から発せられたゲフッという呻き声を聞く。魔物は虚な目で棍棒を取り落とし、膝が落ちてクタクタと床に崩れ落ちた。うなじにシオンのナイフが突き刺さっている。魔物の向こうに泣きそうな顔をしたシオンが見えた。シオンも限界だったのだろう。よろけてぺったりと尻餅をつき吐き始めた。顔色が青ざめを通り越して白い。ボクは知らぬ間に息を詰めていたのだろう、ブハッと息が噴き出す。すぐには動けなかった。胸全体が心臓になったみたいに動悸が激しく、荒い息遣いを繰り返すだけでせいいっぱい。ボクの呼吸が落ち着く頃にシオンの吐き気もえずきに変わっていた。シオンが2体も仕留められるとは驚きだった。1体も仕留められず泣き言をいう場合も想定していた。


「殺した‥‥」


シオンが手を見つめてぼそっと呟いている。だが、シオンに言葉をかけてやる暇はなかった。いまがいちばん危険な状況なのだ。ボクはなけなしの気力を振り絞って立とうとした。地面に突いた右手が激痛を発する。ガランと剣が手から落ちる。痛みを堪えて身体を起こし、左手で剣を掴んで杖がわりに立ちあがった。クラクラしたが無視して、まずボクの斬った2体の魔物のうち首を半ばまでしか斬り落とせなかった魔物の頭に剣を落としてとどめを刺す。続いてシオンが袈裟懸けに斬り伏せた魔物の頭、さらに上下に両断した魔物の頭に切っ先を埋める。右手が使えないので剣の柄頭を腹に当て体重をかけて突き刺す。最後にボクを殴り飛ばした魔物のこめかみを貫く。全部終わってホッとしたとたん足から力が抜けた。尻餅をつくと、ちょうど正面に目を丸くしてボクを凝視しているシオンがいた。顔に点々と返り血を浴びている。それもあって凄惨な表情に見える。


「なん、で、そこまで‥‥」


「ああ。やりすぎって思うかな。死体を冒涜してるみたいに見えるかな。チュートリアルをやり込むとこんな残酷なこともするようになるんだ」


「どういうこと?」


「倒したと思った魔物がまだ生きていて、急に起きあがり逆襲されて死んだこと4回。死体に紛れて死んだフリしていた魔物にやられて死んだこと2回。生き物ってなかなか死なないんだ。斬られたショックで気絶してそのまま失血死っていうのも多いけど、何回刺しても斬っても死なないで襲ってくる獣や魔物がいる」


実際の殺人事件で、全身数十カ所も刺されて殺される被害者がいる。深い怨恨でそういう結果になることもあるが、刺しても刺しても死なないで逃げようとするから加害者が焦って刺しまくるという場合もあるようだ。あまりに生々しくてシオンにはいわなかったが。


「倒したと思って安堵している状況がいちばん危ないんだ。緊張が緩みすぎて普段の状態より無防備になるし、注意散漫になる。残酷で無慈悲に見えるだろうけど、ボクは生き残りたいから」


シオンの口が閉じてコクッと喉が動く。ボクは痛めた指と腕を確かめた。折れてはいないようだ。あからさまな脱臼もない。関節がグリッと外れかけて元に戻った亜脱臼と靭帯の損傷だろう。親指と人差し指と手首がリアルに痛い。アドレナリン効果も薄まり、動かさなくてもズキズキ痛む。動かそうとしたら激痛が走る。ボクはポーションを出して半分ほど手指と手首にふりかけた。痛みを堪えてそっと揉み込む。残りは飲んだ。効果覿面で痛みが引く。ポーションは軽い脳震盪も治してくれたようだ。意識がはっきりして胸鎧に10cm近い傷がついていることに気づいた。うわ。自分の剣で自分を斬るところだった。これで死んだら自殺になるのか?


「凄い力だった。受け止めた剣が弾き返されて胸鎧に当たったみたい。傷ついてる。倒れた時はもうダメかもと思った。助けてくれてありがとう」


「他は大丈夫なの?」


「大丈夫。シオンが倒してくれなかったらボク死んでたかも。おかげで手もポーションで治る程度で済んだ」


回復した手指を握り開きしながら体勢を変え後ろに倒れている魔物に触る。


『okulglobo lacerto。目玉トカゲ。魔界の生物。原始的な知能があり、火と石器を使う。夜行性。ダンジョン罠の再設定やメンテナンスを担うためコアにより定期的に召喚される【強化状態】』


