孤独な椅子2
気に入らなかった。
華奢な腰、肩のライン、小鳥の羽のような肩甲骨。
それらが他の人間の目に触れていると思うと頭の奥が燃え尽くされそうに熱くなり、その手を取って踊るデュランへ感じる怒りも、この場で彼女の姿を目に入れる総ての人間への怒りも、抱えること自体が理不尽だとは知りながら抑えることができなかった。
そもそもあのドレスを与えた自分自身に腹が立って仕方がない。
しかしかつての師匠でもあるレンから告げられた内容は、そんなエスターに冷水を被せた。
(ろくな師じゃなかったがな。)
それでも彼の力を誰よりも知るのは自分だ。あの報告を無視することは出来ない。
我が身を食い殺すほどの魔力。それを抱えて産まれたエスターは物心がつくまで離宮で隔離されて育った。
長い不在から戻ったレンがいなければ、あのまま離宮から出られずに形ばかりの王になっていた可能性すらある。
離宮の奥深く、厳重な魔法の結界が張られた子供用の部屋。
それまでのエスターの知る世界のすべては、その小さな空間だった。
彼らが初めて顔を合わせたのもその部屋だった。
空気がゆがんだ直後、毛足の長い絨毯の上に突如として現れた少年の姿をした古の種族は、緊張するエスターを一瞥し嘲笑った。
「うわー、なにその魔力。先祖がえりってやつ?バカみたいにあまってるね。」
そしてその笑顔のままおもむろに火属性の高位魔法を放った。
迫り来る炎に眼を見開いたまま固まったエスターの目前で、見えない壁に遮られた炎は少年を包みこむようにその姿を変える。
少年は熱さを遠ざけようと腕をやみくもに振るった。その動きにあわせて風が生まれ、エスターの周りをとりまいた。
だがそれは炎を煽り、大きく乱れさせるだけだった。
飲み込まれる!
咄嗟に腕を掲げて顔を背ける。袖に火がついて腕が焦げる臭いを感じた。
風に舞う銀の髪にも炎がその手を伸ばそうとしたとき、傍まで迫っていた熱気が霧散した。
「あぁ、本当に使い方わかってないんだ。風は火を煽るから中途半端な力ならやめた方がいい。まぁこれから鍛えてあげるよ。」
彼の声に恐る恐る目を開けると、炎はかけらすら残っていなかった。
レンは、最後に軽く手をあげて、来た時と同じように唐突に消えた。怪我を負った少年はそのままに。
その夜、レンの攻撃によって負った傷を自分で適当に治療しながら、エスターは夜が明けてまたあの古の種族の少年がやってくることをわくわくする気持ちで待つ自分に気づいた。
彼が明日を待ち遠しいと思ったのは、初めてだった。
それからレンは人知れずエスターの部屋へ通うようになり、その容赦ない鍛練の中でエスターはやがて力の使い方を覚えていった。人を信用していないだのと言ってくるが、むしろ人嫌いなのはあいつだ、とエスターは思っている。
子供心にも、レンが笑顔を浮かべながらも頑なに心を許そうとせず一定の距離を保っているのを感じていた。
そして彼が魔力を自在に使えるようになると、師であるレンはせいせいしたと宣言して二度と彼のもとを訪れようとはしなかった。
それも今になれば少しは理解できる。
エスターだけではなかったのだ、望まぬ力を、強靭すぎる力を与えられたのは。
ハルシオンとレン、そしてエスターの微妙なバランスでこの国が保たれている現状。
馴れ合うわけにはいかなかったのだと知った。
(絶大な力を持ちながらこの土地に囚われた哀れな…)
呪縛に囚われているのは自分も同じかと思い当たり、その顔がゆがんだ。
だがその哀れな師が大切に見守るサナエから、自分は目を離せないでいる。
彼が召喚した娘。
あるいは孤独な竜の心を癒せる、唯一の存在なのかもしれない。
それでも、もう手放す気にはなれなかった。
曲調が変わることを彼は待ち望んでいた。
そうなれば、
(ここへあれがやってくる。)
そして待ちわびた変化が訪れる。
しかしそれは彼が望んだ形ではなかった。
白い指先を支えサナエとともに自分の前へ進み出た男の姿に、エスターは怒りすら表すことができずただ彼らを見据えることしかできなかった。
**
グウェンが訪ねてきたのはすでにドレスへの着替えを終え、デュランの迎えをまつばかりになった頃だった。
「貴方が訪ねて来るなんて珍しいわね」
話があるという彼と、人払いをした上でいつもエスターと話す応接セットで向かい合う。
「時間がないのでしょう?用件をどうぞ。」
助かります、と頷いてグウェンは切り出した。
「エスター殿下は先日、国中に触れを出しました。神の眼が召喚されたこと、そしてもうひとつは殿下のご婚約。ですが、ご婚約者に関しての発表は抑えさせました。しかし殿下は今日、貴女を婚約者として発表されるおつもりです。」
「それを阻止したい、と。」
「本当に話が早いですね。助かります。」
意外にも彼は嫌みのない笑みを浮かべた。
「我々、殿下と私はハルシオン神の呪縛からこの国を解放したいと考えています。そのためには観察者が殿下の近くに在ることは好ましくない。」
「待って、私にそんな話…」
「ハルシオン神は観察者の眼を使いますが、動き出す前の人々の思想だけでその力を行使することはありません。とは言え、ハルシオン神の干渉はその判断の基準が曖昧なのですが。」
「基準が曖昧…。それは問題にならないの?」
サナエの疑問にグウェンは眼を細めた。
顔を合わせるのはエスターの執務室で話をして以来だったが、初対面の時の威嚇するような雰囲気はすでに残っていなかった。
「貴女は私たちが知る観察者とは違う。もしくは貴女が観察者でなければ、殿下の妃として私も歓迎できたかもしれません…しかし」
言い淀む彼に、サナエはまっすぐな視線を投げかける。
「それで私に何を望むの?」
エスターのことは、嫌いではなかった。
それでもこの世界の異分子である自分が、国王になる男の妻になるなど想像もつかない。
一人でひっそりと生きることが許されぬ立場なら、そのできる範囲で出来る限り静かに暮らしたい。それが今のサナエの一番の望みだった。
「殿下が貴女を婚約者として発表する前に、紹介します。ライアスの婚約者として。」




