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12.ありふれた「井戸」と「罠」と「手」


『黒い森の井戸』は城塞都市ベルダ・ステロの周辺に位置する7つのダンジョン中、2番目に近い位置にある。徒歩なら1日半。馬車なら4時間で着く距離だ。ダンジョンまでは道路が整備されアクセスもいい。黒い森に入るまでは獣や盗賊などの脅威が定期的に排除されて安全性が高い。黒い森はベルダ・ステロの北西部を占める広大な森林地帯で動植物の宝庫といわれている。ただし人間を攻撃する動物や植物も多い。こっちの世界で独自の進化を続けた巨大齧歯類・野生鎧牛・森虎・一角兎・蛇竜・飛龍・巨大蛇・毒蛇・蜘蛛蛇・野生二角馬・アルマジロ毛玉羊・猿蜘蛛・剃刀鴉・鶏蜥蜴・鰐犬・樹木狼・鼻猪などなどの十二支獣のみならず昆虫類やら甲殻類やら敵性生物が多く、定期的に保全される道路以外は危険度が非常に高いという。ボクたちはギルドの用意した高速馬車2台に便乗してダンジョンを目指した。道は一部レンガ道や砂利道もあるものの概ねアスファルト舗装されていたし、馬車の車体は小型軽量でサスペンションに優れているから高速で走ってもほとんど揺れない。通常馬車で4時間の道のりを3時間で着きそうな勢いで走っている。前の馬車に『鉄槌』のおふたり。後ろの馬車にボクたちと『白牙』のふたり。『白牙』はふたりとも体格がいいので馬車が狭い。ひとりあっちいけよ、と思ったがどうもアラブ系のおふたりとは気まずいらしい。偉そうだしなあ。まあ。いいか。ラーメン奢るって約束まだ果たしてないし。ちょい狭だったがシオンはラウリさんの日本滞在話をJKスマイルで巧みに引き出しヘーとかホーとか感心してる。と思ったら寝てるわ。ボクはノアさんから『黒い森の井戸』についてレクチャーを受けていた。ちなみに最初「ロビンソンさん」「ムトゥカさん」と呼んだら堅苦しいからファーストネームで呼べといわれ「ノアさん」「ラウリさん」と呼ぶことになった。さすがフレンドリー代表アメリカ人。


「僕たちは1年前に1度、3階への階段まで進んだことがあるだけなんだけどね。『井戸』の特徴はとにかく罠が多いことなんだ。1区画進む間に3つも4つも罠があって。とにかく進むのが大変だった。さらに地下3階からは魔物も出てくるから、罠と魔物の両方に注意しながら戦闘なんてことにもなる。5階層から遺跡型のダンジョンになるらしいんだけど、4階層までは洞窟型ダンジョンで通路の方向が不規則に変わるから迷いやすい。だから井戸を攻略するには絶対に地図が必要になるんだ。踏破された階層に関しては罠の位置と種類が記された地図が売ってる。ただ、洞窟の分岐と繋がりなんかは正確なんだけど、縮尺の問題もあるみたいで罠の場所は精密には記されてないんだ。床石の何個目が起動スイッチになってるとか具体的に書かれてたら避けやすいんだけど、そこまで正確には記されてない。目印を描いてもいつの間にか消えてたりする。だからいちいち起動スイッチがあるだろう範囲を検分して回避しなくちゃならない。とにかく面倒で時間がかかるんだ。しかも罠のリセットが早いんだな。罠をあえて作動させてパスしても、5分後に戻ったらもうリセットされてたりする。だから帰り道も同じ手順が必要になるんだよ」


んー。もしかしてノアさん、エコーロケーション知らないのかな。『鉄槌』のおふたりは3年いるっていってたけど、どうだろう。知ってるかなんて聞いたら上から目線みたいだし。


「毎年何十人もの冒険者が大怪我したり、運悪く死んだりしてる。そんな危険で鬱陶しいダンジョンなんだけど、周りに小さな町ができるくらい冒険者に人気があるのは報酬がいいからなんだよ。地下第2層では稀にだけど、3層くらいから魔装具や魔武具がかなりな確率で出る。罠のリセットも早いが宝箱のリセットも早くてね。半日で補充されてたって話もあるんだ。もちろん金貨銀貨や鉱石宝石も多く出る」


