14.ありふれた「失神」と「ポーション」と「犠牲」
ペシペシペシ。容赦なく頬を叩かれてる。目を開けた。
「ミナト。ミナト。おーい。ミナトー」
ボクを覗き込むシオンの顔アップ。生まれてこのかた他人に頬を殴られたことなんかなかったのに、シオンが遠慮も力加減もなくお多福になりそうなほどボクの頬を叩き続けていた。
「あ。気がついた」
「気がついたじゃないよ。ほっぺた腫れあがるじゃん」
「大丈夫だよ。ポーション飲ませたから」
ポーション飲んだのか。そういう問題かなあ。まあいいや。おもむろに自分の状況を確認して慌てた。ボクは部屋の床に倒れたはず。目が覚めたら通路に戻っていて、なんとラウリに抱きかかえられ、上体を起こされていた。
「あ。や。あ。ありがとう。もう大丈夫」
ラウリの手を振り払い、自分で身体を支えた。ちょっとクラクラするがなんとかなる。手を見た。爪が爆ぜ飛び、焦げたはずの手は白魚の手状態に戻っている。痛みもない。うぎゃ。買ったばかりのブラウスシャツの袖が焦げていた。口の中が草臭い。ポーションの主成分は薬草だからしょうがないけど、不味いなあ。バニラ味やマンゴー味のポーションとか売り出したら売れないかな。とか考えながら通路の壁につかまって立ちあがる。ラウリはボクがいつふらついても身体を支えられるよう、横に手をかざしてくれていた。
「魔力切れってやつでしょ。びっくりしたけど、あんな凄い魔法だもん。気くらい失ってもおかしくないよ」
また気を失ったらいつでもほっぺたピシピシできるように手はかざしたままのシオンがいった。
「うん。たぶん。身体の芯からごっそり引き抜かれた感じがした」
頬をさすりながら部屋に入る。顔面から地面にバッタンしたけど、そっちの怪我も治っているようだ。頬も腫れていない。でも覚えてろよシオン。今度シオンがポーション飲むときがきたらお返しにほっぺたビシバシ叩いてやる。空洞部屋の中は広さにもかかわらず濃厚なオゾンの匂いと焦げ臭さが混ざり合い沈澱して、咳き込みそうなほど。ラウリが部屋の真ん中に進んで2階バルコニーに呼びかけた。
「こっちは大丈夫だ。ミナトは目覚めた。魔力切れだそうだ。そっちはどうだ。大丈夫か?」
左のバルコニーからノアが顔を出しボクに手を振る。
「こっちは掃討した。といってもミナトの電撃でほとんど黒焦げ。3匹だけ瀕死になってたからトドメは刺した」
「こっちは生き残り1匹だけだった。片付けた。クリアだ。魔石も集めた」
右上からも声が返る。顔を向けるとアルアラビ氏がシャムシールを鞘に収めるところだった。
「先に進みましょう。みんなリュック置きっぱなしだから戻るようにいってもらえますか」
ラウリにいう。まだ大きな声を出すのはしんどい。ラウリが心配そうにボクの顔色を伺う。
「まだ顔色が悪いよ。休んだほうがいいんじゃないか?」
「魔力は適度な運動してるほうが回復早いはずだから大丈夫。みんなに戻ってもらって」
「わかった。おーい。先へ進むから魔石を集め終わったらリュックを取りに戻れ」
バルコニーから返事が戻り、しばらくしてノアたちが階段を降りてくる。待つ間シオンに聞いた。
「ボクどのくらい気を失ってた?」
「んー。5分くらいかな。ミナトが倒れたのを見てノアさんとラウリが飛び出してったの。1匹か2匹まだ矢を射られる人モドキが残ってて、ノアさんがミナトの前で仁王立ちして矢を斬り払っている間にラウリがミナトを抱きあげて運んでくれたんだよ。あのふたりナニ気にカッコよさげ」
うわ。男に抱きかかえられるなんて。お姫様抱っこだろうなあ。やれやれ。
「そんで、リーダーのアルアラビさんがぐずぐずしていたのでノアが指揮を取ってね。ウチとラウリにポーションでの介抱を指示して、自分は矢を恐れずに突っ込んでいったの。『鉄槌』のおふたりはノアに攻撃が集中してるのを見てようやく恐る恐る攻めていったけど、なんだかねー。『鉄槌』じゃなくて『ピコピコハンマー』だねあいつら」
