27.ありふれた「魔導車」と「霧」と「糸」
サーカスいきたいからヤダ、っていいかけたシオンの胃にボクの肘がめり込む。グエッと前屈みになるシオンをがっしり抱きとめて耳元でビビが高速で囁いた。
「このクエストを無事終わらせたら、サーカスの団長さんに掛けあってシオン専用今期間中全乗り物無料券を発行してもらうわよ。いくわよね!」
ビビもだいぶわかってきたようだ。息ぴったりになってきてる。目をぐりぐり動かしてるシオンの前にジュラが飛んでいき、興味深そうに眺めている。ボクは身体でシオンとビビを隠し、領主たちに向かって特上の笑みを浮かべた。まあね。領主直々の命令とはいえ、いうべきことはいっておかないと命に関わるのでひとこと添えた。
「クエストは受けますけど、ボクたちは冒険者であって軍人とかではありませんので命の危険は極力冒しません。危なくなったら逃げますし、頭ごなしの無茶な命令には従えません。あくまでオブザーバーとして、あるいは協力者として参加することになりますけどそれでもよろしいですか?」
領主は病が改善した喜びをまだ表情に張りつけながら頷いた。
「もちろんだ。君たちを兵士扱いはしない。最上級賓客として扱わせてもらう。それに関してはクザヴィエも心得ている」
後ろに立つ騎士団団長が頷く。
「ならばお引き受けします。ボクたちがどこまで役に立てるかわかりませんけど」
「引き受けてくれるかね。ありがたい。なんといっても君たちはダムディンの折り紙付きだからな。この国でいちばん頼りになるパーティだと耳が痛くなるほど聞かされている」
「あの。ダムディンって、隊長‥‥アチバドラフ隊長のことですか?」
ビビが恐る恐る聞いた。
「そうだな。あやつは妾腹だが歳の離れた私の弟にあたるのだよ。政など性に合わんと下野して母方のアチバドラフを名乗っている。この国で私に上から物がいえる唯一の男だな。クザヴィエが指揮を取るなら絶対に連れていけと捩じ込まれたよ。あやつがそれほどの信頼を寄せるパーティなら早急にこの目で見定めなくてはと思っていたが、まさか妖精を連れてくるとは。じつに面白い」
アチバドラフ隊長が領主の弟だなんて。ゴシップ雑誌に売り込めないかな。なんてボケている場合じゃなく。なるほど、軍隊の遠征に民間のボクらが着いていくことになったのはそういう背景があったわけね。アチバドラフ隊長が僕らを買い被りすぎてる懸念はあるけどなあ。出発は明日の朝、明け方の5時と決まっていた。領主に付き添っていた慈療師が『本当に治ったのか精密検査を』と急かして領主が渋々退出したのを機に、ボクたちも領主城からおいとますることにする。ビビは勤務中だったこともあり警備隊に戻るというので別れた。遠征用にリュックふたつ分のスペースを団長が約束してくれたので宿に行く前に下着だの冬物だのを買い足し、私物のハチミツとか仕入れて宿に向かう。宿で荷造りしているところにビビが訪ねてきた。部屋にあがってもらいお茶をルームサービスに頼む。
「私、予定を前倒しして今日で警備隊を退職させてもらってきた。なので『妖精と牙』に正式参加してもいい?」
ボクがなにかいう前にシオンが飛びついてビビと指を絡ませ『やったねダンス』を踊り始める。飛び跳ねているだけ、ともいうけど。『喜びの舞・第2幕』を踊ろうとしたシオンをいなし、苦笑いしながらビビがシオンとともにソファに座る。ボクはビビに手を差し出した。がっしりと握手する。
「もちろん。大歓迎。じゃあ遠征にもつき合うってことでいいのかな。でも危険かもしれないよ」
「そうね。都市から連絡が途絶えたっていっても、だいたいは街道に大規模な野盗が居座って通行人を害してるって可能性が高いのよね。オーラ・ベノの紛争で根城を奪われた盗賊団が越境してきたのかもしれない。たぶんそんなところだろうとは思うけど、最悪、他国の軍が侵攻してガーディスト・デ・ラ・サノが陥落したのだとしたら‥‥城塞都市を陥落させる規模の侵攻軍に少人数の遠征隊が勝てるわけないんだから、できるだけ情報を集めてベルダ・ステロへ戻り公国の軍を招集して対抗する必要がある。撤退戦になるわね。どう転ぶにしても対人戦になるわ。ミナトたちってダンジョンではズバ抜けて強いけど、人を斬った経験はないでしょ。状況によってはその一瞬の迷いや怯みが命取りになりかねないの。わかるわよね。だから私がいかなくちゃいけないと思うの」
ビビは盗賊を斬り殺した経験がある。何人殺したのかなんて絶対聞けないけど。油断しているところに不意を突かれて斬りかかられ、かろうじて剣を抜いて応戦しようと構えるけど‥‥人を斬って殺したくないから魔剣の魔力を抜こうとしてもたついている間に斬られる。ありそうなシナリオだ。ビビがいればすかさずの応戦ができるから生存確率があがるってことか。そこまで考えてくれたビビには感謝しかない。
「ウチら‥‥そうだね。人は殺せない。ギリギリの状況ならわからないけど。ウチは、できれば人は殺したくないなー。魔剣に魔力通さずぶっ叩くので凌げればいいんだけどねー」
