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25.ありふれた「不法侵入」と「脳なし」と「9次元」


15時に『断剣』メンバーと『妖精と牙』メンバーが集合して軽食で軽く腹を満たし16時からの開場に備える。ビビは警備隊に入隊する前は地元の友人たちと毎年1度はきていたようだけど、警備隊に入ってからはシフトがまちまちで友人たちと休日を合わせるのが難しくこの3年ほどこれなかったという。かなり楽しみな様子でちょっとうわずってる。今晩計画してる不法探索行に関しては、ボクたちのパーティへ派遣中とはいえビビはまだ現職の警備隊員であるわけで、立場を複雑にさせちゃ悪いので内緒にした。ノアとラウリにはざっと話したらいっしょにいくといわれたけど、大人数でゾロゾロ忍び込むのはちょっとなんなんで待機してもらうことにした。サーカスのショーの終演時間は21時。アトラクションや屋台テントの営業終了が22時。東門の閉門時間はサーカスの閉場時間に合わせて延長されているものの22時半なので、それ以降は原則城内に戻れなくなる。冒険者は特別扱いで閉門後も出入りできるものの、お金がかかるし理由も聞かれるし衛兵さんに顔も見られるし記録にも残っちゃう。やっぱ不法侵入しようっていうんだから後ろめたさがあって、できるだけ記録や記憶には残したくないんだよね。なにかあったときにわざわざ城内まで戻ってノアたちに手を貸してもらうよう頼んでる猶予などないだろうし、普通に宿で寝ててくれていいといったんだけどね。ノアもラウリもそれじゃ心配で眠れないとかいって東門に近いボクたちの定宿『ゆのか』に部屋を取ろうとしたところ、豊穣祭とサーカスで宿は満室。1ヶ月先まで埋まっているっていわれた。ボクたちの『黒い森の井戸』再攻略が緊急だったこともあって次の週間契約をしないで出発しちゃったんだけど、帰ってきたときスムーズに前の部屋に入れたのは空いていたからじゃなく空けてくれてたんだと知って大感謝。支配人含め従業員のみなさんにはチョコレートの詰め合わせを渡しておいた。で、結局ノアとラウリはギルドのイートインで朝まで時間を潰してるってことになった。ギルドも9時で夜勤体制になるしイートインは厨房を閉める。ただテーブルは24時間解放されているから朝までいても問題ない。『断剣』メンバーの方は心配かけたくないのと止められそうだってことでジユンさんはセナさんにもいってないらしい。あとで水臭いとか揉めないといいけど。男女の機微についてはボクもシオンもまったくの初心者なんでなにかいえる立場じゃない。


で、16時。東門は人で溢れていた。門からフェス入り口までも人で溢れているだろう。普段は南北通りにある露店のいくつかがこっちにも店を出してて、人並みがゆっくり動く間についお祭り心を刺激されリンゴ飴を買ってしまった。パリパリシャクシャク全員で齧りながら入場する。入場料はタダ。各乗り物やアトラクションごとにお金を払う仕組みだ。『ようこそ月蝕サーカスへ』の看板を掲げたティピの入り口を抜けるとその向こうは大天蓋3つに囲まれた演劇広場になっていて、そこら中に魔法電球がチカチカと輝き色とりどりのオブジェを内側からも光らせている。ため息が出るくらい幻想的だった。何人ものパフォーマンスダンサーが今年の演目なんかを説明してる。正面オレンジの巨大天幕では『仮装アクロバットオペラ』なるものが上演されるらしい。17時から1時間ごとの上演。右のインディゴブルーの天幕では『ジャングルの王様』ってタイトルの演劇サーカスが上演され、左の深いグリーンの天幕では『海賊ピッピ船長と妖精の秘宝』っていう子供向けっぽい空中ショーが行われるみたいだ。天幕と天幕の間の通路を奥に回り込むとかなり広い遊園地スペースになっていてメリーゴーラウンドからお化け屋敷、射的やボール投げ、鬼の格好をして障害物の間を逃げ回るサーカス団員に向かってくっつきボールを投げて当てる『的鬼』などなどアトラクションが満載だった。要所要所に食欲をそそる世界のフード屋台が軒を連ねている。こっちの世界の原材料を知らないからすべての食べ物はあっちの世界での似てる食べ物の呼び方を適当に当てはめてるだけだけど、ホットドッグ風に生春巻き風だのタコス風やら焼鳥風やらケバブ風やら焼きそばっぽいのまで売ってた。


鉄塔が3本建っていて右の鉄塔は逆バンジーベンチ。3人掛けのベンチが鉄塔を超えて空中に打ちあげられてる。なんらかの魔法で制御されてるようで安全性は担保してあるんだろうけど見てるだに恐ろしい。左の鉄塔は回転ブランコ。長いロープで鉄塔先端から吊るされたブランコがゆっくり回転し、だんだん速くなり最後には遠心力で真横に広がって円を描く。こっちも魔法の香りがする。真ん中の鉄塔はエアスライダーの出発点になっていた。巨大な皿に乗ってくねくね曲がったボブスレーのコースみたいな傾斜路を滑り落ちるって仕掛け。傾斜路から噴き出す空気のクッションに乗って滑るからとんでもないスピードが出る。絶対に嫌だって抵抗したんだけどシオンに引きずられて全部体験させられた。もう2度と御免です。シオンはボール投げで投擲35、精緻30、誤差42のチート能力を存分に振るい、全ボールを的穴まとあなに投げ入れてぬいぐるみをゲットしてた。テーブルのあるフードコート式テントで盛大に飲み食いして休憩していたら、シオンの姿が見えなくなった。迷子になったか別の店で買い食いしてるんだろうとあまり心配せず、ソースこってりの焼きそばを啜ってたらひょっこり戻ってくる。


「どこいってたん。トイレか?」


「ノンノン。ちょっと迷子のふりして舞台裏の偵察してた。意外と人いなくてさー。結構奥までいけちゃった。北側の奥がいろんな備品や建築材料なんかの倉庫テントになってるんだけどさー。そのさらに奥に貨物コンテナ並みに大きなトレーラーハウスがあったよ。身長2m以上ありそうな筋肉モリモリで顔までタトゥー入ってる髭男がドアの前に立ってた。なんか怪しげなんだよねー。今夜最初に調べるならあそこからかな」


