心の在り処7
「今日も見物客がたくさん来ているみたいね。観光名所になるんじゃない?」
「サナエ、そんなのんきなことを言っている場合ではないよ」
襲撃のあった晩、青ざめた顔から一転して毅然と犯人探しの指示をだした観察者は、覗き込んでいた窓枠から身を離すと肩を竦めた。
諸々の事情と現在の状況から、ライアスとサナエは友人として接するようにしていた。
グウェンから大まかな事情は聞いていたものの、主君が執心する様子を実際に目の当たりにすると、そんな女性を婚約者として扱うことに抵抗を感じることは否めない。
そして何より、真意を見せない娘自身が、この婚約をどう捉えているのかわからない。
彼女は、窓の外で守護竜が気持ちよさそうに湖で水浴びをしている様子を見つめていた。
「平和な光景ね」
「竜が間近にいることがかい?」
「あら、この国ではそれが日常なのではないの?」
言ったそばからサナエは悪戯っぽく笑った。
「うそよ。だから見物客が絶えないんですものね。それで、ライアス様はさっきから何の仕事してるの?」
「急遽正規軍に戻ることになったから部下の編成をしているんだよ。もっとも当分は借り物の兵たちだがね」
執務机に広げた資料は、兵士たちの身上書だった。
北の辺境から戻ってから待機が続いていた身には、正式な職務を与えられることが嬉しくもある。
「この子の上官のジェイって、ルーカスの副官の?」
「あぁ。ジェイは若手の中で特に優秀な将校だからね。彼の部下を借りられるのはありがたい。早速明日には配属依頼をかけるつもりだよ。それよりサナエ、文字が読めるのかい?」
「自動翻訳されるの。こっちの神さまに魂を繋がれた特権。ついでに私が書いた文字もこっちの文字になるよ、見る?」
言いながら羽ペンを奪うと、すらすらと手近な紙に何か書きつけ始めた。
「不思議だな、違う言語で書かれてるようには到底思えない」
「読んでみて」
「読めるよ、『嘘です』、え?」
堪えきれなくなって大笑いするサナエに、一瞬気を奪われたのは呆れたからか、惚けたからか。
だがふと気づいて、言った。
「この文字はどうやって?」
「レンに教わってるの。神さまの影響を一時的に解除して、語学のお勉強」
「すごいな、短期間でよく学んだね」
「私、元の世界で通訳とか翻訳の仕事をしていたからかな、新しい言語にあまり抵抗がないのよね」
最低限の素養は身に付けておきたいから、と誰ともなく呟いたサナエの言葉よりも、ライアスは他のことに気をとられていた。
心の表面をざわついた風がよぎる。
そのとき、遠くから悲鳴のような声が聞こえたような気がして、ライアスとサナエは顔を見合わせた。
「お嬢様!ラフィーネ様!お待ちください!」
「うるさいわね!下がってなさい!」
バタン、と勢い良く扉が開き、飛び込んできたのは見慣れた顔だった。
「どうかお鎮まりください。観察者様に万が一にも失礼があっては」
侵入者は止めようとする執事を振り払って、形の良い眉を更に吊り上げた。
「この娘が観察者ね」
「姉上、」
「ライアスのお姉さまですね?はじめまして、サナエと申します」
「そうよ。貴女が我侭放題をするおかげで世間で哀れまれているそこのバカの姉よ。私の婚家にまで貴女の評判は届いているわ。一体どういうつもりなのか、話を聞かせてもらいましょうか」
誰にすすめられるともなく、二人は向かい合って応接用の長椅子に腰をおろす。
ライアスは、青い顔をして二人の女性の顔を行きつ戻りつして見ている執事に退出をうながしてから、世間的には婚約者とされている娘の隣に座った。
「姉上何事ですか?いらっしゃるなら使いをくださればお迎えしましたのに」
「何事か、はこちらの台詞だわ。貴方最近当家がなんて言われているか知っている?」
「ルクソール家のご当主に関しては良い噂しか耳にしませんが」
「それはうちの旦那よ!」
ライアスは落ち着いた声で呼びかけた。
「嫁がれた貴女が怒る必要がありますか?世間に何と言われようと、私は傷つきませんよ」
静かな言葉に込めた苛立ちを姉も感じとったらしい。ぐっと唇をかみ、声を落とした。
「そもそも、なぜここに観察者がいるの?」
「報告が遅れたことは認めます。私たちは婚約をしました」
「王家が手を焼いて放り出した我侭娘を公爵家に押し付けられたのでしょう、情けない!貴方は公爵家の嫡男なのよ!?何でそう易々と言う事を聞くのよ」
