動かせない椅子4
広い農地に高い空、のどかな風景が広がっている。
西からやってきた風に、蕾をつけた植物が一斉に靡いていく。
しかし通りすぎたはずの風が体をなでる感覚は感じられなかった。
(夢?)
近くの森から子供たちがじゃれあいながら駆けてくる。
その姿が難なく自分を通り抜けたことで、実体がないことを確信した。
(どこだろう。海が見える。)
農地の切れ目は崖、その向こうには海が広がっている。
(それにあの葉は…)
どこかで見たことがあるような気がしてもっと近づきたい、と思った時、囁く声が聞こえた。
『私のかわいい子…』
背筋を冷たい指でなぞられるような感覚。
『これは、いけないことなのね?』
何のことだろうという疑問は、口にする前に消えた。
(この花のこと?だって、これは)
そこに先程よりずっと強い風が海から吹き上げた。
一陣の風に、今度は身体を飛ばされる感覚を覚えた時、意識もともに飛び去った。
浅い眠りに落ちていたらしい。
目が覚めると、ミイシャの手が髪を結い上げ終わったところで、サナエは鏡に写った自分に不思議な夢を吹き飛ばすような悪夢を見た気がした。
「なんか、ちょっと、凄くない?」
「はい!がんばりました!」
「うん、がんばったのはわかるんだけどね…」
なに盛りだ、これは。
ばかみたいに高く高く結い上げられた髪は、頭の上にはしごでも架けたのだろうかという造形で、サナエの美意識とは全く相容れなかった。
昼食の用意のため席をはずしていたサラが戻ってくるなり言葉を失ったところを見ても、これがハルシオンでのそういった場における標準というわけではないだろう。
晩餐会まで、まだ時間はある。が、
「あとはお化粧ですわね。お任せくださいな。」
「ありがとう、でもまだ早いから崩れてしまうんじゃないかしら?それにお化粧は自分でやるわ。人に顔を触られるのは苦手なの。」
手に持った怪しいほど発色の良いグリーンのアイシャドウのパレットを目にして、サナエはいつも以上にはっきりと意思を伝えた。
この際、かすかな罪悪感には気づかぬふりをする。
きょとんとした顔のミイシャは、そうですかぁー?といったきり、それ以上食い下がることはせず、反対の手にもった赤紫色の頬紅を少し残念そうに片付けた。
いつも化粧気のないサナエの言葉に、さほど疑問を抱かなかったらしい。
さて、どうしてくれよう。
ミイシャに見えないように息を吐き、サナエはそっとこめかみを押さえた。
思案にくれているサナエのすぐ手前で軽い昼食を運んでいたサラが何かに足をとられ躓いた。
「申し訳ございません!!」
サナエの木綿の部屋着に赤い染みが広がる。それとともに冷たいスープの感触も伝わってきた。
「すぐにお召し変えを!いいえ、もう一度湯浴みをしていただいた方が良いですわ!ミイシャ、悪いけれど厨房へ行ってサナエ様のお食事を用意しなおしてくれるかしら。サナエ様はお風邪を召されないうちに、さあこちらへ」
サラらしからぬ強引さで、浴室へ連れて行かれた。
パタン、と扉を閉めた途端、二人の間に沈黙が走る。
サラは叱られるのを待つ子供のような顔でサナエを見上げた。
「強引でしたでしょうか…?」
「うん、まぁ、強引ではなかったとは言えないけど…。」
でも、
「ありがとう、サラ。正直助かったわ。」
微笑むサナエに、なぜかサラは真っ赤な顔をして勢いよく首を振る。
「とりあえず、これほぐしてくれる?」
頭を傾けてサラに向けると、今度こそ彼女は花が綻ぶように微笑んだ。
**
「ルーカス殿下」
「ダイクン殿、レン殿、いらしてくださったんですね。」
「サナエはまだ?」
ルーカスが見つけたのは、この国の魔術師を統べる塔の長ダイクンと、表向きその弟子となっているレン。
召喚の儀を成功させた功労者だが、こうした場に姿を見せることは珍しい。
「サナエ殿はもうすぐいらっしゃると思いますよ。今、デュランがお迎えに。」
「エスコート役はエスターじゃないんだね。いい気味。」
王族用に設けられた席に座る兄を見上げて、ルーカスは苦笑した。
兄の機嫌は悪い。このうえなく。
「グウェンが手配したので」
女嫌いの兄が迎えた婚約者。その彼女に彼はどんな顔を向けるのだろうか。
ルーカスは兄がサナエを手元に留め置くことに懐疑的だった。
妃が不興をかったとして斬り捨てられても、彼を咎められるものなどいないのだ。
観察者である彼女を簡単に手にかけることはないだろうが、それでも不安は拭いきれずにルーカスの心を暗くした。
兄嫁となるサナエの無事を祈り、ルーカスは高くアーチ型にとられた天井を見上げる。
いつも祈ることしかできない自分を情けなく思いながら。
***
予想することと、実際にその場に立つことは違う、サナエはその意味を身をもって感じていた。
(これのどこが内輪向けなのよ)
彼女のエスコート役のデュランが、サナエの手をそっと支えながら、人々の中心を進んでいく。
何かの啓示を受けたように人の群れが2人の進む道を作り、波が分かたれていった。
いくつものシャンデリアが高い天井から下げられ、広間は暖かい光が隅々まで届いていた。
天井まで広がる明かりが空間をより高く、解放感を与えて見せているはずなのだが、その空間をせまく感じさせるほど人の数が多い。
好奇心を剥き出した視線を向けられるのは予想した通りではあるが、だからといって平気なわけではなかった。
サナエは長い裾に足をとられないように注意しながら、走ってこの場を立ち去りたい気持ちを必死になだめていた。
広間の中心まできた時、楽隊が奏でる音楽が変わった。
振り返ったデュランが安心させるようにサナエに微笑みかけながら頷く。
意図することを汲み取って、サナエは差し出された手を取り、もう一方の手をデュランの腕に添えた。
華やかな調べにのせて、サナエのドレスの裾が翻る。
エスターに贈られたそれは、朱に深みを出したような色だった。
丁寧に刺繍が施された金色の縁が帯状に片側の肩から流れるている。
もう片方の肩は剥き出しで、ワンショルダーのドレスはすっきりとしたラインだが、腰から裾にかけては美しく広がっていた。
(アジア人の肌に似合う色をなんで知ってるかな。女たらしの才能ありそうだわ。)
届けられたドレスを見たとき躊躇する気持ちはあったが、着てみると案外サナエの肌の色を引き立て、更に黒髪に大人しい顔立ちの自分をそれなりに見せてくれるように感じた。
(それにしても、踊りづらい…)
先程から、質量の違う視線を感じる。
広間の奥、上座にかけているだろうこのハルシオンの次期国王、冷たい光のような美しさを持つ彼が、絡めとるような強い瞳で彼女の足取りを見つめていることを、サナエは全身で感じ取っていた。