他のメンバーに聞かれないような小声で報告した。


「おおお。なんか、シオンを見直したぞ。買い食いしてるかと思ってたけど」


「買い食いもしたけどね。ウチはやるときはやる女なんよ」


鼻の穴広がってる。その後は全員で『仮装アクロバットオペラ』なるものを観劇したんだけど、マジ感激した。あっちの世界でもシルク・ド・ソレイユみたいなスーパーアクロバットはあったけど、こっちの世界ではさらに魔法が加味されてる。火が空中を舞い踊ったり水がシャッフルダンスを踊ったりする舞台空間を3次元機動状態で演者が飛び、回転し、浮遊しながら歌い踊る。身体能力の極限みたいな優雅で美しい挙動。鳥肌が立った。もっと見たい食いたい遊びたいというシオンをサーカスは1ヶ月滞在するんだからまたこようと説得して21時には退場した。城内に戻って『断剣』メンバーと別れ、ビビは家へ帰りボクとシオンは宿へ、ノアとラウリはギルドのイートインに向かった。途中でシオンがちょっと買い物してくるといったので、別れて先に宿へ戻り温泉にさっと入って部屋に戻るとシオンがなにやら着替えてた。


「ジャーン。見て見てミナト。忍者っぽくない?」


黒いブラウスに黒いパンツ、黒いベースボールキャップに黒いスカーフで口元を覆っている。まあ、黒装束という意味では見ようによっては忍者に見えないこともないようなあるような。


「ミナトの分のキャップとスカーフも買ってあるよ」


ボクもやるんかい。いちおうキャップを逆に被ってスカーフで顔を隠してみる。うーむ。怪しさ満載だ。


「こんな格好している方が目立つんじゃないかなあ?」


「そんなことないよ。サーカスの人たちの方がもっと奇抜な格好したまま歩いてるんだから」


奇抜さの方向性が違うような気がしたけどシオンが断言するからあえて反論はしないことにする。22時にジユンさんが宿を訪ねてきた。忍者扮装してるボクたちを見て呆れてたみたいだけど、大人だから口には出さない。ジユンさんは標準的冒険者の格好。外套を羽織り付属のフードを被って東門に向かい城外へ出た。城塞都市の警備は基本、入る者には厳しくて出る者には無頓着。見咎められることなく22時半ギリギリに門を抜け、サーカス会場の外周を回り込んでシオンの見たというトレーラーハウス方向を目指す。ジユンさんが昼間揉めてた通用口は布塀で閉じられていた。布の隙間から覗いてみると閉園直後の片付けに走る団員でごった返している。


「これは時間が早すぎだねー。どっかで小一時間時間潰しした方がいいなー」


さすがにシオンも強行侵入しようとはいわなかった。サーカスの人たちは派手で奇抜で露出度高めの格好がメイン。ボクたちはフードまで被って露出ゼロ。やっぱいま中に入って紛れようとしても返って目立ちそうだ。


「このまま先に回り込んでいけば馬車だまりの修理小屋があったはず。その裏手で時間潰そう。サーカスの人たちこれから食事だったり入浴だったりプライベートな時間だったりするんだろうから、0時までそこで待機するのがいいのかな。なにせ不法侵入なんて泥棒みたいなことしたことないから、よくわからないよ」


「サーカスの上演中に忍び込んだ方がよかったかも。ほとんどの団員が遊戯施設や舞台に出払って手薄になってただろうし」


ジユンさんがそういったけど、シオンはブツブツと反論を呟いた。


「だってー。そしたらせっかくのサーカス初日が遊べないでしょー」


グーで殴りたくなったけど、布塀が途切れ杭にロープを張っただけの柵に変わる手前で修理小屋に着いたのでシオンの頭蓋骨は命拾いした。修理小屋の裏に回るとこじんまりした屋根つきの馬留うまとどめと馬の餌になる干し草を積んだ飼葉小屋がある。


「フカフカだよー」


シオンが干し草の山によじ登って座り込んだ。汚しちゃうとまずいかなと思うも、フカフカの魅力には敵わずボクもジユンさんもよじ登った。秋晴れの日が続き干し草は乾燥しきってフワフワだった。あとで銀貨1枚置いておこう。ふうっ。脚を伸ばせるし、なかなかに落ち着く。


「息苦しい。もうダメー」


っていいながらシオンが鼻と口を隠してたスカーフを引きさげる。


「忍者シオンは辞めるの?」


返事が返らないので見やるともう寝てた。まあサーカスで、はしゃぐだけはしゃいでたしね。寝かしとこう。なんたって憧れの『慈雨』さんと1対1でおしゃべりするチャンスだ。


「‥‥で、そのアクション監督がちょっと強引な人でね。パルクール出身だった方で、路地の壁を蹴って向かいの窓枠を足場にその上の非常階段に飛びついて登るっていう雨のシーンのアクションだったの。監督の希望で土砂降りの雨にしたいって変更が入って、さすがにそんな雨の中で安全ワイアもなしで壁から壁へ飛び移るなんて危険だってお断りしたんだけどね。見た目ほど難易度が高いわけじゃないって自信満々でいい放つし、情けない奴みたいな見くだしの目で見てくるから、じゃあやってみせてくださいってお願いしたの。そのアクション監督、滑って落ちて骨折したわ。土砂降りの雨の演出で放水車3台から滝みたいな雨を降らしてるのに裸眼でスタントしようとしたものだから、目に水が当たって見えなくなっちゃったのね。安全ワイアつけて目をつぶって何度もチャレンジして、11トライで成功しました」


わああ。おもしろー。ジユンさん、業界のおもしろ話の宝庫だ。あっという間に時間が過ぎ、開いていたステータスパネルの時刻表示が00:00時になった。ちぇー。もっと話聞きたかったのにな。シオンはボクが笑い転げている間ずっとスピースピー鼻を鳴らしていた。ツンツンしても起きない。肩を揺すっても起きない。頬っぺた摘んでみよーんって引っ張っても起きない。耳元でちょっと甘えた声でいってみる。


「キャプテーン。忍者になって泥棒に入る時間っすよー」


ぱっちり起きた。『キャプテン』でピクッと反応し、『泥棒』でぱっちり目を開ける。『忍者』ってワードのはあまり反応しなかった。忍者に興味なくなったんかい。身支度を整え、外套を羽織ってフードを被る。ボクたちは脚を忍ばせて修理小屋を回り、あたりを窺った。人影はない。気配もない。つつっと道に出てラストの布塀に張りつく。布塀の端からちらっと敷地を覗き込んだ。敷地内に動きはない。歩いている人影はなかった。興行の片づけや食事・入浴を済ませて、それぞれが居住してるテントやトレーラーハウスに戻ってくつろいでいるのだろう。人通りはないけどあちこちのテントやトレーラーの窓から灯りが漏れていた。寝静まって物音ひとつない深夜とは違ってどこか基底に生活音が沈殿している感じ。部屋の中でのおしゃべりや食器洗いの音、洗濯してる音なんかが混ざっているんだろう。ボクは後ろを振り返りジユンさんとシオンに超小声で話す。


