03.ありふれた「女子高生」と「無知」と「誘惑の罠」
日の出の直射で目覚める。寝不足感はない。起きあがろうとして全身バキバキの筋肉痛に呻いた。朝ごはんは携帯食糧バー半分と水葉芋4個生齧り。キャンプまわりで十分な水葉が取れたので、ウエットティッシュ代用40枚と水筒2本満タンの水と芋30個をゲットできた。木々の隙間から太陽の位置を見て日の出からのだいたいの時間を加味し、森の地図を頭に浮かべて自分の位置と方角を把握した。知力を10まで上げて空間認識は1.6倍に強化されている。コンパスがなくとも方角を見失うことはなさそうだ。水葉の匂いとは違うオゾンっぽい水の匂いは風に乗って森の奥方向から流れてくる。あまり深く森に入ると方向を見失って遭難する危険性もあるけど、この新しい身体なら方向感覚や地形記憶が強化され、まるで脳内にジャイロコンパスがあるみたいだからそうそう迷子になる心配はなさそう。もうしばらく奥へ進んでみることにした。迷ったら来た道を戻れるよう念には念を入れて途中の樹肌に目印など刻みつつ、登ったり降ったり跨いだりくぐったりを繰り返す。動いたことで刺激されたのか途中で便意をもよおした。安全第一で結界魔導器を作動させ、スコップで簡単な穴を掘る。お尻がムズムズぐるぐるしてきたので浅い穴でよしとした。あたりに人目がないか見回してからショートパンツとレギンズとショーツをまとめておろしてしゃがむ。非の打ちどころのないお通じがあって、水洗トイレで水没した状況とは違うウンチ本来の臭いが鼻を直撃し悶絶しかけた。濡れ水葉でお尻を拭きながら、この世に水葉を創り出してくれた女神ルキナに感謝する。厳重に埋めて証拠隠滅し、なに食わぬ顔で行軍を続けた。1時間ほど進むと風の中に混じる水の匂いが強くなってくる。うねった根の瘤だらけだった歩きにくい樹木密集地を抜けると、丈の高い草の生えた土手にいきあたった。傾斜角20度ほどのゆるい斜面を草を踏み分けながら登る。斜面の上は草藪になっていた。登り切って立ちあがろうとしたとき、声が響く。
「いったーい。なにすんのよ。あっちいけばかー」
慌てて立ちあがりかけた姿勢を戻し膝をつく。トラブルの予感。心臓が急に激しく打ち始める。息を荒げないように抑えなくてはならなかった。頭が高速で回り始める。誰かが、声のトーンからおそらく若い女が襲われている。勇ましく救出に飛び出すべきか。ボクの身体はまだほぼ初期設定の虚弱レベル。ゲームのようなリセット機能もチート能力もない。たとえ相手が小動物だとしても群で反撃されたら太刀打ちできない。介入して失敗したら代償は死だ。せっかく不具合のない可能性に満ちた第二の生を得たばかりで死にたくない。ここは無謀な戦いを避けるのが最善。斜面を引き返そうかと思ったが、不用意に音を立てて注意を引きたくなかった。動かずにやり過ごすのが賢明。そこまで一瞬で考える。とはいえ状況を把握しないで伏せっているのも心もとない。用心のため背の剣を静かに引き抜き、薮草をそっと掻き分け隙間から声のした方向を見た。
藪の向こうは丈の低い下生えが茂る草地になっていて、まばらに樹木も立ち並んでいる。右手奥に奇怪な茶色の獣、左手前の木を背にして座り込んだ金髪の女の子の背中が見えた。獣は6本足。猿みたいな頭と首と胴体。腰部分から6本の足が生え出している。ぶらさがった腹部の末端に毛がなく真っ赤に充血した皮膚が剥き出しなのは猿の臀部のようだ。毛のない顔の造作は猿と蝙蝠の合成みたいで、みっしり牙の生えた巨大な口がガフガフ開閉してヨダレを垂らしている。移動に脚4本を使い、前2本の腕は浮かせて4本指で物を握ることができるようだ。ただ5センチ近い真っ黒な鉤爪が伸び出してて道具を使うように進化したとは思えないんだけど、いまその指はボロボロの剣を握っていた。
