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16.ありふれた「二日酔い」と「修練」と「幽霊城」


記憶がない。いや記憶がないんじゃなくてそもそも顔を洗ってないんだから、顔を洗った記憶がないのは当たり前なんだけど。なので服を着たまま化粧も落とさないでベッドに突っ伏していた。シオンが大宴会の前にコスメショップを発見し、ボクがシャンプー・リンスと思われる商品に見入っている間に銀貨2枚も使って化粧品を買い込んでいたのだ。ノアたちが馴染みにしてる料理の美味い大衆酒場でパーティ結成記念の飲み会が始まり、ボクもシオンも初めてエールというものを飲んだ。苦いけど大人の味っていうものか。でも鼻に抜ける香りや清涼感が美味しいと思わせる。ドイツ料理をベースにした店のようで料理は最高だった。シュニッツェルっていう仔牛肉を叩いて薄く伸ばし小麦粉や卵やパン粉の衣をつけラードでさくっと揚げ焼きにした肉料理がとにかく美味い。シオン曰く「うみゃい」。口の中の脂っぽさをエールが流してくれていくらでも食べられる。アイスバインは塩漬けにした豚すね肉をセロリやタマネギなどの香味野菜やクローブなどの香辛料と一緒に長時間煮込んだ煮込み料理。塩漬け肉は旨味が凝縮し、口の中でほろほろ解れる。カリーヴルストは焼きソーセージにカレー粉とケチャップをかけたジャンク風味。もちろん子牛とか豚とかソーセージの中の肉とかはこの世界の動物なんだけど、どっちにしろあまりに美味しくてついエールを飲みすぎる。途中ミードという蜂蜜酒を飲んだ。蜂蜜に酵母と水で発酵させたお酒だそうで少しにごりがあったが蜂蜜由来のやさしい香りと甘味が快く、爽やかな余韻の後味。このへんからアルコールが回り顔が火照ってくる。シオンがボクを見て「オネーさん色っぽいねー」とかケラケラ笑ってたが、そういう自分も目がとろんとしてる。そのへんからシオンの暴走が始まったが、あっちで国の歌を歌うグループやこっちで馬鹿笑いしてる巨漢グループなどが賑やかすぎてシオンのキャハハ笑いなどぜんぜん目立たない。ノアは陽気な酒でシオンを煽り暴走に燃料をべるし、ラウリもシオンに絡まれながらニコニコ相手するもんで歯止めにならない。結局ボクは酔うに酔えず、シオンのストッパーになるしかなかった。とはいえ楽しい酒であったことは事実だし、各自の闘病話を聞いていても笑い話として聞けたりもする。シオンがあっちの世界での心残り100の38番目を嘆きだしたのが真夜中すぎ。高校に入ったら化粧しようと思ってたのに結局化粧できずに終わったことを話し出す。ボクがどうだったか聞いてきたので化粧したことないと答えると化粧をされてしまった。突如魔法のようにシオンの手に現れた刷毛で白粉を叩かれ眉を半分描かれる。そこで酔っ払いの脳内ショートカットが働いたらしく「やっぱり紅よ紅」と叫んでボクの唇に口紅を塗っている途中で寝落ちしやがった。宿までノアたちに送ってもらい部屋に入るときはボクが肩に担ぐようにして運び込んだ。ボクまでいっしょになって酔っ払いノアとラウリに迷惑かけたくない一心で酔いを抑えつけていたため、シオンをベッドに放り投げた途端酔いが怒涛のように回ったのだろう。


恐る恐る身体を起こすと頭の芯でガゴーンとノートルダム寺院の鐘がなった。頭が爆発しないように抑えつけてトイレへ座りアルコール臭い用を足す。タオルでも絞って頭を冷やそうと洗面台に向かう。鏡に映った自分の顔を見て唖然。昨日の帰り間際、なんでノアとラウリが背を向けて肩をぶるぶる震わせていたのか理由がわかった。真っ白顔にグネグネの眉。しかも左側だけ。そんで真っ赤すぎてマンマルすぎる頬紅。極めつけは唇で、唇の形の半分もない超おちょぼ口の形に紅が乗せられている。上下などはみ出してるし。情けないことに自分でも笑ってしまった。ガシガシ顔を洗って服を脱ぎ、素っ裸に宿の浴衣と半纏を着て露天風呂にひとり向かう。途中フロントで声をかけられ、昨日頼んだ洗濯物ができあがっていると告げられた。そのフロントのおじさんが夜中に帰ったときもフロントにいたことを思い出す。あの顔を見られたわけね。風呂あがりに取りに寄るとボソボソ返事して、逃げるように露天浴場に入った。昨日買ったシャンプー・リンスを使い、頭を揺らさないようにそっと優しく髪を洗う。寝る前に洗えなかったぶん隅々まで身体を洗う。頭を揺らさないファッションモデル並みのウォーキングで湯船に入る。クラゲになって温泉に浮かんでいると、頭痛のしこりが解きほぐされるようでずいぶん楽になった。朝っぱらから露天風呂に入るのはボクぐらいかなと思ってたら入り口から人の気配。もう出ようと思い湯船で立ちあがったら、入ってきたのはシオンだった。頭を抑え、前を隠すどころじゃなくヨタヨタと入ってくる。


「あ。おふぁひょー。みにゃと。頭痛いー」


湯船から出てシオンの前で仁王立ちし、指突きつけて宣言した。


「オマエ、当分禁酒な!」


「えーなんでよー」


とか喚くシオンを残して部屋に戻った。朝食を摂っているところへシオンが現れプレートに山盛りの料理を運んできた。二日酔いと食欲は別なのか。


「なんだかわかんないけど、ごめんよー。ミナト。昨日なんかしちゃったのかなあ。途中で記憶ないんだよー」


「あー。まったく。もういいよ。今後は自分の酒の量を把握しながら飲むんだぞ。今度飲み潰れたらそのまま置いてくからね」


「わかったー。でも楽しかったねー」


「まあね」


なんて、どうもシオンには甘くなるなあ。昨夜宿に帰り着いたのが真夜中すぎ。たぶん午前1時近かったはず。そこでバッタングーして目覚めたのが7時。食事してその後洗濯物を受け取りに行ったり下着を洗濯したりし、その後は部屋でぐだぐだしているうちに9時になる。ようやく二日酔いが抜けたようだ。シオンはその間ずっと化粧室にこもって化粧の練習。時折「ぎゃー」とか「はみ出たー」とか「ギャハハ」とかいう声が聞こえてくる。ボクは窓際で日向ぼっこしながら昨日ロスヴィータさんに教わった受け流しの動きについて脳内記憶を何度もリプレイしてた。ドアにノックの音がして出てみると、立っていたのは宿のフロントマン。昨夜ボクの化粧顔を見たフロントさんは勤務明けで帰ったのか、違う人だった。