「でね。警備隊を辞めたのは私の安全のためでもあるの。さっきミナトは領主様にさえはっきり『冒険者は命の危険を極力冒さない』っていったでしょ。もし警備隊の身分のままで参加したら、公国の1兵卒として命令ひとつで死ぬとわかってる突撃にだって加わらなくちゃならなくなる。辞めてミナトたちのパーティメンバーとなれば、命の危険がある命令に従う義務はなくなるわ。だから冒険者として参加する方が安全なの」
「そういうことか。ありがとうビビ。でも、お母さんは?」
「冒険者になることはもうとっくにいってあるし、納得してくれてる。危険については理解してくれてると思う。ミナトたちと行動するようになってよく笑うようになったっていってくれてる」
冒険者だったビビの父親がダンジョンで命を落とすというつらい経験をしたビビの母親には、もっといろいろ思うところもあるだろう。けど娘の意思を尊重してくれているようだ。いいお母さんだな。ボクの母親とは大違いだ。
「そうと決まればビビも遠征用のお買い物しなくちゃ。ギルドでパーティの正式登録もー。それが終わった頃にサーカスが開演だから、ざっと見て遊んでご飯食べてここで温泉に浸かって21時に寝れば明日4時起きで7時間眠れる。明日に備えなくっちゃね」
綿密な計画などなく本能の赴くまま行動し時計も見ないシオンには、超精密な体内時計があるのかもしれない。なんだかんだバタバタ走り回りサーカスで夕食を取り温泉に浸かって食休みしたらピッタリ21時だった。ビビが『また明日ね』といって大荷物はボクたちに預けて帰る。帯剣してるし、もし暴漢に襲われたとしても襲った方が後悔するレベルだから夜道でも安心して送り出せる。なんだけど『夜道をひとりで帰るのは寂しいから送ってくよぉ』とジュラが自分から立候補した。単に街をふらふら飛び回りたいだけだろうけどそのへんは大目に見て、帰りは高いところを飛んであまり人目につかないようにしろっていい聞かせジュラを同伴させる。ジュラは単独行動が嬉しいのか空中で踊りながら飛んでいった。布団に潜り込んで2秒で寝落ちしたシオンを横目に、なんとなく寝付けなくてテラス窓際の椅子に座って夜空を見あげる。やや太った上弦の月を流れの速い叢雲が覆い隠そうとしていた。
「どしたぁ。ミナト眠れないのかぁ?」
ジュラが中庭から窓ガラスをすり抜けてテーブルに着地した。
「おかえり。あ。うん。月に叢雲、花に風。‥‥とかの言葉が思い浮かんじゃってね」
「んー。それってぇ、いいことには邪魔が入りやすくぅ、なかなか思うようにはいかないって意味だなぁ。なんか不安なのかミナトはぁ?」
よくそんな意味まで知っているなと思いかけて、ボクの知識ベースを使ってるんだから当たり前だと思い直す。
「不安。そうだね。ボクもシオンもまだ転生して1ヶ月半なんだよな。あれよあれよって間になんかいろいろ巻き込まれて。命からがらこなしてるうちに買い被られるっていうか名が知られちゃって、命がけのクエストばかり。せっかく授かった第2の生なんだからもっと地味にもっと無難に命大事に長生きしようって思ってたのに、自分だけじゃなく仲間の命まで危なくしてる。いまは順調に見えるけどいつか影が差すんじゃないかって漠然と怖いんだ。仲間が、シオンやビビやノアやラウリが、ボクのせいで命を落としたら‥‥。ボクはボクを許せるんだろうか。なんて考える」
「そっかぁ。ミナトもいろいろたいへんなんだねぇ。オッケェー。じゃあさぁ、ジュラちゃんがミナトを守るついでに他の仲間もできるだけ守るよぉ。任せなさいぃ」
誰かに守ってもらう。ボクがいちばん欲している言葉だったと思う。
「はは。心強いな。ありがとう。じゃあジュラのおかげでちょっと安心できたし、寝ようかな。そういえば、ジュラって眠るのか?」
「んー。ジュラちゃんの事象の地平面に刻みつけた情報の最適化とかぁ、この身体の構成要素の補修とかぁ、いろいろあるからミナトたちのいう睡眠とは違うけど休止時間はあるよぉ。んー。『瞑想』っていうのに近いかなぁ」
「そっか。じゃあ寝ようか」
「ふわーぃ。おやすみなさいぃー」
夢も見ずにぐっすり眠れた。朝になり、ギルド前で待ち合わせして警備隊から慣れ親しんだ二角馬を借り出す。ボクがいつも乗っている二角馬グラニがジュラを見て驚かないよう初対面には気を使った。騎乗して騎士団庁舎に出向いてかなりびっくり。庁舎裏の練兵場みたいな広場に総勢56名の騎士団員とその騎乗する装甲二角馬が小隊ごとに並んでいる。ボクたち5人プラス妖精1匹はその横に並んだ。向かって練兵場の奥に糧食貨車3台とそれを引く二角馬6頭が並び、貨車の前に炊事兵だと後で教えられた4人が立っていた。そしてひときわ目を引いたのが演台の奥に鎮座する魔導自走装甲指揮車。アメリカのコンボイトラック並みの鋼鉄の箱。14本の巨大タイヤが車体からはみ出し、はみ出した部分も装甲が覆っている。全身プレートアーマーの騎士団員と質感が同じ。装甲ピカピカ感があった。魔導自走装甲指揮車の前に立つのは遠征隊司令官のグザヴィエ・ボワヴァン騎士団団長、その横に副司令官。そして白に金刺繍の教会関係者とひと目でわかる女性がふたり。従軍慈療師なんだろう。それにしてもこの世界に車があるとは思ってもみなかった。街中で食用油は売っているけどライターオイルのようなものもガソリンも売ってないし匂いを感じたこともない。この星かこの大陸かこの地方かはわからないけど原油が出ないんじゃないだろうか。転生が始まって20年、自動車の開発者だった人は何万人と転生してきているはず。知識さえあれば実現するには十分な時間があったはずだけど、いまだに自動車や汽車を見ないのは何かがこの世界で足りないということだろう。おそらくその不足は燃料なのだ。ちょうど横に来てたノアに聞いてみる。