女の子の方は立木を背にし尻餅をついている。髪でよく見えなかったけど頬の切り傷から血が流れているようだ。服装はボクの着ているシャツやパンツとまったく同じ。つまり転生者だ。なぜか剣も持たず防具もつけていない。獣が剣を奪ったのかとも思ったけど、それにしてはボロボロで刃こぼれし錆も浮いている。女の子は枯れ枝を振り回して獣を牽制しているけど、まるで効果なさそう。ボクの潜む草藪から距離10メートルはある。もし助けようと茂みから突進しても、数メートル進んだあたりで気づかれるだろう。チュートリアルでは見たことない獣だった。なので獣の戦闘力や脅威度がわからない。もしボクよりも強かったら‥‥ボクの命の保証はない。どう考えても、初心者レベルのボクが人間サイズの獣と戦って勝てるようには思えなかった。
発病してからのボクは他者と距離を置くようになってしまった。病に侵されて歪んだボクの顔と身体。何万回と味あわされた同情という名の見くだし。そんな経験がボクの心をも歪めたんだろう。生まれ変わって新しい命と健康な身体を得たばかりなのに、あっさり失くしちゃうなんてもったいなさ過ぎる。ボクは命を惜しむ。正義の味方として誇り高く死ぬより、卑劣な腰抜け野郎として命永らえる方を選ぶ。ボクは動かなかった。獣がヨタヨタと女の子の方へ進んだ。獣の左中足の肘から先が欠損しているのが見えた。それで動きがギクシャクしているようだ。獣が剣を振りあげ叩きつける。女の子が振りかざした木の枝など簡単に弾き飛ばされた。女の子の肩から袈裟懸けに切断‥‥しかけて背後の立木に当たり、ボロ剣は下に滑って地面の瘤根に剣先を食い込ませる。避けようと身を捩った女の子の左太腿をかすめたようだ。女の子の左足から血が飛び散った。
「やだぁ」
女の子が必死で立ちあがる。脚を庇いながらよろよろとボクの潜む茂みの方向へ走ってきた。顔が見える。もの凄い美人なんだけど、いまは恐怖と痛みに歪み血と涙と鼻水まで垂らしていた。ボクには気づかず、ボクの数メートル横で茂みに分け入る。斜面だと気づく余裕もなかったのだろう。つんのめるように倒れて胸と肩を打ちつけ、斜面を滑り落ちる。獣は瘤根に食い込んだ剣を必死に抜こうとしていた。恐ろしい牙も鉤爪もあってそっちの方が攻撃力が強いと思うんだけど、なぜか剣にこだわっている。剣が抜けた。獣はキーキーと唸りながらギクシャクと女の子を追ってくる。さっきまでならひっそり後退する選択肢もあっただろうけど、ここまで近寄られるとそうもいかない。ボクに気がつくようなら斬りかかるつもりだったけど、頭ではそう思っていても手はガタガタ震えてるし膝に力が入らない。心臓は音が聞き取られるんじゃないかと心配なくらい脈打っていた。獣は女の子の血の匂いに気を取られていたのだろう。フゴフゴと鼻を鳴らしギシギシと牙を噛み合わせながら、ボクに気づいた様子もなく女の子の薙ぎ倒した草の隙間から土手をくだった。
女の子は土手の裾近くで草に絡まり停止している。意識はあるようで斜面を這い降りてくる獣から身を遠ざけようともがいていた。獣が女の子の頭に剣を振りおろそうと振りかぶる。ボクの潜む位置からほんの数歩下の位置。ボクに無防備な背を向けている。好機だった。これを逃したら次はないことくらい素人でもわかる。ボクは震える手に力を込めて剣を握り直し、歯を食いしばって弾けるように斬りかかった。斜面を計算に入れてしっかり踏み込んだおかげで剣に体重が乗る。背中から斬るなんて武士道の誉とはいい難いけど、死んだら誉もへったくれもない。肩口からの袈裟懸けを狙ったのに軌道がずれた。精緻4の情けなさ。それでも刀身は獣の前足と中足の間、右胸から斜め下向きに滑り込む。手に伝わるおぞましい感触。ジョリっと毛を削ぎ、ブツンと皮膚を裂き、ネバっと肉を割る。ゴリッと骨を断ちベチャッと内臓を切り開いた。背骨の軟骨を断ち割り、グチュっと胃や腸や肝臓を裂いて脇腹から抜ける。1秒にも満たない時間ですべての感触を鮮明に感じた。重く嫌な感触。獣が驚いたように振り向き、そこで目から光が抜ける。断ち切られた上体がずれ落ちた。獣の残った下半身が横に倒れざま内圧で内臓が押し出され、同時に人間と同じ赤い血が吹き出す。飛び散った血が女の子の下肢を血まみれにした。
