心の在り処1
2010・10・27 サブタイトル改題いたしました。
陽のひかりのような髪が頭の動きにつられて肩から落ちる。
ライアスは主君と婚約者の前で、深々と頭を下げた。
「警備の甘さは私の責任です。お二人ともお怪我はありませんか?」
襲撃を受けた部屋から移動し同じ階にある別の客間へ通されたサナエたちは、無表情な執事が淹れてくれた暖かい飲み物を手に休んでいた。
薄い器を通してじんわりとした暖かさを伝えてくる真っ黒な液体は、目が覚めるような、けれど気持ちを落ち着かせる香りを漂わせている。
「案ずるな。怪我はない。サナエ、お前もないな?」
「…」
「サナエ?」
「ほえ?」
やっと顔をむけたサナエの瞳を見て、ライアスの表情が後悔に翳った。
「怖い思いをさせてしまったね、動揺するのも無理がない。」
「あー、いや。そういうんじゃなくて・・・。それより、黒幕につながる情報は得られそうですか?」
「逃げた連中は残された奴らとは違って手練のようだから難しいかもしれないが、追わせてはいるよ。」
女嫌いなはずの王子の婚約が伝えられ、待ち望まれた観察者が現れた。
現王家の治世を望まぬものたちからすれば、おもしろくない状況と言える。
自分を拐ってどうするつもりかは検討もつかないが、王家の威信を崩すことが狙いであればそれは達成されるだろう、とサナエは思った。
「焦ってことをおこそうとするような奴らだ。尻尾をだすことを期待するしかないな。」
それよりも、とエスターはライアスに向かって皮肉げに微笑んだ。
「他に詫びることはないのか?俺は夜会でお前らに出し抜かれたことが一番面白くなかったんだがな」
「観察者の身に危険が及んだこと、申し訳なく思っています。そして…、彼女の婚約者として感謝します。殿下がいてくださらなかったら襲撃に気づくのも遅れたでしょう。彼女に危害が及んだかもしれません。」
「あえて俺がここにいる理由は問わないということか。あくまでも茶番を続けるつもりならば構わない。」
言いながら立ち上がったエスターはひとりクッションを抱えてぼうっと座るサナエの腕をとった。
「ライアス、《観察者》の身に危険が及んだ以上、このままにしておくわけにはいかない。俺もしばらくここへ留まろう。」
「え?」
「殿下?」
「表向きは王宮にいる振りをする。あぁ、部屋のことは気にするな。こいつと一緒でかまわん。」
「殿下、曲がりなりにもサナエは私の婚約者として今日の夜会で発表されているのですが?」
「俺は認めてない。だいたい警護するのに違う場所にいたら意味がないだろうが。サナエ、お前はいいな?」
「…あー。どうでも。」
空色の瞳から視線をはずし、夜に包まれた外へとその目をむけたサナエに、見守る二人の男たちは顔を見合わせた。
王宮とは比べるべくもないが、それでも十分に広大な敷地を持つライアスの屋敷は、大貴族にふさわしい。
区画ごとに整理された庭はまるでパズルのようで、これが陽の光のもとであれば、目に楽しい花にいろどられ更に華やぐに違いなかった。
美しい庭、豪奢な屋敷、ここで育ったのであろうライアスのなんと相応しいことか。
それはつまり、彼女にも同じこと。
「リシェル…」
無意識に口をついて出た声が存外に響いたことに動揺したのはほかならぬサナエ自身だった。
慌てて振り仰ぐとそのさきで、エスターが珍しくその瞳に悲しさを浮かべて微笑んでいた。
「そうか。聞いたのか」
「ごめんなさい…。」
「なぜお前が謝る?気になることがあるなら言え。」
「なんでもないの。ごめんなさい、こんなときにどうかしてたわ。ちょっと頭冷やしてくる。」
ライアスの顔を見る勇気はなかった。
サナエ、と落ち着いた声で呼び止めるエスターを無視してその手を振りほどくと、部屋の浴室に続く扉に駆けこみ息を深く深く吐き出した。
鏡に映るのは泣きそうな顔をした自身の姿。
「…情けない。」
鼻の奥がつん、として、頬を伝う暖かな感触を感じた。
「どうすればいいの?…なにもできないのに」
シャラ、と手首に流れる黒曜石のブレスレットを、そっとなでる。
冷たい感触が夜空色の鱗のそれを思い出させて、けれどすがる相手を探すような自分を更に情けなく感じて、サナエはきつくきつく目を瞑り視界を閉ざした。
**
水色の月光が僅かな光源の世界、それでも彼には何の支障もなかった。
闇は常に彼の味方で、彼自身でもある。
夜空に紛れる濃紺の羽をたたんだレンは、ヒト形に変化しながらゆっくりと大地に降り立った。
ざあっと音をたてながら、風がゆく。海から吹き上げたその風に、背の低い草が絨毯の毛を寝かせるように靡かせた。
剥き出しになった白茶けた土の色が、物悲しく見えた。
海に面した西の町。
交易の拠点となる港からは遠く、漁師たちが細々と営む漁業がその町の主な産業だった。
だが、今そこには何もなかった。
人が暮らしていた街の痕跡も、人の姿も。
ぽっかりと空いた空間は白々しいほどに空虚だった。
「遅かったか」
空気の中に漂う魔力の残滓は、彼にとって馴染み深く忘れることなどできないもの。
「そうまでして干渉したいのか、ハル…」
どこか苦しげなレンの言葉は、暗い海から再び吹き上がった風に溶けさった。
*
凍りついたライアスの意識を引き戻したのは主君であり、かつての友人でもあるエスターの溜め息だった。
ふと、ライアスの心に切ないほどの過去への憧憬が沸き上がる。
3年前のあの一件さえなければ、彼との友情がこうも冷たいものになることはなかっただろう。
囚われたままなのは自分だけではない、なぜそのことに思い至らなかったのか。
愕然とするライアスの視線の先でエスターは小さく呟いた。
「あいつも気づいているんだろうな。」
「殿下?」
「襲撃をしてきた奴等は、あいつが俺に捨てられてここへ下げ渡されたと思っていた」
エスターはライアスへ、なぁと呼び掛けながら静かに顔を向けた。
氷のようだと思っていた彼の瞳に、わずかな悲しみを見てライアスはまた声を失った。
「グウェンに話を打診されたのはいつだ?」
「急な話でした。夜会の前に宰相殿の執務室に寄るようにと…」
そうか、とさして驚かずに次期国王はまたサナエの消えた扉へ視線を戻した。
「俺の相手がサナエだと知ることが出来たのは、ごく身近にいた人間しかいない。そして今夜、あいつがここへくることを知っていた人間は…」
珍しく彼は言い淀んだ。
ライアスは閉ざされた扉をじっと見つめるエスターの視線を追うように、彼女が消えた扉へ目を向けた。
嫌な予感に、胸が痛む。
「…まさか」
「あぁ。内通者があいつの近くにいるということだ。」