「人影はなくなったけど、まだあちこち灯りが点いてる。サーカスの人たちみんなまだ起きてるよ。どうする。もっと時間をずらす?」


ジユンさんが一瞬考え込み、キッパリと答える。


「私が刑事の役やった時の台詞に『人の警戒心がいちばん緩むのは真夜中とかじゃなく、夕食後でお腹がいっぱいのとき』っていうのがあったわ。血液が消化のために胃腸に集中し脳がぼんやりしてしまうから、普段なら『怪しい物音がした』って警戒する状況でも酔っ払いがグチグチいいながら歩いてるんだろうくらいに勝手に納得してくれる。だからいくならいまだと思う」


「わかった。いこう」


ボクは腰を屈めて張られたロープをくぐり抜ける。続くジユンさんのためにロープの間を拡げて通りやすくする。ジユンさんが通り抜け、続くはずのシオンは驚異的なジャンプ力で布塀の方を飛び越えてた。


「シュタッ!」


着地で地面に片手と片膝を突き、口で効果音を発してる。


「自分で『シュタッ』っとかいうのかよ」


「漫画なんかだと効果音を描いてあるんだけどねー。忍者といったら『シュタッ』でしょー」


違うと思うけど不法侵入中に議論する気はない。シオンの大雑把な方向指示に従い物陰から物陰へ樽の裏から柱の影へと忍び歩く。やがて道を渡れば資材テントが密集する一角になるって場所に到着。奥に大きなトレーラーハウスが見える。窓に灯りはついていない。道を渡ろうと脚を踏み出しかけたとたん、視野の端に大入道みたいなマッチョ刺青男が入り込んだ。慌てて脚を引っ込め、タルの後ろに身を潜める。大男が僕たちに気付いた様子はない。資材テントを回り込んで奥のテントに向かっているようだ。大男がテントの陰に消えると同時に、まだ声変わりしてない少年の喚き声が響く。


「なんだよう。オイラは団長に用があってきたんだ。放せよブルーノ。放せったら」


テントの陰から刺青マッチョ大男ブルーノに襟首を掴まれた少年が引きずり出された。


「あ。ジュール‥‥」


横でジユンさんが声を噛み潰した。ジユンさんの知り合いか。刺青のブルーノは加減も容赦もなくジュール君を吊しあげたまま、テントを回り込んで奥のトレーラーハウスに向かった。その間、ジュール君が暴れても襟首を掴んだ手を掻き毟っても、無言のまま表情をいっさい動かさないのが不気味だ。バタンとドアが閉まりジュール君の喚きも途切れた。


「ジュール君ってあの男の子のこと?」


ボクが聞くとジユンさんがうなずく。


「去年サーカスに就職した孤児院の子よ」


「なんか様子がおかしかったから助けなくっちゃねー」


それはそうなんだけど、まったく事情がわからないのが気に入らない。情報が少なすぎる。情報を集めるために忍び込んだのに、展開が速すぎて情報を集める暇がない。情報がなければ判断のしようがない。ないないづくしだ。ジュール君の扱いは乱暴だったけど、サーカスという特殊な仕事では当たり前のことなのかもしれない。ジュール君がなにか間違いを犯して仕事上の叱責を受けるために団長のところにきたのだとしたら。いやいやいや。そうだったとしても、子供の襟首を掴んでぶらさげるなんて乱暴すぎる。窒息したらどうするつもりだ。サーカスの内部的慣習だろうと、ジユンさんの知り合いの子供をあんな一方的な暴力の元に置いておけない。うだうだ考えをグルグルさせて、結局直感的なシオンの考えと同じになる。ボクたちはまさに忍者のように1列になって音もなく進み、テントを回り込んでトレーラーハウスへ接近した。なんだかおかしい。刺青ブルーノとジュール君が入っていったはずなのにトレーラーハウスの窓は暗いままだ。ボクは手でふたりにその場を動かないよう合図し、トレーラーハウスに張りついて耳を当てた。気配が聞こえる。こちらで音を起こして反響を聞く方法とは違い、中の人が動いたり話したりする音を聞いて音響像を得る方法なので不明瞭このうえない。目をつぶり、エコーロケーション能力全開。トレーラーハウスの内部構造がふわっと脳裏に広がった。いた。トレーラーハウスの真下にかなり大きな地下空間が感知できる。横たわった小さな身体。そのそばで膝を突く巨体。ヤバイかも。


ボクは立ちあがりトレーラーハウスのドアへ取りつく。ドアレバーに手を置き、手の平の皮膚感覚最大で慎重にさげる。ドアラッチが引っ込んだ。引くとドアが開く。ドアロックはかかっていない。さっき刺青ブルーノが開けたとき、軋む音はしなかったから思い切って開ける。よく手入れされているようで音もなくドアが開いた。室内は暗かったけど床に開いた四角い穴から弱々しい光が漏れ、かろうじて家具の配置は見えた。四つん這いでトレーラーハウスの中に入り床の穴に近づく。後ろにジユンさんとシオンが続く。ふたりともボクより優雅な身のこなしで、まったく音を立てない。続いているのがわかるのは空気が揺らぐ感覚でだ。幅1m、長さ2mの長方形をした跳ねあげ戸が引き開けられていて、急傾斜の階段が地階へ続いている。穴の縁にたどり着いて下を覗き見た。縦に長い部屋だ。壁も床もレンガのような石組み。部屋の中程にロープで縛りあげられたジュール君が横たわっている。その手前、こちらに背を向けて刺青ブルーノが立っていた。床に小さなランタンが置かれていて明かりはそれだけ。そのぼんやりした明かりがかろうじて届く奥の壁前に巨大な鉄の檻が据え置かれている。いまその檻に入れられているのは猛獣ではなく3人の子供だった。3人ともぐったりと檻の床に倒れて、ジュール君の呻きにも起きる様子がない。ん。呻きって?


