動かせない椅子3
「“馬のいない馬車”は、ひとりでに車輪がまわるときいていますが…」
「魔法じゃあるまいし、ひとりでにってわけじゃないわよ?燃料で動力、車輪を動かして、それを操縦できる仕組みになっているはず。細かいことは私もわからないけど。」
サナエの言葉にどこか納得したようにグウェンは頷いた。
「そうすると空を飛ぶ小部屋もそういう類いか?」
また怪訝そうな顔をかえすと、その様子にグウェンがもう一枚の絵を取り出す。
今度は笑い出すことなく呆れたように頷いた彼女は、ため息とともに口を開いた。
「凄い表現ね。航空機を空飛ぶ小部屋、かぁ…。しかもその絵。ねえ、これって本当に本人が書いたのかしら?誰かが話を聞いて書いたとかではなく?」
「正真正銘、前任の観察者手ずからの絵です。ここにサインも。」
指差された先には確かにこちらの世界では不思議な形にしか見えないだろうという文字が横に連なっている。
ある意味、それはサナエにとっても不思議な形だったが。
「ぃわさゎ よぅこ、…。ギャル文字かぁ。あぁ、ごめんね。航空機の話よね。」
隣で尊大に座っていたこの国の次期国王が、どこか期待をこめた眼でサナエを見つめていた。
「あれも燃料でジェットエンジン…空気の流れを起こす機械を動かして…。無理、私も説明できないわ。でもこの二つがどうかした?」
「大叔母がこれらの乗り物がどれほど素晴らしく便利か一部のものに説き、何とかして作るよう命じたそうです。この設計図をもとに。」
サナエは瞬きを忘れてグウェンの顔を見つめた。
いくら見つめても無表情な彼の顔に、軽く頭を振る。
「作れた?」
「一部の貴族が随分と投資をしたようですが、残念ながら。癇癪をおこした大叔母に職を追われた技術者もいたそうです。いまだに彼女の信奉者だった人間がこの研究を続けているようなので、貴女に接触して話を聞き出そうとする人間も出てくるでしょうね。」
「あぁ、晩餐会の時には注意するわ。それにしても、この落書きと彼女の説明から実物を作り出せる技術者がいたら、それこそ神でしょうに。作れなかった技術者を追放するだなんてひどい話ね。」
思わず本音を漏らしてから、彼の大叔母と思い出して謝ると、グウェンは小さく苦笑した。
いいえ、と返すグウェンの声が心持ち柔らかくなったように感じる。
「サナエ殿はどう思われますか?」
その言葉に、サナエは口元に指をあて虚空を見つめたまましばらく考えこんだ。
車も航空機も確かに便利ではある。
きっと前任の観察者は馬になど乗れなかっただろうし、便利な世界になれていたサナエたちにとって、この世界は全てが以前と同じように快適とはいかない。
しかし。
「塔から図書館に通うときに馬車を見かけたけど、こちらでは馬が一般的な移動手段よね?王都の道がそれほど広くとられていないのは城の防衛のため?」
「えぇ、そうですね。移動手段で言えば、あとはごくごく一部の力の強い魔術師が転移術を使うことができます。この国ではダイクン殿と、レン殿、そしてエスター殿下くらいでしょうが。」
「え?エスター?魔術が使えるの?」
驚いた様子で振り替えると、エスターがどこか愉しそうにサナエの髪を指に絡めながら口端を引き上げた。
「王族はハルシオン神のご加護を世に現す特別な家系です。その魔術も比類なく大きい。話が逸れましたが、移動手段は一般的なものとして馬車の類、そして一部で転移術があるということになりますね。」
一筋の黒髪に口づけるエスターから髪を取り返そうと手を払うと、逆にその手を掴まれ指と指を絡めるようにぎゅっと繋がれた。
グウェンの前だというのに、この次期国王は彼の姿など目に入っていないかのように、いつもよりもその距離感を縮めてくる。
振り払うのも面倒でサナエは肩を竦めるに留め、グウェンに向き直った。
「車も航空機も、私は要らない、と思う。必要な理由もさして見当たらないわ。」
「必要ではないと思われる理由をお伺いしても?」