「魔装具かあ。ステータスがぐっとあがるから、確かに美味しいなあ」


腕の腕輪をさすりながら応えた。これが魔装具だとは教えてない。髪色と合わせたお洒落アクセサリーと思われてるかな。ノアさんの朗らかな人柄とラウリさんのシャイだけど真面目な人柄は好感が持てて、ボクのコミュ障あがり癖がほとんど収まってくれた。前の馬車のおふたりがまた癖の強いお方なだけに、対比することで爽やかさ3倍増し効果があるかも。


「4階層は3階層からの階段と5階層へ降りる階段の間のルートぐらいしか踏破されていない。だから4階層の未踏査領域のマッピングは情報報酬が高いんだ。僕たちは次の潜りで4階層のマッピングをメインに考えてた」


「魔物ってどんなのが出ます?」


「僕たちも直接戦ったことはないんだけど、『飛び手』というかなり危険な魔物が出るようだ。名前の通り宙を飛んで高速で攻撃してくる。手というから手の形でもしているのだろうね。他には『鉄砲芋虫』という粘液を弾丸のように飛ばしてくる虫。『風呂敷花』は一枚布のような花だが壁や床に偽装して触れるものを包み込み消化する。そして厄介なのが『蛞蝓人間擬(ナメクジひともどき)』という奴だ。ナメクジのくせに人に似た形をして所々に殻を防具のように着けているんだそうだ。原始的な知能があって武器を使う。人間の子供くらいの体格だから1匹1匹はたいしたことないが群れを作って集団で襲ってくるし、ときに魔法を使う上位個体や大型個体もいるらしい。地下4階に出る。地下5階からはまるで情報がない。過去に3パーティがアタックしたが全員帰ってこなかったと」


クーカクーカと鼻息鳴らしながらシオンが寝てしまったので、相手していたラウリさんもボクを見てる。


「ほとんどゴブリンですねえ。ところでなんですけど。おふたりが次の攻略目標にしようとしてたなら、地図を買ってたんじゃないですか?」


『鉄槌』のアルアラビ氏がギルドの人から地図をもらっているのを見てた。見せてくれませんかと頼んでみたが、出発の時間だと相手にしてもらえなかった。あのヒゲオヤジめ。ボクらごとき初心者に見せたところで地図の見方も知らないだろうと思ってるに違いない。


「買ったよ。1階層と2階層の地図は去年買ってて色々書き込んでるうちにグチャグチャになっちゃったんだけど。見る?」


「できれば。3階層と4階層の地図も見せてもらえます?」


ノアさんがチラッとラウリさんを見て、ラウリさんが頷く。ラウリさんがヒップバッグからクシャクシャの紙地図を取り出した。何度も開いて畳んでいるうちに折り目に破れが入り、紙そのものがシワシワになったようだ。開くと小さく几帳面な字でみっしり書き込みが入っていた。この字の感じはラウリさんっぽいな。じっくり見させてもらい1階層2階層分は罠の位置からラウリさんのコメントまで全部頭に入れた。3階層4階層は書き込みもなくまっさらで覚えやすかったからひと目見て丸暗記できた。あっちの世界では記憶力がいいといってもこんな芸当はできなかった。けどステータスをあげられるこっちの世界では記憶力22ポイントもあれば容易い。


「ありがとう。参考になりました。この地図って1枚いくらくらいするもの?」


「1枚銀6枚だよ」


「銀6枚。高っか。じゃあ、お礼に今度ギルドの食堂でラーメン2杯奢ります」


ふたりが顔を見合わせ、一泊置いて笑った。コミュ障だって冗談くらいいうさ。そうこうしているうちに馬車は『黒い森の井戸』に到着した。救難信号の発信からわずか4時間後。まだ日のある17時。井戸といわれる理由はひと目でわかった。背の高い馬防柵で2重に取り囲まれた丸い穴。それがダンジョン『黒い森の井戸』だった。直径100mはある巨大な穴だ。内柵と外柵の間に掘立て小屋レベルの家や露店がひしめいている。ガラクタじゃないかと思える道具屋、胡散臭い売り文句の罠解除ツール屋、インチキ臭い魔装具鑑定屋、水増ししてるだろう感満載のポーション屋、不衛生だがジュウジュウ美味しそうに焼けているケバブ屋。ごった煮みたいだけど、でもなんか賑やかだ。ギルド手配のポーターが4人もいて馬車からボクたちのリュックをおろし担いでくれる。


