29.ありふれた「人蜘蛛ホイホイ」と「攻城戦」と「魔法大戦」
「ミナト。どういうこと。ひとりでいくなんて」
ビビがシオンの横を離れボクの正面に立った。仁王立ちってやつだ。ボクは迫力負けする。
「いや。ひとりのほうが気楽だし。命の危険があることにみんなを巻き込みたくないし。蜘蛛野郎は絶対に許せないし」
「冒険者なんて、つねに命の危険と背中合わせじゃない。命の危険を少しでも減らすためにパーティがあるんでしょ。みんなで助け合って生存確率を増やすんでしょ。私たちはパーティでしょ。一緒に行くわよ。もちろん」
「ビビ。このミナトってねー。コミュ障って自分でいってる通りでさー。人との距離感とかが苦手で、人見知りで話せないときと暴走するみたいに余計なことまで話しちゃうときの振幅が大きくてー。嘘はヘタっていうか、たぶん性格的につけないんだろうけどね。隠し事は意外とうまいんだよねー。ミナトさー。その壺とやらをぶっ壊したら終わりじゃないんでしょ?」
シオンが真顔でボクを見ていった。
「いや。その‥‥」
「ほらね。そこでしれっと嘘をつけないところがミナトのいいところなんだよね。ミナト。あんたさー。目の前で犠牲者が餌に変えられてるっていうのに、救えなかった自分が許せないんでしょ。ウチも公会堂にぶらさげられて惨い扱いを受けている人たちを助けられずに帰らなきゃならなかったとき、情けなくてしかたなかったもん。だからって自分を罰するみたいに難易度をあげてもねー。ひとりで女王蜘蛛と脳蜘蛛をやるつもりだったんでしょ」
げ。能天気JKの顔の下に成績優秀なキャプテンの顔も持ってるんだよな、こいつ。
「だって、住民を救出するためには働き蜘蛛や兵隊蜘蛛を駆除しないとならないけど、女王蜘蛛が残ってたら卵を生んでまた群れを作られちゃうし、脳蜘蛛を生かしておいたら複素空間へ逃げられてしまう。こいつらを取り逃がしたら、次はベルダ・ステロの街が餌場にされるかもしれないんだ。人命救助を後回しにして援軍といっしょに城攻めをした場合、人蜘蛛の大軍に前後から挟撃されるから危険が増す。犠牲を厭わず人蜘蛛軍団を打ち破ったとしても、形勢不利と見たら女王蜘蛛と脳蜘蛛はさっさと逃げてしまうだろう。中央広場の人命救助を派手におこなえば陽動になって、蜘蛛がそっちに集中するから城に忍び込みやすい。そのためには少数じゃないと」
「こっそり忍び込まなきゃってとこまではリョーカイ。けどミナトひとりじゃなきゃいけない、って理由はないわよねー。いくら陽動が成功したとしたって女王蜘蛛を守る近衛兵はいるでしょ。脳蜘蛛なんてガリ勉君みたいなモヤシ感あるし、女王蜘蛛も蟻とか蜂だとでっぷりして自分じゃなんにもできずに卵だけ産んでるってイメージあるけど。実際にはなーんにも知らないんだしー。予。油。なんだっけ。油断かな。油断は大敵よー。ひとりじゃ絶対死ねるわー。だからウチもいく」
この場合は『予断は禁物』のほうが正解だと思うよシオン。最初にシオンを『拾った』とき、まさかここまで頼りになる相棒になるなんて思わなかった。
「ミナトの考えはわかったわ。確かに女王蜘蛛と脳蜘蛛に逃げられたら次はベルダ・ステロかもって、安心して眠れなくなるわ。安眠するためなら命をかける価値があると思う。何度もいうけど、私もいくよ」
ビビはお母さんがいるから命の危険を犯したくないはずなのに。でもンガバ副隊長仕込みの剣技は頼り甲斐がある。
「俺とラウリも同じパーティだろ。話を聞いただけでムカムカしてた。俺たちも蜘蛛野郎ぶっ飛ばしに参加する」
ノアがサムズアップして白い歯を見せる。親指を立てるサインは英語圏なら『グッド』や『オッケー』の意味だけど、中東とかだと侮辱の意味になる。ここには中東圏の人はいないからいいけどね。ラウリは腕を組んで壁に持たれたまま、凶暴な獣みたいな微笑みを浮かべてうなずく。ラウリも蜘蛛どもを殲滅したい衝動を抑えて戻ってきたんだ。惚れちゃいそうだよ、ノアとラウリ。などとしみじみしてたら‥‥めちゃくちゃ軽いノリのやつが帰ってきた。
「へいへーい。ただいまぁ。おつかい終了だよぉ。第2外周警備隊20人と第3外周警備隊26人と慈療師さん10人ねぇ。この人たちはさっき城塞を出たよぉ。1時間ほど遅れてぇ、お城からも第2騎士団の50人と城塞警備隊の40人とぉ、消防隊とか自警団とか市民の有志が100人くらいくるよぉ。そんでジュラちゃんのぉ、仲間ひとり連れてきたよぉ。物好きで人蜘蛛の研究なんてしてるやつぅ。でぇ、話は聞こえてたしぃ。ジュラちゃんもミナトについてくからねぇ。美味しいご飯を守らないとぉ。あ。でぇ、紹介するねぇ。ジュラちゃんの遠い親戚なんだけどぉ、名前はないから『No.2』ってことで『ツーちゃん』とでも呼んでねぇ。ミナトに無許可でミナトの言語基底を使わせられないからいまのとこ話せないんでぇ、そこんとこよろしくぅ」
ジュラの横に光の玉が浮かびチカチカと点滅した。それが挨拶がわりらしい。
「歌はジュラちゃんのほうがうまいけど、重力探知はツーちゃんが得意ぃ。そんでぇ、人蜘蛛をおびき寄せる歌が歌えるんだよぉ。それって凄くねぇ?」
「マジか。それは助かる。えと。うん。よし。これなら『人蜘蛛ホイホイ作戦』が立てられる」
「城内の情報がなんにもないっていうのが不安材料だな。そのうえ女王蜘蛛とか脳蜘蛛とかまったく未知数だ」
ラウリがぼそっと呟いた。痛いとこ突く。作戦とかいいながら肝心の部分はほとんど行き当たりばったりのノープランに等しいんだよね。なんていってみんなの不安を煽ってもしかたないので考えるふりしてたらジュラが答えた。
「ツーちゃんの観察によるとぉ、女王蜘蛛は素早いってぇ。兵隊蜘蛛の1.5倍の大きさでぇ、糸は吐かないけど尻に卵管棘があって突き刺してくるよぉ。刺されると体内に毒を注入されちゃうぅ。死なないけど麻痺するから注意してねぇ。脚の爪は魔剣並みの斬れ味だよぉ。突き刺しも得意でぇ、関節がゴムみたいに伸びるからぁ、長さが1.5倍になるんだってぇ。間合いが狂うので要注意だよぉ。脳蜘蛛はほとんど動かないけど、魔法を使ってくるってぇ。ツーちゃんが見た魔法はひとつだけでぇ、氷魔法だったってぇ。氷柱を飛ばしてくるみたいぃ。近衛の兵隊蜘蛛はだいたいいつも20匹いるってぇ。あとぉ、餌に卵を産みつけるんだけどぉ、こっちの世界の時間だとぉ、4日から5日で孵化するってぇ」
「4日から5日か。こっちにきてすぐ『クラインの壺』を造って、そこで変換した人に卵を産みつけたとしたら‥‥第1陣が孵る頃ってことか。どっちが先か競争になるな」
「さすがジュラちゃん。なにひとつわからないで突入するよりずっとマシだ。使える妖精だな」
ノアが褒める。褒めるとどこまでも調子に乗る性格はボク譲りなんだよな。うきゃうきゃ喜んで宙返りしているジュラの横にツーがふわふわと寄ってきた。
