30.ありふれた「重ね合わせ」と「神聖皇国」と「怪獣大戦争」
死後の世界はふわふわしてるなあ。とんでもなく寒かったような気がしてるけど、三途の川を渡るときは寒さを感じるのかな。そういえばつくばゲートスフィアからこっちの世界へ転生したときもこんなふうな瞬間の寒さを感じたな。まあ。いまは暑くもなく寒くもなく、のんびりラクラク浮いてるからいいか。現在のボクは幽霊ってことなのかな。肉体は虚数空間に落ちたことで失われ、魂だけになってプカプカ浮いてるとかそんな状態。幽体離脱か。前の世界で全身の筋肉に発生する多発疼痛があまりにひどくて、鎮痛剤を点滴に混ぜてもらったときがこんな浮遊感だったな。それにしても普通死ぬときってそれまでの人生が走馬灯のように見えるというけど、ぜんぜん見えない。ボクの人生には走馬灯になるほどの劇的な思い出などないってことか。かなり波乱万丈だと思うんだけどなあ。母親はシングルマザーで男がいない時期はボクを偏愛し、男ができるとネグレクトっていう極端な性格。子どものボクから見てもずば抜けた美貌で夜の蝶商売を真面目にやってれば店の1軒も持てただろうに、勤務態度もムラがあって我が家の経済状態はそこそこ金持ちときどき無一文って感じに乱高下だった。生まれつきの性格なのかネグレクトによる愛着不足なのか、ボクは不登校で陰キャなネグレクト児童だったけど、食事とゲーム環境には不自由したことがない。コンビニ弁当と宅配弁当でも成長できるし、母親からネグレクトされてもゲーム世界に逃げ込めばボクが世界をネグレクトできる。そんなこんなで世界では異世界へのゲートが出現したり、そのせいで起きかけた中国と北朝鮮による戦争がポシャったり、中国共産党が崩壊して上海と香港が分離独立したり、チベット復興戦争が起きたり、ロシアからシベリア連邦が分離して北方4島が変換されたり、南北朝鮮が合併して大韓朝民国ができたり、南アメリカ連合が結成されたりと激動の時代だったのだけれど、ボクはひたすらゲームの腕を磨いて少年時代を過ごした。で、13歳でEスポーツの『マジックソード』ワールドバトルロイヤルが開催され、ボクが世界3位を獲得したっていうのに母親が『ダノン病』発症。母親の蓄えとボクがEスポーツでちょこちょこ稼いだ賞金を合わせると数年は食うに困らない貯金があったし、難病認定を受けて入院したから母親の医療費とかはタダだったので保護者不在のままひとり暮らしを続けた。14歳でEスポーツ『マジックソード』のプロチーム『アサッシンズ』入団試験に合格したとたん、ボクも『ダノン病』発症。翌年には母が亡くなり、ボクは障害児童施設に入所を進められたけど18歳になるまで暮らせる資金はあったのでお断りした。
『ダノン病』というのは自己貪食空胞性ミオパチーという難病の1種で、2045年時点で全世界でも120家系しか発症が確認されていない稀有な遺伝性疾患である。身体のさまざまな筋肉の筋線維内において、自己貪食空胞と呼ばれる特徴的な小胞が見られるのがミオパチーの特徴。自己貪食空胞性ミオパチーという病気にはいくつか種類があるけど、ダノン病はその中でも特に予後が悪い病気だ。遺伝子の不具合で発症するメカニズムが少しずつわかってきてはいたけど、有効な治療法などは確立されておらず対症療法的な治療のみとなる。『ダノン病』が発症すると『骨格筋』と呼ばれる骨に繋がって身体を支えたり動かしたりするための筋肉が徐々に筋力低下や筋萎縮を起こす。そしてこれが最終的に死因となる心筋症が併発する。そして60%から70%に精神遅滞が見られるのだそうだ。ミオパチーと心筋症と精神遅滞の3つの症状が『ダノン病』の特徴となる。ボクは幸いにも精神遅滞は起こさなかった。いや、起きてるのかな。コミュ障だし。軽いほうだと思うけど自閉スペクトラム症であることは間違いないし。記憶力や計算能力のよさはアスペルガー症候群だともいわれてるけど、正式な診断を受けてるわけじゃない。社会生活に不自由を感じる前に『ダノン病』が発症してしまったから。男性と女性で発症時期や症状に大きな差があり、男性は10代に発症することが多い。ボクももれなく発症は14際。腕と指の筋肉が侵されゲームコントローラーを操作できなくなり、せっかく入った『アサッシンズ』を退団せざるを得なかった。顔つきも変わり、17歳で歩行と嚥下が難しくなる。19歳で心筋症が発症して余命2年といわれ、呼吸が困難になってきて入院生活になった。ネットゲームを始めた10歳から『ダノン病』発症で打ち切りになる14歳までの実質5年間が、ボクの輝かしい全人生みたいなもんだ。学生生活も充実してたけど、肉体的にはつねに苦痛と背中合わせだったからなあ。転生して女性の身体だけど健康で苦痛のない人生を送れると喜んだのも束の間。まさか複素空間に落ちて死ぬ羽目になろうとは。走馬灯の材料には事欠かないと思うんだけど。こんなことならもっといろいろエロいこととかしておけばよか‥‥。