「すぐ降りるぞ」


アルアラビ氏がリーダー風吹かし満々で宣言する。リュック背負わなくていいだけ楽だと、ぞろぞろアルアラビ氏に従う。内柵のゲート小屋にギルドからの命令書を渡したアルアラビ氏が穴の縁に着いて覗き込み、一瞬脚を竦ませてたのを見逃さない。うむー。『鉄槌』のおふたりともこのダンジョンは未経験みたいだ。それがリーダーやってて大丈夫なのかなあ。アルアラビ氏はビビリを誤魔化し一歩を踏み出した。階段を降りていく。タルハン氏はあからさまにへっぴり腰だ。続いてボクの番。いや。高所恐怖症じゃないけど、覗き込まなきゃよかったと思った。穴の底は闇に飲まれて見えない。日は差しているのに穴の底まで光が届かないようだ。魔素の影響か。


「うひゃあ。これ怖いね。なんか底が黒くて見えないけどー」


横からシオンの声。


「ああ。魔素が底の方に溜まってるからだよ」


シオンに応えるラウリさんの声。横を見るとシオンの横にノアさんもラウリさんも並んで覗き込んでいる。巨大な穴の内壁を彫り刻んで作ったみたいな階段が螺旋状にくだっている。階段の幅は不揃いで、最大でもわずか60cmくらい。狭いところだと30cmなかった。ふらついたら脚を踏み外すの確実な狭さ。


「大丈夫か?」


ノアさんが声をかけてくれる。こんなところで固まってる場合じゃない。


「壁にロープが這わせてあるみたいだよ。それを掴んでゆっくり降りるといいよミナト」


「わ。わかった」


脚を出す。乗った瞬間に足元が崩れて奈落の底へ転落するという想像が浮かんだ。腰から下がスースーして膝に力が入らない感じだったけど、階段は崩れたりしなかった。できるだけ下を見ないようにして降りていく。壁に打ち込まれた金具に通された太いロープを軋ませるほど握り、ひたすら前だけ見て階段を降りる。


「うわ。なんだここは。これを歩くのか?」


下からそんなアルアラビ氏の声が聞こえてきた。目を向けると先頭で降りるアルアラビ氏の足元で階段が途切れている。ずいぶん昔に崩落したみたいだ。階段の30段分ほどが崩れていた。応急で設置されたのだろう直径20cmほどの丸太の杭が30本ほど壁へ打ち込まれている。これで階段代わりって無理あるよ。丸太の上部分が削られ平らな面になるよう加工されていたが、長年の踏みつけで擦り切れ角が丸くなってる。雨の後に誰かが歩いたのだろう、泥まで着いてたりする。靴底を置く角度によっては滑りそうだ。そもそも丸太で人間ひとり分の体重を支えられるのか。これは怖い。豪胆を装うアルアラビ氏も、さすがにかなりなへっぴり腰で1歩1歩慎重に降りていた。タルハン氏は倍以上の時間をかけ情けなくおりていたが、中程の杭で脚を滑らせた。もの凄くみっともない狼狽ぶりで悲鳴をあげ、ロープに縋りついて共通語に訳さないほうがいい悪態をつきまくる。タルハン氏が動き出すのを待つ間、後ろを見あげるとシオンもノアさんもラウリさんもひょいひょい軽やかにおりてくる。ここでビビらない奴はきっと脳筋ミチミチ野郎だと断定したかったが、そうすると前をいくリーダー様ご一行が頭脳派になってしまうので断定はやめた。でもなんか悔しいから「さん呼び」はやめた。これからは呼び捨てで行く。底から100mくらいで魔素の匂いがした。魔素が沈殿してる。底に着くのに30分くらいかかったろうか。石ころだらけの荒れた底だったけど脚が地に着く安心感で座り込みたくなる。心底ホッとした。見あげると遥か彼方に井戸の入り口が見える。小さな青い円。ずいぶん降りてきたものだ。光は底までは届かないけど、壁に4箇所魔石ランプが設置され薄ぼんやりと光っているので真っ暗闇ではない。シオンに続いてノアとラウリも底に着いた。待つほどにポーターさんたちも到着しボクたちそれぞれに荷物を受け渡す。ダンジョンの奥までは運んでもらえないのか、残念。丸めた外套をリュックから外し、リュックを背負って上から羽織る。リュックの中身はほとんどが携帯食料と水でずっしりと重い。ポーターさんたちは壁に設置された魔石ランプに魔石を補給すると帰っていった。アルアラビ氏とラウリがリュックから外した携帯ランタンに魔石をセットし明かりを灯す。魔石で炎を灯す火魔法タイプのランタンだ。キャンプ時の種火としても使えるだろうけど、ボクたちが出せる光魔法光球の半分の明るさしかない。壁の明かりと合わせても、40ワットの白熱電球くらいな明るさ。それでも前方の壁に洞窟の入り口穴が6個並んで口を開いているのが見えた。頭の中でラウリ謹製の洞窟マップを展開する。ラウリの書き込みを見ると1年前のラウリたちは左から4番目の洞窟を進んだみたいだが、進むべきは左端の洞窟。最短距離で階段へいける。


