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18.ありふれた「黒」と「盾」と「執事」


ビビの下から這いだし、閉まった扉を仰ぎ見る。閉まってるからって油断できない。あのメイド半透明だったし。ブリエン士長を透過してたし。幸いなことにメイドが扉を擦り抜けて顔を出したりはしてなかったけど、念のため玄関扉前から離れる。


「ノア。ビビの脚持って。ラウリ。シールドで僕達をカバーして。扉すり抜けてでてきたらお願い」


ノアがビビの脚を持つ。ボクは右腕の黒い部分に触らないよう用心しながら、頭側から脇の下に手を入れ持ちあげた。ボクたちと扉の間に自分の左手首を右手で握って前に突き出すポーズをしたシオンが立ち塞がる。幽霊がドアを抜けてきたら魔法を撃つ構えだ。その前に腕を掲げ直径2メートル近い青いシールドを展開したラウリが立つ。ひと言いうだけで最適な行動をしてくれる仲間って、思わず見惚れそうだ。ボクのボッチ偏向が最近ことあるごとに揺らいでる。頼り甲斐のある仲間に頼れるものは全部お任せして、ボクは階段の段差にだけ集中してエントランスアプローチの階段を降りた。後ろで団子になってた1班のメンバーが割れるように散り拡がる。


「なにがどう危険かわからない。みんな近づかないで。それと、剣は効かない。斬り掛かっちゃダメ」


玄関前広場の石畳にビビをそっとおろす。そうしている間にもビビの垂れた腕が握っている剣が地面に擦れ、煤煙になって消えていった。ビビの腕は上腕の真ん中あたりまで真っ黒になり、毎秒1ミリほどの速度でジリジリと上へ侵食してくる。見たこともない黒さだった。光を100%吸い込んでしまうのか、微妙な陰影すらわからないから立体感が掴めない。ただ腕の形に黒すぎる平面があるように見える。肩に達するまでもう200秒足らず。でもこの世界にはポーションという名の女神の恩恵があるのだ。高いけど。困ったときの14万円。じゃなくてグレードIII。軽傷なら瞬時に、重傷でも生きてさえいれば大体は修復してくれる優れもの。太腿ポーチから緑の小瓶を取りだして栓を抜き、ビビの腕に振りかける。振りかける。振りかける。


「え。マジか。侵食が止まらない。止まったみたいに見えたけど、よくよく見るとジワジワ侵食してる。だめだ」


ビビと目があった。ビビが恐怖と不安で汗びっしょりの顔にかすかな微笑みを浮かべて頷く。なんで頷く。ボクになにをしろと。ビビから目を逸らすと今度はノアと目が合った。ノアが頷き立ちあがろうとする。腰のバスタードソードの柄に手をかけていた。ボクと場所を入れ替える気だ。


「ノア。ビビの身体を押さえてて。ボクがやる」


ノアを制止し、ボクは後ろ腰に手をやった。そこに止めてある魔剣に手をかけ、魔力を通さないようゆっくり抜く。抜く前から魔力を込めると鞘が割れてしまうのだ。ロングソードなんかでゴリゴリ力任せに押し切るなんて恐ろしい真似はできない。目玉トカゲ戦で大幅アップした知力を試すときだ。ヒップバッグから折り畳んだ予備布を取りだし、まず紐状に破り取る。残りを横長に折り畳んでビビに咥えさせた。破り取った布を捻って紐にし、ビビの脇の下を通して全力で締め結ぶ。気持ちだけだが血行遮断。ノアがビビの足に座り込み腰を抑えてくれる。いやはや、外科医ドラマはいろいろ見たけどなあ。魔剣に魔力を込める。刀身が青く輝き出した。何度も練習して魔力の込め方のコツがわかってきていた。頭の奥というか頸の奥くらいがクイっと引き攣るように感じたら、魔力半分出ていったってこと。クイっときた。手が震えないよう深呼吸して、慌てずに魔剣をビビの上腕に構える。黒くなった部分から1cm上。息を詰め、重力のまま魔剣を下に落とす。豆腐に包丁を入れる感覚。骨に当たったときだけカスっとわずかな抵抗は感じたけど、手応えほぼなし。スルッと下まで落ちて石畳の石に切っ先が刺さる。グウッとビビの苦鳴が漏れた。ビビの身体が跳ねたがノアが押さえ込む。魔剣を地面から引き抜き、剣に滞留した魔力を自分にかえしながら腰の鞘に戻した。


「ノア。どいて。引っ張って黒いのから離す」


「おう」


ノアが立ちあがる。ボクはビビの身体を引っ張り黒くなった腕から離した。


「ミナト。止血する。ビビ我慢してね」


シオンが折り畳んだ彼女の予備布で血を噴く切断面を押さえる。すぐに血が滲み出した布をシオンが強く押さえた。ビビが頭を仰け反らせて苦悶する。痛いけどもうちょっとの辛抱だ。頑張れビビ。


「嘘。ミナト、やばいよ」


シオンの声で目を向けると、引き摺ったことで石畳に流れた血の跡にまで、黒の侵食が伝い始めていた。


「マジか。みんな、ビビを持ちあげて離す。シオン傷口をしっかり押さえて血が垂れないように。ビビ。もうちょっとだ。歯を食いしばって。みんないくよ。セーノ」


ボクとシオンとノアの3人がかりでビビを持ちあげ、血が垂れないよう注意して城前広場の反対側まで運んだ。1班のメンバーもビビの真っ黒になった腕とその切断を目の当たりに見てどよめいていた。そして漆黒がビビの腕そのものと流れでた血まで侵食していくのを見て、1班のメンバーもボクたちについて逃げだす。ボクが地面に正座し、ビビの頭を膝枕する。ポーションポーチから虎の子、オレンジのポーションを取り出した。40万円。今度ラーメン奢れよビビ。ライスもつけてね。なんていってる場合じゃない。買っておいてよかったグレードIIポーション。ビビの腕の切断面に3分の1垂らし、残りは飲ませる。フレルバータルさんのとき、身体の後ろ半分が破裂したみたいな怪我でも瞬速で治った。見つめているとまず出血が止まる。ビビの身体から強張りが解けた。痛みが消えたのだろう。切断面の肉が盛りあがるように増殖し始める。骨が雨後の筍のようにメリメリ伸び、骨にまとわりつくように血管や筋や神経や筋肉組織が伸び絡んでいく。ビビ自身も自分の右腕が無から再生されていく様を驚愕の表情で見つめていた。でもかなりグロい。ついに腕の再生がビビの長い指の指先まで達し、指紋まで正確に復元された皮膚が張って修復が終わる。ビビが不思議そうに右拳を握ったり開いたりしながら感覚を確かめていた。