プッと吹いてしまった。そこへノアと『ピコ』なおふたりが戻ったので平然を装う。
「出発前に覚値が得られた人は振り分けしちゃったほうがいいですよー。ダンジョンでは1ポイントの能力アップで命拾いできる場合だってあるから」
シオンがみんなに声かけする。人モドキ1体500ポイントで40体。20000ポイント。まとまると美味しい。覚値が2ポイント増えている。シオンとボクは期せずして知力とと敏捷性をあげていた。傾向が同じで振り分けをしているうちに、シオンとボクの覚値振り分けが同じになってしまった。ボクたちを救ったタルハン氏のステータスの件もある。多様化。今後、シオンとは差異を意識して振り分けたほうがいいかもしれない。ノアたちは知力と感覚に振り分けるようになった。『ピコピコハンマー』のおふたりはゴーイングマイウェーで振り分けたようだ。
*********10日目
名前:シオン
【ステータス覚値:0/52】
筋力:11 敏捷:17+1
知力:17+1精緻:16
生命:13 感覚:16
*************
*********12日目
名前:ミナト
【ステータス覚値:0/52】
筋力:11 敏捷:17+1
知力:17+1精緻:16
生命:13 感覚:16
*************
**********2年目
名前:ノア・ロビンソン
【ステータス覚値:0/37】
筋力:18 敏捷:14
知力:6+2 精緻:10+1
生命:16 感覚:9+1
*************
**********2年目
名前:ラウリ・ムトゥカ
【ステータス覚値:0/37】
筋力:14 敏捷:14
知力:11+1精緻:10+1
生命:12+1感覚:12+1
*************
リュックを担ぐとふらついたが、痩せ我慢して平静を装う。人モドキたちが使ってた弓矢は子供の玩具みたいなサイズで使いようがない。置いていくしかなかった。2階に登り通路を先に進む。階段きっつぅ。老人体力になっちゃってる。人モドキ部屋の奥に小部屋があってそこに宝箱があった。箱や台座に罠や仕掛けがないことを確認して開ける。金貨が60枚入っていた。全員一致で10枚ずつ分けることになる。さらに進むと巨大な地下迷路に入る。基本1ブロック20mが基準になっているようだ。部屋はなく、通路だけが分岐しながら続く。角はすべて直角に折れ曲がっていた。なんの特徴もない十字路が何度も続いたりするため、方向感覚や距離感が混乱する。エコーロケーションで構造を感知し頭の中にマッピングを描きながら進む。通路の分岐に出るとアルアラビ氏に遭難者タグを出してもらい方向を調べる。そうやってジグザグに400mほど地下迷路を歩く。通路がときに逆行したりするため、歩いた距離の割に迷路入り口からの直線距離は100mくらいしか離れていない。通路全体が下に開く落とし穴の罠が8か所で設置されていたため迂回を余儀なくされる。迷路状の区画から碁盤目状の区画に入り、2ブロック直進して1プロック右へずれる進行が基本となる。そしてついに碁盤目状区画を抜け、1本道の入り口へ辿り着いた。この時点でボクは半グロッキー状態を痩せ我慢。ラウリはかなりしんどそうだがいっさい弱音は吐かず。タルハン氏は見るからにキツそうで顔色も悪かった。遭難者タグは一本道の先を指し示す。発光も強い感じだ。罠もない。全員で立ったまま水を飲み携帯食料をほんの少し齧る。通路の角に隠れて小用も足した。気合を入れ直して一本道に入り20mも進むと奥に部屋らしき闇の入り口が見えた。強烈な忌避感が襲ってくる。奥に無数の腐乱死体が沈んだ沼があるような気がする。
「うわー。これ結界よね。きついねー」
シオンが鼻をつまみながらいった。ボクと同じ臭い系の幻覚を感じているのだろう。
「結界の精神干渉だってわかってれば抜けられる」
とはいったものの、糞便と腐汁で満たされたプールに裸で浸かるかのような意志の力が必要だった。結界範囲を抜けると幻覚は一瞬で消える。光球を浮かせた。部屋は20畳くらいある広間サイズ。奥の壁際に3人が伏していた。