「ロビンソン様とお連れの方がお見えです。ロビーでお待ちになられております」


とのことで白塗りお化けになっているシオンに顔を洗わせ、外出仕様で着替えてからロビーに向かった。全員剣を研ぎに出しているのでメインウエポンなしの状態だが、ノアとラウリは安物の鞘に入ったロングソードを携帯していた。


「ロスヴィータさんのところに研ぎを出すと代替の剣とか貸してくれるの?」


そう聞くとノアが首を振った。


「今日の試しのために買ってきた。刃引きの練習剣だよ。一応は鍛造剣だけどね」


「鍛造剣ってなに?」


とシオン。なに気にラウリに近い方の椅子に座り質問もラウリに向けてる。


「剣の作り方はふた通りあるんだ。溶かした鉄を型に流し込んで作る鋳造と、熱した鉄を叩いて折り曲げ、叩いて折り曲げを繰り返して形にしていく鍛造のふた通り。鋳造は複雑な形状でも比較的簡単に作れるのと大量生産ができるのが利点。鍛造はその工程から手間がかかるため1品生産になってしまうがそれだけ剣の強度が高い」


「鍛造の失敗作ではないけど、ちょっとしたバランスの悪い出来のものとかが刃を研ぐ前にはねられて練習用になったりするんだ。2本で銀3枚」


「やったね。ちょうど練習用に刃のない剣が欲しいと思ってたんだ」


「共用の貸し倉庫に預けるから自由に使ってくれていいよ。よし。じゃあ、新武器のお試しに行きますか」


東ゲートを出たところに馬車ロータリーがある。ここは商業区や工業区に商品や原料を運んできた荷馬車が荷をおろして空になった後、戻り道を利用した格安乗り合い馬車になるところだ。いろいろな理由からすぐに帰路につかない馬車もあり、そんな馬車をレンタルすることもできる。正規に箱馬車や幌馬車をレンタルするより半額近く安いのだそうだ。西ゲートにも馬車ロータリーがあり、こちらは農産物や畜産物など生ものを運んだ荷馬車が主で幌もなく匂いや汚れの問題もあってさらに低下価格になるという。いまのところそこまで窮していないボクたちは東ゲートに向かう。すぐに帰路につかない待機中の馬車と交渉してレンタル成立。北の山岳方面ルートを時速12km程度ののんびり歩速で30分ほど揺られ、林の手前で馬車を降りる。2時間か3時間ほどそこで待ってもらうよう話し、ぞろぞろ4人で5分ほど歩く。林を抜けたところに一面ガレ場の沢があった。跨いで渡れる程度の川がちょろちょろ流れている。ノアが肩掛けのバッグからランチャーを取り出した。ラウリがヒップバッグから弾を取り出して渡す。正面は山肌が崩れて剥き出しの崖になっている。距離にして30mといったところか。試射場では50mだった。威力は倍なのにそれより20mも近い。


「じゃあ、もったいないから1発だけ本当の威力の火炎弾を撃つよ。火炎の具合とか距離とか見て覚えて。洞窟とかダンジョンの通路内で撃ったときのことを想定して、至近距離で撃ったとき自分が巻き込まれない距離感を覚えておくように」


ヘーイと返事したシオンの腰が引けてる。ボクの腰もちょっと引け気味。ノアが構えて発射した。スポン。正面の岩肌に紅蓮の渦巻きが生じ、ふわっと花咲くように広がった。爆発とは違う。優美な炎の乱舞だと思った。直径5メートル近い炎の薔薇。ドゴンっと重低音。遅れて熱気が吹きつける。幸い髪の毛はパーマにならずに済んだ。


「爆発じゃないんだね。シルクの薄衣が拡がるみたい。でも熱っチー」


シオンがいう。薄衣なんて言葉知ってるんだ。確か成績もよかったんだよなコイツ。


「威力は凄いな。射線が直線なのが迷宮内でも使いやすい」


とラウリ。なんか軍隊調でカッコイイ。


「みんな、威力や距離感しっかり覚えておけよ。シオンやミナトが使う状況だってあるかもしれないから、そのときになって自分や仲間を巻き込んだりしないように。じゃ。ランチャーの試射はこれで終了だ。残り9発しかないからね。次はシールドを使っての立ち回り練習。最初はシールドのエッジの切れ味を試そう」


「あ。ボクはちょっと魔法のお試ししたいから離れるね。暴発したら危ないかもだから」


こんな郊外まできたのは街中では正規の威力の火炎弾試射ができないっていうのもあったけど、街中でやらかすと危険な魔法を試したいっていう理由もあってノアたちには最初に断ってある。コントロールを間違えてノアたちの方に飛んだとしても安全な距離って考えて100m以上離れた。自分には当てないようにするつもりだけど、当たったら死ねるかも。そうならないよう女神に祈って崖に向かい呪文を唱える。