「おいこらぁ。ミナトォ。なにまったり涅槃の境地に浸ってるんだよぉ。ジュラちゃんもう魔力切れだよぉ、充電3%だよぉ。のんびりしてるとほんとに死んじゃうぞぉ」
あら。ジュラがなんで死後の世界にいるんだ。って死後の暗闇かと思ってたら、目を閉じてただけだった。目を開けるとなんだか世界が紫色だ。ジュラが作り出す遮蔽バリヤーの中に浮いていた。球体の真ん中でジュラが便秘っ子みたいに踏ん張ってる。ふわふわしてるなあと思ったのは無重力で身体が浮いてるから。うげろ。生焼けの脳蜘蛛がボクの下にいてお尻にブヨンブヨン当たってる。気色悪う。ていうか、気分が悪いのは自分の身体の輪郭がぶれているように見えるからかもしれない。無重力で浮いているのに妙に身体が重い気もするし、空気人形になったみたいにスカスカな気もする。なんだこれ。
「ボケっとしてないで魔法の防御シールド張ってぇ。ジュラちゃんもう保たないぃ」
色々疑問だらけだけど、防御シールドを展開した。ジュラが「ぐへー」とかいいながら大の字になって漂い始める。
「ジュラ。ジュラちゃん。なんでいるの。まだ生きてるのって。ここってどこ。なんか身体が変な感じなんだけど。複素世界なのか?」
「ちょっとぉ。そんないっぺんに聞かれてもぉ。なんでいるかってぇ。ミナトを守らなきゃならないからぁ、必死でついてきたんだよぉ。そんでぇ。かろうじてまだ生きてるよぉ。絶体絶命ぃ。生きるか死ぬかの瀬戸際だけどねぇ。そんでぇ。違うよぉー。いまジュラちゃんたちがいるのはぁ、複素世界じゃないよぉ。複素世界と繋がったワームホールの中だよぉ」
「ワームホール。それって時空と時空を結ぶトンネルみたいな領域のことだよね」
「そうだよぉ。りんごの虫食い穴の中にいるわけじゃないよぉ」
「なるほど。自分の身体やジュラがブレているように見えるのも、無重力で浮いてるのに身体が変に重かったり感じるのもワームホールの中だからなのか‥‥」
「それはねぇ。ワームホールの中だからっていうよりぃ、ミナトが脳蜘蛛の作った魔法陣に落ちてぇ、女神ルキナの『観察』から外れたんでぇ、重ね合わせ状態になってるからだよぉ。ちょっと視点の次元を変えて見れるからぁ、そっちの方が落ち着くかもしれないよぉ」
「重ね合わせ状態って、量子力学の重ね合わせのことか?」
「そうだよぉ。あの世界での女神ルキナの『観察』ってぇ、律儀に原子1個1個まで及んでるからぁ、ルキナが望まないと重ね合わせが起きなかったけどねぇ」
つまりボクはいま、怯えてるボクと感心してるボクと喚いているボクと落ち込んでいるボクと、腕組みしてるボクと万歳してるボクとシャッフルダンスしてるボクと寝ているボクエトセトラエトセトラな無数のボクの可能性が重なり合った状態で存在しているってことか。そりゃ重く感じるわ。でもそれぞれのボクは単なる存在確率として無限分の1のカスカスな蜃気楼みたいな状態だから、軽い感じもするってことかな。
「視点の次元を変えるってどうすんの?」
「いまのミナトはぁ、次元的にプラス1次元拡張されてるからぁ、すぐできるよぉ。こうぅ、視点をクイッとぉ」
視点をクイッとってそんなアバウトないい方で‥‥あら。できちゃった。クイッとなったよ。わああ。すっげー。壮観。世界が無限の面に拡張した。上にも下にも右にも左にも。押し出し式パスタ製造器の穴が無限にあって、そこからもっちりパスタがにょろん、にょろん、にょろん、にゅろん、にょろん、にょろん、と押し出されているかのように立体視ができる。そのパスタの1本1本がボクたちを押し流してるワームホールだ。パスタ1本1本の中には防御シールド球に入ったボクとジュラと脳蜘蛛がいる。コピーとかじゃない。それぞれのボクはまったくの実在だ。ただ存在確率がほんのちょっと低かったり高かったりする。
「いまのところジュラちゃんたちがいちばん存在確率が高いポジションにいるけどぉ、あと3秒でワームホールを抜けて人蜘蛛たちの複素世界に入っちゃうからぁ、ミナトも虚数化しちゃうよぉ」
げげ。たった3秒。
「3秒じゃ、なにをするのも手遅れじゃん」
といい終わった頃にはボクの体感的に3秒経ってたけど、虚数化は起きない。