「準備いいな。いくぞ。まずは分岐まで進んで左。その先に罠が1個ある」


マップを広げて睨みつけていたアルアラビ氏が号令をかけ、左から4番目の洞窟に進もうとした。


「え。ちょ。ちょっと待って。そっちにいくといちばん長い経路になりますよ。登りくだりも激しいし。3倍くらい時間かかるでしょ」


アルアラビ氏がとっても蔑んだ目でボクを見た。


「だから、素人はお荷物なんだよ。このルートがいちばん罠の数が少ないんだ。罠の発見や解除にかかる時間を考慮すればこれが最短だってことだ。新米は余計な口出ししてないで黙ってついてこい」


ムッカー。このオヤジはー。いい返してやろうとしてたらシオンに先を越された。


「オジサン。アンタさあ。エコーロケーションも知らないのになに偉そうにいってるのよ。救出作戦なんだから時間がいちばん重要な要素でしょ。ウザイから黙ってウチらに着いてきな」


いや。カッコいいよシオン。男だったら惚れてるぞ。凄絶美少女がドスを効かせると迫力ハンパない。『鉄槌』のおふたりは鉄槌を食らったかのようにポカンとシオンを見つめてた。ついでにノアとラウリも唖然としてる。ボクはヒップバッグから今回のミッションのために買い求めた秘密兵器を取り出した。昔々の映画で学校の先生が黒板の図表を指すときに使ってた棒を見たことがある。レーザーポインターになる前の映画だった。その棒と同じ構造で伸び縮みし、縮めると30cm伸ばすと2mになる金属棒。先端にピンポン玉サイズの金属球がついている。これで床や壁を叩いてエコーロケーションすれば木の棒なんかより遥かに鮮明な音響像が得られる。シャキシャキシャキーンと棒を伸ばし、見つめる男どもを放っておいて左端の洞窟へ進んだ。壁に耳をつけ金属球で床面を叩く。カーン。ブワッと頭の中に立体図形が浮かびあがる。


「左前。2歩の位置。飛び出し杭の罠。作動させるね」


1歩進んで棒を伸ばし土に埋もれて偽装された起動スイッチを押す。地面から長さ1mの金属杭4本が射出され宙を突いた。


「さらに杭から4m。床に起動スイッチで天井が2mの円盤状に落ちてくる。作動させるね」


こっちも起動すると、ジャララッと鎖を何本もつけた天井がプレス機並みの重さで落ちてくる。


「な。なんで。起動スイッチの場所がわかるんだ?」


タルハン氏が混じりっけなしの驚愕の目でボクを見つめる。色欲風味の混ざってない視線を浴びるのは初めてだ。


「みなさんチュートリアルやりこんでないでしょ。感覚と知力に覚値ポイント多めに割り振るとできるようになるんですよ」


「なんか超能力の類か?」


とタルハン氏。


「あっちの世界でも視覚に障害のある方たちが日常で使ってる普通のテクニックですよ。反響して返ってくる音を聞いて空洞とか障害物とか検知するんです。罠は表面的には隠されてても壁や床の中に複雑な仕掛けが設置されてますからすぐ見つけられます。構造をよく吟味すればどんな罠かもわかります。ボクもシオンも使えるので、こっちの最短距離をいきましょう」