「あ。ジュラ。ボクの言語基体、プライベートな記憶や感情は消去して最低限の情報をツーにコピーしてもいいよ。それで話せるようになるんだろ。声を出して話せるように身体を造ってもらうのがいいんじゃないかな」
いちいちジュラを介して同時通訳会話みたいになるのは面倒だしね。
「ミナトがオッケーならすぐ作らせるよぉ」
ジュラが光の横に並んでかなりオーバーアクションとも思える身振り手振りで『妖精さんの作り方』をレクチャーしている間、ボクはボワヴァン団長に任せたい『人蜘蛛ホイホイ作戦』を説明した。
「第1陣が到着したら、魔剣を持ったアチバドラフ隊長とンガバ副隊長、そして魔法盾をもった10人の隊員を中心とした12班の攻撃隊を編成してもらいます。魔剣じゃない剣を持った第2外周警備隊の残り8名と騎士のみなさん43名と第3外周警備隊の26名、合計で77名から5名ずつ各班に割り当ててください。割当はボワヴァン団長にお願いします。隊員が17名残りますのでこの陣地の拡充と二角馬の世話、城塞から怪我人が運ばれてくるようならその受入と治療、それと後続救援部隊の受け入れをお願いします。すみませんが今回はボクたちも戦闘が想定されますので、魔剣ロングソードはお貸しできません。ボクとシオンの魔剣ナイフも侵入に必要と想定されるためお貸しできません。なので12班中2班をこの防御陣地の守備に回してください。作戦はシンプルです。攻撃隊10班が東門から入ると同時に、ジュラとジュラの仲間のツーに中央広場までの大規模な霧消しをさせます。霧消しが終わったらボクたちとジュラは本隊と別れて城へ回り込みます。ツーには攻撃隊の掃討に合わせて『妨害の歌』を歌わせます。中央広場までの建物内や路地をしらみ潰しに検索して人蜘蛛を駆除し、経路の安全を確保してください。中央広場まで達して周辺の建物内の人蜘蛛駆除が終わったら、いったん『妨害の歌』はやめて『誘引の歌』を歌わせます。集まってきた人蜘蛛どもを十分に引きつけたら、再度『妨害の歌』を歌って人蜘蛛を麻痺させ駆除する。これを繰り返します。ほとんどの人蜘蛛が駆除できた時点で後続も到着しているでしょうから、状況を見て割ける班を東門からの経路の安全確保に回します。安全に後続隊を城塞内に入れてください。後は残敵に警戒しながら吊るされた人々の救援活動をお願いします」
ボワヴァン団長の権威を侵さないよう顔色を窺いながら話したけど、アチバドラフ隊長の口添えのおかげかボクの立てた作戦を全面的に採用してもらえた。魔法盾を持っている第2警備隊の隊員名を書き出して団長さんに渡す。グループ分けの表を作り始めた団長さんたちを邪魔しないようボクたちは指揮車を降りた。『妖精と牙』メンバーだけでゆるい円陣を組む。
「ボクたちは中央広場までの霧消しが終わった時点で分離して丘を回り込む。『クラインの壺』はいますぐにぶち壊してやりたいけど、城に侵入するまでは騒ぎを起こしたくないし、変換された人たちを元に戻せる可能性もあるからいまはスルーする。城へは丘をぐるっと回り込む隘路が設けられているけど、身を隠すものもないダラダラ長い坂道だから通らない。城の東側と北側が崖になってるんでそっちを登る。ジュラが歌うとボクたちが城に近づいているとバレちゃう可能性があるので、城に突入するまでは隠密行動でいく。重力球で包めば通信遮断できると思うんだけど、試してみないと。ダメなら別の手を考える。突入ーってなったら『妨害の歌』を歌ってもらってできるだけ迅速に女王蜘蛛と脳蜘蛛を倒す。‥‥ていう行き当たりばったりで杜撰な計画しかない。城の内部構造は簡易図面でしか知らないし、女王蜘蛛や脳蜘蛛の居場所は想定でしかない。下の街でどんなに騒ぎを起こしても女王蜘蛛を守る直属の兵隊蜘蛛とかは動かないだろうから戦闘になると思う。かなり不確定なことばかりだし危険だと思う」
「ミナトひとりでいくっていってたけどー、兵隊蜘蛛うじゃうじゃをどうするつもりだったのよー」
シオンにたしなめられた。
「いや。ひとりならなんとか身を隠しつついけるかなって‥‥」
ビビに睨みつけられる。
「そういうのを希望的観測っていうのよ。新米冒険者が命を落とす最大の原因って隊長がいってたわ。ミナトひとりでも見つからずに女王蜘蛛までいくのは無理だと思うから、5人なら絶対見つかっちゃうわね」
ビビは容赦ない。そうはいうけどさ。ボクはこっちにきてまだ1ヶ月半の、正真正銘の新米冒険者なんだけどなあ。頭を掻いているボクの上でジュラがワッショイワッショイ踊って応援している。光球がプルプル震えギュウーっと収縮したと思ったらポンッと妖精さんが現れた。それを見ていた全員が「おおっ」と声を出す。現れた妖精のサイズや身体の造形、衣装などほとんどジュラと同じだったけど、なぜか身体が半透明で胸の中心に光の玉がぼんやり透けて輝いていた。髪の毛はキラキラと流れる光の筋だ。まるで極細の光ファイバーみたいで綺麗だった。顔の造作はジュラよりも丸顔で目が大きい感じ。なんで半透明なのかはわからないけど、10の27乗個もあるクオークを制御して造りあげてるんだからちょっとした差異は出るだろう。ジュラと並んでも見分けやすいからいいんじゃないかな。
ツーが初めての自分の身体を触って確かめながらふわふわとみんなの目の高さに降りてくる。ジュラが付き添ってなにやら話しかけてる。言語基体のダウンロードでもしてるのかな。ツーが「こほん」と咳払い。
「あ。い。うえーお。えと。この身体では初めましてなんし。ツーちゃん、カッコ、仮名、カッコ閉じでありんす。なまら美味しい重力をご馳走してもらえるってんで楽しみにしてまんねん」
あらら。なんか言語ベースがバグってるみたい。廓言葉に北海道弁に江戸っ子調に関西弁風味のごちゃまぜなんですけど。ジュラの渡した言語基体がやっつけ仕事で省略しすぎてバグってるのかな。いや。まあ。いいか。意味はわかるし。次元移動や身体形成でふたりともエネルギーが枯渇してるだろう。
「えと。ふたりとも腹ペコだよね。とりあえずどうぞ」
ジュラの分と合わせて2個の重力球を作る。ふたりがそれぞれに飛び込み技を披露して重力球に飛び込んだ。ジュラは瞬時に飛び出してきたけど、ツーは時間をかけじっくり味わってるようす。
「ちょっとジュラ。内緒の話」
ジュラを呼び寄せる。
「ツーにエネルギー補給するのに重力球をご馳走しちゃったけど、ジュラみたいに味をしめてこっちの世界に引っ越してこられても面倒見きれないぞ」
「あ。そのへんはぁ、大丈夫だよぉ。ジュラちゃんたちは仁義に篤いんだぁ。他人のご飯を横取りするようなマナー知らずはいないよぉ。でもぉ、今回結構無理してきてもらったしぃ、1年に1回くらいはご馳走してやって欲しいかもぉ」
「1年に1回ね。そのくらいなら負担はないな。オッケーわかった」