「ワームホールの中は時間進行がぁ、1対3万の比率で遅れるからぁ、まだ大丈夫だよぉ」
1対3万ってことは3秒が9万秒になるってことか。9万秒ってことはボクの体感時間としては25時間ってことだ。焦らなくてもよさそう。とはいえなにか手を打つ必要がある。『クラインの壺』に投げ込まれた人が虚数化しても死ななかったようにボクが虚数化しても死なないだろうけど、今後複素世界で人蜘蛛を相手に生きなきゃいけなくなる。それはご遠慮したい。いちばん有効なのは脳蜘蛛が描いた魔法陣を解析して方向を反転することだと思うけど、なんてこった。脳蜘蛛の巨大な胴体に隠れてほとんど魔法陣が見えてなかった。
「ジュラは脳蜘蛛の描いた魔法陣を見てないよね?」
脳蜘蛛がピクピクと断末魔の痙攣らしき動きでボクたちの方へ漂ってきたので、脚で蹴って押しやる。
「見てないよぉ」
「そっか。じゃあ、魔法陣を解析する案はボツだな。まったく新たにワームホールを作る魔法陣を開発するとしたら25時間じゃ足りないよなあ」
「無理だと思うよぉ。でも元の魔法陣ならわかると思うよぉ」
「え。見てないのに?」
「この脳蜘蛛はもうすぐ死にそうだけどぉ、死ぬ前にジュラちゃんの事象の地平面に情報にして書き込んじゃえばぁ、記憶が読み出しできるよぉ」
「ジュラ。ジュラちゃん。使えるいい子だなあ。脳蜘蛛も生きたまま事象の地平面に転写されて、永遠に死の苦しみを味わうことになるのか。ちょっとかわいそうな気もするけど人間を餌に変えて食って殺した報いかもね」
「いやぁ。永遠に苦しまないよぉ。こんな気味悪い生き物のゲロロな情報をぉ、ジュラちゃんのお洒落で綺麗な事象の地平面に長々と置いておくのは嫌だしぃ。必要な情報を取ったらさっさと消去しちゃうからぁ」
あ、そ。まあ、いいか。とにかくここから抜け出すのが第一義だしね。ワームホール内時間で10分ほど休んで魔力回復させたジュラが妖精変化を解いて脳蜘蛛の中へ突っ込んでいく。次の瞬間、脳蜘蛛が消えた。
『あららぁ。情報が脳の損傷で1部欠落してるよぉ。ミナトの脳内の視認情報と合わせて補完するから記憶覗かせてぇ』
妖精という肉体を保たないジュラが脳に直接話しかけてくる。脳に直接話しかけない約束だけど、まあ、この場合はしかたないな。
「わかった。いいよ。どうぞ」
了承したら瞬間で魔法陣の情報が流れ込んできた。完璧に描かれた魔法陣情報。ここからはボクの仕事だ。この魔法陣を解析しなくちゃならない。人蜘蛛族の言語体系なんかも取り出してもらったので解析の参考になる。問題はこの解析が25時間でできるかどうかだ。虚数生物になりたくなければやるしかない。体感で25時間とはいえ実際は3秒なのでお腹も減らなければ喉も渇かないだろう。と思うけど、時間の概念に関しては現代物理学でも謎だらけなのでどうなるのかわからないのが実際だ。ボクのお腹はいまのところ減っていないけど、エネルギー枯渇状態でへろっていたジュラが必死にボクを守ってくれていたことに思い至る。ジュラにご褒美の重力球をご馳走しようかと持ちかけたら、ワームホールの中で超高重力なんて生じさせたらワームホールが崩壊しかねないって遠慮された。「そんなことよりぃ脳蜘蛛の情報を早く消去させてぇー」と訴えるジュラにまだ必要な情報があるかもしれないから待っとけと冷たくいい放ち、異言語による魔法陣解析を続ける。あんまり考えすぎて脳の毛細血管が3千本くらい切れた感じがしたけど、ようやく解析終了。解析の結果、ボクの放った3発目の火炎弾が魔法陣の一部を傷つけたせいでワームホールの冗長性が増し、3秒の余裕ができたってわかった。3発目が魔法陣を傷つけてなければ一瞬で複素世界に到着し、ボクは複素世界に蔓延る他の人蜘蛛族の餌になってたかもしれない。くわばらくわばらー。解析終了したのが体感時間で24時間50分後。魔法陣の128のパラメーターを反転して進行方向を変えるのに5分。ミナト製魔法陣が完成して名残惜しくもないワームホール空間からおさらばしたのが24時間56分後だった。よくあるアクション映画だったら24時間59分58秒とかでギリギリセーフの緊迫感を盛りあげるところだけど、盛りあがりもなくあっさり逆進する。小領主城の図書館兼執務室に戻るかと思ったけど、ジュラが吸い出した魔法陣情報は最初の次元侵攻時にこっちの世界に渡ったときの魔法陣だったようで、ボクとジュラを包んだシールド球は『クラインの壺』の排出口からスルッポンと吐き出された。シールド球ごと3回転して石畳を転がり、慌ててシールドを消すと放り出されて地べたに大の字に叩きつけられる。