「ふう。間に合った」


「ミナト。ありがとう。あんな高価なポーション使ってくれて。信じられない。腕が元に戻った」


「ギルドの食堂でラーメンライス奢ってくれたらチャラにするよ」


そこへアチバドラフ隊長とンガバ副隊長がやってきた。


「どうした。なにが起きた?」


ビビが慌てて立ちあがろうとするので押さえる。


「そのままでいい」


とアチバドラフ隊長。


「エ、エントランスホールに入ったところで、メイドの‥‥その。メイドの幽霊に襲われました」


「幽霊だと?」


「隊長ー。ウチらも見たよ。半透明で透き通ってて宙に浮いてた」


「ブリエン士長がメイドと接触し、全身をなにか黒いものに包まれて‥‥殉職なさいました。自分も斬りかかりましたが剣がすり抜けてしまい、接触した剣や腕が黒いものに包まれて侵食されましたが、ミナトさんの的確な処置で助かりました」


アチバドラフ隊長とンガバ副隊長が半袖になってしまったビビのシャツとそこから伸びる日焼けしていないブランニューの白い腕を見つめる。そしてボクが手にしたポーション瓶を見てどんな治療をしたのか察したようだ。


「ミナト殿、高価なポーションまで使用いただき誠に感謝いたします。この件は必ず司令部に報告し‥‥」


「あ。隊長さん。気にしないで。このポーションの件は既にビビ‥‥えっと、バイオレット・ドワイヨン2士と決着済みです」


ラーメンライスでね。なにかいいかけたビビの口を塞いで、あっちで着替えてこようねーとシオンが立ちあがらせる。なにもいわせてもらえずビビが引っ張っていかれたあと、立ちあがったボクの手をアチバドラフ隊長ががっしりと握る。いや、身体的接触苦手なんだけどもー。


「いくら感謝しても足りない。だがいまはなにがあったのかを知る方が先決だ」


そう。警備隊の限られた予算に関してはよくわかってますって。ボクは失礼にならない程度に隊長の握手から手を抜き出した。


「ブリエンが‥‥。その黒いのに覆われるとどうなる?」


「そのメイドがブリエン士長の身体を通り抜けた途端、ブリエン士長が真っ黒になって。そして、蒸発するみたいに、粉になるみたいに消えてしまいました。剣や鎧をすり抜けてますから金属では阻止できないことがわかります。ただノアのおかげで魔道具で張ったシールドで相殺されるらしいことはわかりました。魔法という状態そのものに弱いのか、魔法で生成したシールドに弱いのかはわかりません」


「つまりブリエン士長を殺したその幽霊メイドは倒したということか?」


「倒したかどうかはわかりません。シールドもメイドも接触した段階で粉々に砕け散りました。ただ元から幻みたいな奴でしたから」


そこまで聞いたアチバドラフ隊長は、横に立つンガバ副隊長に顔を向け相談し始めた。ボクたちの周りに1班の隊員が集まり、城門のあたりで2班のメンバーが伸びあがるようにこっちを伺っている。うーむ。幻か。なんか引っかかるな。あの何人ぶんものメイドを混ぜ合わせて煮込んでいるみたいだった相貌の崩れ。ボクが胸のモヤモヤを内視しているうちにアチバドラフ隊長とンガバ副隊長の相談がまとまったようだ。


「2班、3班を呼んで集合しろ!」


ンガバ副隊長が声をかける。裏に伝令役のコルビエール2士が走っていき、やがてガチャガチャと全メンバーが集まった。着替えを終えたビビとシオンも戻る。隊長が周囲を警戒しながら聞けと命じ、誇張も誤魔化しもなく起こったことを隊員たちに告げて、次に行うべき偵察行動を指示した。


「説明した通り、剣は効かない。『妖精と牙』のロビンソン氏とムトゥカ氏の装備する魔法シールドのみがいまのところ有効な手段だ。だからといってロビンソン氏とムトゥカ氏にすべてを任せて俺たちは見物していることなど許されない。みんな覚悟を決めろ。1班にロビンソン氏とミナト氏が同行して1階を調査する。異常の発見、間取りの把握と照明器具の魔石補給をおこなう。幽霊などという非現実的な呼称は使わない。便宜的に敵性現象と呼ぶぞ。敵性現象と遭遇したときは命に替えて冒険者チームを守れ。1班に欠員が出た。臨時で3班のガシェ曹長が入る。2班にはムトゥカ氏とシオン氏が同行して2階の検索をおこなう。3班は外周で警戒と退路確保だ。魔界の侵食による魔物の出現もあり得る。皆、心してかかれ」


剣も効かないというのに、誰ひとり腰の引けている隊員は見当たらない。もし幽霊メイドと遭遇しノアやラウリのシールド攻撃で迎え撃てない状況が生じたら、自身の身を挺して民間人であるボクたちを守る覚悟をしているようだ。1班の班長であるファウロス・ストラトス曹長と3班から編入したバスティアン・ガシェ曹長が先行して扉に張りつく。ガシェ曹長は小柄だが岩みたいな筋肉の持ち主で3班の副班長を務めている実力者だ。少し距離を空けて1班の副班長であるニケ・ミツォタキ曹長と隊員のダフネ・パパンドレウ士長が、階段を登るボクたちの前でボクたちのガードとなってくれてる。ふたりとも同じ金髪、同じ均整の取れた筋肉質の身体。成熟した大人の女性兵士の手本みたいな方たちだ。階段なのでミツォタキ曹長のお尻が目の前で揺れ、ボクなんかより遥かに豊穣なボリュームにちょっと固唾を飲んでしまった。これってセクハラなのか?