「車って初めて見た。転生始まって20年経ってるんだからもっと走っててもよさそうなもんなのに。なんで見ないのかな?」
「首都とかだともっと見るけど、こっちの世界には石油や石炭が産業ベースに乗るほど産出しないって聞いた。確か第2次世界大戦中とか薪や木炭を燃やして走る自動車もあったらしいけどこっちの世界には魔石があるからね。あの指揮車も魔石動力だろう」
「なるほどねえ。電気が使い物にならないだけじゃなく燃料もか。この世界を中世から近世文明状態に留めようとする圧力を感じるな。この世界の成り立ちが中世世界をベースにしたRPGゲームだからかな」
そんなことをいっているうちに団長の状況説明と鼓舞のスピーチが始まり、最後に副隊長の騎乗と進行の号令がかかる。班単位で移動が始る中、ボクたちは指揮車前へ招かれた。
「『妖精と牙』のみなさんは指揮車に並走してください。途中戦闘が起こった場合みなさんはご自身の考えで行動されて構いません。なにか疑問やアドバイスがあれば私か副官のこのテシエ少佐に遠慮なくお伝えください」
クロエ・テシエ少佐。金髪で中肉中背の女性騎士。それほどマッチョではないけど全身プレートアーマーだからゴツく見える。頬のこけ方から体脂肪を絞り切ったアスリート体型なのだろう。歳の頃は30歳前後か。名乗り合ったときもまったくの無表情で、その目の奥に『なんだこの小娘たちは』という胡散臭さの不信感が透けて見えた。その気持ちは痛いほどわかる。妖精まで飛び回ってる小娘集団が胡散臭くないはずがない、って二重否定になるくらい胡散臭いだろう。指揮車の中に小さなラウンジと仮眠室があり自由に使っていいといわれたけど、特別扱いはなにかと面倒の種になりかねないので謹んで辞退する。ベルダ・ステロからガーディスト・デ・ラ・サノへは約80km。二角馬の常歩は時速6km。13時間ちょっと歩き続ければ到着する計算だけど人も馬も食事や休憩が必要になるため2日がかりになる。行軍中、ジュラは嬉々として隊員ひとりひとりに初めましての挨拶をして回っていた。ベルダ・ステロ周辺の田園地帯を抜けると丘陵地帯になり村の点在する牧草地が続いて森に入る。森では警戒のため進軍速度が落ちるため1日目は途中1時間の休憩を挟んで7時間、だいたい36km進んだところで野営地設営となった。超絶マッチョマン&マッチョウーマンが一斉に設営にかかると、なにもなかった草地にあっという間に防御陣地と野営キャンプができあがる。専属の炊事兵が作る料理は味もボリュームも大満足。ボクたちはあげ膳据え膳のお客さん扱いでなにひとつさせてもらえない。鎮座した自走装甲指揮車のすぐそばにボクたち用のテントがふたつが割り当てられた。ノアとラウリに団員の2人が同行してくれて、近くの川から布バケツ4つ分の水を汲んできてもらえる。おかげでボクたちはたっぷりの水で髪を洗い身体を拭き清めることができた。夕食後はテント前の焚き火のまわりでおしゃべり。夜が深まるにつれシオンはラウリに接近して日本でのラウリの旅行話を聞き出して頬を赤らめているし、ビビはノアに相対してロサンゼルスのレスキュー話を聞いて目を輝かせていた。ボクはといえばジュラと量子力学話。ジュラが保持している事象の地平面がどこにどんな状態で存在してるのかという話を地面に式まで書いて論じてた。
空は分厚い濁雲に覆われ、暗い朝になった。陽が昇っても暗い中、団員は遅滞なく野営地を撤収していく。防衛陣地も野営設備も軍団が野営したという痕跡すら綺麗に消えた。行程は約半分。ここから先は丘陵地帯に入り道が曲がりくねって視界が取れなくなるため、偵察部隊を先行させる。警戒モードが1段引きあげられ、進軍速度を人の歩く速さに落として警戒を怠らずに進む。ここまでのところ襲撃や戦闘の痕跡などは見つかってない。6時間かけて丘陵地帯を抜けた。種まきが終わったクルーダ麦の畑が広がる畑地地帯に出る。先発偵察部隊が農家の住民を探していたけど、家は何軒かあれど住人は見つかっていなかった。農閑期でもありガーディスト・デ・ラ・サノでも豊穣祭が執りおこなわれているので総出で街にいっているのかもしれない。人気がないだけで異常なものはなにひとつ見つからない。さらに平野を1時間半進んだ頃、正午過ぎ、そろそろ昼食休憩の頃合いに先行部隊から緊急の伝令が戻った。
「前方に濃霧」