「おわっ。ミナトか。隠れていた蜘蛛が出てきたかと思って危うく斬るところだった」
背中は痛いし目は回るしで寝転んだままのボクを、ヒゲモジャのダムディン・アチバドラフ隊長が見おろしていった。その横にンガバ副隊長の顔が入ってくる。
「ミナト。どうやってここに。上の様子はどうなんだ?」
それから始まる説明に次ぐ説明の時間は思い出したくもない。隊長たちに説明してる間に、魔法シールドを装備した2チームが小領主城のある丘上城塞へ続く登り坂の掃討に向かった。隘路にはまだ丸まってる働き蜘蛛やうろついてる兵隊蜘蛛が残っているはずで、そいつらを退治しシオンたちと合流する必要がある。説明してる間に下の中央広場にいたボワヴァン団長の指揮車が到着して説明を繰り返さなきゃならなくなる。お偉いさんに説明って苦手なんだよう。でもなんとしても破壊の許可をもらわないと。ボクは『クラインの壺』をそのままにしておくつもりがない。複素空間に繋がっていることがわかって危険度爆あがりだ。『クラインの壺』が侵攻の通り道になっていることを伝え、別の人蜘蛛の集団が通り抜けてくる可能性を説き、ボワヴァン団長に破壊の必要性を訴える。団長は『クラインの壺』を武器として利用できないか束の間検討したようだったけど、自分たちには扱えない類の物だとの結論に達したようだ。破壊作業で周辺に及ぶ危険性をボクに確認し、念の為に部隊をさがらせボクが専念できるようにしてくれた。団長に感謝しつつジュラに御馳走重力球を振る舞いボクは飲み物をもらってひと息つく。気力を奮い立たせて教会堂の鐘楼に登った。そこで『クラインの壺』の除去作業に取りかかる。
部分的に虚数次元に入り込んでるから、解体作業は魔法的におこなわないといけない。裸の次元穴が残ったりしたらエライコッチャになる。ジュラのエネルギー充填が回復したので『クラインの壺』全体を包む防御シールドを張ってもらう。これでよほどのことがない限り、被害を拡散させないですむ。まず『クラインの壺』の上に魔法的プラットホームを構築する。このへんの技術はレイ男爵に学んだ技術だ。プラットホームから魔法的作業アームを下におろし次元の穴部分に刻まれている魔法陣要素を抽出する。量子もつれによって結ばれた3次元の穴の投影が面となって魔法陣に記載されている。魔法陣によって内部に生み出される負の質量を使ってワームホールの維持をしているので、負の質量の生成をやめれば一瞬でワームホールが潰れる計算だ。とはいえあまり急激に潰すと時間と空間が振動を起こし周囲を破壊してしまうので、核爆発の反応を制御して原子炉反応にするような感じでゆるゆると崩壊させる。『クラインの壺』を物理的に構成していた人蜘蛛の吐き出した粘液硬化物が、流動体のように『内側に捲れ』ながらゆっくり虚空に吸い込まれていく。その過程で教会堂の建材をも巻き込んで破壊し始めたので、ボクは急いで鐘楼から降りた。プラットホームから距離を取ることでコントロールが難しくなるけど、できなくはない。
次元穴への吸い込み自体は無音で進行するけど、建材の破壊はあまりに騒々しい音を立てる。教会堂の鐘楼が粉々になって飲み込まれた。最後の欠片と埃を飲み込んで次元穴は裏返るように消滅する。半分に引き毟られて哀れな姿になった教会堂の残骸が残った。『クラインの壺』は完璧に消え、次元の穴も痕跡すら残さず塞がってる。『クラインの壺』に感じた怒りからしたらもっと派手に爆破し焼き尽くしてやりたかったけど、次元穴を残さないためにはこうするしかなかった。巨大な魔法シールドの中で地面にしゃがみ込んでひと息つき、時空間振動や他の予期せぬ影響がないことを確かめる。安全確認終了。異常なし。立ちあがってお尻の土埃を払い、魔法プラットホームを解除し、ジュラに合図して魔法シールドを消した。そのとたんドドドドドという足音とともに、なんというか濁音と半濁音がごちゃ混ぜになった豚の嘶きみたいな音が聞こえる。
「ビナドォオオ。イビデダァ!」
ぐげほ。振り返ろうとしたとたんイノシシ突進みたいなシオンの金色タックルが脇腹に決まり、ボクはくの字に折れて尻餅をつき胃液を噴きあげた。
「ビナドォ。ジンジャッダっておぼっだびょぉ。よばっだぁ。いびでだぁ」