ボクたちの後ろにビビとリュシエンヌ・オリヴィエ1士が続く。その後ろにアチバドラフ隊長とカミーユ・コンスタン1士、そしてシオンとラウリ。さらに残りの隊員が間隔を開けて続く。固まって行動しないのは、固まっているところを幽霊メイドが一直線に通り抜けたらその1回の通過で大部分がやられてしまうからだ。指示されずともスムーズに動く。訓練されたプロの動きだと思う。


ストラトス曹長とガシェ曹長が両開きの扉をいっきに引き開けた。タイミングを合わせてボクが魔法の光球を飛ばす。そんな簡単な魔法でさえまわりの隊員から感嘆の声があがった。光の届く範囲に人影は見当たらない。ストラトス曹長とガシェ曹長が身を翻し、エントランスホールの左右へ滑るように侵入した。ミツォタキ曹長とパパンドレウ士長が班長たちのいた位置へ流れるように滑り込む。吹き抜けで広すぎるエントランスホールに光球1個で足りるはずがない。ボクはせっせと光球を作り右に左に飛ばしまくりながらエントランスホールに入り込んだ。先行し階段の後ろまで達した班長たちから「クリア」の声が飛ぶ。敵性の存在はいないことが確認されたという意味の言葉だ。後ろからビビとオリヴィエ1士とコンスタン1士がボクの横をすり抜けホールに散った。ビビが右周りで、オリヴィエ1士が左回りで、コンスタン1士が正面階段奥扉へ向かい、壁の魔導ランプに魔石粒をセットしていく。エントランスホールが明るくなった。


「うし。いくかー。いや、マジこえー」


ラウリを先頭にして、シオンがぶつぶつ呟きながら2班の4名と一緒に左のサーキュラー階段を登っていく。右の階段はンガバ副隊長と残り4名の隊員が登る。


「暗いよ。怖いよー。えーい。光あれ!」


そんな声が降ってくる。2階バルコニーがイッツ・ショーターイムって叫びたいほど明るくなった。


「2階バルコニー、クリア。わお。カッケー」


シオンがいってみたかった言葉のようだ。まあ、あいつはあいつなりに怖いのを紛らわせているのだろう。ボクの後ろにアチバドラフ隊長が立ち、さりげなく護衛してくれていた。


「魔石ランタンを用意。検索開始だ」


各自がランタンを灯し、ストラトス曹長とガシェ曹長にコンスタン1士を加えた3名が正面大扉の先へ。ビビとボクとノアとアチバドラフ隊長の4名が右扉の奥へ。ミツォタキ曹長とパパンドレウ士長とオリヴィエ1士の3名が左の扉へ向かう。ボクたちはヘッピリ腰ともいえそうなくらい用心しながら部屋部屋を回った。敵性現象と呼ぼうが幽霊と呼ぼうがなんでもいいけどさ、壁からニューっと飛び出してきてもおかしくない存在なんだから全身ハリネズミみたいに警戒しちゃってもしょうがないだろう。建物の右側は公的な趣のある執務室や書庫、来客用の談話室やゆったりくつろげるラウンジに併設してカードテーブルやビリヤード台などがある娯楽室などがあった。高価な絵画や骨董などを陳列してあっただろうギャラリーは荒らされ、壁の額の跡しか残っていない。右ウイングのいちばん奥にはかなり大きな浴場があった。この城が廃城になってから1年足らず。まだそれほど荒廃は進んではいなかったが、どこもかしこも埃だらけ。浴場の浴槽は干あがっていた。床の埃に不審な足跡なども見つけられず、ボクたちはエントランスホールに戻る。別チームの向かった方向や2階から非常事態を告げる声などは聞こえず、15分後にはまずストラトス曹長たち3名が戻り、異常のないことを報告した。奥の扉を抜けた先は巨大なラウンジになっていて、さらにその向こうは大舞踏会が開けるほどのダンスホールになっているそうだ。裏手に舞踏会の準備のための準備室や備品室が幾部屋もあったけどどこも異常はなかったという。2階のバルコニーからンガバ副隊長が身を乗り出し異常なしを告げる。そして最後に戻ってきたミツォタキ曹長たちのチームは、ひと目見てなにか異常があったこと教える重く不安げな表情を浮かべていた。


「隊長。ダイニングを見ていただけますか」


ミツォタキ曹長がいうにいわれないという口調で声を発する。問い詰めることなくアチバドラフ隊長が頷き、ミツォタキ曹長に次いで左の扉へ向かう。ボクたちもついていった。天井が吹き抜けになった大会議室を抜け、ダイニングルームへと入った途端、全員の足が止まる。惨状という以外に表現が浮かばないほどの破壊と混乱がそこにあった。黒檀の巨大なダイニングテーブルが真ん中から斜めに真っぷたつとなり床に倒れ込んでいる。シャンデリアの2つが落ちて砕け、椅子という椅子の断片が転がっていた。まともに元の形を維持している椅子がない。背もたれが切り取られたように消えていたり、脚が3本と座面の半分以上が欠けていたり。折れたり割れたりして吹き飛んだのなら破片が転がっているはずだが、欠損部分に対応するような破片は見当たらない。花台の一部が横に消失し、落ちて砕けた花瓶とドライフラワーになってしまった花。そう。消失という言葉がぴったりだった。壁にはまるでミミズが這ったかのようなウネウネした帯状の抉り傷が走り、床にも絨毯ごと抉れた筋が縦横に入っている。極めつけは壁に10cmもめり込んだ手形と、床が溶け落ちたようになって浮かびあがる人型の穴だった。