報告のために駆け戻った騎馬兵が自走装甲指揮車の前で反転し、並走しながら報告する声がボクたちのところまで聞こえた。
「霧ぃ?」
ボクの頭の周りをぶんぶん飛び回っていたジュラが首を捻る。
「それほど湿気も感じないし、温度も急変化してないのに霧か」
ラウリが呟く。
「音信不通の街と、そこへの道を覆い隠す霧ってなんか偶然じゃないよね」
ビビが馬上で立ちあがり遠い先を見はるかす。
「煙じゃないよね?」
シオンが口をもぐもぐさせながらいう。遠征におこづかいでオヤツ持参してるし。遠足と遠征間違えてるなこいつ。
「煙なら臭いですぐわかるだろ。偵察のプロを舐めるなって怒られても知らないぞ」
「ホラー映画とかホラーRPGゲームによくあるシチュエーションだな」
ノアが真面目な顔でいう。AI生成映画じゃない旧世代映画ファンのボクとして真っ先に思い浮かぶのはスティーブン・キング原作で結末が改変されて後味最悪映画になってしまった『ミスト』。軍の研究施設での研究が暴走して異次元と繋がってしまい、現実世界に溢れ出す異次元空間と霧と異次元の生物に次々と人々が殺されていくって映画だった。ジョン・カーペンター監督の『ザ・フォッグ』って映画もあった。街を覆い隠す霧の中から100年前の海賊の亡霊が現れて街に復讐していくって話。他に印象に残っているのは同名のRPGゲームを映画化した『サイレントヒル』ってのもあったな。異形の存在がうろつき霧や雪の静謐に沈む白基調の表世界と血と内臓と錆が支配する赤黒の裏世界が交錯しながら現れ主人公を惑わしていくって話。そんなことを考えているうちにも遠征軍は進み霧の壁のそばに達した。霧は本隊先頭の騎馬小隊の直前でゆるーく渦巻いている。境界線みたいにすっぱり分かれているわけじゃないけど、たゆとう霧の渦はいまの範囲を超えてこっちに溢れ出てこない。なーんとなく頭の側頭部がムズムズする感じ。嫌な違和感がある。
「なんか‥‥嫌な感じがする。偵察部隊は中に入ったのか。ジュラ。この霧の壁、なんかの力が働いてないか?」
こめかみを揉みながらボクが聞くとジュラが霧の壁前まで飛んでいきクンクン匂いを嗅ぐような仕草をした。
「うーん。かすかにぃ。気がつくか気がつかないかくらいかすかにぃ、重力波の香りがするぅ。でもぉ。なんの残滓なのかよくわからないよぉ」
「ボワヴァン団長。ちょっとだけ止まってもらって調べさせてもらってもいいですか。それと先行してる偵察部隊にいったん引き返してもらうよう伝令出してもらっていいでしょうか」
窓シャッターをあげてあった指揮車窓からボワヴァン団長が顔を出し頷くと後ろに向かって全軍停止命令を出してくれた。まだ並走していた偵察隊からの伝令に偵察隊の引きあげを伝えるよう命じ、伝令は霧の中へ駆け出していく。畦道みたいな細い分岐はいくつもあるけど本道は1本道だから道から外れないように進めば先行した偵察隊に行き着けるはず。
「ビビとラウリも感覚値高かったよね。手伝ってくれない。意見聞かせて」
そういいながらボクは二角馬を降りた。ビビとラウリも二角馬を降りて横に並ぶ。
「ボクたちの中で感覚値がいちばん高いのがビビで、次いでラウリだからいっしょに霧の中に入って怪しい成分が含まれてないかテイスティングして欲しいんだ」
「テイスティング?」
「この霧が人工的なものだったら毒や幻覚作用を及ぼす粒子が含まれてる可能性ある。ビビの微小臭跡感知や臭成分分析、味覚分析や毒感知は39もあるから人間ガスクロマトグラフィー並みの分析能力が発揮できるはずなんだ。毒感知は味覚のステータスにあるから霧を吸って口腔で転がせば毒の判別もつくと思う」
ボクの臭覚と味覚のステータスは32、ラウリは36だ。この3人が揃って分析できないものはないと思う。3人で霧の中へ踏み込み、何度か匂いを嗅ぎ空気を舐める。
「なにも感じないわ。ちょっと重い霧ってだけ」
「同じく。異常はないな」
「ボクも‥‥同じ意見だ」
霧の中で薄ぼんやりとなったふたりに応える。しかし濃い霧だ。4mほど離れたビビは濃度50%くらいに白薄くなって見えてるけど、倍の8m離れたラウリは輪郭くらいしかわからない。道の奥から蹄の音がして偵察隊のシルエットが浮かんできた。ボワヴァン団長に進言し、霧の境界から少し離れた場所で警戒待機し交代で休息と食事を取るようにした。霧はいっこうに晴れる様子がなく、雨にはならなそうだけど曇天が続きそうな空模様。ただの霧なんだけどどうも素直に安心できない。連絡の途絶えた街とその街を覆い隠す霧。ダテにホラー映画パニック映画を見てきたわけじゃない。ガーディスト・デ・ラ・サノの城塞までまだ10kmはある。前世の東京でいえば東京駅から葛西臨海公園駅、反対側なら明大前駅のちょっと手前くらいな距離だ。食事中もこれといって危険な兆候はなかった。念の為に地面へ耳を着けて伝播音を聞いてみたけど、霧の中から盗賊団が突進してくることもなく、ましてや他国の侵略軍が進軍してくる気配もない。