「よし。見つけたぞ」
なんかねえ。自分の手柄みたいにアルアラビ氏が宣うた。エコーロケーションで探るが、壁天井床に仕掛けなし。動きも感じられないし、石に擬態して天井に張り付いてる魔物のような物も感じられない。近づくと全員が女性。なぜか右端と真ん中のふたりは一糸纏わぬ裸だった。ふたりとも首にさげるはずの冒険者タグを肉に食い込むほどキツく腕に巻きつけている。寒いのだろうか、真ん中のいちばん大柄な女性はブルブルと細かく震え、右端の次いで大柄な女性はガタガタと全身を揺するように震えていた。冬山で凍死した人が裸で発見される現象みたいなものだろうか。なんていったっけ。矛盾脱衣だったか。左端の小柄な女性は特徴的な冒険者の装いをしたままピクリとも動かず横たわっている。ノアとラウリが自分の外套を外し、裸のふたりに近づいて身体を隠す。と、キャラランと瓶を蹴飛ばした。裸のふたりのまわりには空のポーションがざっと10本以上転がっている。瓶の色からしてグレードIIIのポーション。そんなに飲むなんて。全身ナマスに切られてもポーション1本で間に合うのに。ノアが真ん中のいちばん大柄な女性の腕のタグを持ちあげて見た。
「フレルバータルさん。パーティリーダーだ。顔色は青いが出血なし。脈と呼吸はかなり早いが安定。皮膚状態、目視で正常。四肢に変形認めず。呼びかけに反応あり」
ノアは元レスキュー隊員だっただけあって対応が的確だ。その横でリーダーより背は低いがそれでもそこそこ大柄な女性のタグを確認してラウリがいった。
「こちらはオヨンチメグさんだ。身体が熱い。かなり発熱している」
オヨンチメグさんは外套をかけてもなおガタガタと激しく震えている。
「じゃあ、残るこの方がゲレルトヤーさんね。死んでるかと思ったけど生きてる。息してるし熱もなさそう。気絶してるだけみたいだけど」
シオンが小柄な着衣の女性の額に手を当てていった。バトエルデニさんとナツァグドルジさんは死亡がわかっている。この部屋にふたりの形跡はない。
「意識が戻るか声かけてみてくれませんか。あ。シオン。ほっぺバシバシは禁止な」
えーとかいいながらシオンは優しく声をかける。シオンが相手している小柄なゲレルトヤーさんはまるで反応がない。昏睡状態みたいだ。ラウリが対応しているオヨンチメグさんは呼びかけにまったく反応せずひたすら痙攣し続けた。唯一反応があったのはノアの声かけにうっすら目を開いたリーダーのフレルバータルさんだけ。
「フレルバータルさん。わかりますか。救助にきました。もう大丈夫ですよ。自分の名前いえますか?」
ノアが意識確認で声をかけたとたん、フレルバータルさんは目を極限まで見開いて上体を起こしノアにすがりついた。
「ポーションを。あの娘にポーションを飲ませて。ぎっ。ぎいい。殺してっ。がっ。ぐっ。あの娘と私を殺して。まだ人‥‥」
血を吐きそうな濁声でいい放ち、いい切らないうちにぐるんと白目を剥く。口の端から泡を吹いて昏倒した。
「なにこれ?」
シオンが全員の気持ちを代弁した。救助隊に殺してと哀願する遭難者なんて想定外だ。みんながボクを見るので、とにかくなにかいわなくちゃいけない脅迫概念に駆られる。
「ポーションを飲ませましょう。感染かなにかの進行を抑えているのか。いまはわからないけど、なにか意味があるのかも」
「おう」「了解」「わかったー」と返事がある。その間にボクは『鉄槌』のふたりに用を頼む。
「タルハンさんは入り口の結界魔導器の回収をお願いできますか。ぶつかり合ってガチャガチャ音を立てないように包んでください。アルアラビさんは背負用のストラップの準備を。ノアさんとラウリさんとアルアラビさんのリュックは水と必要な物だけ出して置いていきます」
「飲ませたけど、意識戻らないよー。毒消しを飲ませようか?」
「こっちのふたりは少し震えが治まった」