「これ、人の形してるよね?」


とビビが小声で呟いた。あまりの光景に軍隊調の言葉じゃなくなってる。


「床を突き抜けて下に落ちたみたいだ。ミナト光出せるか?」


ノアにいわれて光球を穴の中に放つ。下は貯蔵庫のようだった。並んだ棚は空で、人型の穴の下に倒れている遺体などは見当たらない。


「いったいここでなにがあったんだ?」


アチバドラフ隊長が呟く。それはボクも知りたい。


「ミツォタキ曹長のチームはこのまま奥を検索。15分だ。それでエントランスホールに戻れ。ミナトさんノアさん、申し訳ないのですがミツォタキ曹長に同行願えますか?」


あの幽霊を撃退できたのノアの魔法シールドだけだもんな。しょうがない。ミツォタキ曹長は修練場でもンガバ副隊長に次ぐ剣の実力者で、ボクの貴重な好敵手だ。いまのところ24戦11勝13敗と負け越しているので、こんなところで剣友を失うわけにはいかない。ボクは負けず嫌いな性格なのだ。光球を飛ばし、暗闇で蠢く者に神経を尖らせ、自分の動きにも細心の注意を払って行動する。短い距離でもひどく疲れる。奥の厨房はダイニングルームの狂乱が嘘であるかのように異常なく静まり返っていた。大失敗だったのは厨房奥にあった魔導冷蔵庫を開けてしまったこと。魔石が切れて、腐って落ちて溶けた肉やなにやらの残骸が発する究極の臭気が噴き出して鼻を直撃したことだった。臭気が目に染みるって、毒ガスレベルじゃないか。幸い換気扇が魔導器具だったため魔石粒を補給することで動かすことができた。換気しないと鼻が腐りそう。厨房の奥へ向かったパパンドレウ士長が通路への扉を見つけ、皆を呼ぶ。ランタンと光球で短い通路沿いにあった4部屋を調べるが、休憩室や事務室だったらしい部屋に異常はなかった。通路の突きあたりに扉があり、開けると螺旋階段で地下へ続いている。光球も1個だと大量の影が生じて錯誤しやすいので、あちこち方向をずらして4個も飛ばし、幽霊が潜んでいないか確認しながらパパンドレウ士長が階段を降りていく。すぐ続いてノア。有効な防御を持つノアが先行すると訴えたのだが、不意打ちで唯一の武器を失うわけにはいきませんと却下された。なにかあったら自分が真っ先にやられるってことなのに、なんていうか警備隊ってプロだと感動させられる。降りた先はかなり広い貯蔵庫だった。むろ効果でひんやり寒いくらい。棚にはなにもなく、荒らされてもいないようだ。ひっそりと持ち出されたのだろうか。魔導冷蔵庫の肉も持っていってくれたらよかったのに。天井を見ると人型の穴が見え、ダイニングの明かりが漏れ落ちている。目線を下に向けていくと人型の真下は貯蔵庫の棚と棚の間の床で、床石には傷や変色がない。まるで天井を突き破って落ちてきたなにかが、空中で消えたかのようだ。1階に戻るとアチバドラフ隊長とンガバ副隊長が相談している最中だった。


「厨房、地階の貯蔵室異常ありません」


ミツォタキ曹長が報告をする。


「ご苦労。ミツォタキ曹長のチームは外で陣の設営に合流してくれ。ミナトさんたちは残っていただきたい」


「了解しました」


とミツォタキ曹長。


「わかりました」


とボク。なんか返事が一般人丸だしでカッコ悪いな。といって「了解です」とか軍隊調でいうのもカッコつけてるみたいで気恥ずかしい。ンガバ副隊長がアチバドラフ隊長に促されてボクの方を向いた。


「シオンさんたちには3階、というか屋根裏スペースにある使用人たちの小部屋をひとつひとつ調べてもらってます。いまのところ上階では異常な現象や状況は見つかっていないのですが。西棟に城主の書斎と思しき部屋がありまして、なにやら書き殴られた大量のメモや魔法陣のスケッチが見つかっています。さらに書斎の奥にカーテンで隠された塔部分に入る扉がありまして、魔法陣式の鍵がかけられています。それでお聞きしたいのですが、ミナトさんたちは魔法陣の解析とかはおできになられるでしょうか?」


魔法陣魔法か。うーん。この前の目玉トカゲ大量討伐であげた知力で魔法陣魔法を扱うレベルには達してはいるけど、魔法陣魔法に関してはチュートリアルでも試せなかったし、これからじっくり研究しようとしてたところなんだよね。


「うーん。いちおう扱えるレベルにはなったんですけど、まだ試したこともなくて。他の人が作った魔法陣を読めるかどうかはわかりません」


「他の人が書いた魔法陣と自分が書いた魔法陣は違うのですか。魔法陣とはそういうものなんですか?」


「魔法陣って、いってみればプログラムみたいなもので、アルゴリズムの基本的な流れはあるのだけど細部は人によって書き癖というか組み癖というか、そんなものがでるんですよ。たとえば魔法陣によるドアのロック方法でも、かんぬきとなって壁側に押しだされて嵌るボルトをどう動かすのか。ある人は吸引の魔法を使うかもしれませんし、ある人は膨張の魔法を使うかもしれません。ドアと壁を接着する魔法なんてのがあってそれを使うのかもしれませんし、ドアの時間を止めて動かなくしちゃう魔法を使うかもしれません。そんな魔法があるかどうかは知りませんけどね。とにかく人それぞれなので解析には時間がかかると思います」


「ふむ。この城を拠点として接収するためには、あの敵性現象をどうにかしないとならない。あれがいったいなんなのかわからないことには、対策も取れない。この城の来歴を調べ、廃城となった出来事を探る必要があるな。魔法陣のロックがかかった扉の解析はミナトさんにお願いするしかない。他に手がかりが得られそうな場所はないようだし、2階の書斎を前哨基地として守備を固めよう。室内に『妖精と牙』の皆さんに詰めてもらい、我々は玄関から部屋までの通路と書斎内外を3交代で警備する。玄関脇に2名。階段登口に2名。階段上バルコニーに2名。書斎部屋前に2名。書斎の中に1名。これは私かンガバ副隊長が務める。書斎裏手のバルコニーに2名。トイレや食事休憩のための交代要員として3名だ。陣は屋敷の前広場にできるだけ屋敷から離して張る。トイレは陣内のトイレを使う。戦力を分散できないから、馬も可哀想だが厩舎ではなく陣の中に連れてくるように」


オシッコまで考えてくれてる。確かにこの建物内にあるトイレに入ってやれやれどっこいしょとパンツおろしてる最中に、あの幽霊が個室ドアを擦り抜けてウラメシヤーって襲ってきたら抵抗もできないで死ねるな。