内緒話が終わったタイミングで重力球が消え胸の奥の光が強くなったツーがぽわっと現れる。
「うっあーん。腰砕げるほどたまらね快感が走りんす。ジュラがこっちさ引っ越した理由がよぐわがった」
身体というものも飛ぶという感覚もこの世界の情景もすべてが物珍しい様子で、あちこちをふわふわ飛び回りたそうにしているツーを引き止め、これからしてほしい作戦行動を説明する。霧消しが終わったら自分たちとジュラは城の女王蜘蛛を倒しにいくのでツーはアチバドラフ隊長の指示に従ってほしいことを告げた。
「わかりんした。えと。ひとつええかの。さっき話しよったのが聞こえちょったんやけど、人蜘蛛の人間界への侵略は初めてでありんす。やけん、人間の場合を見だごどはねぁーんでも、魔界で見た限りではぁ、一度『クラインの壷』で複素変換しゃれたら元に戻す方法はありんせん。『クラインの壷』に再度投げ入れたっちゃ、ぐぢゃぐぢゃに混ざり合った内臓の混合物になるばりで元の人間に戻る確率は水の温度が偶然1点に集中して沸騰する確率ど同じでありんす。エントロピー増大の法則だーね。ふんだから苦痛から解放してあげるのが唯一でくることばい」
重要な情報だった。混ぜ合わされたカフェオレを逆回転に掻き回しても、コーヒーとミルクに別れて戻ったりしない。魔物と人間で違いが出る確率は限りなく小さいだろう。だとしたら残酷な結果だけど‥‥複素化されて裏返された人たちを助けようと手加減して戦い、自分たちが殺されるリスクを負う理由がなくなる。偵察の時に中に人間が飲み込まれているとは知らず斬り殺してしまったけど、結果的に他の選択肢がなかったわけか。
「くそ。もう一度『クラインの壷』に入れれば救えるかと思ったのに。そうかぁ。助ける術はないのか。キッツイなあ。‥‥ツーちゃん。教えてくれてありがとう」
だからってすぐ割り切れはしない。延々と激甚な苦痛だけを感じ続ける地獄のような状況だとしてもまだ生きている。その生命をボクたちが本人の了承もなく断ち切っていいものなのか。これは『安楽死の倫理』だ。しかも対応によっては自分が殺されるかもしれない状況においてだ。たかが一介の大学生や女子高生が負える命題ではない。
「苦痛から解放‥‥それ、殺すってことよね」
ビビは直截的だ。
「大きな災害現場なんかでつねに起きるジレンマだ。どちらかを犠牲にしなくては、どちらかを救えない。時間もマンパワーも足りず、片方しか救えない状況ってあるんだ。じゃあどっちを救ってどっちを見殺しにするか。前の世界でも『トロッコ問題』ってテーマで議論されてた。結論は出ないよ。俺たちは自分たちのできることを全力でやるしかない。いま餌にされるために吊りさげられている人たちを一刻も早く救出しなければいけないし、いま俺達が女王蜘蛛や脳蜘蛛を倒さなければあとになって大勢の人が新たな餌にされるかもしれない」
ノアは元の世界でレスキューの仕事をしていたという。明るい笑顔の陰で苦しい状況を経験してきたんだろう。ボクたち転生者は、ほとんどの者が救いのない病気のもたらす苦痛の経験者だ。苦痛に苛まれ続けることの恐ろしさはよく知っている。
「わかった。しかたないんだよね。わかったよ。ウチいまのうちにトイレいっておくね。頭冷やしてくる」
「私も」
青い顔したシオンと、なぜそんなことで落ち込むのかわからないって顔のビビが奥のテントへ向かった。
「俺たちはなにか腹に入れるものをもらってくるよ。みんなの分も」
ボクはまだ感情の揺れが収まらず食欲はなかったけど、感謝してお願いした。ツーは見るもの聞くものすべてが珍しく楽しいのだろう、あっちにフラフラこっちにフラフラ気ままに飛び回っている。葉や地面の土ですら目に入りそうなくらい顔を近づけて観察してた。シオンたちが戻り、ノアとラウリが大皿いっぱいの平打ち麺のパスタとお好み焼き風ピザと串に刺した唐揚げとおにぎり多数を持って帰った。食欲ないなんていっていたくせに、ひと口囓ったら急に空腹を感じ始める。ボクの胃袋は脳とは別回路で動いているようだ。戦闘直前に食事を摂って生きるか死ぬかの戦場へ出ると、アドレナリンで胃腸の動きが停止する。身体が戦闘に重要じゃないのにエネルギーばかり食う消化を自動的に止めてしまう。胃腸や皮膚の血管を収縮させて大量出血に備えると同時に、戦闘に重要な役割を果たす脳や筋肉に血液を回すためだ。つまり胃もたれする。なんだけど若さがなんとかしてくれるはず。食べて血流がよくなりさっき棚あげにしてた話題を思い出す。
「で。『クラインの壺』なんだけどね。壺の説明の前にまず『メビウスの輪』って知ってるかな?」
ビビが首を振り、シオンはなんか聞いたことありそうと首を傾げ、ノアとラウリはうなずく。
「実際見せたほうが早いよね。これ。いま食べたパスタの平打ち麺ね。かなり薄く伸ばしてあるけどまだ厚いな。厚みがないものと思って見てね」
長さ20cm、幅2cmほどの平打ち麺を2本、ビビとシオンの前にある空の皿の上に並べた。
「この麺を普通に丸めて端と端を繋ぐと普通のリングができるよね」
おにぎりの米粒を使って麺の端をくっつける。
「紙テープの飾りみたいね‥‥思い出すよー。ウチの中学の卒業式が15日で、クラスのみんなが色とりどりの紙テープで飾った黒板に卒業メーッセージ書いてさ。画像と動画を送ってもらって病院で見たよー」
その直後から意識混濁が始まったらしいから、シオンの最後の記憶がそんな素敵な思い出だったってことは喜ばしいよね。持つべきものはいい学友だ。
「リングにする前もリングにしてからも、裏と表ははっきり区別つくよね」
「ふがふが」
さっきまで消沈してたけど、いまは唐揚げを口いっぱいに頬張って完全復活していた。タフだなシオンは。
「じゃあ、こうして麺を半ひねりして端と端を貼りつけると。どっちが裏でどっちが表か言えるかな?」
「そりゃ、内側が裏で外側が表で‥‥あれ?」
「内側の面を辿っていくといつの間にか外側の面になってるよね。麺を半分ひねって繋ぐとこんな風に内側も外側もない輪ができちゃうんだ。これを『メビウスの輪』っていう」
「へー。不思議だね」
普通のリングの接着を外して元の麺に戻し、きれいになくなった唐揚げ串の皿に置く。
「この麺を2次元の世界、つまり平面しかなく高さって概念がない世界に置くとするね。この唐揚げ串の皿の表面が2次元平面だと思ってね。麺は柔らかいから粘土細工みたいに曲げていって端と端をくっつければ、平面から離さなくても輪にできる」
麺を押しつぶすように曲げていって、小さな亀裂が入ったけど輪にできた。
「じゃあ、平面から離さないように『メビウスの輪』を作れるかな?」
シオンとビビがそれぞれに麺を弄り倒したけどできなかった。シオンはムキーっと麺を食べてしまう。それさんざん指で捏ねた麺なんだけど大丈夫か?