女の子はショックのあまり声もなく目を見開いている。魂の抜けたような表情。唐突に現れたボクが見えているのかいないのか。口が開き、感謝の言葉でも発するのかと思いきや。急に横を向いてゲーゲー吐き始めた。転生直後でなにも食べていないのだろう、胃液だけがベシャベシャと吐き出される。ボクはといえば斬撃の手応えのあまりの生々しさに意識が停止してしまい、吐き気も覚えなかった。顔の血の気は引いていただろうと思う。そこで息を詰めていたことに思い至りブハッと息を吐く。風上でよかった。獣の血と内臓の臭いを直に嗅いだらせっかくの朝食を無駄にしてたかも。頭が回らないながらも獣の残骸から目を離さなかった。死んだと思った残骸がまだ生きていて断末魔の逆襲に遭わないよう、トドメを刺すまで目を離さない習慣。チュートリアルをやると否応なく身につく。斜面に横たわる獣の頭に剣を刺す。ビクビク震えていた屍骸の動きが収まった。剣の血糊を水葉で流し、端布で水気を拭いて背の鞘に戻す。震える手と息を深呼吸して押しとどめた。女の子を見やる。吐ける胃液もなくなったみたいで口を拭いながらボクを見あげていた。ボクに助けられた認識はあるようだ。ボクに怯えている様子はないので声をかける。
「えと。あー。こんにちは」
「え。あ。こんにち、は」
「えと。け、怪我してるから手当するね。そっち行く」
そういって屍骸を回り込む。臭いがしたので胃がむずむずした。
「こ、こんな屍骸のそばだと落ち着かない。えと。少し離れよう。荷物は上?」
「荷物。あ。はい」
彼女の横に立つ。獣の血を浴びてて見づらかったけど脚の出血は激しくなさそう。軽傷のようだし、手を差し伸べるのはやめた。彼女が立ちあがったので搾った水葉を渡す。意味がわからないようなので補足した。なんというか話しづらい。人見知りが出ちゃってるかも。
「傷口。押さえて。浅いから出血、圧迫で止まる。たぶん。上で手当てしよう」
彼女は怪我した脚を庇いながら獣の死骸を大回りして土手を登った。後ろから着いていきつつ、その際に一瞬だけ獣に触った。
『simioaraneo。猿蜘蛛。別名、真似蜘蛛。樹上生活が主。肉食。自身に怪我を負わせた相手の行動を真似る習性がある。食用不適』
おかしな習性だ。猿蜘蛛は自身に傷を負わせた相手の行動を真似ていたようだ。としたら、おそらく剣で猿蜘蛛の中足を切り落とした人間の行動を真似たってことだろう。剣を持っていたということは対峙した人間はもうこの世を去った可能性が高い。錆びた剣はボクの持っている剣と同じ意匠だった。剣の持ち主も転生者だった可能性が高い。せっかく転生したのに。この女の子も危うく転生直後に殺されるところだった。運のいい子だ。樹上生活猿だから腕力自体はあるだろうけど、長い鉤爪の指で剣を保持するのは難易度高めだ。おかげで剣筋がふらつき彼女は致命傷を免れたように思う。土手上の草地に戻って彼女を座らせた。
「傷、治療するからレギンス脱いで」
「はい。あ。えっとー。助けてくれてありがとう」
「ん」
ちゃんと挨拶できる子のようだ。相槌も返せない社会生活不適合者はボクの方。彼女がショートパンツとレギンスを脱いでいる間にリュックをおろし、結界魔導器を作動させる。ショーツ1枚になった彼女の股間が目に入り、慌てて目を逸らした。女性が穿いている下着だと思うと直視できない。自分が穿いているのと同じ物なんだけど。自分の股間でさえ見るのは恥ずかしいのだから、他の女性の下着姿は血圧2倍の効果がある。水気の多い水葉を数枚取り出して彼女に手渡し、脚の血汚れを拭くようにいった。次いで水筒を出す。彼女が拭き終わるのを待って水筒の水で傷口を洗った。
「うっ」
ギャーギャー泣かないところは好感が持てる。傷口は綺麗になったけど出血はジクジクと止まらない。乾いた水葉で押さえさせ、ポーションを一本取り出した。3分の2ほどを何度かに分けて傷口に振りかける。残りはすでに出血の止まっている頬の傷に使う。ポーションの薬液と血液が反応してルミノール反応みたいな蛍光を放つ。
「わあ。効果すご。もう傷口が塞がりかけてる。痛いのかな?」
独り言はボクの癖だ。傷口を見つめていた彼女が顔をあげてボクを見る。涙と鼻水と返り血などでぐちゃぐちゃしていたけど美人で可愛い。
「ちくちく痛いような、痒いような。それで、熱いです」
「あ。そ。あ、これポーション。チュートリアルではよく使ったけど、実際に使うのは初めてなんだ。VRとは違う。えと。頬の傷は消えた。はい。顔拭いて」