「了解しました」


ンガバ副隊長が代表して答え、各班に指示を飛ばしていく。1班と2班が警戒配備につきボクたちは書斎に案内された。壁中の書物。巨大な黒檀のデスクの上も応接セットのテーブルやソファの上まで、数式や言葉を書き散らした紙で覆われている。ざっと見て書き散らかされた数式の中に魔法陣に関係したスケッチやコメントがあるとわかったので、上下の順番を崩さないようざっくり集め束にしてデスクやテーブルに置いた。書斎の奥にはバルコニーへ出るための天井から床まである巨大なテラス窓があった。窓から手前の木々と奥の山肌が見える。なんだかんだで時刻は16時過ぎ。西日が赤っぽくなり始めていた。日没1時間前って感じか。テラス窓の両側に塔のカーブした側面がチラッと見えている。黒檀のデスクを回り込んでテラス窓の前にいくと、窓の両側にある扉を示された。隠すように垂らされていたカーテンは開かれドアが露出していた。テラス窓から見える塔の直径はそれほど大きくはない。恐らく階段塔だろう。ドアの木面に魔法陣が彫ってある。左右の扉とも同じ魔法陣だ。時間をかけなくても記憶できるけど念の為に2度見して記憶する。黒檀デスクの横の床に散乱していた魔法陣スケッチに似た図形があった。床にまとめられた紙束を持ってデスクに座らせてもらう。スケッチをざっと眺めると3種類の魔法陣スケッチが混ざってしまったようだとわかる。種類ごとに3つに分けて分類した。


さて魔法陣魔法とはなんぞや。ゲーム『幻夢』の設定では、魔素を媒質として脳内イメージか物理的に描画された紋様による世界の基本原理に干渉するための改変プログラムなんだそうだ。魔法陣という基本の枠組みに事前に描画された魔法陣パーツを嵌め込んで組みあげた紋様に魔力を流すことで、魔素の流れを場に変換し空間や物体の存在のありように干渉して強力なエネルギー現象を発動させるもの。なんだそうだ。なんのこっちゃって感じではある。量子力学のコペンハーゲン解釈と似たところがあって、原理はよくわからないけど計算結果や事象の動作はピッタリ合うので細かいことは置いといて使えるじゃんってこと。魔法陣の基本構造は円の中心に魔力吸収面を置き、その周囲に同定環を配置することから始まる。同定環とはその魔法陣がなにをするための魔法陣かを記したもの。『火魔法』とか『水魔法』なんていう定型もあれば『重力勾配を曲げる空間魔法』なんて個別に命名する場合もある。次の円環にその具体的な魔法の紋様を描く。そこまでを中心としてその周りの円面部分が8等分されたピザみたいな構造になってて、『作用開始位置』『魔力発現方向』『作用を及ぼす空間の3次元座標』『作用強度』『作用の性質』『作用時間』『作用特性』『魔力増幅回路』の8ピースを事前に描きあげておいて用途に応じて嵌め込む。外周を固定枠で締め、魔力放出面を用途に応じて複数個配置する。最終的にすべてのピースの回路を繋いで魔力回路として完成となる。あとは相応の魔力を流し込んで発動させるというものだ。紋様すべてをひと筆書きのように書けば威力があがるが発動ラグが大きくなり精度が荒くなる。人間の血管のように枝分かれ構造にすれば威力は弱まるが瞬速で多重に精密発動させることができる。そのあたりが魔法陣の使い手のセンスと技量だといわれる。なのでまず中心の魔力吸収面から魔力がどう流れるのかを追いかけ、8ピースに入ってどう作用するようにデザインされているのかを読み解く。ドアの施錠魔法陣と一致するスケッチを見つけそれをデスクに広げた。記憶だけで解析するより、目の前にある書き込みを目で追う方が楽だ。


ボクがデスクに向かいウンウン唸ってパターンを分析している間シオンはなにをしていたかというと、部屋中をうろつき歩きベランダに出て外で警備しているビビとおしゃべりし、暇を持て余したのか火魔法でお湯を沸かしてみんなにホットチョコレートを配ったりしてた。ノアとラウリは部屋の中心部に椅子を集めて座り、幽霊がどこから現れても最短で対処できるように待機してた。ウロウロして目障りだったシオンだけど、そのうち本棚から皮表紙の大型手帳のようなものを引っ張り出し、ソファに寝転がって読み始める。静かにそうしてくれてる方が集中が切れなくてありがたい。『作用開始位置』は魔法陣の中心だとすぐにわかった。『魔力発現方向』はちょっと複雑で絡まったような紋様だったけど8方向への放射状だと解読できた。『作用を及ぼす空間の3次元座標』もドア面の8箇所に分散してあることがわかる。このへんまでで30分程度。『作用強度』はそれほど複雑じゃない。中間にある円環の中に記載されて魔法陣を一周しているから読みやすい。『作用の性質』がちょっと時間かかりそうだけど、全体像からたぶん物体伸長系だと想像がついた。ひとつひとつ読み解いていけば解析できるはず。残りの『作用時間』『作用特性』『魔力増幅回路』は定型文みたいなものだからそれほど時間はかからないだろう。解析の目処が立ったのでシオンの入れたホットチョコレートをひと口啜り。酷使した脳に糖分ねっとり補給して至福の表情を浮かべようとしたそのとき、部屋の外、廊下の先から叫び声が聞こえた。ラウリが機敏に立ちあがりドアを開けて左右を確認する。ノアはボクとシオンの側に移動しいつでもシールドを展開できるよう構えた。アチバドラフ隊長が廊下に出て階段へと走り出す。ボクも飛びあがってテーブルを越え、隊長の後をついていった。後ろからノアの「おいこら」って声がしたけど無視。ガード対象が真っ先に危険へ突っ込んでいったら、文句いいたくもなるよね。ボクの飛びだしが使命感や正義感からじゃなく、好奇心丸だしのヤジ馬根性のゆえだから申し開きもできません。