クロエ・テシエ副団長の号令で隊が8班に分けられ、先行索敵偵察部隊として1班、指揮車の前に前衛として2班と3班。指揮車が続き、右サイドにボクたち5人と1妖精。左サイドに4班。糧食貨車が3台縦列で続きその両脇に5班と6班。最後尾に後衛として7班と8班が守る。そんな陣形で再進軍が開始された。先行部隊が霧に呑み込まれる。前衛が道路状態まで確認して指揮車に伝える。歩くスピード時速4km程度で装甲指揮車が霧の中に入っていく。それにつれてボクたちも霧に包まれた。
「うわー。こんな霧初めてだー。画面に牛乳噴いたときみたいよー」
見えるのは20メートルくらい先までか。薄暗さと白くボケた風景に遠近感が狂って、ところどころにある灌木や立木が人影みたいに見える。霧がなければのどかな田園の風景だろう。あまりの霧の濃さに誰ひとり話す者がいない。装甲指揮車は巨大だけど基本静かだ。爆発的燃焼で動く内燃機関と違い、魔石の魔力エネルギーを直接回転運動に変える魔法陣機関だから原則音がしない。じゃりじゃりと道の小石をタイヤが踏む音だけが聞こえる。それよりも大きな音はボクたちが騎乗する61頭と糧食貨車を引く6頭、あわせて67頭の二角馬の蹄が路面を抉る音だ。そして騎士と騎士の騎乗する装甲二角馬が身に着けているプレートメイルのカシャカシャした擦過音。これから攻めていきますよって笛太鼓で喧伝しながら進むみたいなもので、待ち伏せにもってこいだろう。前から速歩で近づく蹄の音が聞こえる。指揮車に近づき報告する声が聞こえる。
「前方500mに集落発見。家屋が10棟。家畜小屋が3棟。屋内外を検索しましたがすべて無人。家畜も見当たりません。ただ1部の家屋で争ったような形跡あり。血痕などの痕跡は見つからず」
ボワヴァン団長が窓から身を乗り出して応答する。
「了解した。偵察隊はさらに前進。全員、慎重に進め」
伝令が偵察隊へ戻っていく。装甲指揮車のスピードがさらにゆっくりになる。
「ミナト。俺たちは馬上戦闘に慣れてない。降りて歩こう」
ノアがいう。ノアのいうとおりだ。特にボクやシオンは高速機動戦闘が強み。馬上じゃ機敏に走れない。『妖精と牙』のメンバーは全員馬を降りた。1分。5分。15分が過ぎる。ジリジリした時間。いますぐ抜剣してブンブン振り回したくなるようなもどかしさ。持続的な緊張を押し殺すのがいちばん精神力を削ぐ。霧の向こう右手に簡易柵がフワッと浮きあがった。前衛の班長が報告の声を飛ばしてくる。
「前方。2時方向。集落」
「再検索はおこなわない。不審な動きがなければ構わず進め」
集落からの音や振動はない。霧の中に黒く沈む家屋が後ろへ流れていく。やがて集落の影は後ろの霧の中に消えた。さらに25分。再び前方から蹄の音。現れた伝令は別の集落の発見を告げた。
「前方1km地点。分岐した小道の奥に集落。家屋6棟。家畜小屋2棟。これも検索して無人。家畜も見当たらず」
団長が了解して伝令が戻っていく。それから15分。集落へ続く道の分岐を通り過ぎた。あいかわらず霧は深く風はなく雲は重く、遠征隊以外の音もない。さらに精神が蝕まれるような緊張の1時間が過ぎ、霧のまっただ中で40分の小休止が設けられた。交代で休憩と排泄を済ませる。先に休憩を済ませた2班が速歩で進んでいき偵察隊が2班に交代となって1班が戻ってくる。その時点で霧に入ってから2時間35分が経過していた。普通に歩いてればガーディスト・デ・ラ・サノ城塞に到着してるだろう時間だけど、進軍スピードは抑えられていたから現在は城塞まで残り2kmほどの地点だろう。先行した偵察部隊は城塞の城門に到着してるかもしれない。偵察任務から戻った1班が休憩を取り終えるのを待って進軍が再開され、また亀の歩みのような30分が経った。団員の緊張が高まっているのがヒリヒリわかる。誰も声を出さないし、二角馬の蹄の音もこころなしか忍び足っぽくなっていた。騎士たちの緊張をおもしろがっていたジュラも緊張が伝染ったのか、ボクの肩に座り込んでおとなしく揺れている。空気に混じった水の匂いを感じたのと全軍停止の命令が発せられたのが同時だった。休憩にしては早い。
「第1班。先行隊からの定時連絡がこない。指揮車から30m先を進んで索敵。全軍警戒態勢。4、5、6班は下馬して抜刀。近接戦闘に備えろ」
30分に1度伝令を走らせて本隊に戻し、異常のあるなしを報告する決まりだったらしい。ガシャガシャとひとしきり装甲が鳴らす音が響く。次いでシュリンっとロングソードを抜き出す音が重なる。
「全軍、警戒前進!」