「どこまでお聞きになっているかは存じませんが、臣下が主君の命に従うのは当然のことです」
「なんでもほいほい聞けばいいってものじゃないわ」
姉弟のやりとりに、気をきかせて冷たい飲み物を運んできた執事が、目を白黒とさせていた。
「お二人とも、ロイドさんが冷たいお茶を淹れてくれましたよ。まずは落ち着きましょう?」
「何をひとり部外者みたいな顔してるの。貴女の話をしてるのよ」
サナエのとりなしは、火に油を注ぐだけだった。取りつく島のない相手に、サナエは不快な顔をまったく見せず、まっすぐに見つめた。
「お姉さま」
「貴女の姉じゃないわ」
ライアスは口に含んだ香草茶を吹き出しそうになった。
姉は、男であり実の弟の自分がみても恐ろしい形相でサナエを睨んでいる。
それを見て、隣に座る娘は声を上げて笑い出した。
「何がおかしいのよ!」
「ごめんなさい。でも、まだお名前を伺っておりません。何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ラフィーネよ。ルクソール侯爵夫人でも構わないけれど、今はこの家の娘として貴女と話をしているからラフィーネでいいわ」
わかりました、とうなづく観察者を、ラフィーネは目を眇て頭の先から爪先まで値踏みをして言った。
「サナエといったわね。
王都中の仕立て屋を呼びつけて、宝飾店がカラになるほど散財しているらしいじゃない。この家を食い潰すつもりか聞こう聞いてやろうと思ったけど、なんだか魔術師みたいな格好をしてるわね」
「確かに王都中の仕立て屋を集めました。一部はもう納品されましたが、未だに製作中のものも含めればお店が開けるような数であることも事実です。宝飾品についても同じこと、噂は全て間違ってません」
緑色の瞳が大きく見開かれる。
そんな顔しても美人、とサナエが小さく呟くのが聞こえ、ライアスは天を仰いだ。
「貴女、私に喧嘩うってる?」
「まさか」
「それに窓の外のあれはナニ?家はいつから自然動物の保護を始めたっていうの?あれがいるからこの家の周りに民が集まってるって、他の貴族から苦情がきてるわ」
ここのところ、普段はそこを避けている民が貴族市街に足を踏み入れるようになっていた。
その目的はひとつ。
アルヴァーソン家の敷地に突如棲みついた竜を見るためだ。
何代か遡れば王にも連なる家系だ。前庭に面する公道からでは屋敷の奥などのぞきこめようはずもない。
それでも足を運ぶ民は絶えなかった。そのために警備を増員しなくてはならないほどに。
「あれは私の守護竜です。
王家から追い出された私を保護してくれました」
その線で話をまとめるのか、と留意しながら、ふとサナエが楽しげな様子に見えることにライアスは疑問を持った。だがそれも姉の辛辣な言葉で掻き消される。
「そう。それなら、竜と山の棲家でもどこでもいったらいいじゃない。この屋敷にいられると周辺の貴族から苦情がくるわ」
怒りが限界に達していることは明らかなラフィーネに、燃え盛る炎を風で煽るとわかっているはずのサナエは、果たして困ったように笑って告げた。
「雑音など放っておけばいいですわ。だって彼らは羨ましがって僻んでいるだけですもの」
***
「どれだけ母上や私が言っても、妻をめとらないから、どんな趣味かと思っていたら。いい性格してるじゃない」
「彼女が気に入りませんか?」
「よくわからない子ね。だけど、誤魔化されたことだけは、わかったわ」
ぎろ、と睨む顔は幼い頃から変わらない。
こういうとき、末の妹はいつもどうしていただろうか、とふと思いながら、ライアスは姉を宥めた。
「私はね、どうせやっかんだ貴族が出任せを言いふらしているのだろうと思っていたのよ。それが、うちに出入りする仕立職人が受注できないって断るのを問いただしてみたら、実家の弟の婚約者が原因だというじゃない」
心無い貴族からの噂に弟の婚約者となった観察者の娘が傷ついているのではないかと、心を痛めていたのだろう。
この姉は、激昂すると手がつけられないが、人一倍情に篤いのだ。
だからこそ、ふり幅も大きい。
「姉上には申し訳ないのですが、詳細を私から話すことはできません。ただ、」
彼女は被害者です。と言おうとして口をつぐむ。
変わりに、
「今は、見守ってください」
ただそう言い留めるにして、ライアスは願った。
姉だけでなく、市井に広がっているだろう、サナエへの誤解がいつかは解けるように、と。