「デュカキス。上に逃げろ」


怒鳴るような声は2班の班長ピリッポス・カラマンリス曹長だ。テルモピュライの戦いで圧倒的多数のペルシャ軍と戦ったスパルタ兵みたいな鋼の肉体と顎髭のギリシャ風偉丈夫(いじょうぶ)。デュカキスと呼ばれたのは2班の副班長トリュファイナ・デュカキス曹長。腹筋割れてる褐色肌の女性兵士。体脂肪率ひと桁じゃないかと思う。見惚れてしまいそうな細身の筋肉美。剣を合わせると機敏性がハンパない。


「おい。化け物。こっちだ!」


ボクたちが階段上のバルコニーに達し下を覗き込んだときデュカキス曹長は階段の登り口で片膝を突いた状態、カラマンリス曹長はエントランスホールの中程に立ち、剣を投げつけたところだった。投げられた剣はデュカキス曹長とカラマンリス曹長の間に立つ半透明の執事を通り抜け、真っ黒になって床に落ちた。金属が大理石床に落ちる音はしなかった。瞬間的に像が乱れ、カラマンリス曹長の方を向きかけた半透明執事だったけど、映像のコマが飛んだかのように揺らめきデュカキス曹長へ向かってゆらりと動き始めた。メイドじゃなく執事。でもメイドのときのように顔や身体がぼこぼこと変形し、何人分もの集合体みたいに変貌するのは同じだった。階段下の立哨は幽霊との遭遇可能性が最も高いだろうとの判断から、2班の班長と副班長というベテランふたりが担っていたおかげで犠牲者をださずに済んだと思える。隊長グッジョブ。階段上にいて目撃したパパンドレウ士長にあとで聞いた話では、階段下で背を合わせるようにして全方向を警戒していたふたりのすぐ側になんの前触れもなく執事の幽霊が現れたのだという。幽霊執事はデュカキス曹長のわずか2メートル横に出現し、現れるや否やゆらりとデュカキス曹長に襲いかかったらしい。出現を目撃したカラマンリス曹長がデュカキス曹長を突き飛ばし、かろうじて接触を避けたのだと。もしこれが新米隊員だったら、なにが起きたかもわからないうちに階段へ突き飛ばされ腰を強打して茫然となり幽霊に侵蝕されていただろう。ベテランのデュカキス曹長だからこそバランスを完全には崩さず踏み止まれて、身体を階段に強打することなく次の動きを取れた。それが命を救ったわけだ。デュカキス曹長が後退りで階段を登る。幽霊執事が1段1段段差にぶつかっては浮きあがるを繰り返したおかげで、階段上まで逃げ切ることができた。


「みんなさがって!」


ラウリがブンとシールドを展開する。ボクの横を通り抜けようとしたときボクはその腕をつかんで止めた。


「待って。なんか。動きが止まってる。っていうかなんだろ。つっかえてる感じ」


「大丈夫なのか?」


「たぶん。ほら。見て。もがいてるけど前にも上にも進めてない。あそこが境界面なのか?」


幽霊執事がひとしきりもがき、だらんと手をさげた。やる気なさげに向きを変え階段を降り始める。


「玄関から退避して。外に出たらラウリが退治する」


ボクが大声で呼びかけると、玄関まわりにいた隊員たちがざざっと引いた。幽霊執事がゆらゆらと階段を降り、玄関へ向かう。玄関から10cmも出ないところでまたつっかえた。まるで見えない壁のパントマイム。動きはまるでゾンビ映画のその他大勢ゾンビ。延々と壁に頭をぶちあて続けている。そしてフッと消えた。


「消えた」


とデュカキス曹長。床に座り込む。


「消えたね。出現時刻16時40分ジャスト。出現時間60秒ジャスト。ジャストってところが、なんか法則性がある感じだなあ。いまはまだ計算できないけど」


机を飛び越えながらステータスパネルを開いて時刻確認してたのは我ながら冷静だったと思う。


「怪我や接触はないか?」


アチバドラフ隊長がデュカキス曹長に聞いてる。異常はないらしい。視認でもおかしな黒いのに侵蝕されている様子はない。


「デュカキス曹長とカラマンリス曹長が命をかけてくれたおかげで安全圏がわかったんじゃない?」


シオンが名探偵ホームズみたいに眉をしかめながらいう。さらにボクの方を向いて続けた。


「2階以上はセーフだよ。たぶん。だってあのオジサン、登ろうとして登れなくてつっかえてたしー。玄関でもそうだった。だから、外も大丈夫なんじゃないかな。馬たちを厩舎に戻しても距離からして安全じゃない?」


「うーん。わずか2例じゃ判断できないよ。確かにあの幽霊がエントランスホールまわりでしか活動できないって確率は高まったけど。例外は常にあるしなあ」


そんなことを話しているとアチバドラフ隊長が命令を発した。


「エントランスホールの立哨は中止だ。そのぶん2階バルコニーにひとり増員する。正面扉は常に全開して外から視認できるようにし、エントランスアプローチのはずれに立哨位置をずらせ。物品や食事を運ぶときが危ないから警戒役を3人にして周囲を警戒しつつ移動するように。遭遇したら絶対に交戦禁止だ。馬は厩舎に戻す。世話係に2名つけろ」


3班の夜番の人たちは早めに夕食を取って仮眠に入るようだ。書斎へ引きあげ回り込んでデスクに座ろうとしたとき、ソファに纏め置かれた紙束のいちばん上の数式が目に入って急停止してしまった。ごちゃごちゃと殴り書きされた数列の中からボクのよく見慣れた一般相対性理論の『アインシュタイン方程式』が目に飛び込んできたからだ。紙束を持ちあげてソファに座り1枚ずつ見ていく。シュヴァルツシルトの特殊解、別の紙にはホーキング輻射の数式もあった。どう見てもブラックホールに関する計算式だ。別の紙束には量子力学の基礎中の基礎、シュレディンガーの波動方程式が書かれている。重力理論と量子力学、あっちの世界の現代物理学でもまだ統合されないマクロとミクロの2大体系をこの城の城主はたったひとりで研究していたようだ。しかも現代物理学の難解な数式の列に混じって、魔法陣パーツのスケッチが同じ紙に書き込まれたりしていた。ミクロとマクロとマホウ。水と油と界面活性剤。構造からしてどうあっても混ざらない重力理論と量子理論を混ぜ合わせるのが界面活性剤的魔法理論ってことなんだろうか。学生時代の研究や勉強がどっと蘇り、つい読み耽ってしまう。