ボクたちが接近する間に、刺青ブルーノはジュール君をつまみあげて椅子に座らせていた。引き起こされたジュール君の口には布が詰め込まれ、頬を抉って紐がめりこみ吐き出せないように押さえつけている。もうこれは単なる説教や折檻の域を超えて拉致監禁拘束っていう立派な犯罪行為だ。すでに手足をひと括りに縛られているジュール君の身体をご丁寧にも椅子の背もたれに縛りつけ、ジュール君の脚を椅子の脚に固定していた。体格もまだひ弱な子供に厳重すぎる拘束。なにする気だ。ジュール君を固定し終わった刺青ブルーノが、ジュール君の真ん前に立った。刺青ブルーノはピクリとも動かなかったのに、こっちを向くジュール君の顔面が青く染まる。顔の前に魔法光球でも出したのだろうか。ボクの頭の中でもなにかの振動みたいな、波動みたいな疼きが生じる。前にサーカスの宣伝パレードに出くわしたとき感じたウズウズと似てるけど、もっと強い。ジュール君が顔をあげ刺青ブルーノの顔を見た途端‥‥猿轡に抑え込まれてくぐもった音にしかならなかったけど、壮絶な悲鳴が発せられた。がんじがらめにされた身体の肉が抉れるだろうほどジタバタと暴れている。なんだ。なにが起きたんだろう。ボクが動くよりコンマ2秒早く、ボクの横をジユンさんがすり抜けた。階段を3歩で飛ばし降りる。2歩目で階段の木がしなって音が出た。刺青ブルーノが音に気づいてこちらを向く。ジユンさんは低い姿勢で走りながら相手の腰あたりを見ていたようだ。ボクとボクよりコンマ1秒早く行動に移り階段に飛び降りたシオンは目の当たりにしてしまった。


刺青ブルーノの顔が、というより鼻下、人中から上の頭部が8つの帯状に割れて花のように拡がっていた。開いた内側は白く陶器のように艶めいている。あれって、もしかしたら頭蓋骨かもしれない。骨のない鼻のあたりは肉の色が見えている。顔面血管はズタズタに切れているはずだけど、血は流れていない。拡がった頭部の中心、普通なら脳があるはずの場所は伽藍堂がらんどうで、その空間に青く脈動するテニスボールほどの球体が浮いていた。青い球体から垂直に下へ、細く青い力線が降りて首と繋がっている。あの力線で支えているのかもしれない。刺青ブルーノが完全に振り返る前に、半ばこちらを向いた脇腹へジユンさんの2回転半回し蹴りが炸裂した。凄まじい蹴りだった。回る脚が残像ですら見えない。肉を打つ音に混じって肋骨の砕ける音が聞こえた。体重差で2倍はあるだろう刺青ブルーノがダミー人形のように宙を飛び横の壁に激突する。刺青ブルーノが吹っ飛んだ軌道に沿って細いピアノ線みたいな青い筋が残った。青い糸みたいな線が刺青ブルーノの割れた頭の中の球体から伸び出していて、一方の端はジュール君のこめかみに突き刺さっている。ジュール君は白目を剥いて失神していた。


「こん、のっ!」


シオンが魔剣のナイフを振るった。刀身が眩いばかりに輝いている。そうとうな魔力を込めた一撃が青い糸を切断した。そのとたんに糸が消え、硬直していたジュール君がガックリと脱力する。ジユンさんはシオンにジュール君を縛りつけているロープの切断を託し、奥の檻に近づいた。


「ラーマ。ロジェ。ルネ」


子供たちの名前だろう。って、ふたりとも焦っているせいか軽率になってる。床に倒れた刺青ブルーノがピクピクと身動きし、ゆっくりと立ちあがろうとしていた。コンマ2秒遅れたけど、遅れたほうがいい場合もあるってことだね。明らかに肋骨を数本骨折しているだろう傾いた立ち姿勢ながら、刺青ブルーノは無言で立ちあがった。痛がりもせず呻き声も発しない。音じゃないんだけど、さっきから感じてる頭の芯がウズウズする波動が激しさを増した。ちょっとキツイくらい。刺青ブルーノの頭の中にある光の球の脈動と同調してるから、おそらくそこから発している波動だ。なんだろう。空間の圧力みたいな波動。刺青ブルーノが1歩踏み出したとき、足元の砂埃がジャリッと鳴った。ジュール君を拘束していたロープをさっくり切ったシオンが気づく。ナイフを腰に戻し、背の双剣をシャランと抜く。ブオンって空気が唸るほど高純度の魔力が流し込まれた。ゆらゆらと歩を進める刺青ブルーノの割れた頭部に浮く光球から、3本の光る糸が噴出した。拳銃の球くらいの速さだったと思う。普通の人には見えないだろうけど、ボクの強化された動体視力ならくっきり見える。ボクに見えるならシオンにも見える。高速化した思考スピードに筋肉や腱や骨を追従させるのはとんでもなく大変なんだけど、シオンの敏捷性が強引に可能にしてた。2本の光糸を見切りで避け1本の光糸を切り飛ばし、助走なしで宙を飛んで刺青ブルーノの頭の光球に斬りつける。開いた頭部で広がった顔面花弁の隙間を精密に抜けて、光球の中心を完璧に切り裂いた。光球に変化は見られなかったけど、刺青ブルーノが足を停める。その顔の下半分に残った唇が笑いの形に歪む。パカッと開いて掠れた声を吐き出した。


「ぐ。げ。ご。こ。‥‥効。効果。ない。オ。オレ。オレ、たち。の。大きさ。プラ。プラ。プランク長」


腰が抜けるほど驚いた。なんで人間の脳を喰う寄生魔物がプランク長を知っているんだ。


「なによそれ。プラプラプラって。おとなしく斬られろっちゅーの」


シオンが針のように撃ち込まれる青光糸をかわしながら再度剣を振りかぶる。


「ストップ。シオン。こいつ、斬れない」


シオンが脚を停めて振り返った。そんな不用心に脚を停めるなよと思いつつ刺青ブルーノを包む球状シールドを展開する。色と組成が似てるからシールドの重力断層で光糸を阻害できるかもと思ったんだけど、ビンゴだった。頭の中の光球から伸びる青い光糸はシールドの球面で弾かれてる。とにかく刺青ブルーノの接近は止めた。刺青ブルーノは脚を停め、伸ばした光糸で球状シールドの内面を撫で回している。