「脱出を優先しましょう。シオン。持っていく物を残りのリュックに振り分けて。タルハンさんは体力がまだ回復していないから、彼のリュックの中身を一緒にチェックして必要な物以外取り出して。携行食はいらないよ。今日中に地上に出るつもりだし。ラウリさんも病みあがりなんで悪いんですけど、いちばん小柄なゲレルトヤーさんを背負ってもらえますか?」
「ああ。大丈夫だ」
ラウリが応え背負用ストラップを装着し始める。その横ではノアが既にストラップを締め、いちばん重いフレルバータルさんを背負おうとしている。
「アルアラビさん、オヨンチメグさんをお願いします」
さすがにラウリが担ぐ軽いゲレルトヤーさんがいいとはいい出さなかったけど、恨みがましい目でラウリをチラッと見た。
「みなさん。自分の結界魔導器を作動させてください。隊列はできるだけ固まって結界が重複するように。シオンは先頭でじゃんじゃんエコーロケーション使っていいから。とにかく接敵を避けます。脱出第一で。道はボクが全部暗記してるので任せてください。最短ルートで行けます」
回収した『大地の獣』パーティの結界魔導器は中の魔石がほぼなくなりかけている。ダンジョン内で魔道具を使うと魔石の減りが3倍と聞いたが、そのせいだろうか。前のダンジョンでは休憩時以外ダンジョン内で点けっぱなしにしなかったのでわからない。とはいえ救出チーム全員の結界魔導器はほぼフル充填状態だし、人モドキの落とした小魔石もあるから地上までは保つだろう。荷物の振り分けが終わり、ボクのリュックが水筒3本分重くなった。惜しかったけど袖の焦げた衣装は着替えて置いていく。通路はふたり並んで歩けるので先頭がシオンとボク、続いてアルアラビ氏とラウリ、最後尾がノアとタルハン氏となる。部屋を出て1本道通路を戻り、碁盤目状通路に入る。基本は真っ直ぐ2ブロック、右に1ブロックの繰り返しだけど、落とし穴トラップがあるので何度か迂回しなくてはならない。碁盤目状通路を半分ほど戻ったとき、ちょうど十字路の真ん中で突然それが起こった。
「わ。なんだ。痙攣が凄い。どうなってる」
隊列が止まる。後ろを振り向いて光球を浮かす。アルアラビ氏の背中でオヨンチメグさんが狂ったみたいにジタバタと暴れていた。両足がハムのように膨れあがり、骨が砕けたかのようにグネグネとバタついている。両手も骨がないように背中でウネウネと揺れ、胴体は限界まで反り返っていた。アルアラビ氏が必死で後ろを見ようとしている。
「ゴ。ゴリッ。ゲ。ギュチュッ」
腫れあがり赤黒い穴になった口から異様な軋み音が溢れる。内側から押されたように目玉がメリメリと瞼を押し広げ盛りあがってきた。ボクの脳でアドレナリンが出たのだろうか。状況がスローモーションになった。無秩序にジタバタ暴れていたオヨンチメグさんが両手両足そして胴体まで限界近く反り返り、アルアラビ氏の背で突っ張るように止まった。メキョッと肉にこもった破砕音が聞こえる。オヨンチメグさんの身体の頭から腹までがいっきに裂けた。巨大な花のように拡がったオヨンチメグさんの肋骨が肉と脂肪と皮膚を捲りあげて拡がる。血と臓物と未消化物の臭いが吹きつけた。人間の肋骨は片側12本。そのうち丸まってケージ状になり心臓や肺を収めている部分は10本。その10本の肋骨が腕の骨ほど太くなり胸前での結合を外れて左右に広がっている。下側の左右6本の肋骨が3段階に下へ伸び、先端の爪を地面に突き立てた。骨の脚だ。その足がグッと撓み、オヨンチメグさんだけでなくストラップで繋がったアルアラビ氏の巨体まで宙に浮かす。上で拡がる残り左右6本の肋骨がいっきに閉じた。先端がアルアラビ氏の胸郭に突き刺さる。グホッとアルアラビ氏が血の塊を吐く。この時点までボクもシオンも誰も動けていない。なにが起こっているのか脳が処理しきれていなかった。肋骨の腕はアルアラビ氏の肺と心臓を貫いているだろう。だがまだポーションなら間に合う。アルアラビ氏が正面を向き、激痛に目を剥きながらボクを見た。