号令がかかり隊列が動き出した。空気が帯電してるかのような緊張感。よくアドレナリンの匂いとかいわれているけど、実際はストレス臭といわれるジメチルトリスルフィドとアリルメルカプタンの臭いだな。それが前からのゆるい風に乗って運ばれてくる瑞々しい水の匂いに吹き払われる。進むにつれ水の流れる音も聞こえてきた。ガーディスト・デ・ラ・サノ城塞都市の概略図は出発前に見せてもらっていたので、2本の川に挟まれた広大な土地の丘を利用して作られた戦闘拠点型の城塞都市だとわかってた。小高い丘の頂きを平らに削って城を構え、その城丘を北端として南側に大規模な楕円形の周壁を巡らせ城塞都市としている。南を流れる川をまたいでさらに南側に『副市』と呼ばれる『本市』の半分ほどの市街があり、こちらもがっしりした周壁で囲われている。周壁の外側には川から引いた水による深い堀があり、本市へ続く道はすべて堀に渡された跳ねあげ橋によって有事の際は籠城できるようになっていた。ベルダ・ステロは城塞都市ではあるものの領主の居城がある領都としての成り立ちで交易都市の趣が強く、市街の作りからして戦闘向きではない。ガーディスト・デ・ラ・サノは南の列強国に対峙するための防衛拠点として設計されていた。城下の市街地は、侵入した敵を長く歩かせ長時間迎撃に曝せるよう細く曲がりくねった道が多用されていたり、外堀だけでなく内堀まで設けられている。城のある丘には丘をぐるっと回り込まないと城へ達しない長い坂道が設けられ、坂道の壁には多数の狭間が設けられて登ってくる軍勢に弓や槍で攻撃できるようになっていた。ボクたちは北から街道を降りてきているから、本市北側周壁を90度回り込んで東側周壁の中程まで外堀代わりに流れるランゴ・デ・サーペント川に架けられた東門橋から入城することになる。ちなみにランゴ・デ・サーペントは『蛇の舌』って意味だ。南を流れる川はデンテゴ・デ・サーペント。『蛇の牙』っていう意味。
有事において敵の攻撃の矢面に立つと想定される南の副市は堅牢な鉄門と高い周壁と深く幅広い堀と巨大な跳ね橋によって厳重に守られていたけど、南から東門橋へ到達するためには2本の川を渡河しなくてはならず侵攻可能性が低いため道は幅広く舗装もされて通りやすかった。天気さえよければ気楽な進軍コースなんだけど、なんといってもこの濃霧。隊列の維持さえ難しい。ボクたちは厳重警戒態勢で進んでいった。先行しているはずの偵察隊と出会うことはなく、やがて霧の中から右手に黒く沈む2階建てのずんぐりした建物が浮びあがる。道は建物から少し先で左へ、東方向へ折れて川沿いを続いていく。霧の中から浮びあがった建物は東門橋の両端に設けられた城壁棟の外棟だった。
「全軍停止。全周警戒」
城壁棟の前はこじんまりと広場になっていて、ボクたちはそこでいったん停止する。広場の周囲には民家が建ち街路樹の数本が霧に霞んで見えていたけど、やっぱり目を引くのは目の前の東門橋外棟だった。建物の上が鋸壁構造になっている。鋸壁とはお城の壁の上によく見る歯抜けみたいにでこぼこした構造で、橋を目指して群がる敵軍に対してメルロンと呼ばれる小壁体に身を隠しながら、クレノーと呼ばれる隙間から弓を射かけるための造作だ。外棟の門扉は奥側に開け放たれ横壁に嵌まり込んでいる。アーチ型の入口は扉ではなく木製の落とし格子で塞がれていた。格子の外側、ボクたちから見て手前側にたくさんの土嚢が積みあげられ、ボクの頭あたりまで塞がっている。
「1班。周囲を検索しろ。偵察隊の痕跡をさぐれ」
下馬しふたりひと組になった1班の騎士が3チーム、周囲の霧に消えていく。
「ねえ、ミナト。あの門の格子、上が歪んでない?」
するっと横にきたシオンが声を潜めていう。
「そうだね。格子を吊りあげているはずの滑車や重りが落ちて、格子の上部を壊して脱レールさせちゃってるみたいだね」
指揮車からボワヴァン団長が降りてきて命じる。
「3班。城門を調べろ」
「団長さん。ボクもちょっと見てきますね」
そう断って手綱をノアに持ってもらい、3班の騎士たちに混じって門を見にいった。ボクがいけばジュラもいっしょに飛んでくるのはわかるけど、シオンまでくっついてくるのはなんでだ。
「なんでついてくるんだよ?」
「んー。だってミナトひとりじゃ危なっかしいでしょ」
そっくりそのまま言葉をお返ししたかったけど、城門前に着いてしまった。うーん。外側に土嚢を積むって洪水とかで川が氾濫しそうなときとかだけど、雪解け水で増水する春先や嵐の発生する夏と違い、水は静かに流れてるし水位も低く氾濫する気配はない。敵が攻めてきたんなら門の扉を締めて内側に積んだほうが効果的だと思うけど。爪先立って土嚢の上から格子の隙間を通して覗くと、霧に霞んではいたけど門扉は動かされた様子もなく横壁に嵌まり込んでいるし東門へ続く跳ね橋が降りているのが見えた。土嚢によじ登って落とし格子を調べていた班長が降りてきて団長へ報告にいったのでボクたちも戻った。
「報告します。落とし格子は上部の角が折れてガイドレールから半分ほど外れています。重りはおろか滑車まで落ちているのが見えましたので復旧には何日もかかりそうです。半分埋まるほどの土嚢を取り除くのも時間がかかりますし、迂回するしかないように思います」
「そうか。厄介だな。迂回するとしたら東に10km先と15km先の橋をふたつ渡って副市の正門から入るか‥‥周壁を東へ大きく迂回して支流を何本も渡り西門から入るしかない。途中のどこかの橋が防御のために落とされてたらそこでまた足止めを食らうことになるな。2班も、探しに出た1班もいまだに戻らないし判断が難しい」