強化状態ってなんだろう、と思ったところで5分経ったようだ。


「え。なにあれ。ミナト見て。溶けて。違う。砂みたいに」


分解が始まった。チュートリアルと同じだ。


「消えちゃう前にいちど触っておいた方がいいよ」


シオンが嫌そうに触っている。その間にも魔物の死骸はサラサラと赤っぽい結晶砂になって輪郭から崩れていく。骨も肉も一緒に分解していき、10秒たらずで完全に砂化した。その砂も端から気化していく。1分ほどで痕跡もなくなった。シオンに降りかかった返り血も消える。オゾンと柑橘系の混ざった放出魔素の匂いが部屋中に満ちる。不快な匂いではない。すると身体の芯でむずむずっとした振動のようなものが複数回湧きあがった。ステータスを開いて確認する。間違いなく覚値獲得時の体感だ。チュートリアルでは耳で聞いたがこちらでは身体の芯で感じるらしい。シオンも体感を得たのだろう、胸元を押さえて怪訝な顔をしている。


「シオン。ステータス開いてごらん」


シオンが指を振った。チラッと眺めてすぐ気がつく。


「ステータス覚値が9ポイントになってる。いま目玉トカゲを倒したから?」


「そだね。4体倒して9ポイントアップだから、目玉トカゲは1体につき経験値が3000ポイントってことか」


「経験値?」


「魔物が死んだら魔素に分解され、放出された魔素をボクたちの身体が吸収して覚値に変換してるってことらしい。チュートリアルではそう説明されてた。だから経験値って表現は不正確で実際は『覚値変換のための魔素蓄積』とかいうんだろうけど、長いしピンとこないしで経験値って俗称でいうのが慣習になってた。ゲーム的で素人にもわかりやすいからね。最初は1覚値1000ポイントの変換率だけど、次は1050ポイント必要になる。これも1覚値増加ごとに5%ずつ増えていくんだ。どうもこの世界は5%が基準になっているみたい。3覚値に必要なのは1103ポイントで4覚値に必要なのが1158ポイント。チュートリアルではこのくらいの魔物なら1000ポイントが相場なんだけど、この魔物は強化状態って表示があったからたぶん表の世界の獣を食べて強化されてたんだと思う。ごめんシオン。ボクのミスだ。目を眩ませたから勝てたけど、そうじゃなかったら強化状態の相手と真正面から戦うことになってた。いまのボクたちのステータスでは正面から戦うのは無謀な相手だ。しかもそれが4体も。ひとつ間違えたら死んでた。ごめん。冷静に頭働かせてたら獣を殺した時点で考えついたはずなのに」


「ミナトもウチと同じようなドジするってわかって嬉しいよ」


そういいながらもシオンの表情が固い。ボクを非難しているわけではなく、ひたすら疲れているようだ。肉体的にというより精神的疲弊だな。生き物を殺すという行為に衝撃を受けているのだろう。


「今度からもっともっと慎重に考えるよ。しかし疲れた。今日の探索はここまでにしていったんダンジョンを出よう。戻って休もう。ボクは解体された獣の肉を調べて食べられそうなら持っていけるよう包むから、シオンは魔石の回収してもらえる?」


「魔石?」


光球の寿命が尽きてシュッと光が消えた。焚火の明かりはあるがゆらゆらして見づらいので新たな光球を出す。


「あそこの床に水晶の結晶みたいな赤い石が転がってるの見える?」


「うん。あれが魔石?」


「そ。倒した魔物はさっきみたいに消えるけど体内にある魔石を落としていく。あれが討伐の証になるし、なにより換金できる。魔物が倒れてた場所を探して。4体だから4個あるはず」


「わかった」


切り分けられた肉の塊に触る。


『naza apro viando 鼻猪の肉。草食だが繁殖期は非常に凶暴化し人も獣も見境なく襲うことがある。胴体を覆う毛と皮が斬撃に強いため刺突か打撃が有効。後ろ足の蹴りが1撃で人を殺せるほど強力なため要注意。食用』


魔物が解体した肉を全部持っていくには入れ物が足りず、腐らせても困るのでごろっとした塊を1個だけ持ち帰ることにした。残りは腐る前にダンジョンが吸収するだろう。剥がされた毛皮で包み、ヒップバッグからロープを出して縛る。持ち手もつけて持ち運べるようにした。シオンは魔石を集め終わり鍋ケトルが入っていた布袋に入れている。


「じゃあ、戻ろう。でもどこから敵がきてもいいように警戒はして」


「わかった」


床の血痕はすっかり吸収されていた。目印はなくなったがほとんど一本道だったし迷わず進む。ダンジョンを出るまで何事もなく進んだ。


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