腕がピクリとして、前に伸ばされようとしてる。ボクは加速思考時に特有のねっとり感に包まれつつ、蜂蜜の中で動くような抵抗を押し切ってピップバッグに取り付けた魔剣ナイフに手を伸ばそうとしていた。この密集状態でこの至近距離。ロングソードを振り回している余裕はない。アルアラビ氏の腕が前に伸び始める。半ばまで伸びたところで突き立てられた12本の肋骨腕が、もう1段深く突き刺された。アルアラビ氏が断末魔の硬直をみせる。アルアラビ氏の頭が反り返り、そこでばっくりと開いているオヨンチメグさんの元は頭部だった開口部に押し当てられた。開口部がスローモーション状態でもブレて見えなかったほど高速で閉じる。メキッと音がして、アルアラビ氏の後頭部にオヨンチメグさんの皺頭を張り付けたような奇妙な塊になった。オヨンチメグさんの押し出された眼球が視神経で繋がって、アルアラビ氏の巨大なイヤリングみたいに揺れている。最後にアルアラビ氏がボクを見たように思う。伸ばされた手はボクの目の前にあった。その手を捕まえようとボクの左手も動いていた。でも、間に合わなかった。メキッと頭蓋の割れる音とカパンッと口が閉じる音が響く。アルアラビ氏の頭部のほぼすべてが齧り取られていた。残った顔面部の骨と肉がクタッと前に倒れる。脳と延髄の大部分を食いちぎられては、さすがのポーションでも回復は不能だ。ボクは体を入れ替え、左を引き右のナイフを弧に振った。肋骨脚の1本をかすめたが切断には至らない。かってオヨンチメグさんだった魔物は肋骨脚をせわしなく動かし、信じられないスピードで十字路の奥へ逃げていく。だらりと垂れたアルアラビ氏の手足がゆさゆさと揺れる。石畳を爪が抉るガガガという音に混じって、ボリボリとアルアラビ氏の脳と頭蓋骨を咀嚼する音が聞こえ続けた。
「なんっ」
誰の声かはわからない。周囲に目を向ける。シオンは剣を構えていた。ラウリはかろうじて壁まで距離を取り、背中のゲレルトヤーさんを庇う体勢でいた。ノアは抜剣中。タルハン氏は腰を抜かす途中だった。目の奥がずきっと痛むような感覚と共にスローモーションモードが解けた。全員が固まっていた。動いているのは尻から落ちているタルハン氏のみ。その尻が石畳に激突し、ぐえっと情けない声があがってみんなの呪縛を打ち破った。固められたかのような身体は動くようになったが、頭の中はまだ真っ白だ。いまのいままで目の前でぶつぶつ文句をいっていた仲間が、一瞬にして命を奪われる。見知った命ある者がただの肉の塊に成り果てる。そんな恐ろしい経験をしたことがなかった。シオンの真っ青で泣きそうな顔が目に入る。ボクも同じような顔をしているのだろう。心臓だけがドキドキとうるさく騒いでいる。落ち着け、と自分にいい聞かせる。落ち着く暇も与えられずノアの泣きそうな声が注意を引く。
「ミナト。フレルバータルさんが。ガクガク痙攣してる。どうする?」
さっきポーションを飲ませたのは何分前だったか。いったん動くと身体はスムーズに動いた。ノアの元に赴きフレルバータルさんの口にポーションをあてがう。幾筋かは溢れたがフレルバータルさんの喉はまだ嚥下できた。こくっこくっと喉が動きポーションが喉を通っていく。痙攣が治る。
「ノア。背負いストラップは外して普通に背負って。オヨンチメグさんみたいになったら、すぐ放り出して離れて。こんな通路の真ん中だと心許ないから部屋のあるところまで移動するよ。ボクが先導する。道は頭に入ってるから。ここから駆け足で2分。みんな頑張って部屋まで着いてきて。シオン光球を連続で打ち出して通路を照らして」
真昼のように明るくなった通路を一団となって駆ける。タルハン氏が脱落しかけるとノアとラウリが両側から支えて速度を維持した。碁盤目状通路地帯から迷路状地帯へ入る。ボクの頭の中には明確な地図ができていたので、迷うことも罠にかかることもなく最寄りの部屋スペースにたどり着けた。光球の眩しさゆえか、ボクたちの騒々しさか。いや、恐らくは10個もの重複作動させた結界魔導器のおかげで魔物に遭遇することもなかった。