「なんでよー?」


「こいつのいう通りなら、こいつは頭の青い球体の中に原子核より小さい状態で存在してるってことなんだ。プランク長って物質の最小みたいなサイズで、1.6かける10のマイナス35乗メートルっていう大きさ。原子核の陽子1個を太陽系くらいの大きさに拡大してもこいつはウイルス1個くらいの大きさにしかならないってこと。それを斬るってことは、そんな小さなこいつの中心に正確に刃を当てなきゃいけないわけで。精緻の数値がいくつあっても無理だ。プランク長の大きさの生き物なんて‥‥」


頭の中のムズムズが消えていた。重力断層でエネルギーの通過を遮蔽するシールドが功を奏したようだ。ということはあの波動は重力波なのだろうか。斬れないならあの頭の青い球体を包み込んで圧縮してはどうだろう。重力で押し潰せないかな。脳のウズウズがなくなって魔法陣をイメージしやすい。周りに大きく展開してたシールドを急速収縮させてピンポン玉くらいの球にした。脈動する青い球面を圧壊させて首と繋がっていた力線も切断したようだ。まさしく糸の切れた人形そのままに刺青ブルーノがくずおれる。


「あれ檻の鍵じゃない?」


シオンが壁に打ち込まれた金釘に引っ掛けられた鍵束を指差す。ジユンさんがそれを手に檻を開けた。


「ラーマ。ロジェ。ルネ。目を覚まして」


檻から引き出された3人は、ジユンの呼びかけに答えない。横で気を失っていたジュール君の方が目を覚ました。


「あ。ジユン姉。なんでここに。あ。あああ。ブルーノが。ブルーノが怪物に!」


パニックを起こしかけたジュール君をシオンがなだめた。


「安心していいよ。あの怪物はお姉さんたちが倒したから。落ち着いて。ジュール君立てる?」


シオンの伸ばした手に縋って立ちあがったジュール君だったけど、ふらつきがひどくて肩を貸さないと歩けなかった。シオンが肩を貸し、ボクは刺青ブルーノから目を離さずにロジェ君を背負う。プランク生物は重力圧縮で完全に包み込み世界から遮断したはず。なので身体から分離して浮遊してもいいはずなんだけど、なぜか身体といっしょに倒れ伏したんだよね。完全に遮断されていないってことかも。完全に滅するには重力圧縮をもっと強くしてブラックホールを作るしかないのかもしれない。でも城塞の直近でサーカスの人もいっぱい寝起きしてる場所にブラックホールを放置して帰るわけにはいかないから、白色矮星くらいの重力に留めておいた。地球表面重力の10万倍程度。人間だったら身動きが取れないどころか押し潰されてクレープの生地になっちゃうんだけど、プランク長の生物を拘束できる保証はない。いつ復活して襲ってくるかわからなかったから警戒は緩めない。もっといろいろ試したかったけど、いまはこの子供たちを安全な場所に逃すのが先決だった。ルネ君はジユンさんが背負い、最後のラーマ嬢はジユンさんが胸前で抱える。子供といっても全員15歳。ずっしり重い。ヨタヨタと階段を登ってトレーラーハウスへ戻り、外に出た。その間、ジュール君は恐怖を払拭するためだろう喋りまくる。


「9日前だったよ。ベルダ・ステロに向かってる途中、突然すごい嵐が起きたんだ。大雨が雹になったり雷や風もひどくて、緊急で野営して荷物とか固定したり防水シートかけたり大騒ぎだった。団長が倒れたっていう話が聞こえてきて、雷に当たったとか風邪を引いたとかよくわかんない噂話で。翌日は快晴になったから団長をベルダ・ステロの治療院に診せるって大慌てて移動準備をして向かったんだけど、翌々日には団長の具合が治ったってみんなの前に顔を見せたんだ。これでひと安心って思ったんだけど、なんか元気がなくて言葉もたどたどしくて。でも病みあがりだからだろうとかみんなで話したりしてるうちにここに着いて、設営が始まって。最初の夜、仕事をあがってから許可もらってホームに顔出して、ラーマとロジェとルネがサーカスに就職するって聞いて。翌日雑用で走り回りながらずっと気にしてたら3人が敷地に入ってくるのが見えてさ。このトレーラーハウスに案内されて入るのが見えたのに、それからなにもなかったみたいになっちゃって。ラーマたちが団員に紹介されることもないし、新米が寝起きするテントにくる様子もないし、どうなってるんだろうってずっと気になって。去年、僕の場合は興行が始まる前の設営のときに紹介されたのに。団員食堂の厨房の人たちも見てないし知らないっていうんだ。なんか最初から居なかったみたいになってておかしいし、団長に聞くしかないって思って、今日きてみたら捕まって。怪物が。怪物が‥‥。ラーマたちは死んじゃったの?」


「だいじょうぶよー。意識がないだけ。ここを出たらポーション使うしー」


シオンが安心させる。ボクが先頭でトレーラーハウスのドアを開けた。ボクが外に出てドアを押さえる。シオンとジュール君が外に出る。続いてふたりを運ぶジユンさんがかなりキツそうにドアを抜けた。その直後、ボクの耳はトレーラーハウスの天井が重みで軋む微かな音を聞く。


「っ!」


シオンの押し殺した息。前に視線を向けると資材テントの陰からゆっくり姿を現すサーカス団員の姿があった。半円で周りを囲むように5人。そしてトレーラーハウスの上にひとり。前に立つ団員のふたりの手に弓が握られていた。ざわざわと脳の表面を指でなぞられているみたいなくすぐったさ。そんなものを感知できるなんて思ってなかったけど、これってたぶん重力波ってやつだ。いろんな方向から発信されている感じがする。まるで耳に聞こえない超音波のさえずりみたいだ。アドレナリンがどっと出て、ボクの思考スピードが加速状態になる。ロジェ君を背負ったまま団員の輪に突っ込み剣で蹴散らす。ロジェ君の重さを加味するととてもスマートには動けない。もし乱闘中に矢でも放たれたら子供たちに当たる可能性が大きい。ジユンさんはふたりも運んでいて完全に戦闘不能だ。かろうじてシオンだけはジュールくんを離して身軽に戦闘できるかもしれない。でもジュールくんを狙われたら守らなきゃならないし、完全に自由に動けるってわけなじゃい。うわわ。周囲が青く光を反射した。包囲している団員たちの頭が割れて、中から出てきた青い球体が発する光があたりを照らす。不気味すぎる。ならば撤退はどうか。ボクは背負ってるからなんとかジャンプでトレーラーの屋根に登れるかもしれない。シオンはジュールくんを担ぎあげてから飛ばなきゃいけないから、その分遅れて弓で狙われる可能性が高い。そもそもジユンさんはふたり分の重量を負ったまま屋根まで跳びあがれないだろう。屋根にあがったらあがったで屋根の上の敵と戦わなくちゃいけない。成功する可能性が高いのは子供たちを見捨ててボクたち3人だけで包囲網を突破し逃げるって方法だけど、それやったらフォースの暗黒面に堕ちる気がする。フォースの暗黒面ってなんだっけ。昔の有名な映画のセリフだったような気がする。