自動翻訳とシオンとの密なつきあいでなにいってるかがわかった。「ミナト死んじゃったって思ったよ。よかった。生きてた」って喜んでくれているんだから、脇腹とお尻の打撲ぐらい許そう。ボクの胸に顔を埋めて、盛大な涙ともっと怒涛のような鼻水を擦りつけてるシオンの身体を優しく抱える。女王蜘蛛にミスリル板装甲を剥がされシオンの鼻水をたっぷり吸った胴鎧は買い替えだな。そんな事を考えてたボクの頭が優しく抱きしめられた。ビビがボクとシオンを優しく抱いて微笑んでいる。
「生きてるって信じてたよ。おかえりミナト」
なんかなー。鼻の奥がツンとした。ざりっと音がしてラウリがボクたちの横に立ち、ボクの頭をぽんと叩く。ボクの前に立ったノアが手を差し伸べてくれて、ボクは右手で抱きつくシオンを抱え、左手でノアの手を取って立ちあがった。
「ほんとに無茶するなあ。お前さんは。シオンが取り乱してたいへんだったぞ」
「みんな。心配かけてゴメン。ジュラがついてきてくれたおかげで助かった」
「ジュラちゃん。よくやったわ。お手柄ね」
「へへへーん。もっと褒めてもいいよぉ」
ジュラがフィギュアの4回転アクセルを決めてポーズしていた。そこへふらふらと半透明の妖精が漂ってくる。見るからにお疲れの様子。
「ツーちゃん。頑張りんしたよ。いっぱい歌いんした。声も枯れ果て気力も尽き果てぃるかやいびーん。疲労困憊の極みじゃ。もう帰って研究室さ閉ずごもりだぇんだげんと、帰るエネルギーもありんせん。いと悲し」
特大重力球を椀飯振舞いしてツーを狂喜乱舞させ、丁寧に労をねぎらって5次元世界へ帰す。当分動かなくていいくらいのエネルギー補給ができたみたいだから、研究室に籠もって研究三昧ができるだろう。そんなこんなでツーを送り帰したりシオンの鼻水を拭いたりしているうちに、クラインの壷を破壊したことで霧の発生もストップし城塞都市が晴れてくる。討伐チームは中央広場を確保してからそれぞれに市街の探索と掃討をすすめていたのだけど、副市に向かったピリッポス・カラマンリス曹長の小隊が副市を収容所として軟禁されていた住民約4000人の生存を発見したとの報がもたらされた。そこからもうてんやわんや。3小隊が急行し、看守の役をしていた兵隊蜘蛛を駆除する。開放された人々のうち健康状態の優れない者を救護所となった市庁舎に運んだり、広場で炊き出しをおこなったりして寝る暇もなくなった。ボクたちも水汲みやお湯沸かしに走り回る。副市での軟禁生活は身体的というより恐怖による精神的ダメージのほうが大きかったようだけど、軟禁されていた人々の中には冒険者や警備隊員に代表されるタフな人たちが大勢いて、温かい食事と温タオルで気力を回復させた後は救援活動の手伝いに回ってくれた。それで徐々に対応がうまく回り始める。日付が変わって明け方の6時にベルダ・ステロからの第2次救援隊が到着してくれた。霧が消えたのが時間短縮になったようだ。それでようやく救援活動を引き継ぐことができる。ボワヴァン団長とアチバドラフ隊長が隊員団員のためにギルド裏の宿屋を何軒も借りあげてくれていて、お湯の出るシャワーと寝床が確保されていた。ボロボロのゾンビみたいになったボクたちに出涸らしミイラになったみたいな慈療師のトマさんとヴィダルさんも合流して、シャワーを浴びベッドにダイブすることができる。隊長と団長、ふたりの指揮手腕にマジ感謝だった。
昼の13時に目覚めた。シオンとビビのベッドを見ると起き出した跡があったので、顔を洗って身支度をして宿の1階ホールに降りる。口紅だけは差してきた。女としての身だしなみがどうとか、シオンがうるさいんだよね。眉を描けとか睫毛をあげろとかいわれたらやっかいなので、冒険者用に開発されたまったく無味無臭の紅を差すことで妥協してもらってる。シャンプーにしてもボディソープにしてもフローラルな香りに包まれてみたいのはやまやまなんだけど、鼻の効く魔物に香りで察知される危険性は冒せない。サメは血の1滴を100万倍に薄めても察知するっていうし、犬の臭覚は人間の1000倍から1億倍っていわれるし、北極熊なんてそんなスーパー嗅覚を持った犬のさらに10倍のウルトラ嗅覚を持ってるっていわれてる。地球の動物ですらそうなのだ。ましてや臭いが拡散しないダンジョン内において、魔素で高められた魔物の臭覚はあなどれない。1階ホールに置かれたテーブルセットにビビとシオンとジュラがいて、宿のサービスらしきお茶をすすっていた。
「おはよー。そろそろ起こしにいこうかって話してたとこだよー」
とシオン。ビビがポットからお茶を注いで椅子に座ったボクの前に出してくれる。ちょっと冷めてて温かったけど爆睡で乾いた喉には甘露だった。
「おはようミナト。お腹すいてない?」