「団長。騎馬の音です」
戻ってきたのは2班を探しにいった1班のメンバーだった。二角馬を1頭引き連れている。
「2班の消息いまだ不明。ただ先の川沿いで2班のビゴ曹長の騎馬を発見。それ以外の2班の人員、騎馬は発見できていません。ビゴ曹長の騎馬は怯えている様子で落ち着きなくうろついていましたが、それ以外に目立って異常な形跡はありませんでした」
1班のバイイ班長が報告した。
「そうか。‥‥川沿いなら2班を捜索しつつ南門へ向かうのがいいということか」
ボワヴァン団長は迷っている様子だった。かなりな迂回になるし、隠れることもできない平野部で全軍が未知の脅威に曝され続けることになる。なのでボクから提案してみることにした。
「あのー。もし公国の財産を破壊しても怒られないようなら、あの壊れた落とし格子を魔法で撤去できますけど‥‥」
「なに。魔法で爆破しようとでも?」
「いえ。爆破なんかしたら奥の橋まで吹き飛びかねません。火魔法で燃やしたら格子が燃え落ちる頃には火事が制御不能なくらい燃え盛ってしまいそうですし、魔剣で切り刻む方法だと接近しないと斬れませんから破片や落下物で怪我する危険があります。もうちょっと効率的に水で格子を切り刻みます」
「なんだと。水といったか。水で斬るとはどういう意味だ」
「ウォータージェットって方法で、水に圧力をかけてもの凄い勢いで小さな小さな穴から噴出させると魔剣並みの斬れ味になるんです。ただ、ある程度しか制御できないので斬り落とした格子の木材を後で再利用するのは難しいと思います。なので破壊ってことになるんですけど‥‥」
「そんな魔法があるのか。初めて聞いたよ。それが可能ならとりあえず隊を城塞内に入れることができる。こんな遮蔽物もない拓けた場所にいるより安全だろう。公国の財産だなどと気にする必要はない。是非お願いしよう」
「あの。手前の土嚢の袋も斬れちゃいますから、中の土がこぼれて汚れちゃいます。できるだけ洗い流しますけど騎士団のみなさんが手を貸してもらえたらこの指揮車が通れるようになるまでの時間短縮になると思うんですけど‥‥可能でしょうか?」
「破片や土嚢の残骸の片付けは任せてくれ」
あとから公国の財産破壊で請求書が届くこともないみたいなので、ボクは全員に指揮車より後ろへさがってもらい門の前に進み出た。格子までの距離は10mほどだろうか。水流が下向きに飛ぶと橋を斬り落としちゃう恐れがあるし左右にぶれると扉を傷つける可能性があるので、弾となる水球の位置を低めに取り呪文を唱える。
「生命の源。万物の始原。流れたゆとう雫。覆い包み浮かべる青。集い満ちよ」
どぷんっ。ボクの膝横の空中にボーリングボールほどの水球が現れる。5000mlくらいか。同時にボクを中心として半径15mの霧がごそっと消えた。霧の水分だけだと砲丸投げの砲丸くらいの量にしかならないんだけど、半径15mには堀に流れる川の水が引っかかる。なのでウォータージェットの水補給の心配がない。圧縮魔法を応用して水球を包む。呪文の前段が『隔絶』にあたるイメージワードだ。
「繋がりの力。握り包む暗黒の渦」
抽出した水分の周囲に外と隔絶する球面が形成された。その球面に極小の穴を開けておく。
「開け点刻。穿つ極微の刺針」
表面に0.05mmの極微穴が開く。ツルツル移動しようとする穴の位置を精神力で固定しなくちゃいけない。脳みそをギュッと絞って押さえ込む。そして圧縮。
「点への回帰。特異への歪み。内破する崩壊。狂える重力の収斂。玉響たまゆらの凝縮の果てに」
シッっと音にならない切り裂き音。狙い通りの位置に水流が飛んだ。そこから垂直に斬りおろす。これを横にずらしつつ6回繰り返し、続いて横斬りに移る。横斬りは7回。そのうち最後の3回は土嚢ごとだ。落とし格子は斬れているはずだけど、格子自体の重みもあって崩れない。しかたないので堀の水を使って圧縮しない巨大水玉を作った。
「生命の源。万物の始原。流れたゆとう雫。覆い包み浮かべる青。集い満ちよ。集い満ちよ。集い満ちよ」
直径1mの水玉が生じると同時にボクのまわり半径20mの霧が消失した。それを格子にぶつける。ガラゴロドスンと斬り分けられた格子の塊が転がり落ち破れた土嚢の袋から水に浸かって泥になった土が流れ出た。1発だと端の一部しか崩せない。水平垂直にきっちり斬ったのが失敗だったかも。もう1発水玉を作ろうとしたとき耳元でウキウキ声が響いた。
「ミナトォ。なにそれぇ。おもしろいじゃん。水玉ぁ。どーやるのぉ。魔法陣読ませてぇ」
「ボクの記憶あるんならわかるだろ?」
「ミナトが怒るからぁ、深めの記憶は全部封印したんだよぉ」
「あ、そうなの。そりゃ嬉しいな。えーとね。複合魔法を3つも重ねて魔法陣を厳密に描こうとしたら3次方程式になるから、イメージ魔法で作ってるんだよ」
「イメージィ。じゃあ、実際に見ないとわからないぞぉ。ちょっとだけミナトの頭覗かせてよぉ」
「おい。それはやらない約束だろ」
「そうだけどさぁ。ちょっとだけだよぉ。魔法イメージの部分だけちょびっとぉ見るだけだからぁ。ミナトをお手伝いしたいんだよぉ」
