先人のあしあと5
サナエがレンと初めて対峙した際、サナエは聞いた。
「あなたは誰?」と。
サナエの世界の、異なる4つの言語を使って。
顔立ちから、レンが違う国の人間と判断し、共通語である“英語”で話しかけたが、レンの返答はサナエの国の言葉に聞こえた。違和感を覚えたものの、ないこととも言い切れない。
そこで、同じ意味の言葉を“フランス語”、“中国語”で繰り返してみた。
仮にレンが語学に堪能だったとしても、会話のどこかでそれに触れてこないのはおかしい。
そして、レンが使っているように聞こえる“日本語”で同じ問いを繰り返したサナエに、レンが不安を浮かべた顔で言葉が通じていないのかと自問する言葉をはいた時、彼がサナエの発した言葉を異なる4つの言語として認識されていないと確信したのだ。
その話を聞いて、ダイクンとルーカスは言葉を失った。
この世界の言葉と、サナエの産まれた世界ではもちろん使われる言語も違う。
観察者はその魂がハルシオン神へ繋がれる影響で、この世界の人間との意思の疎通が可能になる。
だからこそレンはサナエの発する言語の変化に気づかなかった。
それに、とダイクンは思う。違う世界へつれてこられたばかりの観察者がそのような“試験”を課してくるとは誰が想像しようか、と。
特に前の観察者を知るレンやダイクンにとって、この新しい観察者はすべてが意外なことの連続だった。
前任の観察者は、贅沢を好む女性だった。少女の時期にこちらへ連れてこられ、家族と引き離されたのだからと、彼女がわがままに望むものを出来る限り皆が与えようとした。
今となってはそれが彼女にとって良かったかどうか、判断が難しい。
諌められることなく少女から女性へと成長した彼女は、幼い性格のまま成人し、その権力を思うがままに振るった。
神の眼、その実態のない権力に、けれど取り入ろうとする貴族は多く、いたずらに権力が分散化されることに王家が手を焼いたことは否めない。
「わしらはあの方を腫れ物に触れるように扱った。けれどそれは彼女の孤独を深めるばかりじゃったのかも知れぬ。サナエ殿、貴女は自らの意思を持ち、自身で決断をしようと努力する方じゃ。そのための手助けを、われらも惜しみますまい」
サナエがレンの部屋で暮らすという意思は、そうしてかなえられた。
けれどそれも無条件というわけにはいかなかった。ルーカスはこう言った。
「観察者の存在を隠し通せるのは、長くても次の召喚の季節までです。その時には国賓として王宮へいらしていただけますね?」
それはちょうど季節が一巡りする1年後。それまでの間、ダイクンが身元引受人となり、レンの部屋で静かに暮らすことができる。サナエは、何もわからないまま政治や貴族の人間関係に巻き込まれることをどうしても防ぎたかった。
とりあえずの猶予を得たサナエはルーカスの言葉に静かに頷いた。
外で警備をしていたジェイを連れて2人が帰った後、レンは切り出した。
「ねえ、サナエは猶予の1年で帰る方法を探すつもりなんだろう?」
レンの群青色の瞳に映りこんだ蝋燭の火が揺れた。
「先に言っておくよ。サナエを帰す術は、ある。だけど」
神と繋がれた魂はもう前の世界に受け入れられることはない。
サナエの瞳に、沸きだすように涙が溢れた。レンは静かに歩みより、サナエの頭を胸に抱く。
ごめん、と何度も繰り返すレンの言葉が部屋に響いた。
サナエがやっと顔を上げた頃には、部屋の空気が夜に浸され冷えていた。
「サナエの世界とこっちの世界では、1日の長さが違うんだ。四半刻、えっとサナエの国では“さんじゅっぷん”位かな」
前の観察者から聞いたと笑った。
そして。
その調整の時間だけ、サナエはもとの世界に帰ることができるよ、と。