「鼻猪丸ごと1頭食べられるくらいぺこぺこだよ」
「寝過ぎだよぉ。ミナトォ。11時くらいにぃ、領主さんが出してくれたぁ、救援物資が着いたみたいぃ。ギルド前の広場でぇ、炊き出しやってるよぉ」
そういいながらジュラがすり寄ってきたので、重力球の朝ご飯を造ってあげた。
「さっきちらっと隊長がきてて、サノンカリタト公国の首府とシエラ・ガーデノ神聖皇国から救護団と救援物資が送られてくるそうよ。どちらも急便体制でくるそうだから明後日には着くはず。その時点でガーディスト・デ・ラ・サノの救護任務を引き継ぐって。私たちも帰れるわね」
ビビがティーセットを宿の従業員らしき人に返しながらいう。この宿の正規の従業員じゃないみたいだ。チップをあげてた。サノンカリタト公国とベルダ・ステロ領の関係は本国と自治領の関係になる。ベルダ・ステロはサノンカリタト公国から伯爵位を与えられた領主マルセル・ボワヴァン3世が領地と大幅な自治・外交権を認められて統治する自治領である。シエラ・ガーデノ神聖皇国はサノンカリタト公国の南に位置する教皇領で、地球ならバチカン市国みたいな位置づけになるだろう。ちなみにシエラ・ガーデノとは『天の庭園』という意味だ。ルキナ教の教皇が住むシエラ・ガーデノ大聖堂が首府にある。バチカン市国と違い広大な領地を持ち、聖兵と呼ばれる軍隊も所有している。日本でいう平安時代の僧兵みたいなものだ。こっちの世界ではルキナ教一択なのでその威光は絶大である。そこらの小国より遥かに強大な影響力と権威と軍事力を持っていた。そういった強面な一面はあるけど、国という境界を超えた人々の心の拠り所として今回のような災害時に惜しみなく救援の手を差し伸べてくれたりする。
「急便体制ってなに?」
「多数の二角馬を本隊に先行して送り出し要所要所の街に待機させるの。本体が到着したら馬や御者を交代させて、運行自体は休まずに荷や人員を運ぶことよ。さあ、ごはんにいきましょ」
広場には炊き出しとともにいくつかの屋台が復帰している。その屋台で飲み物を買い、炊き出しでタコス風な重い朝食をもらって食べた。重いのも当然で、ボクにとっては寝起きの朝食だけど世の中はもう昼食時である。とはいえ17歳の超健康なブランニュー胃袋は胃もたれもせずお腹が満ちた。ボクたちは警備隊庁舎にいた隊長にひと言断り、臨時救護所になった教会堂へ向かうことにした。ノアやラウリには昨夜の段階でそこで手伝いするといっておいたから追っかけくるだろう。昨夜の段階でボクが壊した教会堂は応急に補修され、残った礼拝堂部分の椅子が取り払われて簡易ベッドが並べられていた。広場には救護テントも張られようとしてた。そこに中央広場の公会堂で吊るされていた人たちが運ばれて手当を受けているはず。人蜘蛛たちはガーディスト・デ・ラ・サノの住人を人道的な扱いなどいっさいなく、まるで生け簀に食材の魚を放り込むように副市に幽閉してた。そこから餌にする犠牲者を無作為に選び出して捕獲し、いったん公会堂に吊りさげてクラインの壺で餌に変換する下準備をする。その下準備がおぞましいもので、人蜘蛛が分泌する粘液で服や毛を溶かされて丸坊主の丸裸にされ、人蜘蛛の排泄液を強制的に飲まされて消化管内まで洗浄される。人蜘蛛にとっては洗浄だけど人間にとっては汚染だ。人蜘蛛の排泄液には麻痺毒が含まれ、数回の強制嚥下で麻痺状態になる。この麻痺毒が厄介で、脳細胞から骨髄まで浸透し汚染するため毒消しポーションと慈療による細胞賦活を組み合わせて治療しなければいけないらしい。
その被害者がざっと1000人以上。麻痺が軽い人は西門の外にある広場の仮設テントで治療を受けるようだけど、重症の被害者が200人近くいてその被害者たちが教会堂の臨時救護所に運ばれる手筈になっていた。ボクたちが寝ている間に運び込みは終わっただろう。重症の被害者は数日に渡る慈療と介護が必要となるため、現状12人の慈療師だけでは介護に回す手が足りず、第2陣で到着したベルダ・ステロからの100人の市民ボランティアや生き残って健康に問題のないガーディスト・デ・ラ・サノ市民のボランティアが総出で手伝うことになっていた。なんたって被害者の人たちは強麻痺してるので自力で寝返りも打てない。数時間に1度は身体の向きを変えてあげないと褥瘡になってしまう。褥瘡とは身動きが取れないことで身体の同じ部分に自身の体重が長時間かかり、血流が滞ってその部分の組織を損壊させること。だから一定時間ごとの体位交換が必要になるんだけど、200人ともなるとそれだけでも大仕事だ。それだけじゃなく定期的な毒消しの経口投与に排泄処理、身体の清拭まで必要になる。雑務として掃除洗濯、水汲みにお湯沸かしと、とにかく人手が足りないのだ。ボクは転生前の世界で介護を受ける側の人間だったから、介護の重要性は身をもって知っている。
