孤独な椅子4
この世界に身寄りのない観察者は形式上、王家から嫁すことになり嫁ぎ先は王家の外戚となる。
それも一時であれ王子の寵愛をえた姫が下賜されるとなれば、3年前の不祥事で表舞台から退いた名門アルヴァーソン家の復興が保証されたも同然だ。
ほうっと長い息を吐いたのは、この国の宰相グウェンだった。
彼は自室の執務机の引き出しから、一枚の手紙を取りだした。
女性らしい柔らかい筆跡で綴られたそれは、彼の罪の証。
「これで罪が軽くなるとは思っていませんよ、リシェル殿。むしろ…」
同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれない、と彼は思っていた。リシェルの心を潰したように、ただ一人、彼が求めた娘を遠ざけた自分は、エスターの心まで潰そうとしているのかもしれない。
それでもすでに針は動き出した。
時計の針が交差する時、台に乗せられた人間は無事なのか、彼には判断がつかなかった。
**
ライアスの婚約者としてエスターに名乗り出た以上、妃の間に帰ることはできない。
サナエはアルヴァーソン家の紋章が描かれた馬車に乗って、夜に沈んだ王都の道を進み王宮から程近い貴族街にある大きな邸がある敷地に入っていった。
無言で外に目をやる彼女に、同乗するライアスは物言いたげな視線を向けていたがサナエはそれを黙殺した。
二人の間に漂う空気は重かった。
広い敷地を抜けて見えてきた館はいくつもの篝火に照らされ、幻想的に夜の闇に浮かんでいる。
迎えにでてきたのは壮年の男性である執事だった。
ライアスは彼にサナエを預けると、ひとり違う方角へ去った。
同じ部屋ではないらしいことにサナエはどこか安堵し、執事について大きな館の中を進んでいく。
案内された部屋に入ると、しんとしていてどこかよそよそしかった。
二人の侍女の気配をすでに恋しく感じる。
「ライアス様より、明日には王宮から荷物が移されると聞いております。多少のご不便をおかけするかもしれませんが、ご了承くださいませ。お着替えに人を寄越しましょうか?」
大きな天蓋付きの寝台の上には、寝着が置かれている。
複雑にとめられているドレスを一人で脱ぐ自信はなかったが、知らない侍女に手を借りるのも鬱陶しくて執事の申し出を断ってひとりになると、サナエは纏めていた髪をほどいた。
部屋の四隅には、頼りない燭台の火が揺れている。
窓にかすかに映る自分の姿が滑稽で、サナエはなぜか泣きたいほどの心細さを覚えた。
「帰りたい…」
それがどこへなのかは、自分でもわからない。
もとの世界にすでに居場所はない。会いたいと思う人も。
レンと暮らしたあの部屋も居心地は良かったが、どこか遠く感じる。
ふと浮かんだ面影を、サナエは気づかないふりをして振り払った。
王宮の中庭でライアスから聞いた話は、サナエの心を掻き乱した。
過ぎたことだ、と言ってしまえるのかもしれない。
少なくとも、エスターともデュランとも関わりを持たぬうちだったなら、彼女は違う世界の王族と貴族に起きた悲劇に興味など持たなかった。
(ライアスは、私が真実を暴くことを期待している…)
それならなぜ婚約者として受け入れたのか。
王宮から離れれば、真実を知る術はないのではないだろうか。
それが彼女には不思議だった。
(真実を知ることよりも、意趣返しがしたかった?)
結局、利用されることは同じだと苦笑した。
お互い様なのだ。
静かな環境をのぞむ彼女に、彼は見返りを要求したようなもの。
長い息を吐いてから、サナエは重いドレスを脱ごうと、ほどいた長い髪を片側の胸の前でまとめた。
背中に手を回したとき、その首筋に温かい感触が触れた。
「冷えているな。」
後ろから包み込むようにその身を抱くのは、一瞬心に浮かんだ面影そのもの。
「エスター…」
どうしてここにいるのか、どうやって入ってきたのか、疑問が次々と沸いてきても、それを言葉にすることができなかった。それを感じ取ったのか、エスターが低く笑う。
「忘れたのか?この国で転移が使えるのは、生意気な竜とダイクン、そして俺だ。」
「でも、どうして?」
自分は裏切ったのに。
そう、それはリシェルと同じように。
「あのまま俺が黙ってお前を嫁にやるとでも思ったのか?」
身動ぎをして緩い拘束から逃れようとすると、その腰にまわされた腕に力がこもってサナエはさらに深く抱きしめられた。
背中にあるボタンがひとつづつはずされていく。
自分では複雑すぎて脱げないドレスだ。人の手を借りたいとは思ったが、まさかこんな形で、それもエスターにそれをされるとは思わなかった。
「ちょっと、待って」
制止の声など聞こえないかのように、エスターは片手で丁寧に彼女が纏う鎧を剥いでいく。
「大方グウェンが余計な手をまわしたのだろうが、それに追随するお前に一番腹が立つ。なぜ俺から離れようとする?そんなに俺が嫌か?」
重かったドレスが足元に落ち、胸から足首まであるストンとした形の薄着一枚だけが残る心許ない状態のサナエの腕を、彼は強く引き寄せた。
その空の色に呑み込まれそうになるのを必死に堪えながら、サナエは答えた。
「もしそうだと言ったら、帰ってくれる?」
向き合って抱き締められ、ふたたび首筋に落とされた唇からくぐもった笑い声が聞こえる。
「残念だな、ここで嫌だとその口が言ったらすぐに王宮に連れ帰って監禁したものを。」
「エスター…、それ犯罪だよ」
「王になる俺が妻を後宮に入れるだけのこと。誰も文句は言わないさ。さあ、言え。なぜ俺を避けようとした?理由を聞いてやろうと言ううちに言わねばこの場で抱くぞ。」
サナエの腕をなぞりながらエスターは楽しそうに言った。
直に触れるきめの細かい肌の感触を楽しむように往復する指先に、サナエがたじろぐ気配をみせる。
「この国の王になる人間の妻になんて、なりたくないの」
静かに暮らしたいだけ…、と呟くサナエを、エスターはおのれの唇で封じた。
言葉を発しようとしていた彼女は口内への侵入を防ぐ術もなく、容易く舌を捕らえられる。
月の光に冴え渡る銀の髪の次期国王は、彼女の柔らかく甘い口内を貪った。
厚い胸を押して抵抗しようとする細い手を掴み、なくなった距離をさらに縮める。
徐々に、強ばっていたサナエの身体から力が抜かれていくのを感じた。
「諦めろ。俺はお前以外の女を妃にするつもりはない。サナエ、お前のその過去も未来も俺のものだ。」
「傲慢だわ」
「そうだな。」
白い首筋が誘っているように見えて、彼は笑った。