「ノア。悪いんだけど外套を敷かないで直にフレルバータルさんを床に寝かせて。裸のままで。えーと。横向きがいいな。申し訳ないけど緊急事態だから許してもらう。シオン。君はフレルバータルさんの胸の前で探査スティックで大きく1発床を叩いて。そのあと合図に合わせて身体の輪郭に沿うように1発ずつゆっくり叩いて。それは弱く叩いて」
外套1枚でも気持ちとして敷いてあげたくなるが、それだとボクのやろうとしてる検査の邪魔になりかねない。ボクは軽く手足を曲げ横向きに寝たフレルバータルさんの背中側に膝を突き、上体を倒して床に耳をつける。そしてシオンに合図を送った。カーンッと音の波が床から床に接するすべての物を伝い拡がっていく。意識を広く取るのではなくフレルバータルさんの身体にのみ集中する。視えた。ややぼんやりした立体図形。ワイヤーフレームとは違うが透過画像だ。この画像をできるだけクリアに得るために、音を籠らせる外套を敷かなかった。手を挙げてシオンに合図。別の場所から別の弱い波が拡がり画像を補塡する。ゾッとする画像だった。フレルバータルさんの頭蓋骨後頭部から延髄を通って肩甲骨や肋骨に背後からなにか骨質の異物が覆い被さっている。透過画像だからもちろん体内の映像だ。細部は曖昧だが頭蓋骨や脊柱を侵食しているような部分もあった。間違いなくフレルバータルさんは寄生されていた。
「ノア。危険なんだけど、ポーションを飲ませる間身体を起こして支えてて欲しいんだ。で、飲ませたらフレルバータルさんの身体を床に戻してすぐ離れて。いいかな?」
「オッケーまかせろ」
「タルハンさん。申し訳ないのですが、フレルバータルさんを助けるためにグレードIIのポーションをお借りできないでしょうか?」
「え。いや。これは。1本しかないし、自分用に最後の命綱として‥‥」
「わかってます。あくまでも借りるだけです。地上に戻れたらお返しします。フレルバータルさんを助けるにはそれしかないと考えてます。でないとフレルバータルさんもオヨンチメグさんのようになってボクたちを襲ってくることになります」
タルハン氏は爪を噛んで俯いたがすぐに決断してくれた。
「わかった」
ヒップバッグからオレンジのポーション瓶を取り出して渡してくれた。ポーションを手に床に横たわるフレルバータルさんのもとへいく。フレルバータルさんは一応の安定を見せていた。ノアがすぐ横に跪き上体をそっと起こす。
「えと。この魔物は寄生生物です。卵なのか幼虫なのか。なんらかの形で人間の体内に入り込み、そこで骨の形に沿って成長・侵食していくのじゃないかと考えてます。骨や組織を少しづつ吸収して自分の組成に置き換えていくんじゃないかな。なのでポーションを飲むことで侵食されている部分をポーションが修復して、侵食と修復が拮抗して進行を抑えてる。っていうことなんじゃないかと。でもポーションIIIだと修復スピードがほんの少し遅くて、ついには侵食され尽くしてしまうのでしょう。だからグレードIIです。これならほとんど一瞬で修復できるくらいの性能がありますから、侵食に押し勝てると思うんですよね」
「するとどうなる?」
ノアが聞く。
「体内で修復に押し潰されて死滅するか、体外に押し出されることになると思います。慌てて他の宿主を求めて襲ってくる可能性もあります」
「なるほど。よし。わかった。飲ませてくれ」