「無言でテキパキやられると、まるで自分が物扱いされてるみたいな気になって悲しくなるんだ。なんでゆっくり丁寧にひとつひとつ声掛けしながらやるのが重要なんだよ」
シオンは脳腫瘍の具合が悪化してからは意識朦朧だったようで介護された記憶がほとんどなかったし、ビビは介護した経験も介護された経験もなかったのでボクが教えるしかなかった。そんなことを話しながら教会堂へ続く坂を登ろうとしていたら、後ろから声をかけられる。
「『妖精と牙』のミナトさんとお見受けします」
振り返ると、深いインディゴブルーの生地にパールカラーのエッジ刺繍が施された高級ローブを羽織った壮年の男性が立っていた。胸元に光魔法の魔法陣を精密に彫り込んだ金属バッチを付けている。その後ろに装飾のないローブでフードを被ったお付きっぽい男性がふたり。こちらも魔法陣バッチを付けている。
「は。え。あ。えと‥‥ど、どちらさまでしょう?」
初対面の相手だったのでコミュ障が爆発しシドロモドロな対応になったけど、あたふたしながらも後ろに立つお供ふたりが妙に気にかかった。なんていうか重心がブレないんだよね。歩く姿は体幹がしっかりと伸びて揺れず、後ろに控えて待っている間も脚を踏み変えたりそわそわゆらゆらしてない。これはシオンやビビなんかも同じなんだけど、身体コントロールが抜群に優れている証拠なんだ。もし冒険者だったりしたらボクたちに匹敵するレベルを持ち合わせているように思える。幸いというか、殺気に類したプレッシャーはいっさい感じないから警戒しないですんだけど。後ろのふたりに比べて声をかけてきた人物は贅肉のせいか重心が安定せずゆらゆらしてる。体術的にはボクが片手だけでも勝てそうだったけど、身に纏った権威のオーラというか自信と尊大さと威圧感はなかなかのものだった。
「お初にお目にかかります。私、シエラ・ガーデノ魔法能化省の1等審問師、ゲルハルト・グスタフ・ヴエンツェルと申します。以後お見知りおきを」
ボクは面食らってビビに救いを求めた。
「ビビ。『まほう・のうけ・しょう』ってなに?」
「シエラ・ガーデノにある国境を超えた検閲機関よ。魔法に関する収集や研究開発、魔道具の安全認定や魔法特許の審査、それと禁忌魔法の取り締まりなんかを執りおこなってる機関。そこの1等審問師って教会でいったら大司教レベルだわ。お偉いさんよ」
ビビがボクの耳元で、聴覚値30オーバーの冒険者にしか聞こえない超ささやき声を使って教えてくれる。
「あ。えと。あ。はい。ボクがミナトです。シエラ・ガーデノの方ですか。もう救護団が着いたわけじゃないですよね」
「救護団はまだです。私たちは今回の件とは関係なくミナトさんを訪ねてベルダ・ステロにうかがったのですが‥‥残念ながら入れ違いで『妖精と牙』のみなさんがこちらへ遠征に出たと知り、救援隊の一般ボランティアに参加してこちらに移ってまいりました。もしお時間があるようでしたら、少々お話をさせていただけないでしょうか?」
「お話‥‥ですか?」
ボクたちが手伝ってる救護所でのボランティアは、大至急といった性質のものじゃないから少し話す余裕くらいは取れる。
「立ち話でできる類ではないですので、冒険者ギルドの会議室スペースを借りてあります」
冒険者ギルドならちょっと戻るだけで済むな。
「あ。あ。はい。あまり時間を取られないようなら‥‥」
ビビとシオンを交互に見ると共に頷いてくれた。ふたりがついてきてくれるなら心強い。踵を返したヴエンツェル師に従ってギルドへ向かう。ガーディスト・デ・ラ・サノのギルドもベルダ・ステロのギルドも造りは似ている。2階の会議室の大テーブルでヴェンツェル師たちと向かい合って座った。
「こんな状況ですからお茶も出せません。あまりお時間を取らせてもなんですので、さっそくお話をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか」
ボクは頷いた。
「単刀直入に申しまして、ミナトさんが継承された黎憂炎男爵の山城。その権利をお譲りいただけないかと。もちろん対価は相場以上にお支払いいたします」
なんか想像してたのと違った。