生命の源(いのちのみなもと)。万物の始原。流れたゆとう雫。覆い包み浮かべる青。集い満ちよ」


ぽよん。空中に野球ボールほどの水の球が現れる。300mlくらいか。同時にボクの周りで空気が軋む。こんだけの水分を集めるために、ボクを中心とした直径約20mの球内の水蒸気を凝縮したのだ。魔法といえど無から有は生みだせない。そこらに水素ボンベが転がっていたら空気中の酸素と結合させてH2Oを作れるかもしれないけど。それだって無から有じゃないし、水素ボンベも落ちてない。有力な水源としてちょろちょろ流れる川があるけど遠い。あともうひとつ有効な水源があって、それがボクの身体の60%を占める水分だけど、身体の中の水分を抽出しちゃったらミイラになっちゃうしなあ。というわけで乾燥肌必至の魔法で水分凝縮したわけだが、このままなにもしないと落ちて地面の染みになるため水魔法呪文に続いて圧縮魔法を応用して水球を包む。圧縮魔法は2段階の動作をおこなう魔法で、1段階目が『隔絶』。そして2段階目で隔絶した対象を『圧縮』する。呪文の前段が『隔絶』にあたるイメージワードだ。


「繋がりの力。握り包む暗黒の渦」


この呪文により抽出した水分の周囲に外と隔絶する球面を形成する。その後の圧縮に続く前に球面に極小の穴を開けておく。


「開け点刻。穿つ極微の刺針」


表面に0.05mmの極微穴が開く。この穴はイメージ特性により球面上をツルツル移動しようとするので1箇所に固定するのが難しい。脳みそをギュッと絞って押さえ込む。そして圧縮。爆発系なら最後に「弾けよ」と命令形を入れるがそれだとただの水風船になってしまうのでカット。


「点への回帰。特異への歪み。内破する崩壊。狂える重力の収斂。玉響たまゆらの凝縮の果てに」


ボクが夜も寝ないでときどき昼寝しながら考えるに、魔法というのは魔素エネルギーにより空間のことわりを書き換え境界を作り出す物理的な現象だ。魔素エネルギーを使い空間の量子的な揺らぎに干渉して空間を歪めるともいえる。歪めた空間を境界面にして『マックスウェルの悪魔』効果を生じさせ熱を創出したり、空気原子内の電子を励起れいきして励起光を生じさせたり、巨大質量がないのに圧縮重力を生じさせたりする。マックスウェルの悪魔とはこの場合球状に形成した境界面のフィルター効果で、外から引き寄せた空気中の窒素や酸素分子は通さないが水蒸気は通すという選別機能を意味する。水球を包んだ隔絶曲面は独自の重力勾配を持ち、惑星との引力を9割以上無効化するので宙に浮かべることができる。そこで急激に縮小圧縮することで超高圧にし、極微穴から水のジェットを噴出させることができるはずなんだけど‥‥ヒュッと風切音を響かせて目の前の岩場に髪の毛のように細く白い筋が走った。極微穴の固定が難しく上下左右に揺れる。自分に向いたら大惨事なので緊張感半端ない。工業用ウォータージェットカッターの動画を見たことがあるが、研磨剤入りの水で金属でもなんでもスパスパ切断していた。噴出する水の圧力は80000PSIだとかいっていた。ボクの魔法スペシャルウォータージェットはそれ以上の圧力が出ていたみたいだ。目の前に転がっていた熊くらいの岩がバラバラになっていた。切断面がツルツルしてる。研磨剤も入っていないのにだ。


「すっご。でもコントロール間違えたら自分の身体がこうなるわけね。怖」


もう1回水球を作りジェットカッターで岩を斬る練習をした後、もうひとつの実験に取り掛かる。原理はわかっている。材料もある。問題は空間の曲げ方だ。イメージする。イメージにイメージを重ね脳に焼きつける。空間を筒状に区切る。注射器くらいの大きさ。両端に光を反射する鏡面となる空間構造をイメージするがこれがうまくいかない。筒状の歪曲空間に大気中の78%も存在している窒素を抽出して詰め込む。そこに魔素エネルギーを強烈に送り込み『反転分布』という状態に励起させる。基底状態と呼ばれるエネルギーの低い安定状態より励起された高エネルギー状態の電子を持つ原子が多い状態のこと。そこで1個の励起状態原子が基底状態に戻るとき光を放出するのだが、放出された光が近くの励起状態原子のトリガーとなって連鎖反応が生じ次々に光子が発生する。この連鎖によって放出される光子は波長や位相や進行方向が同一の光であり、これを称してレーザーと呼ぶ。筒状空間で発生し長軸に沿って走る光は筒の末端にある反射空間で跳ね返され再び窒素の雲へ戻り、そこで新たな励起状態原子と衝突して雪崩のように放出が増大する。この反射と励起光発生連鎖を光の速さで何千回と繰り返し、増幅された光を最終的に筒状空間の1端から外へ放出させると‥‥うーむ。ダメだ。レーザーポインターレベルにはなるけど武器にするには威力が足りなかった。紫外線波長の強力なレーザーのはずなんだけどなあ。放出時、レンズのようなもので集光したほうがいいのだろうか。いろいろ試したが空間操作でのレンズ形成が難しく今後の課題にした。うーむと頭を捻っていると後ろからドゴンっと爆発音。振り返るとノアの展開しているシールド面で燃えあがった炎が、メラっと揺らいで消えるところだった。20mほど離れたシオンがもう1発、圧縮火魔法を放つ。もう一度ドゴンっと音が響き、炎が消えると同時にシールドの輝きも消えた。


「魔法なら2発ってとこだねー」


「安全性を考えるなら2発目の打ち消しは期待しないほうがいいだろうな。原則として剣でも矢でも初撃の回避って使い方にしたほうがよさそうだ。過信しないでいこう」


ラウリが頼もしい。


「あ。おかえりー。ミナト。なんか凄い魔法開発できた?」


「水魔法は使えそう。だけど水源が近くにないと連続使用ができないな。もうひとつは失敗。今後に期待だね。シールドはどお?」


「おお。使い勝手はいいぞ。思った瞬間に展開できるし。僕は連続で5回展開したら眩暈がしたから、いまのところは連続使用4回が限界だな。ラウリは6回まではいけるようだ」


とノア。ノアもラウリもステータスに関してはオープンな考えのようで、ボクには現状の数値を教えてくれてた。ノアの魔力値が8、ラウリの魔力値が12。魔力値2につき1回展開できる感じかな。