「そんな、うまくいくとは‥‥」


アルアラビのヒゲオヤジがまだ抵抗してる。


「怖いんならいちばん最後を歩いてください。罠が手違いで作動しても死ぬのはボクたちですから」


「いや。参ったね。とんだ素人冒険者さんだ。猫を被った狼って奴だな」


とノア。ノアさん、それなんか混じっちゃってるよ。隊列を組替え、まずボクたち『妖精』チーム。続いて『白牙』チーム。最後に『鉄槌』チームとなる。ボクたちはランタンを持っていないので魔法光球を飛ばすと、また先輩諸氏を驚かせてしまった。確かにチュートリアルを漫然とやるだけなら強さと生命力と敏捷さあたりにポイントを振って刀を振り回していれば大体の戦闘は生き残れる。魔法のために知力に振ってみる研究熱心な人は少ないだろうけど、それにしても魔法の普及率が低い。ほとんどの転生冒険者は物理攻撃力主体で、魔法要素は利用するとしてもプリセットされてボタンひとつで使える魔道具に頼っているってことなのかもしれない。ボクは飛び出し杭の罠を4ヶ所、矢の射出罠を6ヶ所、吊り天井の罠を2ヶ所作動させて無効化した。爆発して周囲に100本近い針を飛ばす爆発罠と毒ガス罠は作動させるわけにはいかないので、起動スイッチの場所を指示して回避させた。2階層目は作動させると広範囲に被害が及ぶ範囲系の罠が増え、起動スイッチの数が増したり広い範囲が起動スイッチになっているものなど構造も複雑になって男尊女卑のおじさん方への指示がたいへんだった。この罠の複雑さと数は、エコーロケーションを知らない冒険者には難敵だろう。人死も出るはずだ。慎重なパーティなら3階層の階段まで1週間かかるというのも頷ける。ボクたちはそんな難所を1時間で踏破してしまった。主にボクのおかげなんだが、ノアとラウリの賞賛の目はよしとして、男尊女卑オジサンふたりの目はなんだありゃ。感謝が足りないぞ。そしていよいよ3階層に降りる。階段というよりかなり急なくだり坂をおりているとき、斜め上方向でカリッと壁を引っ掻く音がした。と、シュルッと風を切る音とともに黒い塊が回転しながらボクたちを目指して飛んでくる。


「攻撃!」


そう警告を発しながら背中の剣を抜く。黒い塊は弧を描いてボクに向かってきた。小動物ほどの大きさ。その軌道を目が捉え、耳が解析する。高速で接近してくるため回転飛翔体の細部までは見極めきれない。衝突を避けるためギリギリまで引きつけてから膝をたわめ、上体を右に傾ける。ボクの左頬を掠めて飛翔体が通過し背後の壁にカツッと止まった。それでようやく細部まで見える。手だった。ボクの手より3倍は大きな手。鋭利な鉤爪が伸び出した鬼の手。斬り飛ばされた手首から先。手だけの怪物だ。背中というのか手の甲というのか、回転の中心軸に1個だけぎょろ目の目玉が盛りあがってパチパチ瞬きをしてる。手の平の中心には牙の生えた口。5本の指を巧みに操り、ガリガリガリと洞窟の壁から岩屑を掘り起こしながら横に動く。そして充分な勢いがついた途端、一瞬手指をたわめて宙に飛び出した。


「飛び手だ。速いぞ」


ノアの声。ボクの顔めがけてフリスビーのように飛んでくるんだから、いわれなくても速いのはわかる。頭の横を通り過ぎるとき頭皮がツンと引っ張られるような感覚があった。


「魔法生物だ。魔法で動いてるなら物理法則にない動きをするかもしれない」


そういいながらも脚を送って突進をかわす動きをしていたのだが、ゆるい円弧の動きだった軌道が急に鋭角な動きを見せボクの左脇腹に突っ込んでくる。構えた剣を咄嗟に立てて攻撃を受けると、ギャリリリッと回転爪で剣を削った。重い。左手を刀身に滑らせ圧迫を受け切る。せっかく買ったばかりの胴鎧を傷物にされてたまるかっての。回転が弱まり、飛び手が地面に落ちた。ボクの腰から地面に落ちるまでの0.4秒でボクは立てた剣の持ち手を逆手に変え、そのまま真下へ突きおろす。剣先が飛び手の目玉を貫き床石に突き当たる。手首にガツンと重い衝撃が走るが、突き刺さった剣を離したりはしない。飛び手はしばらくジタバタしていたがやがて静かになった。ボクは剣を突き刺したまま寝かせるように動かしたが、飛び手の甲を覆った亀の甲羅みたいな部分が硬い。体重をかけてようやくバリっと割ることができる。