グウェンもすでにエスターの存在を気にしないことにしたらしい。
真剣な灰褐色の眼が、闇色のそれを捉える。
無意識に繋いだ手に力を入れると、受け止めるようにエスターの指にも力がこめられた。
「便利なのは事実よ。『私たち』にとってはね。でもどちらも排気ガスを出して空気汚染するし、付帯する設備もルールも整備しなくてはならない。彼女のその絵ひとつとっても、色んな過程を経て辿り着いた形なのよ。だいたい急に移動手段の改革が起きて、世界が近づくといたずらに戦争がおきそうだわ。貴方たちは貴方たちで必要なものを作っていけばいい。この世界でそのうち誰かがそういったものを作るのか、そもそも取れる資源が根本的に違って未来にもそれが作られないか、どちらにしてもそれでこの世界の誰が困るというの?」
一息に行ってから、あぁ、でもとつなげた。
「私、お風呂の習慣を浸透させておいてくれたことについては貴方の大叔母様に感謝しなくてはいけないわ。勝手だけれど、水周りが私の世界に近いことで随分気持ちが違ったもの。あれも大叔母様が?」
浴室やトイレ、洗面室の設備がさほど変わらないものだったことには驚いた。
「らしいですね。湯浴みについては、魔術で浴槽にお湯をはることは容易でも、それを排水する仕組みが難しかったようです。建物に大掛かりな改築が必要だったそうで。それでも衛生面が高く保たれるようになって病にかかる者が減ったのは事実でしょうね。彼女の唯一の功績かもしれません。」
水道を作るのだから容易ではないだろう。インフラの整備として大掛かりな水道設備があるわけではなく、ある程度魔術を使ったり、魔導具とよばれる魔術をかけた機械を使っているようだが。
出来上がるまで待つ側の現代人の彼女も大変だったろうと思いそれを伝えると、血の繋がらない親族の彼は首を傾げた。
「設備が整うまでの間、時空の時差を使って“セントー”に通っていたらしいですよ」
「“セントー”?…銭湯!!」
そしてまた肩を震わせ、当代の観察者ははじけるように笑い出した。
*
観察者であり主君の婚約者でもある娘は、盛大な笑い声をあげた挙句、それがおさまるとさっさと退出していった。
「随分楽しそうに話していたではないか」
「嫉妬ならお門違いです。殿下」
ふん、と面白くなさそうに横を向くところを見ると図星か。
主君の子供じみた態度は珍しくない。ただそれが女に関わることでとなると別だ。
それにしても、
「ルーカス様は何をみていたのでしょう。報告書とは別人ではありませんか」
彼女を観察者として公の場に出す前に、どういう人間か知っておきたかったというのが本当の目的だった。知的、これは認めるにしても、冷静で穏やかな人物だと?
第二王子の人物観がよっぽど曇っているのかと心配になる。
あの娘は冷静というより、冷徹に物事を見る目はある。
だが、それでもどこか無防備だ。
「ルーカスは憧れの“観察者”という硝子を通してしか見れないのだろう。なんせ、あいつが一番心酔していたのだからな、“空飛ぶ小部屋”や“馬のいない馬車”に」
くつくつと笑うエスターの目は、どこか優しい。
「それでどうだ?」
この次期国王は気紛れで選んだあの娘を面白がっていたが、先ほどの話でさらに彼女を気に入ったこと様子だった。
それを思い出し複雑な気持ちになる。
「私達が抱いてきた観察者像に当てはまらないことは認めます。ですが」
「殿下、戻りました。あれ、サナエ様はもうお部屋へ帰られたのですか?」
書類を抱えて入ってきたデュランが、サナエの不在に気づき残念そうな声をだした。
「なんだデュラン、お前もサナエに用があったのか?」
「いえ、同席して珍しいお話がお伺いできたらいいな、と思っただけです。サナエ様はとてもお優しくて侍女たちにも人気があるのですが、ご自身の世界の話についてはほとんどお話されないので。」
ダンスの練習も努力されていますし、本当に慎み深い方ですね、と微笑むデュランに、エスターは笑い声、グウェンは盛大なため息で返した。