「ステータスの知力をあげてサブ項目の魔力があがればもっと回数使えると思う」


「お腹減ってこない?」


色気より食い気かシオン。


「そだね。休憩してお昼にしようか」


パンは買ってきてある。厚切りハムもゴッサリ買った。朝作りたてのマヨネーズも買ってきた。レタスに似たこっちの世界産のサラダ菜もいっぱい。味も見た目もトマトなんだけど薔薇みたいな花の中心に実る野菜も最初からスライスしてある。熱々の玉ねぎモドキスープと厚切りハムサンドで昼食を摂った。馬車の御者さんにも届けてあげたら大感謝される。食後すぐに激しい動きなどすると消化に悪そうなので、ノアに協力してもらって受け流しの打ち込み稽古をした。受け流しの力の流れをゆっくり動いて確認したり、攻守交代してノアが試したり、和気藹々(わきあいあい)と練習を重ねる。打ち込み動作は全力時の4割程度。これにはたっぷり1時間もかけた。最後の方で実戦の打ち込みスピードにまで段階的に戻して受け流すタイミングを見切ろうとする。ロスヴィータさんの示してくれたタイミングには届かなかったけど、剣を合わせるときに「ガイーン」じゃなく「シュリン」と涼やかな音が出る程度にまでは習得できた。ロスヴィータさんの場合は音など出なかったんだけどね。横ではシオンとラウリが魔法の練習をしていた。模造剣は2本しかないからしかたなくだけど、シオンが嬉しそうだからそれはそれでよかったのかもしれない。剣の練習だと相対する向きだけど、魔法のコーチングなら寄り添ったりできるもんね。でもノアが全力打ち込みの8割程度の力を込めたとき、タイミング的にはバッチリだったはずのボクの剣が押し返される。咄嗟に身体を捻ってかわしたものの切っ先がボクの鎖骨に向かう。ノアが必死で寸止めしようとしてくれたけど勢いがあり過ぎた。刃のない剣といえど鉄の塊だ。ゴンと音がして左半身に激痛が走る。


「大丈夫か。ミナト」


ノアがうずくまったボクに駆け寄る。ボクは衝撃の大きさに返事を返せない。シオンとラウリも駆け寄った。


「ミナトー」


シオンが涙目でオロオロしてる。ノアが腿に結えたポーションポーチから小瓶を抜き取りボクの肩に振りかけた。ヒヤリとした瞬間、スッと痛みが引いていく。顔をあげノアの手にした瓶を見てびっくり。グレードIIIのポーションだ。金貨1枚銀貨4枚。14万もする高級ポーションを惜し気もなく。


「腕は動くか?」


とノア。ボクは腕を回してみる。痛みもなく動きも実にスムーズ。


「ありがとう、ノア。問題ないよ。ノアがブレーキかけてくれたし、身体沈めて衝撃逃したから骨折まではいってなかった。グレードIIIはもったいなかったなあ」


「そういう問題じゃない」


とノアにもシオンにも怒られた。へーい。素直に謝っておく。


「やっぱり受け流しは難しいかも。相手の剣の軌道を変えるって、ボクとノアじゃあ身長差や体重差、筋力の差が大き過ぎて小手先の動きじゃ流せない。Youtubeとかでやってたのは約束稽古ってやつで、打つ方も受け流す方もお互いわかって動いているダンスみたいなもんだったんだろうなあ。よっぽど実力差があるとか体格差なんかで優位に立ってるとかじゃないと、タイミングがナノセカンドレベルになってしまって常人じゃ無理。ロスヴィータさんって超がつくくらいの達人だよ。ボクら凡人はロスヴィータさんのアドバイスに従って、原則は斬り結ばず機動力を活かした高速ステップで動く戦い方を心がけよう」


怪我は瞬間でなかったことになったし、充分に腹もこなれ身体も解れて暖まったのでそれからは試合形式の練習をすることにした。最初にボクとノアが対戦。いちおう寸止めってルールだけど当たって怪我してもグレードIVポーションで治療しつつ選手交代ってことで試合開始。グレードIVでも8万円する。機動戦闘を心がけつつも怪我させないように動きをセーブする。機動力というより総合力の差でノアも、続くラウリも翻弄できた。瞬発力や反射神経が20を超えているボクに対して、ノアとラウリはまだ19。ステータスもこのへんまでくると1ポイントの差とはいえ大きい。ステータスが2ポイントから3ポイントになっても能力の伸びはわずか0.06倍にしかならないけど、19が20になると0.12倍の伸びになる。そのうえ敏捷性だけじゃなく知力の思考速度や情報処理能力、感覚の動体視力などの差がアドバンテージになった。ノアやラウリはボクから見るとスローモーション。フェイントにもよく引っかかるし敵じゃない。手加減して7割の動きでも勝ててしまう。シオンの場合、ボクの動きにはついてこられたがチュートリアルも含めた実戦経験が足りずいま一歩。ただバスケの動きを応用したステップは侮れないと思った。ワイワイガヤガヤ、シオンがいるおかげで明るく楽しく朗らかに練習ができる。コミュ障のボクにとって、ネット越しじゃなく生身の身体で仲間とわいわい剣の練習なんてしたのは初めての経験だった。楽しかった。2時過ぎて太陽が真上に登り直射がきつくなってきたので練習終了。男性陣とは距離を置きチョロ川の水と水葉で身体を拭いたりトイレを済ませたり、帰り支度をする。馬車が街に帰り着いたのは昼の3時。夕食には早いし宿でゴロゴロするのもなんだし、中途半端な時間だった。