そういって水葉を手渡す。ストックが半分になったけどしかたない。彼女が顔を拭く。頬に傷は見つけられなかった。筋もない。かなりな高級品だ。女神はケチじゃないらしい。腿の傷を拭わせるとそこの傷口も消えていた。時間にして1分足らず。彼女は驚きのあまり無言で自分の足を見つめている。ボクの方が感嘆の声をあげてしまった。
「治った。凄。えと。これで歩けるよね。荷物どの辺?」
傷のあった部分を恐る恐る撫でさすっていた彼女が顔をあげる。あたりを見回した彼女が指差したのは草地の奥側。ボクが立ちあがって歩き出したので彼女も慌てて立ちあがる。ショートパンツを履く手間で遅れたけど、途中で追いついてきた。立ち並んで歩き、荷物が並べられている場所に着く。リュックは開けられていたけど服が抜き出されただけ。他の荷物はそのままで触った形跡もない。彼女が後ろを向いて再びショートパンツを脱ぎ出した。今度はショーツまで脱ぎ始めたので大慌てで目を逸らしたけど、神々しいほどの白桃が目に焼きついた。ボクの頬は赤かったろう。けど彼女の方は耳まで赤くなっている。
「うう。すいません。さっきの葉っぱもう一枚もらえませんか」
手渡してやる。どうやらお股を拭いている様子。あ、漏らしちゃったのね。彼女が股間を拭き終わり替えの衣装に着替える間、草の上に座ってボーッとしているしかなかった。彼女が身繕いを終えボクの横に正座する。
「あの。いろいろ助けてもらってありがとうございます」
手をついて礼をいわれたなんて初めての経験。ボクは見捨てようとしてたのだし助けたのは成り行き。礼をいわれるのは違ってるように思えたけど、見殺しにしようと思ってましたともいえず狼狽えてしまう。
「なんで?」
話を逸らしたくてつい口に出てしまった。
「え?」
「いや。あの。武器もなしで飛び出すなんて」
「だってあんな怪物がいるなんて知らなかったし、身体が思うように動くから嬉しくって」
「知らなかった?」
「あの、ここってどこなんですか?」
あっと悟った。この子はババだ。ババ抜きのババだ。ヤバイ、と思った。関わり合ったら典型的な足手まといになる。チュートリアルでも普通のネットゲームでも、野良パーティを組むとき紛れ込む「素人さん」には、これでもかってほど嫌な思いをさせてもらった。クエスト失敗はまだましでパーティ全滅なんてのもざら。ましてここは復活可能なゲーム世界じゃなく、死んだらホントに死んじゃうシビアな現実世界。転生3日目のボクは自分が生き残るだけでもいっぱいいっぱいで、他人の面倒見てる余裕なんてない。
「えと。ここ。転生後の世界。ルキナの造った異世界。その香炉みたいなのは結界を作ってくれる魔導器。動けって念じながら触れば動く。作動中は半径3メートルの結界を張ってくれるので中にいれば安全。連続使用240時間の、はず。で。あっちの方角に1日行けば森を抜ける。抜けたら左。森の縁沿い進む。川とかあったらそれを辿れば街があるかも。気をつけて行ってください。じゃ。ボクはこれで」
これ以上関わりを深めたら厄介なことになりそうで、ボクは一気に説明してシュタッと手を挙げおいとまを告げた。
「え。あ。ちょ。ちょっと。待って」
背中に声を聞くけど聞こえないふり。草地の端へ進み、森に入りかけたところですがりつかれた。
「待って。お願い。お姉さん。こんなところで放り出されたら困る」
「服、離して。お姉さんじゃないから。転生後はみんな17歳だから。いや。そんなことはどうでもよくて。着いてこられたらボクが困る」
振りほどこうとしたけどつかんで離さない。なのではっきり申しあげることにした。
「あのね。ボクもまだこの世界に来て3日目なの。生き延びるのに必死なの。自分の身を守るだけで精一杯。素人さんの面倒みられるほど強くない。さっきみたいな凶暴な獣がうろつく危険地帯を自分の身も守れない素人さん連れて歩いたら、あっという間に殺されちゃう。ボク死にたくない。怪我したくもない。なので、すいません。ここでバイバイです」