「嘘つけ。遊びたいだけだろ。まあいいや。魔法イメージのとこだけだぞ」
「やったねぇ。サンキュゥ!」
脳がさわっと撫でられた感じ。
「よしぃ。わかったぞぉ。うーん。ういー。えいやぁ」
ボクからしたら雪玉みたいなサイズだけどジュラにしたら車1台分にも思えるだろう水玉が格子に飛ぶ。やらせてはみたけど小さ過ぎて効果ないだろうと思ったら‥‥バッカーンと大きな音がして、斬り分けた格子の上3分の1がガラガラと噴き飛ぶ。
「圧縮したのか。奥にある橋とか横の壁に嵌ってる扉とか傷つけちゃダメだぞ」
「だいじょぶぅ。計算済みだよぉ。でいやぁっ。きゃはははぁ。おもしろいぃ」
ほんとうに完璧に破裂範囲を計算したのか、単なるまぐれか。ジュラの5発で落とし格子は完全に崩され、土嚢からこぼれた泥水さえ門前から洗い流された。3班のメンバーが格子の断片を門横に片付けるためボクとジュラの横を抜けていく。ジュラの水魔法の材料にされて周囲の霧もごっそり消えていた。
霧はなくなってもぶ厚い雲で暗いのは変わらない。3班のメンバーが手などを怪我しないよう、光球を飛ばすことにした。LED電球並みの光球を3発飛ばす。門前が晴天みたいに明るくなった。
「あれ‥‥なんだろう?」
ビビの声がした。
振り返ってビビを見ると上を向いてた。なのでその視線をたどってボクも上を向く。ジュラによって球状に切り取られた霧は、じわじわと渦巻いて穴を埋めようとしていた。その空間の天頂近く、水平にピンと張った1本の白いロープらしきものが見える。ボクの放った光球の光を反射してギラギラ光ってた。洗濯物干しのロープかなにかかな。いやいや。城塞の門外にそれはないだろう。なんだろう。城門棟の屋上より20m以上高い位置だ。城塞内の高い尖塔の突端から平野部の巨木の樹上にでも結ばれたロープかな。見ているうちにも霧がモヤモヤとロープを包み込んだ。なんだろなーとあまり緊張感なく眺めているうちに、ロープは再び霧に没した。
「残骸撤去完了しました」
3班の班長から報告の声。
「よし。指揮車前進する。1班。先行。3、4班前衛。続いて冒険者の皆さん。それに続いて装甲指揮車が渡る。後衛として5、6、7、8班の並びで橋を渡る」
1班が二角馬を引いて橋を渡っていく。「異常なし」の報告が霧の向こうから届いた。橋や渡河した城塞側の城門棟の扉は開かれ城塞内に入ったところの小広場にも異常はない。異常はないけど人影もない。3、4班が橋を渡りボクたちが橋に脚をかけたとき、後ろの霧の中から不可解な音が聞こえた。「うっ」っという押し詰められた息。カチャカチャと‥‥なんだろう。猫がフローリングを走って立てる爪音みたいな連続音。そして怯えた二角馬があげるいななき。ジュラが開けた霧の穴はまわりから押し寄せる霧で埋まりつつあったけど、まだ完全に白濁はしていなかった。なので振り向いたボクの目に一瞬だけ、巨大な薄昏い影がすっと登っていく残像のような動きが見えた。
「ルーセル?」
「おい。ルーセルはどうした?」
「落馬していないか?」
「よく捜せ!」
後ろから慌てた声が聞こえてくる。ルーセル士長の姿が見えなくなったようだ。
「どうした。なにがあった!」
ボワヴァン団長が指揮車の窓から身を乗り出して後ろへ報告を求める。
「ルーセル士長が突然消えました。馬は残っています。騎乗していたルーセル士長だけが一瞬で消えました」
やり取りをぼんやり聞いていたボクの背中がどやしつけられる。
「ミナト。なにぼんやりしてるのよ。これは敵襲よ」
ビビの声で我に返る。イメージ魔法は省エネとはいい難い。イメージを明瞭にするために半端ない集中が必要なので反動でボーっとしちゃってたようだ。
「団長さん。これは敵襲です。上からきます。下馬して上に注意して!」
ビビが警戒を呼びかけてくれた。上は渦巻くミルクみたいに濃厚な霧だ。
「上なんて、なんにも見えないよー」
シオンがシッシと手で霧を払っている。そんなんでどうにかなるとは思えないぞシオン。
「ジュラ。精神力残ってるか。霧を消すぞ。頭の上中心にとにかく消しまくれ」
「わかったぁ。でもぉ。このくっさい臭いぃ。ジュラちゃん知ってるだよぉ。ういー。えいやぁ」
バホっと上空の霧が抉られた。
「臭いなんか感じないけど。知ってるって?」
「あいつら特有の振動の臭いだからぁ、人間には感じないかもぉ。昔過ぎてぇ。臭い嗅ぐまで忘れてたくらいだけどぉ。ういー。えいやぁ」
バフォっと霧が消える。ボクも霧を押し固めて水球を作る。さっき見た白い糸がボクたちの頭上に何本も走っていた。ジュラが3回目に霧を抉り消したときそいつが見えた。人間よりひと回り大きな蜘蛛だった。頭上の糸を足場にしてぶらさがっている。そいつは白い糸でぐるぐる巻きにされた騎士のひとりを抱えて城塞へ戻ろうとしていた。
「なんだあれは?」
ラウリの声。
「あいつらぁ、ミナトたちの言葉でいうぅ、複素平面の蜘蛛族だよぉ」
複素平面ってなんだ。もしかして虚数か?