「んー。ひねりを入れるときにどうしても持ちあげないといけないから無理みたい」
ビビが麺を突きながらいった。
「だよね。持ちあげるってことは2次元の平面から3次元空間に移動させるってこと。2次元だと『メビウスの輪』になるんだけど、これを3次元でやるのが『クラインの壺』なんだ。壺というかマカロニみたいなチューブでもいいんだけど、捻じ曲げて下におろした端を自分自身の壁に穴を開けて中に入れ、入口の穴と重ねて閉じてしまう。そうすると中の壁だったものが、ぐるっと回るうちに外壁になってしまうわけ。2次元の世界だけじゃ『メビウスの輪』を作れないように、3次元の世界では正確な『クラインの壺』は作れない。なので、壁に穴を開けるっていうズルをしてるんだ」
「では教会堂の壁の『クラインの壺』が本物なら、1部がこの3次元世界から上の次元へ突出してるってことになるのか?」
ラウリが淡々という。
「そうなるね。あの壺の外観を目で追うと、途中で騙し絵見てるみたいに目が迷う。あれは本物の『クラインの壺』だと思うよ。それでさ。上の次元に持ちあげてひねってるわけだけど、上の次元ならなんでもいいみたいだからね。人蜘蛛どもはそれを虚数次元に持ちあげているんだと思う。そこを通った物体に虚数の特性を持たせて、自分たちが利用できるように」
そこまで話したとき、地響きみたいな蹄の響きが聞こえてくる。待ちに待った救援隊の到着だ。レイ男爵の山城での戦闘で超レベルアップした第2外周警備隊のメンバーには、全員光魔法のレクチャーをしてあった。なので多数の光球を飛ばして道を照らし夜でも時速80km以上で二角馬を疾走させることができたみたい。休みなく走り続けてきた二角馬の全身から熱気とともに湯気が立ち昇り、何頭かは到着と同時に膝を着いて倒れ伏してしまう。ポーションを飲ませるのは世話係の騎士団員に任せて、第2外周警備隊の全員を集めて輪になってもらった。挨拶もなしの超早口で今回の顛末を語り対応を説明する。こうしている間にも人々が次々と餌に成形されていることを話すや、異議も質問もなく全隊員がやるべきことだけを聞いて行動に移った。ボワヴァン団長の組んだ班分けに従い一瞬にして12班ができあがる。休む暇もなくて可哀想だったけど、作戦開始だ。ツーとジュラに合図し、途中まではボクも手伝って霧消しを始めた。3人でやるとあっという間。数分で中央広場までの霧が払われ、蜘蛛の巣が浮びあがった。ボクが遥か遠くの中央広場上空に3個の重力球を置くと同時に、ツーが歌い始める。ちょっと驚いたことに5次元生物の歌にはそれぞれ個性があるってわかった。ツーの歌は力強く重厚。アチバドラフ隊長や第2のみんなに手を振って託し、ボクたちは東門から城塞外壁に沿って設けられている周壁内側の外縁道路を回り込むように北上する。
霧は濃厚だったけど全員がエコーロケーションを使えるし、上空を飛ぶジュラが重力レーダーの役割もして人蜘蛛の位置を教えてくれるので、排除しながらもサクサク進めた。12分で12匹の働き蜘蛛を殺す。上空の糸を渡っている蜘蛛をジュラが探知し、ボクが重力球で包み体重を倍にして地面に落とす。期待通り、重力球で包むと働き蜘蛛は女王との重力通信が切れて麻痺した。ボクらの侵入を伝える警報が送られていないことをジュラが確認した。女王と働き蜘蛛の関係は中央司令室とカメラ付きドローンの関係なんじゃないかな。司令室の巨大な壁一面、1匹1匹の人蜘蛛が伝えてくる映像モニターで埋まってるイメージ。ボクたちが人蜘蛛を殺すことによって何百とあるモニターのどれか1個が急に映らなくなる。普通ならなら目立っちゃうけどアチバドラフ隊長たちの別働隊が中央広場までの経路で大駆除大会を始めてるから、あっちこっちのモニターがぶつんぶつん切れてくような混乱状況で目立たないんだろう。「曲者じゃ。出会え。出会え」となることもなく、ボクたちはあっさりお城が建つ丘の東側に着いた。
丘の傾斜を削り、手がかりひとつない垂直な崖が作り出されている。手前に建つ民家を回り込み、裏庭の下生えを踏みしめて崖の前に立つ。霧で見通しが悪いので狭い範囲の霧をさっくり消した。見あげるとビル8階分くらいの岩崖が聳え立ち、その上に城の城壁がプラス4階分積まれている。手前に建つ家が3階建てプラス大きな三角屋根で4階以上の高さがある。ノアの身長を基準にしてアバウトに高さを計測した。ノアの身長は190cmだけどざっくり2mとして建物の高さはノア5人分。だいたい10m。その建物の4倍から5倍の高さに城壁の頂があった。ざっと40m以上。通常の軍隊ならこんな壁を登って攻めようなんて考えないだろう。
でもボクらには魔剣ナイフがある。ラウリにボクの魔剣ナイフを渡すと、ラウリは崖に近づき魔剣ナイフを構えてゆっくり岩に差し込んだ。元の世界の軍隊経験でクライミング訓練をしたことがある、というラウリに崖登りの先陣を任せることにしたわけ。実際やることはクライミングと関係ない気もするけどね。魔剣ナイフ特有の滑らかさで、岩にするっと真一文字の切れ目が入る。いったんナイフが引き抜かれ、続いて切れ目の上に刃を上に向けて差し込む。ズブズブと刺さったナイフを半円に回すと、抉り取られた岩が落ちて下生えに跳ねた。魔剣に魔力が供給される間は、岩でもなんでもバター並みに切れる。ラウリが着実に岩を抉って左右2列の足場を造っていく。40m近くある崖と城壁に足がかりを穿って、15分で上まで到着した。ラウリが落下した場合に備えてずっと上を見てたので頸が痛くなる。城壁の上に達したラウリのそばをジュラが飛んでいた。もし気づかれる範囲に人蜘蛛が探知されたらラウリに教える手筈だ。ラウリの身体がするっと城壁の壁面から消えた。わずかに間があってラウリが頭を出し、あがるよう合図する。続いてシオンが壁を登った。ちゃんと手元足元見てるのかっていいたくなるほど、元気なイモリみたいに壁を登る。あっという間に頂上に達し姿が消えた。シオンに比べるとドン亀みたいに遅いノアが続き、ビビは流れるように舞い登る。ボクは当然慎重に登った。高所恐怖症なんだ。