「警備隊の隊長さんの招待、とりあえずこれからいってみる?」


シオンのひと言で午後の予定が決まる。警備隊の庁舎は中央広場の北西部。ギルドの建物のはす向かいに位置していた。要塞みたいに堅牢な建物だ。日本でいう警察みたいな位置づけにあるからゴツイ印象なのだろうか。入り口には立哨が立っていた。こういうときの渉外担当シオンが進み出て『妖精と牙』を名乗ると、スムーズに中へ入れてもらえる。立哨さんが案内役の人を呼んでくれてボクたちは建物内へと導かれた。建物の中で回り込むように進んで裏へ抜ける。そこには巨大な厩舎と野外運動場、体育館みたいな修練場が立ち並んでいた。修練場の開け放たれた窓から気合いの掛け声、打ち合わされた多数の剣の音が漏れ聞こえる。両開きの扉が開かれた途端、剣戟の音は耳をつん裂くほどの轟音となり押し寄せた。恐る恐る覗き込むと、20人以上もの警備隊員が対になって試合っている。全員が防具を着け刃を潰してあるのだろう模造剣での打ち合い。防具は西洋風甲冑ではなく日本の剣道の防具みたいだった。頭部前面が剣道で面金と呼ばれる金属の格子状になっている。胴には胴鎧、手足には保護金属入りの籠手や脛当てを着けていた。見るからに激しい打ち合いで、剣での斬り合いにとどまらず接近しての打撃やつかんでの投げまでかなり実戦に近い。防具を着けているとはいえ打撲はあたりまえ、ときに骨折もあり得そうな稽古だ。入り口で立ちすくみ眺めていると案内係がすらっとした黒人男性を伴って戻ってきた。


「第2外周警備隊、副隊長のダメル・ンガバです。隊長から話は聞いております。どうぞこちらへ」


アガワルさん一家の集落を救援にきた警備隊で、隊員たちに実務的な指示を出し先頭に立って二角馬の世話や犠牲者の埋葬手配をしていた人だった。忙しくされていたのであのときは直接言葉を交わしてはいない。奥に案内されて進んでいくと剣戟の音が急に静まった。チラッと見るといままで切り結んでいた隊員のほぼ全員が手を止めボクたちを見ている。ほとんどの顔に見覚えがあった。アガワルさんの集落で一緒に埋葬作業もして言葉を交わした隊員たちだ。顔見知りといえたが、なんか改まると恥ずい。顔が火照り下向いてしまうボクの横でシオンが手を振って愛想を振りまく。案内されたのは奥のドアを抜けた先にある巨大なロッカールームだった。端の方へ案内されて示されたロッカーにはネームプレートホルダーにすでにボクたちの名前と「ゲスト」の表示が書き込まれていた。どうぞといわれ、こういうときいちばん遠慮のないシオンが自分の名前が書かれたロッカーを開けた。扉を開けると中に防具一式と模造剣が入っている。


めんや防具類は未使用の予備備品からご用意してあります。警備隊はロングソードが規定装備なのですが他武器との戦闘を想定して各種タイプの模造剣を用意してありまして、バスタードソードと双剣は備品がありましたので出しておきました」


「メン?」


ノアが聞く。ラウリもわかってないみたいだ。


「この頭部防具です。日本の剣道で使われている防具を改良したものです。顔面保護部分を面金めんがねといい、甲冑式ヘルメットに比べて視界が広いので実践形式の練習には欠かせません」


ボクはシオンのロッカーからシオン用に用意された面を手に取った。


「頭頂や後頭部の厚布の中にも金属が入ってる。しかも表面に革が貼ってある。改良されてるわけか。剣道だと肩まで覆う垂れみたいな部分が大きいけど、こっちはどっちかといえばフェンシングに近いかな。首周りを防護する感じ。あ。前後でふたつに割れるのか。なるほど」


「女性の方には髪を抑える布キャップが用意されてますのでお使いください。あそこに見えていますさらに奥へのドアの向こうがシャワー室になっています。男女別の更衣室はそちらにあります。では、防具を着けられたら修練場へ。ウォーミングアップのための打ち込み用の木偶でくや筋肉トレーニング用の器具がありますのでご自由にお使いください」


ロッカーの中には汗拭き用のタオルまで用意されている周到さ。自前のミスリル胴鎧はボクの身体に密着しているし修練用の胴防具を装備する邪魔にならないので、胴防具は上から重ねて着けることにした。籠手と脛当ては自前の物より防御金属芯が多かったので自前の分は外し、少し重いけど手足に着けた。肩当ては普段着け慣れていないからどこか重く感じる。肩の可動域がほんの少し制限されるからだろうか。腰防具は革と厚布と金属帯の腰巻きタイプ。前が開いているから動きに制限はかからなそう。で、最後に面を着けてみる。実際に触った経験はないけど、動画で見た剣道の面より面金の隙間が大きく、特に目の前は3cm近く開いている。剣が縦にあたった場合は面金が受け止めてくれるが、剣が横にあたった場合は面金の隙間に刃が入り面金の縦芯1本のみで受けることになる。受けるときに注意がいるな。そんな注意点をみんなに伝えながら修練場へ向かう。だだっ広い修練場には床面に巨大な枠が引かれていて、それがさらに縦横5分割の25マスに分割されていた。そのひとマスにふたりが入って対戦しているようだ。


「挨拶するよー。大きな声でね。よろしくお願いしますっていうからね」


シオンが率先してボクたちを白線枠の手前に並ばせ挨拶させる。


「よろしくお願いします」


4重奏が響き渡る。返事は「オス!」の一斉大音響。ぐわ。大声苦手。なんか日本的だ。最初は道場の隅にある木偶スペースでストレッチ。続いて軽く打ち込み練習をしながら慣れない防具装着時の動きを探る。だんだん身体が温まり額に汗が滲む頃、シオンがボクを呼んだ。


「ねー、ミナト。半分くらいの力で面を叩いてみてくれない」


「いいけど。半分?」


「クラスで剣道部にいた子に聞いたことあるんだけど、あんな軽い竹刀で叩かれてもめっちゃ痛いっていうのよ。こんな鉄の塊で殴られたらどうなるか半分の力くらいで試しておかないと怖くて動けない」