「ミナト。大丈夫?」


「うん。なんとかね」


「こいつもヒトデみたいに重力魔法使ってたの?」


「うん。たぶん。みなさん、コイツ重力魔法を使って飛んだり回ったり急に軌道を変えたりしてきます。緩いカーブみたいな動きだからって目を離してここら辺にくるはず的な予測で剣を振ると、思いもよらない軌道変更で直撃受けちゃう可能性がありますから注意して。それとこの手の甲の殻、めちゃくちゃ硬いです。上から斬りおろしても断ち割るには相当な力とタイミングが要ります。上にある眼球か裏にある口の部分を突き刺すようにすれば柔らかく刃が入りそうです」


水葉で剣先を拭い納刀してから触ってみる。


『flugantaJ manoj。飛び手。魔界の生物。外見はゴリラの手に酷似。指を広げた直径は40cm。回転と重力魔法によって空中を自在に飛行し、回転による鋭い爪の切り裂きによって攻撃する。群れを作らず単体で行動するが、繁殖時のみ長時間交接したまま行動するためつがいで襲う。赤外線域まで感知する単眼によって標的を定め、1度選んだ標的に固執して攻撃を繰り返す習性がある』


「うえー。気持ち悪いね。どう見ても手じゃん」


シオンが喋りながらツンツン突いているうちに死骸が分解を始めた。他の人たち触らなかったけどいいのかな。魔石を拾いあげた。現状でボクとシオンの獲得してる蓄積経験値は190000。次の覚値ポイントを得るための蓄積経験値ラインは198425。あと8425で覚値が1増える。同じ魔法生物のヒトデは1匹で4000ポイントもあった。飛び手はそれよりも危険度が高いから5000ポイントはあるかもしれない。4500ポイント以上だったならもう1匹倒せば覚値が増える。もしヒトデと同じ4000ポイントだったら425ポイント足りなくて増えない。ノアたちと『鉄槌』のおふたりは「お」とか「う」とか身体の芯が震えるときの声を漏らしてたから覚値ゲットしたのだろう。1匹4000や5000の経験値でレベルアップできちゃうってそこそこ低いレベルな気がする。レベルっていう概念はそもそもの『幻夢』にも『チュートリアル』にもなかった。ボクが個人的に基準としてる数値だ。【ステータス覚値】の項目に、転生してから魔物討伐をして稼いだ経験値による覚値の合計が記されている。それを勝手にレベルと呼んでいる。レベル20台、つまりそれまで得た覚値が20〜29なら4000くらいで1覚値ゲット=レベルアップなんだよね。ボクたちが現在レベル48。うーむ。結構実力差ありそうだ。傾斜を降り切ると広い空洞に出た。床の傾きが水平に戻る。3階層に到着だ。ここにも洞窟通路の穴が3つ開いている。左の穴は道程が長く迷路状になっているが罠の数が3つしかないやや安全な通路。真ん中が最短だけど罠が7つもある難易度の高い通路。アルアラビ氏が咳払いをして話しかけてくる。


「あー。ミナトくん。ここからは魔物も出るが、先頭を任せて大丈夫かね」


いちおうボクたちの有用性を認めたのかな。上から目線の尊大さが薄れてる。


「あ。はい。大丈夫です。けど、この階からは魔物より罠の方が厄介になります。最短の通路は真ん中ですが、7つある罠のうち飛び出し杭や矢のように作動させて解除できる罠が3つしかなくて、残りは針飛散罠と毒ガス罠と散弾爆発罠と面倒な複合罠ですから作動させるわけにはいきません。目印を置いて作動スイッチの場所を示すので踏まないように回避してもらうことになります。それと先頭で明かりを灯すと魔物に接近を教えてしまいますから、ボクたちは接敵するまでエコーロケーションだけで進みます。後ろの皆さんはランタン点けて大丈夫ですので」


「そうか。ああ。ではマップを渡しておこう」


「あ。大丈夫です。『白牙』のおふたりが持っているのを見せてもらいましたので暗記してます」


「暗記。おお。そうか。では。頼む」


それまで黙って聞いてたシオンが思いついたようでノアたちに話しかけた。


「あとー。魔素が濃くなってるよね。声が通りづらくなるから、ウチらから最後尾のアルアラビさんまで声かけても通じないのよね。だからー途中でノアお兄さんとラウリお兄さんに中継してもらわないと伝わらないわけ。そこんとこ声出しよろしくねー」