騒ぎでハッと我に帰った。声はまた階段から。ステータスパネルを開きながら部屋を飛び出す。時刻は夕方18時ちょうど。いつの間にか曇っていて窓からの光はほぼなくなり魔石壁ランプの灯りだけになっていた。階段方向を見る。その瞬間ざわめきが湧きあがり、背を向けた階段上立哨番の3人が後ずさるところだった。隊員たちの頭の向こうに半透明ながら青白いなにかがゆらめいて見えている。階段を登り切って2階バルコニーに乗ったということだ。


「全員。退避。こっちだ」


アチバドラフ隊長が叫ぶ。隊員たちが一斉に振り向き走って逃げてくる。その向こうに見えたのは包丁を持った料理人の幽霊。被っているコック帽が隊員の頭から伸び出して見えたわけか。ゆらっゆらっと足取りが覚束ないコックはときおり足が床に沈んだりしている。その度に沈んだ部分が乱れてモザイクになり、床の絨毯は足の形に黒くなる。でもビビの腕がそうなったように、黒い部分が侵蝕して広がる様子がない。生物と物体の違いなんだろうか。もっと見たくて前へ出ようとしたボクを力強い手が押さえつけた。


「こら。頭脳担当はじっとしてろ。これは俺たちの出番だろうが。皆さん。少しさがってください。このシールドのエッジは結構切れます当たらないように」


ノアの手だった。いつもの『僕』じゃなく『俺』だって。男っぽいじゃん。ブンッと風鳴りが聞こえシールドを展開したラウリが前に進み出る。ラウリから半歩さがって手摺側にノアが続く。幽霊が包丁を振りあげラウリに襲いかかった。ラウリが目に見えないくらいの速さで踏み込みシールドを突きあげる。幽霊コックの肘から先が粉砕されて細片となった。ラウリのシールドはかろうじて持ち堪えた。たぶん頭痛の前兆があるのだろう眉を顰めて、ラウリがシールドを幽霊コックに叩きつける。幽霊コックは霧散した。


「くうっ。なんか身体からごっそり抜けてくな。頭痛もきつい。でもまあ。やっつけたか」


「床の足跡に触るなよ」


ボクがノアの脇へいき、ヒップバッグから出した綿棒で床の黒い足跡を突く。ボクの耳垢は湿りタイプで綿棒は必須アイテムなのだ。こっちの世界で綿棒を再現してくれた人に感謝。絨毯繊維が焦げたみたいになって粉末化していたが、綿棒の綿を侵蝕することはなかった。床の石材は一部崩れて砂みたいたいになっている。ただこれも黒化する様子がない。ただの物体と生命体では侵襲度が違うみたいだし、生体が触れるとどうなるか試すには‥‥背中の剣を抜き人差し指の先をほんのちょっと切った。


「やだ。ミナト。なにしてんのよ」


シオンが騒いだけど無視。足跡の上に指を持っていき、傷口を親指で押す。絞り出された血の球がぽたりと落ちた。


「いや。安全性のテストだよ。確認しないであやふやにしてる方が怖くない?」


「確認って。指を切るのとどういう関係があるの?」


ボクは指の傷跡を舐めながら立ちあがる。


「ビビの血の跡を追ってきた黒いヤツって床とかにほとんど反応せず、血だけを黒いなにかに変えて伝い進んできただろ。生命体に対して反応するんだと思ってさ。この床の足跡は血を垂らしても反応しない。つまり本体が散華したら黒いのも無害化されるってこと。生きた組織と反応中の黒は別として。なんでたぶん、踏んでも触っても安全だよ」


それにしてもコックは2階まであがれた。執事はあがれなかった。メイドの行動範囲はわからない。


「アチバドラフ隊長。あの幽霊たちまた出ると思います。調べたいことがあるので今度出現したらボクにいろいろ試させてほしいんです。隊員の皆さんは絶対に近寄らず、逃げて距離を置いてください。よろしいでしょうか?」


「なにを試すのか。危険じゃないか?」


ボクは数歩みんなから離れて呪文を唱えた。


「画すモノ。理の断絶(ことわりのだんぜつ)。覆い慈しむ紡がれた繭。万物を退ける無色の盾となりて我が身を護れ」


ボクの周囲に青白い球体が現れる。


「おお。それは魔法の盾と同じ輝き」


「はい。ノアたちが使ってる魔道具が作るシールドと同じものです。しかも全周囲。魔道具と違ってイメージ集中や呪文なんかで発動に時間がかかっちゃうのが難点なんですが、事前に準備する時間さえあれば使えます。放出系だと簡単なんですが展開系はイメージが難しくて、ラウリたちのシールド展開を何度も見てようやくイメージが掴めたっていうか。これなら危険はないと思います」


結構魔力消費が大きいけど知力にポイントを振って魔力値をあげてあるから、5分間くらいは張ったままでもいけそうに思う。


「わかった。だがくれぐれも無茶はしないように」


「はい。それと鍵の魔法陣は目処が立ちました。でも、もっと気になる情報があったのでそっちを優先して調べたいと思ってます。ここで起きていることの手がかりになりそうな事柄です。ただ、かなり難解なので時間がかかります。やってみたものの謎が解けないかもしれませんが少し時間をもらってもいいでしょうか?」


「もちろんだ。いまこの城で起こっていることを解明できるのはキミしかいない。我々が力及ぶ限り協力しよう。ただ1週間後には現状報告のためベルダ・ステロへ最低でも1班は戻さなくてはならない。この状況で2班は危険度が増す。物資は2週間分しかない。なので1週間がリミットと思ってほしい。それを過ぎたら安全性を考慮していったん全員で撤退する」