「ミナト!」


なんて余計なことまで考えていたら、突然ジユンさんの悲鳴みたいな声。ビクッとしたけどなんで名前を呼ばれたのかわからなかった。ついに敬称抜きでお話しできる間柄になったかなんて間抜けな考えが10のマイナス10乗秒くらいの間かすめたけど、この状況でそれはないわなあ。シオンがジュールくんを離してマッハかってスピードで吹っ飛んできた。魔剣ナイフがボクの頭ぎりぎりを掠めて振り抜かれる。反射的に反らせた頭の横で切断された光糸が翻る。その向こう、トレーラーハウスの中にぼんやりと立つ刺青ブルーノがいた。どうやら後ろから忍び寄ってボクの頭に光糸の先を突き刺したようだった。なにかされたのか。なにもされないうちに接触を断てたのか。


「オマエ。たちは。誰だ。なぜ。その。子供たちを。連れ。出そうと。する。のだ?」


真正面に立つ燕尾服に山高帽の中年おっさん、おそらく団長だろう人物が話しかけてきた。そのせいで自分の脳の不具合チェックをしている暇がなくなる。団長の頭だけが割れていないけど、山高帽を被っているからだろうか。おっさんよりその横に立つ銀ラメキラキラでピッチピチのレオタードを着た巨乳お姉さんに目が吸い寄せられて困る。顔が割れているのは不気味だけども。


「仲間だからだよ。でもたとえ仲間じゃなかったとしても、同じ人間として魔物に寄生されようとしてる人を見捨てるわけにはいかない。こっちこそ聞きたい。お前たちはなんだ。なんのために人を殺し、その身体を乗っ取ってる。侵略か」


「私。我々は。侵略者。ではない。魔物。でもない。そして。殺しても。いない。私。我々は。ヴァジュラ」


ヴァジュラってなんか聞いたことある。なんだっけ。ドアの向こうの壁に背を預けたジユンさんが呟いた。


「ヴァジュラって、密教の仏具の名称よ。三鈷杵とかいうやつ」


ジユンさんの映画で退魔師役を演じたとき使ってた武器だ。それにしても話が食い違ってるな。


「人間の脳を喰ってる時点で殺人だし、その被害が拡大していれば侵略者といわれても否定できないだろう」


「待て。私は。我々は。ヴァジュラは。人間の。脳を。喰って。いないし。殺しても。いない。この世界に。押しやられ。生き延びる。ために。最小限の。活動を。している。に過ぎない」


脳みそがなくなり顔面が割れて中身の空洞を晒している段階で、殺人してないといわれてもなあ。ここはいちかばちか子供たちを地面に伏せさせ、怪物たちを斬り倒すのが最適解だろうか。ヴァジュラの本体は斬れなくてもそれが使役している肉体を破壊すれば脅威度は低下する。そこまで考えたとき、トレーラーハウスの入り口からヌッと刺青ブルーノの巨体が歩み出た。ボクの横に並び、グギギっと首を回して肉弁の閉じた顔を向けてくる。


「人よ。待て。戦いは互いに不利益だ。我々は。ヴァジュラは。人と話し合う必要がある」


弓を構えていた団員が弓をおろす。開いていた顔が閉じる。ボクの前で背の双剣に両手を添え刺青ブルーノを睨みつけていたシオンが、視線を逸らしてボクを見つめゆっくりと手をおろした。


「わかった。だけどこの中みたいな密室はいやだ。遊技場の方にあるオープンなフードコートテントでならいいよ」


夕方に飲み食いしたテントだ。あそこなら、いざとなったとき動く余地がある。


「よろしい。では。いこう」


団長を先頭に全員でゾロゾロと移動した。遊技場スペースは照明も落とされ無人だったが団員が照明を点けてくれる。背もたれのあるふたりがけベンチを集めてきて外套を敷き意識のない子供たちを寝かせた。大テーブルにボクたち3人とジュール少年。対面に団長、刺青ブルーノ、レオタードお姉さん、そして間違いなく元冒険者だとわかる超絶ハンサムな30代男性が座った。残りのヴァジュラ団員は周囲に散って人払いの警戒をする。団長たちはテーブルの上で手を繋いだ。ボクたちが奇異な視線を送っているのを察したのか刺青ブルーノが口を開く。


「それぞれ単体だと。身体の持ち主の言語能力以上の会話ができない。なので4人分の言語中枢を結合して会話する。特に端に座る個体はサーカス団のアトラクション設計技師だ。元は冒険者で、転生者だった。あちらの世界では欧州高エネルギー粒子加速器機構の技術員をしていた。これからの話にはその言語知識が必要だと考える」


繋いだ手がぼんやり青く光ってる。手と手を通じて光糸で接続しているのだろう。刺青ブルーノの話し方は団長のそれに比べて流暢だ。技師さんが同席する理由はわかったけど、銀ラメレオタード豊満お姉さんまでいっしょに座る理由は説明されなかった。目のやり場に困るんですけど。しかたなく団長と刺青ブルーノを交互に見てボクから口火を切った。