城壁の上は荷車が走れるほど広い。髪がバサバサ鬱陶しく感じるほど風があった。街方向を振り向くと、丘を回り込んで登るダラダラ坂の起点近くに、巨大蜘蛛の巣を通して教会堂と『クラインの壺』が見える。教会堂の鐘楼が街をすっぽり覆うように張り巡らされた蜘蛛の巣の中心となっているようだ。教会堂から下の都市は霧に沈んでまったく見えない。ただ、かすかに霧の奥、中央広場のあるあたりが内からの光でほんのり光って見える。第2警備隊の猛者たちが無数の光球を飛ばしながら大暴れしている姿が目に浮かぶ。教会堂の横に建つ建物の屋根から1本の蜘蛛糸が丘上に伸び、ダラダラ坂を登った先にある城門塔のとんがり屋根に続いていた。その糸を伝って数匹の人蜘蛛が裏返された人体を乗せた皿を運びあげている。皿に載せられている人たちの悲運に怯んでいる暇はない。外壁の際から内壁の際まで歩き、左右を見ると20mほど右奥に下へ降りる階段が見えた。ボクたちのいる東側には兵舎や厩舎、練兵場、弾薬庫や武器庫、食料庫などのこまごました建物が並んでいる。正面には広場を挟んで城門塔。右斜め奥、北側に2階建てで窓の少ない堅牢な建物が建っている。小領主城と呼ばれる地区領主の居城だ。城門塔から広場に降りた運搬係の人蜘蛛は、広場を横切って小領主城の正面エントランスから人肉皿を運び込んでいく。頭皮が痒くなるほどの嫌悪が湧いてくる。知らずと奥歯がギリッと鳴った。異常で理不尽で暴力的に望まぬ異形の身体へと変形され、絶え間ない苦痛と死の恐怖と絶望に苛まれながら生きなくてはならなかった‥‥前の世界のボクが思い出されるからかもしれない。
「ジュラ、周囲の状況はどう?」
「えーとねぇ。城のこの一帯には1匹もいないなぁ。城の中では多数が動いてるぅ。ひのふのみぃ。えーとねぇ。働き蜘蛛が20匹。兵隊蜘蛛が30匹くらいだよぉ。大多数は下の騒ぎに出払ってるねぇ。下は中央広場の掃討おわったっぽいぃ。これから『誘引の歌』歌うって。作戦成功ぉ。いえいぃ」
「よし。お城をぶっ壊してもいいって団長さんの許可も取ってあるし、作戦通り派手に正面突破でいく。ジュラがいなかったら絶対できなかった作戦だね。ありがとうジュラ」
「うきゃきゃきゃ。ありがとうっていわれるのってぇ、なんか快感だねぇ。遠慮しないでいっていいよぉ」
感謝の印っていいながらシオンがキスしようとして、ジュラの頭を吸い込みかけてた。
「いつまでもじゃれてないで。作戦説明するよ。えーと。力技でいく。ボクとラウリとノアで正面から突入。ジュラは『妨害の歌』を最大強度でお願い。エントランスまわりの働き蜘蛛を始末したら、続くギャラリーホールを制圧。建物の構造と皿を運ぶ人蜘蛛の動きから見て、いちばん奥で吹き抜けになってる大会議室に女王の巣があると見て間違いないと思う。脳蜘蛛がそこにいるかどうかはまるで不明。たぶん頭よすぎて生殖本能全開の女王蜘蛛とずっといっしょってしんどいと思うから、大会議室に次いで大きい右手奥の図書館兼執務室あたりに引きこもってそうに思う。シオンとビビが2階バルコニーから侵入。図書館兼執務室から始めて脳蜘蛛の居場所を探す。見つけてもふたりだけで攻撃しないこと。脳蜘蛛は魔法使うし、もしかしたらいちばん危険かもしれないからね。見つけたらすぐにボクたちに合流。その後は戦力分散させず確実に倒す」
ボクが拳を差し出すと全員が拳を寄せ合った。冒険者が元世界から持ち込んで流行らせた戦前の戦意高揚儀式『フィスト・バンプ』。日本語だと『グータッチ』。全員で内壁の階段を降り、建物を回り込んで井戸の小広場でシオンたちと別れる。小領主城の正門前に3人並んで立つ。
「じゃあ、陽動も兼ねて派手にいこう。‥‥公認でぶっ壊せるってワクワクするな」
固定された目標へどっしり構えて魔法を放てるとき、変動要素が少ないからジュークボックスの中のレコードのように同一の魔法陣を何重にも重ねて自分の左右に用意すれば魔法の連射ができる。火の爆発魔法陣を左右合わせて20枚用意し、せーのでぶっ放した。開け放たれた正面入口を、連射された火の玉が高速で突き抜けエントランスホールを爆発で粉微塵にする。爆発が派手で前の爆発で着火した炎を吹き飛ばしてしまうから、意外と火事にはならないもんだ。エントランスの左右どころか天井から逆さまになって人蜘蛛が溢れてくる。バリヤーで包まれてるから爆発の影響が見られない。ちぇっ。わらわらと押し合いして入口を抜けた働き蜘蛛10匹。ボクの肩に止まっていたジュラがすいっと上に登っていく。本日2度目のジュラちゃんライブだ。お金取ってもイケるなこの美声。カツカツと走り寄っていた人蜘蛛がコロコロ失神して転がっていく。
「1匹。兵隊蜘蛛だ。動いてる。ノア。任せた」
ボクとラウリが剣を抜いて左右に回る。ノアが魔法盾を前に突き出し、よたよた動いている兵隊蜘蛛へ突進した。兵隊蜘蛛が4本の前足を振りあげて、大鎌のような爪を連続で打ちおろす。ブオンと直径2メートルに広がった青い半透明な魔法シールドがすべての刺突を受け止めた。爪先が滑って下に流れ、石畳に突き刺さる。ノアのバスタードソードが人蜘蛛の脚の間を抜け下腹に突き刺さった。その刹那、ノアの魔剣を覆う青い光がふっと弱まる。ノアの魔力を吸ってすぐに回復するけど、人蜘蛛の方は回復しなかった。ノアがシールドで払い、横を向かされた人蜘蛛の無防備な頭と腹を魔剣バスタードソードが通り抜けていく。兵隊蜘蛛は3つのパーツに斬り分けられて地面にドシャっとわだかまった。
「また3匹来るぞ。動いてるから兵隊蜘蛛だ」