「おう。任せろ」


ボクたちはまた1列になって洞窟通路を進む。ひとつ目の飛び出し杭の罠を作動させ、ふたつ目の針飛散罠は床の起動スイッチの上に魔法で光球を浮かせて回避させる。それからしばらく罠のない道が続き、毒ガス罠に接近している途中、床を叩いた反響が像を結ぶ前に天井でガリガリッと岩を削る爪音がした。


「飛び手。2体。天井」


ボクが後ろに声をかける。それを受けてノアがさらに後ろへ伝達する声。シオンが光球を上に飛ばした。飛び手が天井から離陸する瞬間が目に入る。1匹はノアへ。もう1匹はその後ろのタルハン氏に向かって回転円盤鋸のように飛び落ちてくる。ノアの目はしっかりと魔物を捉えていた。待ち受ける動きに焦りや恐怖はなく、半歩身体を回して飛び手の攻撃をかわしながら中段に構えたバスタードソードを斬りあげる。ガギンッと刃が飛び手の回転力を打ち消し、その胴体を真っぷたつに斬り裂く。美事な捌きだった。体勢を崩してもいないし息を切らすほど動いてもいない。それに比べてタルハン氏は無様だった。抜いた曲刀、シャムシールでの受けに失敗して胸鎧に大きなへこみと傷をつけられ、鎧に取りついた飛び手の口に革部分を齧り取られる。悲鳴をあげ剣の柄で叩き落とそうとして3度殴りつけたところで背中に回り込まれた。あわや延髄を噛みちぎられそうになったところにアルアラビ氏が殴りつけ叩き落とす。そこからがまたドタバタだった。床を走り回る飛び手を斬ろうと刀を振るのだが、ふたりの刀は地面の岩に当たって刃こぼれするばかり。飛び手も2方向からの乱雑な攻撃をかわすのにいっぱいで、充分な助走が取れず飛びあがれないでいる。まるでゴキブリ退治のギャグコントだった。不用意に助太刀しようと近づくとふたりが振り回すシャムシールに怪我させられそうで手が出せない。最終的にアルアラビ氏がブーツで踏みつけ、自身のブーツの革を一部削ぎながら刀を叩きつけて殺した。ふたりがへたり込み荒い息を治めている間にもノアが両断した魔物が蒸発していく。その時点でボクの胸の奥に震えは起きなかったから、飛び手から獲得できる経験値はヒトデと同じ4000ポイントだと見当をつける。『鉄槌』コンビが倒した魔物が蒸発し始めると、今度は胸奥がブルった。やっぱり4000ポイントだなと確信する。飛び手3匹分12000ポイント獲得でボクとシオンの蓄積経験値は202000になってるはず。『鉄槌』と『白牙』のふたりコンビはそれぞれで2回、胸の奥が震えた様子。


「3匹倒しただけで、覚値を3ポイント得られるなんて。こんなの初めてだ」


ラウリが自身のステータスを見ながら独り言のように呟くのを聞き逃さず、シオンが経験者風を吹かせる。


「魔法を使う魔物はもの凄く経験値が高いんだよー。ミナトいわく、体内の魔素量が関係してるっぽい」


「アルアラビさんたちは大丈夫ですか?」


アルアラビ氏は魔石を拾いあげその大きさに驚いているようだった。ノアも自分の倒した魔物の魔石を拾っている。


「ああ。装具に傷がついたくらいだ」


「では進みます。次は飛び出し槍の罠で作動させます」


ボクたちはまた行軍を開始した。3階では他に魔物との遭遇はなく、罠を突破し4階へのくだり傾斜路に達した。


「4階は5階へおりる階段までのルート周辺しかマップがありません。罠は6ヶ所。作動させて解除できる罠がないので作動させないよう進まなくちゃいけないのですが、作動スイッチが多数ある罠や地雷みたいにランダムに埋まって連鎖作動する罠があるようです。降りてすぐ複数スイッチの爆発罠。そのすぐ先に起動スイッチが引っかけ糸タイプの毒ガス罠があります。ここは張り巡らされた糸を切らないよう進まなくちゃなりません。かなりな難所です。覚悟してください。その罠を通過できたらその向こうに通路の分岐があって、左ルートをいくと膨らんで大きな部屋みたいになってるようです。そこで休憩と食事にさせてください」