「なるほどね。わかった。じゃあ、いくよ」


「あ。待って。心の準‥‥ギャン!」


こういうのはダラダラ時間を引き伸ばしても怖さが募るだけで、思い切っていっちゃった方が楽なんだよシオン君。


「ガイーンってけっこうな音がしたね。どお。シオン」


「あー。ビックリしたけどなんともないや。しかしミナトひどい!」


「じゃあ、ボクの頭も叩いてみて」


「うっし。覚悟しろよ!」


「半分の力‥‥っ」


やると思った。ふむむ。なるほど。衝撃はあるけど、分散されて痛みはないな。全力でも意外とダメージなさそうだ。その後もお互いに攻守を変え胴鎧や手甲、足甲の上から叩き合い、大怪我にならないことを確認した。ノアとラウリも面金や胴鎧の防御力を試している。防具を着けての動きにだいぶ馴染んだ頃、ンガバ副隊長が声をかけてきた。


「皆さんそろそろ身体も温まったご様子。いかがでしょう、うちの隊員と立ち合い形式の試合など。隊長の方からも是非立ち合ってもらい隊員たちの気合を入れ直してもらえといわれております」


「試合。あ。やってみたい」


ボクがぐずぐずしてるうちにシオンが受けちゃってた。ノアとラウリも嫌じゃなさそう。


「戦闘のプロと立ち合える機会なんてそうそうないしな」


とノアがいい、ラウリも背中に闘志が滲み出てた。


「自分達の力量を知れるいいチャンスだろう」


3人の勢いに押されて影の黒幕はタジタジとなり承諾してしまう。影の黒幕って立場弱くない?


「あの。えと。皆さん実戦経験者ですよね?」


とボクが聞くとンガバ副隊長は頷いた。


「先日の盗賊との戦闘には第1警備隊と合同で、さらに休暇中だった者も招集して全員参加しております」


なるほど。アガワルさんの集落にきてたのは隊長と副隊長を入れて18名。見知らぬ顔が何人かいるのは休暇中だったってことか。実戦経験者ってことは、かなり本気でやらないと恥掻いちゃいそうだな。


「あのー。盗賊って何人くらいいたんですか?」


とシオンが口を挟んでくる。


「52名おりました。4名捕縛、残る48名は討伐されています」


「逃げおおせた盗賊とかはいなかったんでしょうか。全員ですか?」


「後に捕縛した者たちを尋問もして確認しております。全員でした」


「そっか。よかった。じゃあ、逆恨みした残党とかがアガワルさんたちの集落を再襲撃したりする心配はなさそう」


シオンっていい子だなあ。そう思いつつ対戦準備する。


「バイオレット・ドワイヨン2士。コート12でシオンさんに揉んでもらえ」


元気よく「はい」と応えた若い女性隊員が3列目左からふたつ目のコートに立つ。栗色のセミロング髪を後ろで1本に結っている。緑の瞳、瓜実顔の美人だ。身長は170cmのシオンより4cm近く高い。


「シャルリー・コルビエール2士。コート13でムトゥカさんと」


こちらは男性。かなり若い。まだ20歳前だと思う。明るめの栗色の髪、やや四角い顔立ち。垂れ目。細めな体型。ラウリよりわずかに背が高い。身長186cmってとこか。


「フォルミオン・ガヴラス2士。コート14でロビンソンさんと」


こちらも男性。コルビエール2士と同じ感じでかなり若い。まだ20歳前だろう。オリーブ色の肌、黒髪、面長の顔、鷲鼻。身長182cmって感じかな。ゴツい体型。ノアより背が低いがゴツさは彼の方が目立つ。


「デスピナ・クセナキス1士。コート15でミナトさんと」


ひと目見てアマゾネスだった。濃いめのオリーブ色の肌。女豹のような印象のシャープな眉と目。アガワルさんの集落では会っていない。あのときには休暇中だったのだろう。胸がでかい。身長はシオンの相手のドワイヨンさんと同じに見えるから174cmか。体重は絶対6kg以上差があると思われ。しかも階級が1士っていってたから、シオンたちの相手より上の階級じゃないか。経験も修練年数も上だと思う。なんとなく遭難パーティの救出成功者ってことで過大評価されてるような気もするぞ。あんまり惨めに負けるのは嫌だなあ。とはいってもいまさら嫌とはいえないし。枠内に入って対峙し礼をする。審判役だろうか、各対戦に隊員がひとり付いた。残りの隊員は枠外に出て注視してくる。視線が痛いなあ。


「当ててもらって構いません。では。始め!」


ンガバさんの声が掛かる。目前のクセナキスさんに全集中。中段。右足を半歩前に出しどっしり構えている。ボクはフットワークを活かすため歩幅は狭く前に出した脚より後ろに残した足に重心を置いて下段の構え。クセナキスさんの息遣いがはっきり見える。吸って吐いて、吸って息が止まり脚が滑り出た。剣があがり「シッ」という気合いと共に打ち込まれようとする。綺麗な動きだった。見惚れていたら脳天を割られていただろう。相手の剣先の軌道が感覚でわかる。脳天がムズッとするのは軌道上にボクの頭があるからだ。重心をほんのわずか後ろに戻し前に出した脚を引くことで頭のムズムズも鼻先のムズムズも消える。後ろの足を踏ん張り、下げた脚を起点にして身体を自分から見て右にずらす。下段にさげた剣を身体の横に寝かすようにして重心を前へ。1歩前へ進むと身体の左側をクセナキスさんの剣が切り裂くように落ちた。ちょこんとステップを踏み身体を押しつけるように前へ出ると、横に寝かせた剣の刀身がクセナキスさんの脇腹に滑り込む。彼女も体重をかけていただけにダガンッと大きな音がしてクセナキスさんの口から「グッ」と息が漏れる。なんというか、緊張する暇もなかった。栓を抜いたお風呂の水が排水口に吸い込まれていくように、身体が自然と滑り剣が引かれるように相手の胴を舐めただけ。相手の剣筋があまりに素直だったため、かわして打つだけの単純作業みたいだった。シオンの方が100倍厄介な動きをすると思う。