ボクは地面に丸まった4匹目の蜘蛛をザク斬りに仕留めたところ。ラウリも残り5匹を3枚おろしにしたところだった。ひとり1匹ずつだ。ボクは左端。走る。振りあげられた前脚が僅かな時間差で振りおろされるタイムラグが計算できる。1本目の脚を右に半身で避け。2本目はスウェーで左に流し、3本目をバックステップで避け、4本目はちょっと失敗してヘッドスリップでギリギリに見切る。あと10cmで脳天串刺しになるとこだった。冷や汗が出る。ギリギリでかわした分、体勢は崩れてない。人蜘蛛の腹部が膨れているのが見えてたから、腹の中の人体ごと真っぷたつに斬った。ボクなりに決めていたことだ。身体の内外をひっくり返され骨も血管も神経も脳細胞まで強制的に広げられたら、生きているのが不思議なくらいの激痛に神経を焼かれているはず。そんな無限苦痛を受けながら外からじわじわ消化されていく死に方は考えうる以上に悲惨なものだ。ボクは初めて人を殺した。どんな状況であろうと人を殺したことに違いはない。心のなかで手を合わせて、あえてそれ以上考えないようにした。城内へ侵入する。焼け焦げと瓦礫。爆発魔法は前の世界のロケットランチャーに匹敵する威力で、エントランスホールとその向こうのギャラリーホールにある階段はズタボロになっていた。高そうな絵とか陶器とかバラバラだ。請求されても払えそうにない。けれど何発か直撃を受けたはずの大会議室の扉は、扉まわりの壁の煤汚れ以外に破損の様子がない。
「大会議室だ。やっぱり。ドアがバリヤーで守られてる。魔剣で斬ってバリヤー消せば入れるはず」
ギャラリーホールで兵隊蜘蛛が天井から降ってきた。動きが鈍いといっても剣道有段者レベルが中学県大会レベルにダウンする程度。しかも複数。気を抜けばあっさりご臨終できる。屋敷内は息が白いほど寒いというのに、汗びっしょりで3匹の兵隊蜘蛛を倒す。ノアもラウリも真剣だ。ノアはブレストアーマーに2ヶ所深いへこみを作られてたし、ラウリは頬の擦り傷から血を垂らしている。それでもなんとか3人合計で10匹倒せた。これで14匹。残り16匹はどこだ?
ギャラリーホールを抜ける。大会議室前は階段室で、階段の下をくぐって左右へ伸びる通路が直行している。左の階段は崩落していたけど右の階段は焼け焦げながらも機能していた。警戒して階段上を見ると壁の陰から人蜘蛛の脚が。待ち構えていた2匹の兵隊蜘蛛が動き、階段の手摺りを乗り越えようと前に出る。その顔面から青を纏った銀の切先が飛び出した。魔剣の切先が真下に走り、人蜘蛛が真っぷたつになる。4つのピースに分かれて、人蜘蛛の残骸が階段を転げ落ちてきた。その後ろからシオンとビビが姿を現す。階段の途中を塞いだ残骸を避けて2階バルコニー部分から華麗に飛び降りてきた。あいかわらずシオンは着地時に「しゅたっ」と呟いてる。無言で着地したビビがクールに報告した。
「いたわよ。図書室兼執務室に。ビンゴね。ハンモックみたいに糸で網を張ってその上に乗ってた。馬車のキャビンくらい巨大な脳味噌に脚を生やしたみたいな気色悪い奴が鎮座してたわ。私たちは吹き抜けのキャットウォークからそっと覗いただけだから気づかれなかったはず。祭り太鼓の連打みたいな爆発音が聞こえて、ミナトたちの攻撃が始まったのはわかったんだけど。脳蜘蛛は振動を感知したのかな。よたよたずるずる網から床に降りて、床をガリガリ引っ掻き始めたの。大きな円を描こうとしてた」
「それ、たぶん魔法陣を描こうとしてるな。イメージ魔法陣だと無理なくらい複雑すぎて、物理的に描かなきゃならないんだろう。だとすると簡単には描けないと思うけど。急ごう。逃がしてたま‥‥」
とそこまでいったとき、大会議室の扉が弾けるように突き開けられる。凍りつくような冷気とともにボクの身長の倍はある女王蜘蛛が這い出してきた。天井や床の木材に爪先がめり込む。怪獣映画だったらここは凄絶な怪獣の咆哮が効果音として入るとこだったけど、音波を使わない人蜘蛛族は重力波の雄叫びをあげた。内臓が揺すられて船酔いするような感覚。のっぺりした顔面に3角形に配置された目玉だけが妙に人間ぽく、ぎょろぎょろ動いておぞましい。腹がぼってりのイメージは裏切られ、ワイヤーロープで編みあげた鋼鉄みたいな胴体から長くて太い卵管棘が突き出していた。毒液だろうか、先端から黄色っぽい粘液が滴っている。女王蜘蛛の身体はバリヤーには覆われていなかった。冷凍庫並みに冷やされた大会議室内ではバリヤーの必要がないのだとしたら、そもそもバリヤーとは攻撃防御ではなく、単なる冷凍生物の耐熱服なのかもしれない。ガリガリとドア枠を削って女王蜘蛛の身体が迫り出してくる。
「後ろ。兵隊蜘蛛。動き早いわ」
ビビの声が耳に響くけど、振り向く余裕がない。女王蜘蛛から目を離したら死ぬ。直感がそう告げていた。ジュラの『妨害の歌』も、目視距離にいる蜘蛛同士の通信を妨害できないようだ。
「うー。やっ!」
背後から軽快な掛け声。ボクの頭の上を飛び越してシオンが宙を舞う。女王蜘蛛へ一直線の軌跡を描いていた。青く輝く双剣を脇構えに支え、女王蜘蛛の胸の前で剣筋をクロスさせる。でも空を切った。
「うぎゃん!」
つんのめったシオンが床でバウンドし、大会議室内まで転がっていく。シオンの剣が振るわれた瞬間に姿が消えた。違う。消えたわけじゃなく、あまりの速さと予備動作のなさで目が追いつかなかっただけだ。脚を曲げて身体を沈め、その反動を使うっていう予備動作がまるで見えなかった。圧縮された空気の流れが、抉られて剥落した床の木材の破片を斜め上に撒きあげる。その渦の動きを見て、ボクは半歩さがって身体を開き上を見た。いた。女王蜘蛛の巨体が天井に貼りついている。それからの出来事は一連ではなく同時に起こった。天井に食い込ませた爪でぶらさがった女王蜘蛛が、同じ唐突さで下へ突進する。今度は重力加速度も加味され、跳びあがりよりも速い。でも予測と半歩の距離と目の慣れとでかろうじて動きを追えた。突進の先にはノアがいた。後ろでヒュパッと魔剣の切断音。ビビの気合の息吹が聞こえる。ラウリが腕の魔法シールドを発動させ、ノアの背中をカバーした。空中を落下突進しながら女王蜘蛛の脚がラウリのバリヤーを突く。女王蜘蛛の8本の脚の爪は弾いたけど、シールドが限界を超え消滅した。その間隙を女王蜘蛛の卵管棘が突き抜け、ノアの右太腿に突き刺さる。次の瞬間女王蜘蛛の腹がノアに当たり、トラックがぶつかったほどの衝突音を発してノアが吹っ飛んだ。後ろでビビの苦痛の息。その声を掻き消すほどのノア苦悶の咆哮。視界の隅で右足を押さえてのたうち回るノアの姿が見えていた。
「ラウリ。ビビの援護。シオン。ノアの手当!」