「いろいろ聞きたいことだらけだけど、まず最初にこの子たちになにをしたのか答えてもらおう。いまだに意識が戻らないのは、お前たちがなにかしてるってことだろう?」


団長が答えるかと思ったけど、刺青ブルーノが口を開く。


「脳幹の神経の一部をブロックして。昏睡状態にしてある」


刺青ブルーノの本来のボキャブラリーだけなら、『脳幹』なんて単語は出てこなかったろう。


「それは脳にダメージを与えたってことか?」


「いや。脳に生理的なダメージは。及ぼさない」


「でも、目的もなく昏睡状態にするわけないよな。この子たちになにをした?」


「我々ヴァジュラは。生存のためのエネルギー補給をしなければならない。そのために人の脳シナプスを物理的に配列変えして。物理図形の魔法陣を形成した」


あまりに突拍子もない話で、話を続けようとする刺青ブルーノを制止せざるを得なかった。


「ちょっと待ってくれ。脳シナプスを配置換えして魔法陣を作るって。いったいどんな魔法陣だ?」


「個体ミナトが先ほど個体ブルーノに使った重力魔法だ」


なんでボクの名前を知ってるんだ。あ。さっき刺青ブルーノの光糸が頭に触れたときジユンさんがボクの名前を叫んだからか。


「重力だって?」


「そうだ。順に説明しよう。話を続けてもいいかね?」


「あ。ああ。ごめん。続けて」


「ヴァジュラのエネルギー源は重力だ。個体ミナトの作り出した重力は素晴らしい美味しさだった。このサーカス団にも魔法を扱える者はいるが。その魔力量は低いしイメージ力が貧弱すぎて。とてもヴァジュラの必要とする重力魔法陣をイメージ構成することができない。だからどうしても補助として物理的にシナプスを配列し直してそこに魔力を重ね流さなければならない。ただ。かなり荒いやり方になるため。魔法を発動した後にシナプスが焼け切れてしまう。そのせいで繰り返すと脳そのものが消滅してしまう」


直接に脳を有機物として貪り喰っているわけじゃないみたいだけど、人の脳を焚きつけ替わりに燃やしてるようなもんだな。


「この子たちの脳も損傷させたのか?」


「昨夜の1回だけだ。損傷は軽微だ」


ジユンさんとシオンに殺気が走る。ジユンさんが低い声で言葉を吐き出した。


「そうやってサーカス団員の脳を次々に破壊したってことね。それって殺人よね」


「それは違う。ヴァジュラはいまも人の生命活動を維持している」


「身体だけ生きてても脳が死んでる状態は脳死っていってね、死んでるのと変わらないのよ!」


「それも違う。脳は物理的に。消失しているが。情報は保存されている」


「どういうこと?」


「ヴァジュラが持つ。人のいう事象の地平面に保存してある。物理的に脳を再生できたら。情報は転写できる」


「物理的に脳を再生って‥‥あ。ポーションじゃん」


珍しくシオンが話を真面目に聞いてた。グレードIIIだとちょっと心許ないけど、グレードIIポーションなら脳だって復元する。ただし普通は再生してもブランニュー状態なため、そこに保存されていた記憶や人格までは戻らない。つまり脳死と変わらない。でも脳の全情報を丸ごとコピーペーストして戻せるなら、生き返るってことだ。彼らが曲がりなりにも人語を話し、舞台での演技や舞踏、団長としてのサーカス団運営ができているってことは脳がなくなる前の情報を保持してるって証拠になる。


「じゃあ。グレードの高いポーションさえあれば、あなたたちが寄生してる団員の方達を元に戻せるってことよね」


ジユンさんの口調は厳しい。まだ信用していないのだろう。ボクはといえば100%じゃないけれどほぼ信用していた。


「寄生はしていない。死なないよう保持してる」


「つまり、危害を加えたいわけじゃないっていいたいわけ?」


「そうだ。だが。どうしても。エネルギーを補給するときに。脳を損傷してしまう」


「どうして人間の脳じゃなきゃダメなの。魔法陣なら紙に書いたっていいでしょ」


「魔法陣には物理的な構成より精神的な構成が重要だからだ。重力魔法を魔法陣として精密イメージできるのは人間の脳だけだ。だが普通の人間では必要な密度のイメージを作り出せない。重力魔法陣は上位の魔法概念で。低レベルの重力魔法を使う低級な生き物や魔物では精密な魔法陣をイメージできない。だから物理的な補助が必要になる。だが、そこの個体ミナトなら精密にイメージできる」


刺青ブルーノはボクを見つめた。


「なるほど。そういうことか。まとめるとこうなるのかな。今後、ボクがヴァジュラのみんなのために重力魔法を使い続ければ、ヴァジュラは人間の脳を破壊しなくてもよくなるってことだね」


「そうだ。だが、ひとつ認識の違いがある。ヴァジュラは。『みんな』ではない。ヴァジュラはひとつ。脳を失った人間が死なないように。分体を作って個々に生命維持しているだけ。だからヴァジュラはひとつ」


「ボクは飼われてる鶏じゃないから、ヴァジュラのご飯製造機になって一生を終える気はないよ。ヴァジュラにはさっさと元いた場所に帰っていただかないといけないんだけど。その元いた場所っていうのが問題なんだよね。魔界でも別の星でもないとしたら。なーんとなく君たち、じゃなくてヴァジュラの元いた世界の想像がつくような気がしてるんだけど。なにせあっちの物理学で存在は予言されてたけど確証を得るためには超対称性粒子を見つけなくちゃならなくて、それを見つけようと10年前に建設された『ヨーロッパ原子核研究機構』の全周91kmもある次世代加速器FCCでも見つかってなかった。地球1周規模の粒子加速器が必要かっていわれてたしなあ。間違ってたら恥ずかしいけど、まあいいや。君たち、じゃなくてヴァジュラは9次元の世界からきた生き物なんじゃないかな?」


「ほう。よくわかったものだ。それほどの知力があるから強力な重力魔法を駆使できるのか」


「なにその9次元って?」


シオンもジユンさんも同じ困った顔でボクを見ている。


「えっとね。宇宙とか巨大質量とか重力を扱うのが一般相対性理論。ミクロの原子とかクオークとかを扱うのが量子力学。ふたつとも確立され実証された理論なんだけど、一般相対性理論と量子力学をひとつにまとめた理論を構築しようとしたら、まったくうまくいかないんだ。けど現代物理学で唯一うまくまとめられそうな理論が『超ひも理論』っていって、究極の物質の元は粒子とかじゃなく『1本のひも』だっていう理論なんだ。でもその理論を構築するにはこの世は縦横高さの3次元じゃなく、全部で9次元だっていう想定にしないと成立しないんだ。でもボクらには3次元の方向しか見えないし動けないし、余計な6つの次元はどこにあるんじゃってなるよね。で、なんか間に合わせの言い訳みたいなんだけど、その6つの次元はプランク長ほどに小さくコンパクト化されてボクたちからは見えないんだって考えるわけ。ヴァジュラが自分の大きさをプランク長だっていったことと重力を食べるっていったことで、なんとなくそうなんじゃないかと思ったわけ」