かなり冷たくいって服をつかんだ手を引き剥がした。面と向かって拒絶された彼女が立ちすくむ姿にちょっと気持ちがザラザラしたけど心の中で振り払った。立木を回って森に入る。下生えが濃くないのがありがたい。チラッと後ろを見たが彼女の姿はもう見えなかった。ホッとすると同時に罪悪感も生じたが揉み潰す。ついでに点けたままだった結界魔導器も消す。水の匂いを追って数時間進んでいくと緩く長いくだりになり、水の枯れた沢底に着く。湿った窪地に水葉が群生していた。地面がジュワッと水を含んでいる。雨が降ったら川になるのだろう。さっき女の子の手当てで水葉をずいぶん消費したので補充する。葉を毟り搾った水で水筒を満たした。水葉を毟り切った茎を引っ張り、芋根を抜き出す。右手の斜面からパキッと小枝を踏み折る音がした。見ずともわかったが確認の意味で目をやると、木立に紛れて金の髪が見えた。ため息が出そうになったけど、息を詰めて無視。水葉と芋をリュックにしまいストーカーに背をむけて反対側の斜面を登る。結構急な部分もあった。下から「あっ」とか「うっ」とか声がしたけど見ないようにして上の台地まで登り切った。ボク自身にもかなりしんどい斜面だったので、草を平らにならして座り込む。しばらくすると息も絶え絶えな女の子が追いついてきた。喉をヒーヒー鳴らしている。座り込んでいるボクを見つけて崩れるように膝をついた。なにかいいたげに口を開いたが、息切れして声も出ないようだ。そういえばステータスの振り分けも知らないのだろうから、彼女のステータスは初期値のまんま。その状態で40ポイント+アルファ分ステータスを強化したボクの行動についてくるのはひどく苦しかったろう。根性があるのは認めよう。追いかけるために慌てて防具などを身につけたようで、掛け違えていたりズレてたりしている。剣など鞘ごと前に抱えていた。剣帯の役割も知らないようだ。自分の甘さにうんざりしながら声をかける。
「水、飲む?」
水筒を差し出すと掠れた声で「ありがとうございます」と呟き、受け取って貪るように飲む。咽せてしばらくゲホっていた。咳が治まったのを見計らってため息まじりに声をかける。
「えと。どうせ、ついてくるなっていってもついてくるんだよね。ふう。なら条件つきで一緒に行動してもいいけど」
「え。ほんとうですか。いいんですか?」
「いいか悪いかは条件を飲めればの話」
「あ。はい。あの。どんな。条件でしょう?」
「えと。ひとつ目。畏まった口調はなし。くすぐったい。ボクら同い年だから。ボクの方が3日早くこっちにきたってだけ」
「同い年って。なんでわかるの?」
「転生したらみんな17歳スタート。そういう決まり。転生承諾書に書いてある」
「そうなんですか。あっと。えーと。そうなんだ。でいいの?」
「ふたつ目。こっから本格的な条件。ボクと一緒に行動するなら、戦闘訓練をしっかり行うこと。自分の身は自分で守って。でないと共倒れする。ふたりとも死ぬ。ここはゲームの中でもなんかのアトラクションでもない。さっきの獣みたいに血や内臓振り撒いて激痛に悶えながら死ぬ。あるいはレイプされたり奴隷として売られたりするかもしれない。訓練方法は教える。単調でつまらない反復。でも生存確率アップのため。手を抜いたり文句いうなら一緒に行動できない」
「はい。あ。うん。わかった。一生懸命やる」
「それと。一緒に行動するのは最初の街に着くまで。その頃ならお互い独り立ちできてる。ボク性格捻じ曲がってるから、お互い、いろいろ嫌になっているハズ」
「え。あ。はい。あ。うーん。はい」
「んで。よっつ目。これは条件っていうより覚悟。この世界では『殺す覚悟』を持つこと。たぶんだけど、持てないと殺される。殺さなきゃならないときは殺す。今から覚悟を決めて。ここは日本じゃない。お肉はパックに入って棚に並んでない。自分で殺して解体しないと食べられない。さっき猿を殺したとき、もの凄く気持ち悪かった。嫌な感触だった。でも、だからって殺さなきゃキミもボクも殺されてる。自分の命を守るため戦わなきゃいけないのがこの世界のルール。殺すことを躊躇ったら隙になる。自分だけじゃなく一緒に戦っている仲間も犠牲になる」
「殺す。覚悟。そうか。うう。がんばってみます」