4階層に降りた時点で時刻は19時近くなっていた。いつ敵に襲われるかわからない場所で罠を探知するために全神経集中して行軍するのは、気力と体力が異常に消耗する。全員異議はないようだった。全部で12個もある起動スイッチを避けて歩かなくちゃならない爆発罠を冷や汗垂らしながら通り抜ける。床に2本のロープで幅30cm足らずの安全な経路を描き、その間をそろそろと進んでもらう。もし間違って爆発させたら洞窟自体が崩落しかねないほど強力な爆薬が仕込まれているのがわかっている。もちろん爆心のそばにいるボクは肉も骨も粉々になるだろう。その後の引っかけ糸の毒ガス罠もいちいちその場に立って糸の存在を示してやらなくてはならず、全員が抜けるのに30分近くかかってしまう。なんとか先に進み、分岐を左に進むと広場に出た。小振りな体育館ほどある空洞だ。所々に上から落下したのだろう大岩が突き立っている。異様に明るい空洞だった。エコーロケーションと視認で安全を確認する。奥の右手に道が続いていて、地図通りなら先に進めばさっき分岐したもう1本の道に再合流するはず。


「なんでこんなに明るいの?」


シオンの問いにラウリが答える。このふたりいいコンビになりそう。


「奥の苔だ。苔が光ってる」


入ってきたボクたちの向きからすると左手奥の壁。その壁のほぼ全面がジクジクと濡れていた。地下水が染み出しているのだろう。その水分のせいか奥側、空洞の半分近くを青っぽい苔がもっさりと覆い尽くしていた。その苔が青白く光っている。


「シオン。おかしな仕掛けや生物がいないか、右の方エコーで調べて。天井の安定度も。大岩の裏も注意して。ボクは左を調べる。ノアさんたち。湯を沸かしたいのでカマド作りお願いしてもいいですか。あと、こっちの入り口と向こうの出口のところに結界魔導器のセットお願いできますか」


「らじゃー」「おう。任せろ」「わかった」「いいだろう」「やれやれ」


JK+『白牙』と『鉄槌』の方々がそれぞれ了承してくれる。ボクとシオンは左右に分かれて苔に近づき床を叩いて回った。おニューのブーツを汚したくなかったから苔には足を踏み入れない。なんかネバネバがついちゃいそうだし。


「異常なし。変な空間なし。動きなし。天井もぐらついてる感ないよ」


シオンが声を張って報告してくれる。ボクは手を挙げて了解を示した。真ん中より奥寄りに床の平らな部分があり、ノアたちはそこに石を積んでカマドを作っていた。結界魔導器を仕掛けにいったアルアラビ氏たちも戻ってくる。ボクはリュックから缶詰型の固形燃料を取り出し、『鉄槌』と『白牙』から1個ずつもらって3個をカマドの中に並べる。ノアが携帯着火器を取り出そうとするのを制して魔法で着火した。


「魔法の火の方が熱量が高いみたいなんだ。燃料のセーブにもなるんでノアさんたちも簡単な火魔法と光魔法は覚えるといいよ。ただ、ステータスの知力にポイントを最低で6は振り分けないと難しいんだけど。魔力の項目は当然として、いちばん重要なのは心象力。つまりイメージ力なんだよね」


それぞれのチームが1個ずつ出したケトル鍋に水を入れて火にかけ、携帯食料バーを砕いて溶かす。干し肉を細かく割いて落とし込む。卵蕗の茎をざっくり切って入れ、卵をひとり1個ずつ割り入れる。熱々の卵雑炊完成。火を囲んで全員で腹を満たした。ボクの右横にノアが座り、左横にはシオン。そのすぐ隣にラウリ。なんかね。ちょっと距離が近いなあのふたり。「ノルウエーの美味しい料理ってどんなの」「バカラオかな。干しタラやエビをトマトソースで煮込んだ家庭料理」なんて話して笑ってる。ラウリの兄ちゃん最初無口に見えたけど気心が知れてくるとけっこう喋るね。『鉄槌』のおふたりはキャンプファイアーからちょっと外れて右手奥の苔近くにある大岩にもたれて食べながら剣の刃こぼれをぼやいていた。食べながら意識がふっと途切れそうになる。緊張の連続で思った以上に疲れているのかもしれない。食事を食べ終え水分補給も済ませ、後片づけは鍋を洗うだけ。水は貴重なので湿った水葉と乾いた水葉でよく拭いて。ここでトイレも済ませておいた方がいいな。壁近くにある大岩の裏なら殿方に見られないで済ませられるか‥‥とか思っているうちに眠り込んでしまったらしい。タルハン氏のこの世のものとは思えない壮絶な悲鳴で目が覚めた。


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