先人のあしあと3
ハルシオン国はその名に神の名前を冠すとおり神の恩恵が深く、古くからの歴史を持つ大国である。
肥えた土壌、さらに水資源が豊かで治水にも恵まれた土地。この大陸に暮らす者にとってハルシオン国民であるか否かで、その暮らしぶりが顕著に変わる。
彼の神がもたらすのは自然の恵みばかりではない。
暗黒時代と呼ばれる、大陸中の国が領土拡大に腐心し戦が絶えなかった頃、ハルシオン神はその身に遣える光と闇の精霊を使役し自身が守護する国を他国の侵略から守ったという。
そして《観察者》、それは100年ごとに訪れる神の休眠期に地上の出来事を記録する媒体であり、神の眼とも呼ばれる存在。
休眠期といえど神の恩恵が受けられないことはない。大地は変わらず肥沃であり、他国に比べ天災の起こる割合も少ない。
しかし《観察者》がいることで、神は地上の出来事をより察知しやすくなり、必要と判断した場合にはその眠りを解き国の守護のため降り立つと言われていた。
「観察者の存在は、それ自体が女神の関心が我らに向いている証なのですよ」とルーカスは言った。
内外への牽制の意味も含めて、《観察者》は求められる。
だからこそ、不在時には毎年決まった時期に召喚の儀式を執り行うのが通例だった。
「儂とレン殿は今年も召喚の儀式を行い、此度は女神が観察者を選ばれなさった。それがサナエ殿じゃった、ということになるのう」
ダイクンは柔らかく大きな手のひらでサナエのそれを握った。
「儂らの国の都合にサナエ殿を巻き込んでしもうた。お嬢さんにもあちらでの生活があったじゃろうに…。本当に申し訳ない」
「選ばれた時点で、観察者の魂はハルシオンに繋がれる。役目を辞退することも、途中で放棄することもできないんだ」
静かに残酷に告げるのはレンの声。
存在自体が役目ということはその存在が終わるときにしか役目が終わらない、ということに考えが至った時、それまでどこか淡々と状況を見つめていたサナエは息を呑んだ。
つまりは死ぬまでこの世界に関わらなくてはならないのだ。今まで培ってきたものを、全て捨てて。
「神の眼となると言っても、サナエ個人の自己は変わらない。特別な何かをするわけではないんだ。
その存在そのものが神とこの世界の縁をつなぎとめる役割だから。」
それなら、と乾ききった喉から搾るように声をだす。
それなら、そもそもが違う世界の人間を呼ぶ必要などないではないか。その存在をして神と地上を結ぶよすがとするならばこの国の人間が役目を負えばいい。そう主張しようとしたところでサナエは口を閉ざした。そんなことはすでに彼らも思いいたっているのだろう、と気づいて。
さっきダイクンはこう言ったのだ。
『神がサナエを選んだ』そこに彼らの意思はない。
「混乱は当然です。サナエ殿、貴女の今後の生活については王家が出来る限りの保護を致します。まずは教育を受けていただくことになりますが、その間はもちろん、その後の生活も国賓として保障されます。観察者とはいえ、人としての一生を送ることに変わりはないのですから。」
ルーカスの言葉はどこか遠くから響いてくるように聞こえた。
椅子からくずれ落ちないよう、膝の上で握り締めた拳のなかで、爪が食い込むのを感じる。
観察者は国賓として迎えられ、この世界についての知識をえるまでの間、しばらくは王宮に暮らすことになるという。
その後、静かに暮らすことを願う者はマルク湖畔にある離宮へ。華やかな生活を望む者なら王都で暮らすことも選べる。
説明を聞いているふりをするのが精一杯だった。
このまま押し流そうとする大きな流れに呑まれるほうが、楽かもしれないと言う考えが一瞬よぎる。
それでも。
それでも足掻きたかった。ここで頷くことは、この運命を甘受するようにしか思えなかった。
「王宮には行けません。お願いです」
時間をください。頭を下げたサナエには、彼らの表情は見えなかった。