「いつか人間同士の争いになったら、人間を殺さなきゃならないときが来るかもしれない。ボク自身できるのかどうかわからない。けど、考えて考えて覚悟を決めておく必要がある。なので無理だとわかったら、次の町で別行動ってことで。ボクはキミが死ぬ様を見たくないし、キミに脚を引っ張られて死ぬのもゴメンだから」
「人を。ううう。まだ実感なんかないのに。うう。考えておきます」
目が真剣なのでよしとしよう。
「じゃあ、暫定パーティ結成」
ここで握手を求めるほどボクは人間関係慣れしていない。
「よ。よろしくお願いします」
もの凄くホッとした顔でペコリと頭をさげる。胸前の剣をぬいぐるみのようにぎゅっと抱きしめていた。彼女にいった通りボクは性格が捻じ曲がっているため他者を見る目も猜疑心満々だけど、その目をもってしても悪い子には思えない。狡賢さもない。きっと山の手のお嬢様として健やかに育てられたのだろう。素直すぎるのが問題。
「じゃ。自己紹介。ボクはミナト。あっちでは物理専攻の大学生。特技はゲーム。eスポーツチームにスカウトされて研修生として入団なんて話もあったんだけど、病気になったんで流れた」
大学は病室からのオンライン入試。京大理学部に入れたけど東京の病室を離れられないからオンラインで授業に参加してた。病状の悪化がなければ来年卒業してただろう。前世をあれこれいってもしかたないので、いえることなんてほとんどない。ヨロシクの意味で頭をさげる。彼女の番だと目で促すと、崩れかけていた正座を正し噛み噛みながら自己紹介を始めた。
「おさないしおんです。長いに内側の内と書いて長内。しおんはポエムの詩に音って書きます。雙花高校1年のはず。中学時代はバスケ部です」
思った通り。最近共学になったはずだけど、ちょっと前まで少子化に抵抗して女子校を貫いていた歴史ある有名お嬢様学校だ。
「はず?」
「えーと。中学を卒業して、ウチ誕生日が3月だから16歳の誕生日を祝ってもらったのは覚えてる。自動的に高校生になったはずなんだけど体調が悪化して、そこから記憶がぐちゃぐちゃで。痛くて痺れて気持ち悪くて吐いて痙攣して。そんな記憶ばかり。それで気がついたらここにいたの」
「ネットなら個人情報ダダ漏れ自己紹介だけど、ここなら問題ないか。ここでの名前もシオンでいいのかな?」
「名前?」
「転生したんだし。自分の好きな名前を名乗れる」
「新しい名前‥‥」
「名前だのステイタスだのいろいろあるんだけど、ここ見通し悪くて戦闘になったら危ないから長居したくない。水の匂い強くなってて、水場が近いと思う。そこまでいくか見晴らしのいい場所が見つかったら食事しようと思ってる。安全を確保してから。それまでシオン(仮)って呼ぶ?」
シオンが苦笑いした。
「(仮)はいりません。シオンでいいです、ミナトさん」
「同い年だから『さん』はいりません。あ。でも食べた方が動けるならリュックに固形食や水筒が入ってる。齧りながら歩いて」
「食欲ない」
水筒を戻してもらいリュックに戻す。歩き出そうとしたシオンを制止して胴鎧の編み紐のかけ違いと腰ベルトの捩れを指摘した。手は貸さず自分で直させる。服の上からだとしても女性に触れるのには躊躇があった。腰バッグに固定されたナイフが外れそうになっていて、この場合はバッグに触るだけなので固定し直す。ついでに抜き方を教えた。最後にボクの剣帯の使い方を見せて剣を背負わせる。出発準備ができた。ボクを先頭に背の高い草を押し分け、ときにナイフで刈って進む。20分しないうちにミスト化した水が発生させる帯電した空気の匂いを感じた。さらに数分で水音を捉える。低い稜線を超えたとき、10メートルほど眼下の窪地に満々と水をたたえた池が見えた。サッカー場ほどもある。手前から奥に長い楕円形。天高く登った太陽が垂直に近い光を差し入れ、凪いで波のない水面から遥か水底まで覗き込めるほど透明度が高かった。対岸は切り立った崖になっていて、崖の左面を2本の滝が細く流れ落ちている。白い水しぶきと透き通った虹がきれいだった。左側の中ほどに岩場の切れ目があり、そこから溢れた水が流れ落ちているようだ。
「わ。湖。虹。滝。キレイ」