「1週間ですか。解明できるかどうかなんて、まるで見当もつきませんけど頑張ってみます」


書斎班が書斎に戻る。書斎のドアは全開にされた。18時半になって隊長の命令により肉が全員に振る舞われる。士気鼓舞の意味だろう。バーベキュー式で長い金串に交互に刺された肉と野菜を塩と胡椒でじゅうじゅうに焼いただけの、シンプルだけど元気のでる夕食だった。ボクは金串1本で十分満腹になったけど、シオンとビビは2本、ノアとラウリは3本平らげる。あんまり食べ過ぎちゃうと、いざってときに動けなくなっちゃうしね。なんて思ってた18時45分。そのいざって事態があっさり訪れる。再びメイドが現れたとの呼び声が響く。ボクはロングソードもヒップバッグも外し、魔法短剣1本の身軽な格好になっていた。階段まで駆けていきながら呪文を唱え、結びのひと言「我が身を護れ」の直前で呪文をアイドリングさせたまま階段を5段飛ばしで駆け降りた。幽霊メイドはちょうどエントランスホールの真ん中をダイニングルームの方へゆっくり動いている途中。ブクブクニュルニュルと変形し続けるから、最初のメイドと同じメイドかどうかの判別はつかなかった。ボクはその横を抜け玄関扉に向かう。最初の幽霊メイドがノアに霧散させられた場所を超えてついてこれるか検証する。ついてこれないようだ。粉々になったあたりで、見えない壁があるかのようにつかえている。検証その2。すぐ横を擦り抜けダイニングルームへ向かう。散乱した家具につまずかないよう注意して、部屋から部屋への鬼ごっこ。タイムリミットだろうと想定していた1分が迫ってきたので、検証その3。エントランスホールに戻り階段を登る。メイドは恐ろしい形相でボクを追い求め階段を登ってきたものの、執事と同じ位置でそれ以上登れないでいる。そして思った通り1分ジャストで消えた。


「ふいい。命懸けの鬼ごっこだね。いや。スリルあるー。でもだいぶわかったよ。メイドと執事の出現範囲は1階限定。ダイニングのある西棟がほぼ全部活動領域のようだ。幽霊は壁もドアも通り抜けられる。けど痛いのか疲れるからか通り抜けたがらない。開いたドアがあればそっちへ行ってドアから入ってくる。コックだけは範囲が広く2階にあがれるから、コックは優先的に倒そう。メイドと執事は倒さなくても1分で消える。ノア、ラウリ。次からはお願い」


「おう。任せろ」


「ウチに任せるものはないのかね?」


「シオンとビビで手分けしてコーヒー淹れて。ヒップバッグに豆とミル入れてある」


「地味だなー」


文句いいながらビビとベランダに出て火起こししてる。しばらくして香り高いコーヒーが配られた。脳がカフェインで励起される。ボクは精神を焦げつくほど集中させ、数式と魔法陣の洪水へダイブした。なんとなくこの奥に解答があると感じる。あっちの世界での研究を思いだす。久々に脳細胞がビキビキいうほど活性化した。





【第2外周警備隊】

隊長:ダムディン・アチバドラフ大尉

男性。34歳。髭。


副隊長:ダメル・ンガバ中尉

男性。30歳。黒人。剣の達人


[1班]

01:バイオレット・ドワイヨン2士

女性。18歳。身長174cm。濃いめの栗色の髪、緑の瞳、瓜実顔の美人。【冒険者との混血】


02:リュシエンヌ・オリヴィエ1士

女性。22歳。


03:カミーユ・コンスタン1士

男性。22歳。


04:ダゴベルト・アベジャネーダ士長

男性。26歳。【負傷欠場】


05:ダフネ・パパンドレウ士長

女性。26歳。金髪。均整美。


06:ジョエル・ブリエン士長

男性。26歳。古参兵。目が大きく鼻も大きく口も大きいのにハンサムに見える。アンバランスが微妙なバランスで保たれた転生人にはない顔立ち。【メイドとの接触で殉職】


07:ニケ・ミツォタキ曹長

女性。27歳【副班長】


08:ファウロス・ストラトス曹長

男性。27歳。【班長】



[2班]

09:シャルリー・コルビエール2士

男性。19歳。身長186cm。明るめの栗色の髪、やや四角い顔立ち。垂れ目。


10:アルキダモス・カサヴェテス1士

男性。21歳。


11:ミハイル・カヴラス1士

男性。21歳。


12:レベッカ・ボワヴァン士長

女性。24歳。身長180cm。アマゾネス。濃い栗色の髪。青い目。優しい目鼻立ちだが筋肉がミシミシ。


13:ヴァランティール・フォレ士長

女性。24歳。身長184cm。アマゾネス。明るい栗色の髪。翠の目。男性陣と変わらない体格。鋼鉄筋肉。


14:ファビアン・ボーヴォワール士長

男性。25歳。


15:トリュファイナ・デュカキス曹長

女性。26歳。体脂肪率ひと桁じゃないかと思う細身で筋肉美。腹筋割れてる褐色肌の女性兵士。【副班長】

                   

16:ピリッポス・カラマンリス曹長

男性。27歳。テルモピュライの戦いで圧倒的多数のペルシャ軍と戦ったスパルタ兵似の鋼の肉体と顎髭のギリシャ風偉丈夫(いじょうぶ)。【班長】



[3班]

17:フォルミオン・ガヴラス2士

男性。19歳。身長182cm。オリーブ色の肌、黒髪、面長の顔、鷲鼻。ゴツい体型。2班ミハイル・ガヴラスの弟。


18:デスピナ・クセナキス1士

女性。20歳。身長174cm。アマゾネス。濃いめのオリーブ肌。女豹の印象のシャープな眉と目。


19:エウフロシネ・ラリス1士

女性。20歳。


20:ラファエラ・アブレイユ士長

女性。23歳。【負傷欠場】


21:ニコラ・ギャバン士長

男性。23歳。身長190cm。物静かで落ち着いている。体格はノアの方がいい、しなやかな筋肉。


22:ロジェ・ドパルデュー士長

男性。24歳。184cm。口髭の紳士。大人の雰囲気。長い脚。


23:バスティアン・ガシェ曹長

男性。26歳。【副班長】


24:セレイコス・カポディストリアス曹長

男性。28歳。【班長】


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