風の消える場所5
第二王子ルーカスが副官を伴い兄の執務室を訪れたのは、急な呼び出しに応えてのことだった。
戴冠式はもう目前だ。
その日を迎えれば、今後兄に会うために向かう部屋は国王の執務室となる。
正式な儀式が済めば神の休眠期に活発化している反体制派も少しはなりを潜めるだろう。
慌しい王宮内の空気のなかで、ルーカスは兄の戴冠を待ちわびていた。
国内外から集まる賓客の対応に追われる王宮内で最も忙しいはずのエスターの執務室には、同じく多忙を極める宰相と筆頭魔術師の姿まで待ち構えていた。
そこに流れる異様な空気を、ルーカスは足を踏み入れた瞬間から感じ取っていた。
円卓に広げた地図の一点を指差し、デュランが切り出した。
「火の月の朔日、ひとつの村が消えました。気配を察知したレン殿が向かい確認したところ、西岸の中継都市からはずれた位置、このあたり一帯全て跡形もなく消えていたそうです。この一帯は、ここ数年のうちにどこからか流れてきたものたちが集まってできた集落で、領主への届出の記録も新しいものばかりでした。表向きは漁村、ですが実際は海賊まがいのことをしていたようです」
「まがいというのは曖昧だな」
「えぇ。あくまでも海賊船の護衛だけを行っていたようです。ならず者の集まりでもその事だけは徹底していたと」
沈黙が流れる。
地図に示された範囲は広いものではない。だが、それが問題ではないのだ。
ひとつの村を跡形もなく消すことができる。
それだけで異常なことだった。
「神罰を恐れたのでしょう。浅はかな考えではありますが、これまでに粛清が行われなかったところを見ると、間違ってはいない判断だったようですね」
「やはり、彼の方が行ったこと、ということでしょうか」
沈黙を破ったグウェンの冷静な分析に、認めたくない気持ちで口を開いたのはルーカスだった。
「こんなバカなことをするやつが他にいるか」
兄の一言に口をつぐむ。
エスターは気の優しい弟の様子を取り立てて気に留めることもなく、続けた。
「証言を得ようにもそこに住む人間ごと全てが消えているとはな。頭の痛い話だ」
「近年その周辺の海域で賊の被害が問題になっています。隣国に拠点を置く賊に対し、外交を通して対策を練るように数度打診をしていますが」
消えた街が護衛をしていた海賊は、隣国を拠点にしており、ハルシオン国に限らず周辺数ヵ国に被害は及んでいる。
被害者たちは、自国の外交ルートを通して、これまでに何度も隣国の王家に被害を訴えていた。だが、彼の国は表向き取り締まるふりをしながらも、裏では賊を保護することで資金源のひとつとしている。
「兄上、しかしこれまで何も起こらなかったのはおかしくありませんか?ただの偶然でしょうか?やはり神の目であるサナエの来訪が影響を?」
「ルーカス殿下、問題は、『なぜこの村だったのか』ということです。何が起きていたのかわからなければ、突如消えた村は民心を動揺させるだけでしょう」
「しかし、これは神の威光を表す絶好の機会になるのではないか?賊の動きを牽制したことを戴冠式に合わせて公表すれば、周辺諸国に対してもハルシオン神の威光を示すことになるだろう?」
「殿下、今回の一件が賊と関わりあいがあるとは断定できません。ハルシオン神はあくまでも『国の存亡』にかかわることにのみその力を揮うとされています。背後にほかの動きがあったことは必定。むしろそれがなく動いたとなれば、どこに秩序を求めましょう」
「そして公表後に賊が動いたとしたら、民はハルシオン神がなぜ賊そのものを殲滅しないのか、そのことに対する不満が出てくるだろうな」
再び訪れた沈黙を破ったのは、ずっと黙っていた老魔術師の声だった。
「ほんに、過ぎた力を持つ武器ですな、ハルシオン神の力とは」
「ダイクン殿」
「失礼失礼」ふぉふぉと笑う彼に、だが他のものは共に笑う気にはなれなかった。
そんななか、デュランは、それから、と話を再び切り出した。
「隣国の使節団は戴冠式の直前に到着することになっているとはいえ、タリエンティ殿下のことです。すでに密かに入国していてもおかしくはありません。戴冠式に集まる近隣諸国に対しても、いつまでも隠せることではないでしょう」
「案外すでに知っているかもな」一同の顔色が変わるのを、エスターは醒めた目で見ていた。