シオンがつぶやく。湖というほど大きくない。いうなら池だろう。ボクが感嘆したのは池の底だった。奥半分の浅い水底に透けて見えるのは人工の石畳。あたりには折れた柱や倒壊した立像も見てとれる。これは遺跡だ。水底の手前半分は陥没したのか深い淵になっている。石畳から水面下に3段沈んで全部で10段ほどのテラス状階段が崖まで続く。段の高さは30センチくらいか。テラス階段1段の幅は4メートル近くあるだろう。最上段の半円形テラスは半径が20メートル近くあるようだ。テラスが崖面に接する部分に黒々と遺跡開口部が見えた。坑道の入り口のよう。扉などはなく、四角くぽっかり開いている。
「インカの遺跡みたい。崩れてるけど。凄いね。神殿とかかな」
シオンが修学旅行生のように声をあげる。左回りは滝や流出口があって通りづらそうだから右回りで降りることにした。目的地が見えるというのは元気が出るものだ。へばりかけていたシオンがイキイキと斜面をくだっていく。
「世界が創られてまだ20年しか経ってないんだよね。なのに、千年も経ってそうな古びた遺跡があるのが凄い」
「水浴びできるよ。洗濯もしたい」
さっきこの世界へ転生したばかりだというのに身だしなみを気にするのはさすが女の子だと思う。ボクなんか3日もお風呂に入っていない。水葉で清拭してるから臭わないと思うけど。
「水中に危険な生物がいないのを確認してからね。ワニみたいなのに齧られたくないから」
「え。ワニいるの?」
「なにがいるかわからない。山の上の池や遺跡なんて見たの初めてだし」
下に降りつつも深い淵の岸には近づかないよう盆地を回り込んで、遺跡の階段テラスに着いた。開けて平らな部分は階段上のテラス部しかなかったので段を登る。石畳の目地から草が伸び、石を割っている。荒廃した雰囲気だ。ぽっかり開いた開口部から敵性の動物が飛び出さないか注意していたけど、シオンは無警戒で先に登っていく。
「ちょ。待って。なにが潜んでるかわからない。先走らないで」
「大丈夫よ。中に誰か人がいるよ。いい匂いしてる」
「じっくり調べ。え。人がいる?」
他の冒険者だろうか。入り口の前に着く。ボクがリュックを下ろしている間にもシオンは入り口を覗き込もうとしている。太陽が真上で光が差し込まず、入り口は黒い幕に覆われているかのようだ。
「誰か中で料理してるんだよ。いい匂いが流れてくる。お腹が空いた」
料理してると聞いた途端、ボクにも匂いが届いた。ジュウジュウと肉を焼く匂いだ。流れ出た脂が火に落ちて焦げる香ばしさ。
「ホント。いい匂いだ」
「挨拶したら分けてもらえるかな。バニラとシナモンのいい香り。パンの焼きあがる匂い」
そういいながらシオンが足を踏み出す。パンだって。どこをどう嗅いだら焼肉がパンになるというのか。
「待って」
シオンが背負ったままのリュックに伸ばしたはずの手指が、精緻4の影響で襟首にかかる。引き戻されてシオンの首が締まりクエッと声が出た。その直前、シオンの踏み込んだ靴先が床の石をカチッと沈めていた。ボクの手がシオンの身体を引き戻すのと同時に、カシュっという音とともに天井から滑り落ちた鉄杭3本がシオンの爪先をかすめて床に突き刺さった。鉄杭の先端は鋭利に細く尖っている。引き戻さなければシオンは脳天を貫かれていたかもしれない。
「ひっ」
シオンがヘタヘタと尻餅をつく。
「脚は?」
「あ。う。うん。ギ、ギリギリかすめたけど、さ、刺さってない」
「よかった。こっちきて。結界魔導器使う。範囲内に入って」
ボクは右横の壁際まで移動し、壁に沿って入り口からいちばん離れたテラスの端位置で結界を張った。シオンがヨタヨタと立ちあがって結界に入ってくる。ボクが石畳に座り込み塀壁に背をもたれると、リュックをおろしたシオンが横に同じように座った。しばらくぼんやりしてると、シオンが大きくため息をついてボクを見た。
「ありがと。ミナト。また命を救ってもらった。いい匂いがしてお腹グーグー鳴ってたのに、びっくりしてまた胃が石みたいに縮んじゃった」
「怪我なくてよかった。慎重にいこう。水でも飲みなよ」