そう叫んでボクは女王蜘蛛の前にゆっくり進んだ。でかい。怖い。気色悪い。ボクは虫が嫌いなんだって。
「ミナトォ。ごめんよぉ。ノアしゃんにシールド張ろうとしたけどもたついたぁ」
ジュラは一生懸命やってるよ。そういいたかったけど暇がなかった。女王蜘蛛の前脚が空気を斬り裂き、鞭みたいな音を立て飛んでくる。連続攻撃は予期してたんだけど、予期していてさえ反応できないほど速かった。ボクの周囲に張られた薄紫色の球状シールドが最初の3連撃を受け止めてくれなかったら、ボクはご臨終だった。ジュラの援護のシールドだ。シールドは3撃までは持ちこたえたけど、そこで尽きる。細片に砕け散り、最後の刺突が貫通した。事前に脚攻撃が伸びると聞いていなかったら初撃で腹を突き破られていただろう。あまりの速さにわかっていても完全には見切れず、胴鎧のミスリル板が革帯ごとちぎれ飛ぶ。ハンマーで殴られたみたいな衝撃。胴鎧が受けてくれたから痛みはない。必死で目を見開いた。こんな高速戦闘の最中に瞬きしてたら確実に死ねる。その甲斐があった。視界の隅に映った動きを見落とさずに済む。順序立てて考える暇もない。勘のようなひらめき。さっきノアを襲ったときの胴体の動きと同じ。癖のような、クイッと2回引く動き。ミスリル板が欠落した胴鎧の隙間を狙って突き出された卵管棘を体を開いて躱し、下段に構えていたロングソードを斬りあげる。粘液を振り撒きながら斬り飛ばされた卵管棘が宙を舞った。空間が捩れるほどの重力悲鳴を胃で感じる。返す刀で斬りおろしたけど、剣先は空を切った。女王蜘蛛は悲鳴をあげながらも予備動作のないジャンプで後ろに跳ね飛んでいた。逃がすか。剣を躱されたときに備えてプランBも用意してあるんだ。目の前で死神が踊っているときの火事場の馬鹿力、窮鼠猫を噛む的脳の高速稼働で用意した起死回生の魔法陣が左手の平で発動した。こんな刹那の戦闘中に複雑な術式なんて扱えるわけもない。単純な火魔法だ。だけど温度設定はあげてやった。6000度。太陽の表面温度と同じ。アセチレン溶接で3500度。それをギュウウウっと圧縮してパチンコ玉ほどに潰して撃ち出す。女王蜘蛛が壁に激突するように貼りついた一瞬の静止状態に吸い込まれた。直径1m近い火球が生じて女王蜘蛛の右の脚4本が焼き切られる。女王蜘蛛の巨体が床に落ちた。廊下の壁が1部崩落するほど激烈にのたうっている。制御を失って振り回される左4本の脚をかいくぐって金色の流れが駆け抜けた。
「こんんのぉ!」
女王蜘蛛の胴体が逆袈裟に斬り開かれ白いブツブツしたものが噴きこぼれた。卵なのか内臓なのか。どっちにせよ気持ち悪いからもう1発6000度の火球を腹の中に撃ち込んだ。胴体が炭化する。それでもまだかすかに動いていたので3つの目玉のど真ん中に6000度を撃ち込んだ。頭が消し炭になってようやく女王蜘蛛は動きを止めた。疲れた。魔力切れとかじゃなく、精神的に疲れた。女王蜘蛛の身体にうねる筋肉の束から生え出した剛毛に鳥肌立てすぎて疲れた。しゃがみ込んだら立てなくなりそうで膝に手を当ててかろうじて身体を支える。けど、のんびり休んでいる場合じゃなかった。
「ノア。具合は?」
「最悪だが、大丈夫だ。卵を産みつけられたが肉を削いで切り取ったよ。刺された瞬間に脚が麻痺した。それと同時に卵が孵るのがわかった。麻痺してるのに痛覚だけは残っていて、卵が孵ったとたん信じられないくらいの激痛が走った」
肉を削いだ、だって。すごい根性。ボクにはできないぞ。っていうか、脚に卵を産みつけられてそれが自分の身体の中で孵り内側から食い荒らされるなんて、激痛がなくても気持ち悪くて失神しちゃうだろう。
「まず毒消し飲んで。それからポーション飲んで。グレードIIね。ケチらないよ」
麻痺毒が心臓や肺に達して急死されたら困る。身体を起こして振り返る。薄紫のシールドに包まれたラウリとビビが最後の兵隊蜘蛛を仕留めたところだった。10匹以上の兵隊蜘蛛の死骸が積みあがっていた。ラウリはほぼ無傷だったけど、ビビがかなり出血してる。特に脇腹の抉れがひどく出血が止まらないようだ。
「ビビもノアといっしょにいて。グレードII飲んで。ジュラ。防御ありがとう。まだエネルギー平気か?」
「大丈夫じゃないかもぉ。エネルギーじゃなくぅ、魔力の消費が激しくてぇ、ちょっと休まないとぉ」
「じゃあ、ビビたちといっしょにいて。人蜘蛛の接近があったら教えてあげて」
「わかったぁ」
「シオン。ラウリ。いける?」
「いけるよー。寒いけどー」
「大丈夫だ」
大会議室の中も魔石照明が自動で灯っているはずだけど、入口から覗く室内は暗い。剣を構えて入口に近づいた。シオンとラウリが光魔法を使い光球を室内に投げ込む。大会議室にあったはずの20人が座れる大テーブルや椅子は、木片レベルの残骸になって奥の壁際に積みあげられていた。壁も床も天井までもが樹脂のような硬い物質で覆われている。その壁にも床にも天井にも何百という裏返された人体が貼りつけられ、あるいは蜘蛛糸で吊りさげられていた。あまりの数に照明が埋もれて暗かったのだ。裏返された人体の肉色を透かして、黒い塊が中で蠢いているのが見えた。蜘蛛の子だ。あまりにおぞましい光景。ボクたちは立ち尽くしてしまう。シオンの横の壁に貼りつけられている裏返り人体が、内側から尖った爪に突き破られる。溢れ出る血と肉汁と臓器のかけらとともに、バスケットボール大の子蜘蛛が這い出してきた。女王蜘蛛が消滅しているのに自律的に動けている。よく見ると尻に卵管棘が突き出していた。女王蜘蛛の幼体だった。呪縛にかかったように凍りついて見つめていたシオンがはっと我に返り、小蜘蛛を真っぷたつに斬り捨てる。吊りさげられた肉塊の陰から這い出た小蜘蛛が、ラウリの背に飛びかかった。かすかな音で振り返ったラウリが空中で袈裟に斬ったけど、下腹が勢いのままラウリに当たり卵管棘が脇腹に刺さる。
「ぐぁっ」
血を吐くような絶句の息を吐いてラウリが床に倒れた。部屋中でザワッと気配が蠢く。部屋中の大部分の肉塊がもぞもぞと震え、膨らみ、穴から粘液を漏らし揺れ始めた。