「あ。いや。えと。あの山城はベルダ・ステロの警備隊と無期限で契約を結んで貸し出すことになってまして。あの。もう準備や改装が始まっているはずですし。ボクの一存で簡単に売れるものじゃないような気がしますし。あの。その。どうしてあの城が必要なのか、理由を聞かせていただかないことにはなんとも困りますっていうか‥‥」
「理由ですか。率直に申しあげて黎憂炎男爵は、シエラ・ガーデノ神聖皇国初代教皇『ニコラエ・ウングレアーヌ』の布告によって定められた『魔法における3大禁忌』を冒していました。あの山城の地下に研究洞窟があることはわかっております。禁忌魔法の研究は封印されなくてはなりません。黎憂炎男爵亡き後、幾度も調査隊を送りましたがことごとく消息を絶ち、『妖精と牙』のみなさんが城の呪いを解呪してくださるまで城内に立ち入ることすらできずにおりました」
「禁忌魔法ですか。なんか聞いたことがあるけど」
正確には男爵の日記に出てきた単語だ。
「『蘇りの魔法』。『黒穴の魔法』。『疫毒の魔法』。この3つです。ミナトさんも魔法を使われると聞き及んでおります。ゆめゆめ禁を犯さぬようご配慮ください」
ビビを見ると察して、耳打ちで教えてくれた。
「蘇りは死者の魂を復活させる魔法。黒穴はこの世界に穴を開けてすべてを吸い尽くす魔法。疫毒は疫病を造り出し広める魔法よ」
重力魔法とは違うんだな。あくまでブラックホールを創り出す魔法か。確かにブラックホールを未熟に造り出してしまったらこの世の終わりだろう。
「理由はわかりました。でも、やはり現時点では売り買いするのはいろいろ支障が多いように思います。代替案としてですけど、地下のドーム空間への通路を封鎖するというのはどうでしょうか。エレベーターがないので登り降りしたくない場所ですし。階段を外して埋めちゃっても構いません」
ヴェンツェル師はしばし考え込む。
「ふむ。それは。私の一存では答えかねますな。持ち帰って検討させていただきます。それとミナトさんが黎憂炎男爵の研究資料を大量に持ち帰ったと聞き及んでおります。その資料をお譲り願いたい。その資料の中に『黒穴魔法』に関する研究内容が書かれていると考えております。たいへん危険な術式です。それが記されているとしたら看過できません。その資料と引き換えに白金貨100枚お支払いいたします」
どわわ。あんな殴り書きのメモの束が1億円。横でずっとあくびを噛み殺していたシオンがぴくんと飛び起きる。
「わかりました。お引き渡しします。ただベルダ・ステロの貸金庫に預けてありますので、あちらに戻ってから引き渡すことになりますがよろしいでしょうか」
「もちろんです。こちらも対価の用意がございます。普通に持ち歩ける金額ではありませんでな」
それから簡単に引き渡しの仔細を詰めて話し合いはお開きになった。ギルドを出て東門方向へ去るヴェンツェル師たちを見送っているとビビが囁いてきた。
「そんなに簡単に渡しちゃっていいものなの?」
「あのメモの内容を理解できるなら、破滅的な使い方はしないと思うけどね。危険な術式のヒントが書いてあるメモは3枚だから、それは渡さないで燃やしちゃおう」
「貴重な研究資料なんじゃないの。渡しちゃったりしたらミナトの研究はできなくなっちゃうわね」
「あ。それは大丈夫。メモの内容は全部暗記してる」
ビビに魔物でも見るような目をされた。ボクたちは1億円入ったらなにを買うかとかなんとか馬鹿話をしながら、だらだら続く坂を登り始める。教会堂へ続く坂道を半分近く登ったとき空気を震わせてとんでもない音量の獣の咆哮が鳴り響いた。ゴジラの咆哮かと思うほどの耳をつんざく轟音。坂の途中で振り返ると、家々の屋根越しに川向うの副市が見晴かせた。その城塞の南門が半分瓦解している。煙もあがっていた。そしてその上空からガラスを引っ掻くみたいな奇声を発し急降下する怪鳥の影。鉤爪を立てて急降下する先では、城塞より頭ひとつ高いトカゲみたいな生き物が吠えている。
「鳥とトカゲさん?」
シオンが脳天気な声でいう。
「距離考えろ。城塞の壁より高い生き物って体高6m以上あるぞ。あれ恐竜だ。角のあるティラノサウルスじゃん。飛んでる方はドラゴンじゃないか?」
「怪獣映画かー。あんな巨大な怪獣がいたんだねー。すごい世界だ。転生して街に着くまでに出くわしたりしなくてラッキーだったねー」
ビビがバタバタと両手を振って否定した。
「あ。あんな巨大な怪物やドラゴンなんて、お伽噺の中にしかいないわよ。なによあれ。なんなの?」
怪獣の咆哮に紛れて人の悲鳴も聞こえる気がした。そのとき南からの風が吹き過ぎる。風に乗ってかすかな魔素の匂いが届いた。