ボクは慎重にポーション瓶の口をフレルバータルさんの唇に押し当てた。ここで噎せ返ったりして貴重なポーションを吐き出したりしたら目も当てられない。最初は少しずつ。喉の動きを見て後半は一気にポーションを飲ませる。ノアがフレルバータルさんの身体を床に横たえ、素早く離れた。その途端、フレルバータルさんは激しく暴れ、次の瞬間硬直する。後頭部、頸部、背中から腰まで、肉腫の成長を高速度カメラで時間圧縮して見ているようにモコモコと幾つもの巨大な瘤が膨れあがった。まるで蝉かなにかの羽化だ。盛りあがった瘤がメリメリと破れ、中から人間の骨格に似た白い生き物が飛び出してくる。軋むような鳴き声をあげ、床で手足を広げようともがく。まだ発達途中なのだろう、動きは鈍い。フン。という裂帛の気合いが聞こえ、魔物の頭部が真っぷたつになった。そのうえまるで巻藁を斬るように左右に4回斬り刻まれる。魔物はバラバラになって地面に落ち、まだフレルバータルさんの下腹や脚に残っていた魔物の組織が押し出されてきた。フレルバータルさんの後頭部からは脳が見え背骨と肋骨の隙間からは肺や心臓が見えるほどの重症だったが、見ているうちにも骨が再生し傷が塞がり皮膚が張る。魔物が気化して消える頃には、フレルバータルさんの背中の破裂穴もほとんど塞がっているだろう。触っただけで寄生されちゃいそうで嫌だったけど魔物が消える前に触っておく。
『osto insekto。骨蟲。魔界の生物。内骨格生物に寄生し遺伝子を吸収して宿主の骨格特徴を得る。模倣しつつ骨格を侵食しながら成長する。宿主の中で限界まで成長すると宿主を脱ぎ捨てるように脱皮し、骨状外骨格の成蟲となって独立する。宿主の代謝、循環、消化器官を自身の器官として利用する。尾部に2本の触手状卵袋を持ち、卵を産みつけて宿主としたり卵袋先端の毒針を刺して獲物を麻痺させ脱皮後の保存餌として蓄える。【強化状態】』
切り刻まれた魔物が消える。誰も覚値を得た人はいない様子だ。この魔物、魔法も使わないし経験値的には1000くらいなものだろう。強化状態で3000といったところか。
「ラウリ。フレルバータルさんに水を。シオン。タルハンさんと一緒にゲレルトヤーさんを外套の敷物外して床に寝かせて。フレルバータルさんの要領で体内スキャンしてみる」
シオンの血の気の引いた顔から快活な笑みは失われていた。暗い顔でうなずく。アルアラビさんの凄絶な死に様を見たのだから当然か。吐く余裕もないのだろう。ボクたち全員が衝撃を受けていたがいまは泣き喚いている場合じゃない。ゲレルトヤーさんの身体の中を音波で探る。何度探っても寄生されてる様子は見つからなかった。とすれば脱皮した成虫の餌として蓄えられていたということか。
「ゲレルトヤーさんは寄生されていない。えと。ノア。悪いけど、着替えを貸して。フレルバータルさんの体格だとボクやシオンの服だと小さい」
「僕のだと大きすぎるが、小さいよりましか。オッケー」
「シオン。ボクと一緒にフレルバータルさんの着替えしよう。ノアはゲレルトヤーさんに解毒剤飲ませてみて。麻痺させられているだけみたいだから解毒剤でなんとかなると思う」
解毒ポーションが効いてゲレルトヤーさんの意識が戻る。目は閉じていたため見えなかったがずっと意識があり、聞こえる音でなにが起きているかはわかっていたそうだ。10分後にはなんとか着替えさせたフレルバータルさんの意識が戻り、ボクから事情説明して涙ながらに感謝された。そこでとうとう慣れない対人コミュニケーションにボクの限界がきてしまう。ノアに代わってもらい手遅れだったオヨンチメグさんの状況を話してもらっている間、みんなに背を向けてしゃがみ水を飲ませてもらった。本当はどこかひとりになれる場所へいきたかったがそれができないから背を向けるしかない。頭の中に粘土でできたぐちゃぐちゃでギザギザな立体パターンを無理矢理詰め込まれるみたいな、いうにいえないイメージがフラッシュ生成されこみあげる不快感と焦燥感を自分ではどうにもできない。嫌な感じが積み重なり過呼吸になりかけていた。息を詰め膝を抱える。背中がさわさわ撫でられたので顔をあげると、シオンが横に座ってボクの背を撫でてくれていた。
「ミナトもウチもいっぱいいっぱいだね。でも。頑張ってるよウチら」
はうっと詰めていた息を吐いてゆっくり息を吸う。
「うん」