「1本。そこまで!」


審判の声がかかる。膝を突いたクセナキスさんが顔を顰めて脇を押さえていた。


「あ。大丈夫ですか?」


膝を突いて顔を覗き込むと、クセナキスさんは痛みに顔を歪めながらも口元を緩め頷いてくれた。


「参りました。大丈夫です。ただの打撲です」


そういって立ちあがる。横で連続して「1本!」の声が響いた。顔を向けるとノアの相手ガヴラスさんは肩を押さえて座り込み、ラウリの相手のコルビエールさんは剣を取り落とし手首を押さえていた。さらにその向こうでシオンの相手のドワイヨンさんが右脛を押さえて床に転がっていた。俗にいう弁慶の泣き所を強打されたんじゃないかな。脛当てに金属帯が入っているとはいえ直撃されたら悶絶級だろう。正式な剣道では足狙いは禁じ手になるみたいだけど、盗賊や魔物にフェア精神を期待してもねえ。ざっと見るに相手は皆打撲レベルで重大な負傷は負っていないようだった。ほっと安心。招かれた客の立場で相手に大怪我続出させるのも失礼だし。


「うーむ。1年隊員では相手にもなりませんか。皆さんもう1試合よろしいですか。次はもう少し手応えがあると思いますが」


「オッケーですよー。いいよねミナト?」


影の黒幕は事後承諾しかできないみたいだ。頷くしかないし。


「ではレベッカ・ボワヴァン士長。シオンさんと。心してかかれよ」


「了解しました。胸を貸していただきます」


ボワヴァン士長はクセナキスさんを超えるアマゾネスだった。濃い栗色の髪。青い目。大人っぽい優しい目鼻立ちだが、腕や脚の筋肉がミシミシいってる。20代中頃か。身長180cm。ロングソードを片手で軽々と振り回している。大丈夫かシオン。


「ヴァランティール・フォレ士長。ミナトさんと手合わせ願え」


「よろしくお願いします。お手柔らかに」


お手柔らかって、こっちがいいたい台詞だ。上には上がいる。さらなるアマゾネス。ベリーショートの明るい栗色の髪。翠の目。男性陣と変わらない体格。鋼鉄筋肉。絶対腹筋割れてる。身長185cmはあるし。ボクと身長差17cm。打ち合ったら絶対押し負ける。ノアの相手はニコラ・ギャバン士長。20代中頃だろう。物静かで落ち着いている。体格はノアの方がいいがしなやかな筋肉って感じ。身長は190cm近くあるだろう。ラウリの相手はロジェ・ドパルデュー士長。口髭の紳士。大人の雰囲気。長い脚。ラウリと同じくらいだから184cmってとこか。それぞれ面を着け枠に入る。1礼して構える。ボクはもう一度下段に構えようとして、なんとなく合わない感じがした。変則だけど剣を前ではなく脇に抱えるように構えた。フォレ士長の目に微かな揺らぎを見た。


「初め!」


号令と共に息を盗み、『縮地』で距離を詰める。脚を前に出して後ろの足で地面を蹴るのではなく、前に伸ばした左脚を引き折ることで支えをなくし身体が前に倒れるようにすることで重力を利用し一瞬の加速を稼ぐ。古武術動画で見た技で、ノアたちに試して実効性は確認済み。普通は前に出した脚を踏みしめて支点とし後脚を蹴って前に大きく1歩踏み出す動作となるが、身体が前のめりに倒れる勢いのぶんワンステップ速い接近が可能。相手からするとまるで地面が縮んだかのように見えるから縮地っていうのだそうだ。息を盗むというのは相手が息を吸いかけた瞬間に行動を起こすこと。人間の特性として息を吐いた直後、吸気に転じて横隔膜がさがろうとする瞬間はコンマ数秒筋肉が弛緩する。フォレ士長が身構えて剣先を向けようとしてくるが、間に合わない。そこに追い打ちをかけて抜いた脚を前に突っ張ることで方向を変えフェイントにする。左へ向かっていたボクの身体が右へ抜け、脇に構えた剣がフォレ士長の踏み出した脚を薙ぐ。ふくらはぎの横を強烈にヒットして怯ませた隙に、ボクはほとんどフォレ士長の後ろに回り込んでいた。振り抜いた剣を返して背後から袈裟斬りにする。


「1本!」「1本!」「1本!」「1本!」


ほとんど同時に「1本」の掛け声が4重奏となる。フォレ士長は最初のクセナキスさんより熟達していたが、やっぱり素直なぶんだけフェイントによく釣られる。結構緊張したが身体的には余裕だった。うむー。警備隊の人たちって真っ正面から力任せの斬り結びしか練習してないんだろうか。横を見るとみんな余裕で勝てたようだ。


「お見事です。みなさん実に実戦的だ。ウチの隊員は単調な直線、みなさんはしなやかな曲線といったところでしょうか。では、連続で試合っていただくのもなんですから、もう1試合だけお相手いただいてもよろしいでしょうか?」


ンガバ副隊長がいう。直線と曲線か。いわれてみるとよくわかるな。体力的には問題なさそうだし頷くしかないか。次は誰とだろう。


「では私がお相手を務めさせていただきます。ミナトさん、お手合わせよろしいでしょうか。見たところ貴女が一番の実力者のようです」


げ。副隊長と。しかもボク御指名か。体調が悪い。寝不足だ。脚攣った。実家の祖母が危篤だ。今日は占いで試合してはいけない日と出た。などの言い訳が頭をよぎったが、ボクとしても自分の実力がベテラン戦闘経験者にどこまで通じるのか試してみたい気持ちがあった。