本音は、怪我なんかされて足手まといにならずによかった、だ。シオンがリュックから水筒を出して最初はちょびちょび、しまいにゴクゴクと1本飲み干してしまう。
「なんで、なんであの罠がわかったの?」
「罠はわからなかった。けど、おかしいのはわかった。ボクの鼻には焼き肉の匂いがしてた」
「え。間違いなくパンの匂いだよ。焼肉って?」
「だからおかしいんだ。これ、ただの遺跡じゃない。たぶんダンジョン」
「ダンジョン?」
「説明始めると長いから先にお昼の準備しよう。次からシオンもひとりでできるよう見てて」
ボクはあたりに散乱している瓦礫の石で簡易カマドを作った。石の上面を揃えるとか馬蹄形に並べるとか空気の通り道がどうとか、Youtubeで見た知識を自分の経験のごとく偉そうに教える。カマドができると燃料の枝拾いだ。遺跡入り口と水辺には近づかず、常にあたりに注意するよう教えて枝を集める。時期がいいのか集まった枝はしっかり乾燥していた。枝の細さで火口や焚きつけ、薪に分ける。柔らかな木は火がつきやすいけどすぐ燃え切ってしまう。硬い木は火がつきにくいけどじっくり長く燃える。火口には松ボックリや杉の枯れ葉なんかがいいけど、この世界に松や杉があるかどうかもわからないので魔法を使って点火するのがいちばん早いと教えた。シオンの裏表のない性格のせいか、ボクの屈託だらけの人見知りがずいぶん緩和している。
「魔法!」
さっき死にかけて萎れてたことをもう忘れたみたいに、目に1等星を10個くらい煌めかせて見つめてくる。
「シオンも使えるはず。後で教えるよ。チュートリアルだと身体にチャクラの場所を示す光の点や経路を表す光の筋のエフェクトが表示されるから視認できて覚えやすいんだけど、シオンはチュートリアルゲームをしたことがないみたいだから覚えづらいかも。でも、コツをつかめば使えるはず」
「師匠と呼びます!」
「いや。遠慮します」
枝の組み方のバリエーションをレクチャー。他人の受け売りを我がことのように説明してると、だんだん自分が卑小な奴に思えてきた。
「偉そうにいってるけど全部Youtubeで見たキャンプの知識だよ。実経験はない」
ボクの懺悔にシオンはにっこり笑顔で応えた。
「正直でよろしい。でも、ウチなんかより遥かに知識豊富なんだから、やっぱミナトって凄いんじゃない?」
褒められ慣れしてない緩んだ顔を見られないよう、カマドの木組に向かい魔素の練り方をレクチャーする。
「最初にお臍と恥骨の間、丹田っていうところを意識する。膀胱の上くらいかな。身体の奥に火が灯ってくるくる回るイメージを浮かべる。できたら、そこと鳩尾の間をゆっくりじわじわ循環させるイメージに切り替える。お腹の中があったかく感じたらループを上へ。心臓を通る大きなループに。で、準備完了。頭の中に起こしたい現象を念じる。この場合は燃える火のイメージ。イメージしやすくするために呪文を唱えてもいい。イメージがしっかり造れるなら唱えなくてもオッケー。循環してる魔素の流れにイメージを混ぜ込んで、弾くようにふたつに分けて両腕へ。腕から手のひらに送れば、ほらね」
小さな炎が空中に現れる。
「わあ。凄い」
焚き付けの枝に火がついて燃えあがる。鍋に水を満たし塩を入れて火にかけた。水葉芋を6個放り込んで茹でる。リュックから携帯食のバーを取り出し、包み紙はいろいろ使い道があるから取っておくよう教えて齧り始めた。シオンも自分のリュックからバーを取り出して包装を開けクンクン匂いを嗅いでいる。ひと口齧って美味しさに驚き、ハムスターのようにほっぺた膨らませながら食べ始めた。シオンの胃は死にかけて縮んだことを忘れたようだ。シオンの鍋を水でゆすがせ茹であがった水葉芋3個と茹で汁をつぎ分ける。これも目を丸くして美味しい美味しいを連発する。薄味スープもどきだが温かい物は心と胃に染みる。
「これもサバイバル動画の受け売りなんだけど。食器に匂いが残ると嗅ぎつけた動物に襲われるからよく洗うこと。水葉あげるから使って。ここにもあっちの水辺にも群れて生えてる。安全確認できたら採取しとこう」
「お腹いっぱいすぎて動くのがダルいんだけど、襲われるのはこりごり」
片付けし、まだ燃えている火の前で異世界授業が始まった。