シオンの目がとろんとし始めた。話が理解できない前兆だね。


「重力ってボクたち3次元の生物にしたら距離の2乗で弱まりながら広がっていくものなんだけど、これがもう1次元多い4次元の世界だと距離の3乗で弱まるわけ。5次元だと距離の4乗。6次元だと距離の5乗。次元の数が大きくなればなるほど急速に弱まる。けどこれを逆に見たら次元が高くなればなるほど短い距離を近づいただけで急激に重力が大きくなるともいえるわけ。そんな世界にもし生き物がいたら、わずかな接近で巨大化する重力を利用しない手はないだろうと思えるんだよね。寝るなよー。シオン」


「ヴァジュラは個体ミナトのいう5次元の世界からきた。この世界とは交わらない5つの次元を持った世界だ。個体ミナトのいうように5つすべてがコンパクト化された次元。人の世界の時間で9日前、空間そのものが揺らぐ巨大な時空間振動が発生した。ヴァジュラはその振動に飲み込まれ、存在を構成する次元軸がずらされてしまった。その結果、ヴァジュラの次元軸のうち3つが人の世界の次元と重なり、こちらの世界へ押しやられてしまった」


「はー。やっぱ、9日前ですか。これもう間違いなくボクのせいだな」


「なんでミナトのせいなん?」


シオンがあくびを噛み殺しながら聞いてきた。


「9日前といえば、レイ男爵のブラックホールを魔界に捨てた日なんだよね。こっちの世界にほとんど影響はなかったけど、魔界やその他いろんな世界にとてつもないエネルギーをぶちまけちゃったわけで、ヴァジュラを押し流した時空間振動もそのエネルギーの影響って可能性がめちゃくちゃ高いと思う。10年くらい計算しないと真偽の程は確定しないけどね」


「あー。なるほど。じゃあ、ウチも共犯者か。この際、深く追求しないでおこうねミナト」


「まあ。追求はしないけど、ヴァジュラを元の世界に帰す手伝いはしないと寝覚め悪いかな」


「元の世界に帰すって‥‥もう一度、今度はこっちの世界でブラックホールの爆発でも起こすっての?」


「地球を丸焦げにしなくてもなんとかなると思うよ。重力魔法の応用でさ。この前、上位目玉トカゲとの勝ち抜き戦でみんなの腕輪借りて一時的にステータス爆あげしただろ。あのとき超絶あがった知力でレイ男爵の遺した殴り書きにあった理論が理解できるようになったんだけど、それがまさしく次元をスライドさせる重力魔法陣に関しての覚書だったんだ。だからまあ、なんとかなりそう」


結局、ボクたちはヴァジュラと休戦することにした。朝まで段取りを相談したり高重力球を作ってヴァジュラにエネルギー補給させたりしながら朝になって城門が開くまで時間を潰す。信用しないわけじゃないけど、やっぱりサーカス内に置いておくのは落ち着かないからジュール君を含め子供たちを連れて城塞内へ戻りノアたちの常宿に連れ込んで寝かせた。ジユンさんは子供たちに付き添い、ボクとシオンはギルドのイートインで待ってたノアとラウリに事情を説明する。ふたりとも諦めの笑いってやつを浮かべて頷いてくれた。パーティ共有財産からグレードIIポーション10本分の出費。金貨40枚。400万円吹っ飛び。ポーションショップの店長は表情を変えないよう努力していたけど、突然の大商いに頬が引き攣ってた。『ゆのか』に戻って温泉入って仮眠して、サーカス見にいきたいとゴネるシオンをいきたきゃひとりでいけと突っぱね夜を待つ。今度はノアとラウリも同行し、馬と荷車を借りた。3人の子供たちは荷台に寝かせて運ぶ。夜の10時。団員口から中に入るとヴィジュラのひとりが待っていてくれ、昨夜のイートインテントへ案内してくれる。道にはサーカスの団員たちも歩いていたけど、こっちに興味を向けてくる者はいなかった。イートインテントは周囲を仮設の柵で囲まれ中を覗けないようにしつらえてある。ヴァジュラを中に宿した7人がテントの床に敷かれたシートに横たわっていた。空の3つのシートに3人の子供を寝かせる。


「じゃあ、始めるよ」


ボクがそういうと、かすかな返事と共に7人のサーカス団員の顔面が割れた。初めて目にするノアとラウリは驚いていたけど、周辺警戒の態勢を崩さない。シオンがグレードIIポーションを顔面の空洞へ注いでいく。最後の3本はジユンさんとジュール君が子供たちに飲ませた。開いた顔面が自然に閉じ割れ跡があとかたもなくなったとき、肉をすり抜けるように小さな光の球が抜け出してきた。4つはボクがボクの上に作った重力球に吸い込まれ、3つは3人の子供の頭の中に一瞬入りすぐに出てきた。そして2個の光球が重力球に入っていき、最後の1個がボクの目の前にふわふわ浮く。


「全員の記憶や人格の戻しは完了したね?」


光球が2度光を放つ。


「じゃあ、自分の世界へ帰る準備はいいね」


光球が空中に円を描き、最後の1個も重力球の中へ消えた。


「じゃあ、さようなら」


脳内で次元変換魔法陣を構築する。重力球がグネっと変形し、カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる特有の形に変形した後、あっさりと消失した。軽い呻きが聞こえる。みんなが意識を取り戻しつつある。ボクとシオンとノアとラウリは、みなが目を覚ます前に荷馬車に乗ってサーカスを出た。ジユンさんとジュール君に後は任せる。時間外の手数料と記帳までして城内へ戻った。


「ふえー。これにて一件落着ってやつだな。なんか疲れた。今日は寝るよ。明日、打ちあげやろうね」


そういってノアたちに荷馬車の返却を任せ、宿に戻った。翌日、欲求不満のシオンに引きずられて開場時間から閉場時間までサーカスに付き合わされ、城内に戻ってからは『断剣』さん全員を交えて報告会&打ちあげ大宴会を催す。まあもうとんでもない宴会だったけど、酒場1軒貸切でやったから迷惑は最小限で済んだと思う。いや、後半記憶ないから断言はできないんだけどさ。シオンはまたボクの顔に化粧したらしく、朝起きたらボクの顔はパンダみたいになってたけど二日酔いがひどくて怒る元気もなかった。


「グアーン。グアーン。ノートルダムの鐘が鳴る。ついでに法隆寺の鐘も鳴る」


なんてやくたいもない呟きをベッドの上で呟いていたら突然声が聞こえた。


『ヤッホォ。ヴァジュラだよぉ。遊びにきたよぃ。ヴァジュちゃんってぇ、呼んでいいからねぇ』


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