「はい。ご教授願います」


ボクは1礼して面を被り直した。ノアたちは面を脱いで見物の輪に加わる。相対した。面金の奥に白い眼球だけが見える。ンガバさんの剣がゆらっと中段に嵌まる。なんだろう。ボクの腕や身体に圧がかかったみたいだ。さっきのように下段や脇に剣を構えようとしても筋肉が拒否するような感じ。圧に押されるように腕があがり、結果中段に嵌まり込むように構えてしまう。なんだこれ。微かな焦りがこめかみの汗滲みとなる。ボクの潜在意識がンガバさんの腕や脚や身体や顔の位置取りから次の動作を勝手にシュミレーションして、下段や脇構えでは打ち据えられると予測し拒否しているみたいだ。互いの中段の構えが1mmずつ接近する。ンガバさんが浸潤するように間合いを詰めている。剣先がチリッと触れた瞬間、ンガバさんの身体が力でたわむ。剣先が巻き込まれて横へ弾かれようとした。受け流されてる。こちらも押し流される力に逆らわず、手首を柔らかくし剣先を回して受け流しを回避する。チンッと剣先が離れ、ンガバさんが半歩踏み込んできた。剣先が上がり、袈裟斬りへ移行しようとする。ボクは左に数センチ流された剣の角度を変えて脇を締める。ンガバさんの左脇腹に微かな隙を見た。返した剣を斬りあげ気味にンガバさんの脇に走らせれば、袈裟斬りに落ちてくる剣よりこちらの剣の方が先に入る。重心を滑らせるように前へ送り剣を振る。それが罠だった。ンガバさんの前進が止まり身体が開く。ボクの振るった剣が宙を斬り伸びた手首にンガバさんの剣が落ちてくる。ここまでわずか1秒の攻防だった。隙めっけとか、しまったとか、釣られたとか、喜怒哀楽を感じている暇などない。コンピュータみたいな脳の高速演算と工作機械のような筋肉の精密フィードバックで最適解をなぞって動いているだけ。ンガバさんはボクの最適解を上回る動きで撹乱してくる。左手首を叩き折られる直前にボクの左手は剣を離し踏み出す脚のステップを変えて身体を90度時計回りに回した。ンガバさんの脇で1回転し身体に引きつけた剣でンガバさんの伸び切った腕を叩くつもりだった。が。ンガバさんは剣を下向け身体を寄せてくる。剣の握りがボクの胸の谷間にあたり、ガインっという音と共に僕の身体が弾かれた。これはただの接触だ。1本にはならない。のけぞった身体を辛うじて踏みとどめる。けどその瞬間脇腹に強い寒気が走る。危険信号だ。身を捻ろうとしたものの体勢が崩れていた。バンっと右脇に衝撃。下からの逆袈裟が胴鎧を叩いていた。


「1本!」


うくう。やられた。胴は鎧が2重になっているから痛みはない。


「参りました」


潔く負けを認める。ンガバさんが面を脱いだ。わずか十数秒の攻防だったのに額から汗が滴っていた。それなりに苦戦はしてもらえたみたいだ。


「いや。ギリギリでした。私もここまで追い込まれるとは思いませんでした。次はどうなることやら」


面を取り一礼してコートを出る。ノアが自分から手をあげて次の対戦を申し込んだ。ンガバさんが微笑んで頷く。そのとき、後ろからガラガラ声が飛んできた。


「うん。いい勝負だった。ダメル相手にあそこまでやりとりできるとは、只者じゃないなお嬢ちゃん」


ダメルって副隊長さんの名だな。いやお嬢ちゃんじゃないですし。振り返ると隊員の輪が割れ、ダムディン・アチバドラフ隊長の鬚面が進み出てきた。


「あ。タイチョーさん、お世話になってますー」


渉外担当シオンが爛漫の笑みで愛想を振りまく。ボクも会釈する。


「お前たち、いまのふたりの動き半分も見切れていないだろう。この方達は強いぞ。見えるようになるまで指導してもらえ」


隊長さんが隊員さんたちに喝を入れる。全員一斉に「オス!」の声があがった。びっくりはしないんだけど、なんかドキドキする。大声ってどこか怖いんだ。


「ロビンソンさんとダメルの稽古は続けてもらうとして、ちょっと話をさせてくれ。お嬢ちゃんたちクエスト帰りの休暇はどれくらい取る?」


みんながノアを見るのでノアが答えた。


「武器と防具の手入れなどで3日はかかりますから、最低3日から。だいたい1週間くらいです。懐具合にもよりますが」


「なるほど。じつは10日後に北部調査遠征の話があってね。北のグラボ山脈の向こうは北限大草原と北部森林地帯だ。そこで1年ほど前に複数のダンジョンを飲み込んだ巨大なダンジョンブレイクが発生したといわれている。北限大草原にいくつかあった集落とは連絡が途絶えた。調査に出向いた冒険者や警備隊から、北限大草原に、おそらくは北部森林地帯でも野外を魔物が徘徊して魔界化しているようだとの報告が届いている。幸いグラボ山脈が防壁の役割を果たして魔物の南進を阻んでいるわけだ。ところが最近、グラボ山脈の手前側、南側で魔物の目撃報告が数件あがった。グラボ山脈中央部にロッセン大峡谷がある。どうやらここを抜けて魔物が南下している可能性があるようなんだな。その調査と魔物の南進阻止のため拠点構築の話が出てね。我が第2外周警備隊がその任に就くことになった。大峡谷の入り口に廃城になった山城があって、そこを再整備して拠点にする」


なんでそんな話をするんだろう。軍事機密とかじゃないのかな。隊員たちも初耳の人が多かったみたいでざわついている。


「前回の盗賊討伐では、お嬢ちゃんたちの活躍で完璧な包囲奇襲をかけることができた。おかげでこちらには死者もなく4名が負傷しただけなのだが、2名は現在治療中で遠征には間に合わない。そこで魔物やダンジョンに経験豊富な君たちに同行をお願いできないかという話なんだ。ギルドには正式に依頼を出す。報酬もはずむつもりだ」


ボクたちは顔を見交わす。10日後なら新しい依頼を受けても問題ないだろう。遠征隊の予備戦力なら責任も軽めだろうし。みんなの目に承諾の色が浮かぶ。それにしても警備隊の人たち、怪我してもグレードVIのポーション治療しか受けられないみたい。シビアだ。予算少ないんだろうなあ。


「詳しい条件はあとでお聞かせ願うとして、お受けしたいと思います」


パーティリーダーノアが代表して受ける。金額交渉もよろしく。


「おお。それは助かる。ただ変な噂があってね。デマだと思うのだが、いちおう話しておこう。‥‥その廃城には、幽霊が出るというんだ」


幽霊ですか。いやはや。

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