背後からはアルアラビ氏の犠牲について話すノアの声が聞こえている。その辺のやりとりを聞いているとまた呼吸が亢進しそうになったので耳を塞いだ。耳からの音は聞こえなくなったが、背中をさする腕から肉と骨を伝導して聞こえるシオンの声は感覚値増強のせいもあってよく聞こえた。
『ミナトの責任じゃないからね』
自分が責任を感じているとは知らなかったが、シオンにいわれるとそうなのかもしれないと思える。確かにいろいろいっぱいいっぱいだったんだ、とわかるとようやく力が抜けた。
「ありがと。シオン」
深呼吸して立ちあがる。フレルバータルさんが最初の遭遇について話していた。要約すると骨蟲は通路で人モドキ数体と戦闘中だったフレルバータルさんのパーティに背後から襲いかかり、メンバーのバトエルデニさんに卵を産みつけたのだそうだ。体内を脊髄沿いに延髄まで、肉を食い破って移動する幼体の激痛に倒れたバトエルデニさんを抱えて撤退した。彼女らを発見した部屋にたどり着き手当てをしたが、ポーションを飲ませても一時的な効き目しかなかったという。体内を侵食されていると訴えたバトエルデニさんの言葉は断片的で他のメンバーには理解不能であり、結局手遅れになったようだ。脱皮し、ナツァグドルジさんが喰われ、フレルバータルさんとオヨンチメグさんは卵を産みつけられ、ゲレルトヤーさんは腹腔内に大量の麻痺毒を注入されて生き餌とされた。激痛と共に身体を骨から侵襲される寄生にポーションで一時的に対抗できると発見し、わずか数十秒ながら行動する時間が得られる。バトエルデニさんから生まれ出た魔物が食餌行動で部屋を出た際に、ありったけの結界魔導器を作動させて戻れないようにしつつ救援を呼んだという。
「すいません。ちょっとめげました。まだ5層です。帰還最優先で進みますね。ラウリとタルハンさんでフレルバータルさんとゲレルトヤーさんを支えて。歩けないようならノアが背負いで。それまではノアが最後尾で後方警戒お願いします。先頭はシオン。いいですか?」
ノアがなんで謝るんだとの声があがったが、それ以外に異議はない。なんで謝るっていわれても、日本人だからか。フレルバータルさんは頑張った。体力的には身体の半分を作り直されたくらい重症なのに最後まで自分の足で歩いていた。ただ『大地の獣』のふたりもエコーロケーション技術を知らなかったようで、信じて回避行動を取ってもらうためには説明と実演を行なう必要があった。5階層を無事に抜け出たところで結界魔導器に人モドキの魔石を追加して使わなくてはならなかった。ダンジョンで魔石の減りが速いのを再確認する。人モドキの魔石は白銀貨5枚の2カラット小魔石。48個あるので救出チームの結界魔導器5器に4個ずつ、『大地の獣』パーティの5器に5、6個詰め込む。24万円の出費だけど命には代えられない。約3時間で4階層と3階層を戦闘なく通過できた。戦闘はなくてもずっと緊張状態でみんな消耗が激しい。2階層の小部屋洞窟で休憩を取り携帯食料雑炊を食べた。さらに2時間半。朝の9時。ついに脱出に成功する。眩しい朝のすがすがしい外気が死ぬほど美味かった。乗ってきた馬車がまだ待っていてくれたので分乗して帰還を急いだ。先頭馬車には遭難者のふたり。万が一、骨蟲の寄生が再発現したときに備えてボクとノアが同乗する。後続馬車にラウリとシオンとタルハン氏。昼には城塞都市に無事到着し、ギルドに生存者ふたりを預けた。シオンたちは馬車の中でグースカ寝ていたようだったが、ボクたちは警戒もあって眠れなかった。10分で口頭報告し、そこで限界。もともと最低でも1週間かかるだろうと想定されてた救出活動を実質1日で達成したんだから多少の無理は聞いてもらえるはず。ボクたちは詳しい報告や精算は明日ということにして宿に帰った。温泉にどっぷり入ってピカピカに磨き、特別注文で豪華なお昼御膳を作ってもらい天ぷらに狂喜乱舞して食べたあと、まだ昼の3時前だというのにベッドへダイブした。泥のように眠る。この世界にきてからほどんど困らないのが睡眠の質だった。目玉が溶けるほど眠れる幸せを思いっきり満喫した。