「シオン。撤退だ。ラウリを引っ張り出してくれ。いっせい孵化が始まってる。魔法を使うしかない」
ボクはラウリの腕から魔法シールドを外して自分の腕に着けた。焦ってストラップが捻れたまま締めてしまったけど、そんなこと気にしてる余裕はなかった。シオンがラウリを引っ張ってウンウンいっている傍で手を貸しながら、魔法シールドを装着した腕を差しあげる。ありったけの魔力を流し込んで球状シールドを形成した。かろうじて間に合ったみたいだ。シールド曲面にぼたぼたと幼体が降ってくる。幼体同士でも殺し合いが始まってた。女王蜘蛛候補がいっせいに孵化し、殺し合って勝ち抜いた1匹が新たな女王蜘蛛になるという生態なのだろうか。ラウリを部屋から引っ張り出すと、ポーションで回復したビビが参加してくれた。ノアのいる階段の横まで引きずってくれる。ボクは入口でシールド球を維持し、幼体が部屋から逃げ出さないように封じていた。そうしながら新たな魔法陣を作成する。雷魔法のバリエーションだ。壁や天井に貼りつけられたり吊られたりしている裏返された人たちは、多くがまだ生きている。生きながら小蜘蛛に貪り食われている。最高級のポーションでもこの人達を救うことはできない。生きながら食われ、そのうえボクの魔法によって生きながら焼かれるなんて苦しみを味あわせたくなかった。一瞬で苦しみから開放してあげたい。そのためには火魔法では不十分だ。太陽の表面温度である6000度を作り出しても、人体を一瞬で蒸発させることはできない。表面が炭化しても中まで温度が伝わらない。だから雷を選んだ。建物内部で人工の落雷を起こす。その結果、建物がどうなろうと。ボクは心のなかで手を合わせ、魔法陣を開放した。大会議室の中を光の柱が暴れ狂う。裏返された人体と中の小蜘蛛はすべて弾け飛んだ。木材が燃えあがり火事が起きる。大会議室の扉を閉め、炎と煙を遮断した。ボクはよろけてへたり込む。この世界では落雷を起こすよりブラックホールを作るほうが楽だ。
「ミナト。鼻血。大丈夫?」
シオンが覗き込み、乾かした水葉を数枚渡してくれた。鼻をかんで垂れた血を拭い、水葉のふわふわシート状面を毟って丸めて鼻に詰める。頭痛も目眩も脱力感も売るほどあるけど、ポーションを飲んで抑え込んだ。のんびりしてると脳蜘蛛に逃げられる。ラウリの激痛は毒消しで中和できたけど、すぐに立てる状態ではなかった。幸い幼体だったから卵までは産みつけられず、麻痺毒と激痛物質の注入で済んだ。脇腹をナイフで刺されたような傷はポーションで塞ぐ。ノアは大腿の筋肉が再生したばかりでまともに歩けない。なのでふたりにシオンを付き添わせて建物から出るように伝えた。大会議室を包むように展開したシールドは間もなく自然消滅する。そうしたら一気に炎が回るだろう。ビビがノアから腕装着式魔法シールドを借り受け、ボクとビビだけで奥の図書室兼執務室へ向かった。
「脳蜘蛛は逃さない。魔法使ってくるからシールドを展開して」
ヘトヘトのボロボロで真顔でそういったんだけど、ビビの顔が笑いに歪む。なにか面白いこといったっけ。あ。鼻に綿詰めてたな。鼻に綿詰めた間抜けな死に顔を晒したくないので抜き出して捨てる。幸い鼻血は止まっていた。前面に全身をカバーする直径2メートルの円盤型シールドを展開する。全周を防御できる球状シールドは消費魔力量が3倍なので節約だ。図書館兼執務室の観音扉もバリヤーで封じられていた。人蜘蛛を倒したときに何度か脚と尻のリングを触って、中に封じられた魔法陣を読んでいる。戦闘中だったり潜入中だったりじっくり読む暇がなくて絶対とはいえないんだけど‥‥このバリヤーは戦闘用の防御鎧じゃなく、人蜘蛛にとって耐火服みたいな役割の物みたいだ。扉の左右に分かれて立つ。ついうっかり扉に背中をつけてしまい盛大にひっくり返‥‥りかけてかろうじて踏みとどまれた。ビビが口に拳を当てて肩を震わせている。ほら。緊張してるとなにかと動きが悪くなるし。リラックスが大事だし。
「いくよ」
ビビがうなずく。ボクは魔法シールドの縁を扉に押し当てた。魔法シールドが揺らめき、そして元に戻った。扉を引く。開かない。鍵が掛かっている。
「ビビ。扉斬って」
ボクが身を引く。ビビが身を翻し、青い光の筋を8往復させた。冷気によって内外の気圧差が生じていた。ザク切りにされたドア板が吸い込まれるように床に落ちた瞬間、中からカチカチの氷柱が30本降り注ぐ。ツーちゃんの情報のお陰で慌てずに対処できた。ビビの前に突き出した腕輪から発生したシールドが、ほぼ全部の氷柱を受け止める。シールドが保たずに防壁を抜けた氷柱は2本のみ。2本ともビビが魔力を通さない魔剣で弾き返す。お返ししなくちゃね。こっちは超高熱火球3発。アーク溶接並みの超高温で床にへばりつく脳蜘蛛の脳味噌状胴体の左脳側頭葉部分に大穴を開け、2発目は脳蜘蛛の右足列前から3本をちぎり飛ばした。3発目は脳蜘蛛がかろうじて張った氷盾で軌道を変えられ床の魔法陣の外周円を焼き切る。5千度もあるピンポン玉が床の一部を溶岩に変えた。脳を広範囲に焼かれて死んだかと思った脳蜘蛛は、急にもがいて魔法陣を引っ掻き始める。それで魔法陣が完成したみたいだ。魔法陣が眩く光を発し、床が波打って鏡面になる。脳蜘蛛は残った脚で必死にあがき、巨大な鏡面に身を投げ出す。
「逃がすか!」
ボクが飛びかかり脳蜘蛛の脚をつかんで引き止めた。引っぱっちゃ駄目だった。鏡面に身体の半分以上を沈めた脳蜘蛛は、負の質量的性質を帯びたみたいだった。負の質量って押すと押した側に進み、引くと前に進むんだよね。脳蜘蛛を引っぱったボクは、倍の速さで沈む脳蜘蛛といっしょに鏡面に落ち込んでしまう。虚数の国、複素世界へ落ちていく。あ。こりゃ。死んだわ。
【クラインの壺】
ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/クラインの壺
【トロッコ問題】
教育図書News「トロッコ問題」 ~ 思考実験を活用した公共の授業~
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