「どういうことですか?」
ハルシオンに住む民は、その出自を問わず、ハルシオン神の加護を受ける。
だからこそハルシオンには人が集まり繁栄するのだと言われている。だが、同時にここに住むものは皆、義務を負う。『ハルシオン』という『国』を守る義務を。そしてひとたびそれを脅かそうとすれば、制裁から逃れることは不可能だ。
「見方を変えれば、今回消えた村は、これまでに荷担してきた行為において、神が粛清を加えるかどうかを見定めながら事を起こしていたようにも見える。流れ者の集まりが、この国の神についてそこまで詳しいことを知り得るか?それを試すように物事を進めるだけの統率力があるか?」
エスターの言葉は、そこに第三者の介入が存在していることを示唆していた。
まさか、と誰かの口から漏れた言葉に、エスターは薄く笑った。
「不思議ではないだろう。腹をすかせた獅子の前に見るからに美味そうな餌がぶらさがってるんだ。今までおとなしくしていたことを褒めてやらんでもない」
「殿下、いくらなんでも不謹慎です」
「とにかくまずはサナエを狙った輩は早々に捕まえろ。神の力を目の当たりにすれば、厄介事が増えることは必至だ」
戴冠式を目前に、国内の祝賀ムードは高揚し、王宮内にも国内外からの来賓が集まりだし、華やかな様相をみせている。
だがその一室に集まったものたちの表情は、一向に晴れそうになかった。
***
カーモディ家の一角にあるその部屋は、落ち着いた調度品に囲まれた空間だった。
小さな卓を挟んで双子とサナエが向き合う。
夜会の煌々とした明かりのもとで見る双子は飄々として軽薄さすら感じさせたが、こうして向き合ってみるとそのこげ茶の瞳は知性的で侮りがたい雰囲気を纏っている。
サナエは内心舌を打ちたい気分だった。
グウェンの調査では彼らは『白』のはずだった。
あの宰相が何かを見落とすことなどありえない。だが、彼らの言う妹が彼女に仕えていたサラだという情報を、サナエは持っていなかった。そんなことがあるのだろうか。
「お話とは?」
内心の動揺を隠し、口火を切ったのはサナエだった。
「われわれが今何をして富を得ているのか、サナエ様はご存知ですか?」
質問に対して質問で返してきたことに対して、サナエは目を眇めることで不快を表した。
「観察者様、我がカーモディは軍での功績で爵位をいただいた家ですが、現在はそのように血の熱いものはおりません。我々が行っているのは、貿易であり、そのために最も力を注いでいることは『情報の収集』です。伏せられていることをいかにして知り得るか、それも重要な商いなのです」
その過程で今回の襲撃事件を知ったのだ、とジョエルは言った。
「不本意ながら、アルヴァーソン家の失墜で益を獲たのは我がカーモディです。疑いの目を向けられることも当然でしょう。ですが、今回の襲撃に我々は関知していません。我々の妹であるサラもまた」
何かがおかしい。そう思った。だがその糸口が掴めない。
苛立ちは知らず知らずの間に言葉に表れた。
「何が言いたいの?」
「誤解を解きたいのです。我々も、妹も、無実であると」
「ちょっと待て、ジョエル」
言い募ろうとしたジョエルを止めたのは、同じ顔をしたジョアンだった。
「なにか、おかしい気がする」
サナエ様、とジョアンが真剣な目でサナエを見据えた。
「なにか、おかしくありませんか?」
じっとその目を見返して、サナエは彼が本心であることを確信した。
「あなた方が解きたい誤解を、私は持っていない」
双子がそれぞれに不審気な顔をして先を待つ。
「サラがあなた方の妹ということも知らなかったわ。必要な情報であれば、あなた方が警戒すべき相手であれば、その情報は私のもとにくるはず。あなたたちはなぜ私があなたたちを疑っていると思うの?」
そう、グウェンが情報を取りこぼすはずなどない。情報が与えられなかったとすれば、それは先入観を与えてしまうがために、彼が『敢えて』伝えなかったに過ぎない。
「あなたたちが掴まされた情報は偽物よ。わたしたちは、はめられた」
胃を逆流するような吐き気を感じた、そのとき。
「誰だ!!」
窓が割れる音とともに、抜き身の刃を手に持った男たちが言葉もなく双子に斬りかかった。




