鳴動4
記憶に咲くのは可憐な花。
愛しくて愛しくて、
ささやかな風からさえもこの手で守り、僅かな風で揺れることすら防ぎたかった。
だから許さない。
その命を奪った存在を。
神に守られていると言われていようと、その意志を遠ざけるものではなかった。
神の存在が神話の中でのみ語られるようになってから早数十年。
その威光も畏怖も彼にしてみればおとぎ話に等しい。
しかし彼女が現れた。
神の力を世界にもたらすと言われる神の眼。あまつさえ彼女は王の妻になるという。
絶大な魔力を持つ王と神の眼が一緒になることは避けなくてはいけない。
目的を果たすために。
だからこそ、
まずは彼女を排除しよう。すべては咲き誇るなか散った、美しき花のために。
***
夜の帳がおりた妃の間。
ほのかな灯りがサナエの滑らかな肌、ほっそりとした首筋を艶めかしく照らす。
そっと伏せられた睫毛は長く、柔らかそうな頬に影を落としていた。
つい目を奪われていたことに気付き、心の中で舌打ちする。
サナエ程度の女など、いくらでもいると言ったのは自分か?
否、実際にもっと美しい女たちを抱いてきた。
女嫌いを標榜し貴族の娘を遠ざける前までは、後腐れのない関係を気紛れに結んできたのだ。
それに、と記憶に沈んだはずの女の顔がよぎる。
美しい顔立ち、それこそ美姫とよばれるほどに。そのすべらかな肌は陶器のごとき白さで女神の化身と謳われた。
結局、触れることはなかったが。
サナエを妃にすると決めたことに深い意図はない。
妻を娶れと周りから口煩く言われてきたが、3年前のことがあって以来、貴族の娘を端から斬り捨てたくなるほど女を厭う気持ちは消えなかった。
首に剣を突き付けられても正面から視線を返すサナエを面白いと思ったのは確かだが、強いて言えば、馬鹿な男に裏切られたことを淡々と話す姿に燃えるような怒りを覚えたからかもしれない。
こいつの未来も過去も、他の男にやるのが惜しい。ただそう思った。
しかし、こうして見ているとわかる。サナエには今まで知ってきた女たちとは違った美しさがある。
元の世界では働いていたらしいが、その手は傷ひとつなく闇色の黒髪は光を筋にして控えめに輝かせる艶やかさを持つ。
そしてなにより、不思議な色の肌は暖かそうだった。
だからだろうか、触れたいと思った。
髪に指を絡ませ、その華奢な体を組み敷きたい。
暖かい肌に触れればこの渇きは癒えるのだろうか。
思わず手を伸ばしかけたところに、夜色の瞳が怒りを帯びて向けられる。
「ちょっと、話聞いてるの?エスターが今までどんな仕事してきたか話せって言ったからしてたんでしょ」
睨んでくる目が小気味良いのは夜にあてられたせいか。
「聞いてなかった。もう一度最初から話せ」
「信じられない。このバカ。」
笑ってしまうと、より一層睨まれた。
ここ何日かサナエの部屋に通っては話をしていたが、話せば話すほどルーカスの報告書で読んだサナエ像とは随分違うと思う。
知的で冷静、穏やかな大人の女性はどこにいると言うのだろう。
それを伝えると彼女は苦虫を潰したような顔をして黙った。
「なんだ、また黙秘か。」
「…ルーカス殿下が買い被りすぎなだけだわ。観察者って存在自体に心酔している。」
「あいつにそういう部分があるのは確かだな。だが、お前はレンを人外と見抜いたのだろう、まぁ待て、異議は後で聞く。異国語でレンを試したらしいじゃないか。しかも違う世界かどうか星座を確かめに行ったという。随分冷静だと思うが?」
「取り乱すことができるほど自分を捨てられなかっただけよ」
「それにお前の世界の話を聞きたいというルーカスを拒んだ。俺は小賢しい女は斬り捨てるが、賢い女は嫌いではない」
正直な気持ちだったがサナエの返事はいつかと同じ気のないものだった。
「それはどーも」
誉められることに居心地の悪さを感じているらしいその様子が、何かに火をつけた。
ふ、とほくそえむ。
「それに、その瞳も悪くない。甘く潤んだ様はさぞ美しいだろうな。」
「なんか、方向変わってない?」
卓を挟むこの距離がもどかしい。
いっそ卓を蹴倒して腕のなかに閉じ込めてしまおうか。
「そうか?レンの部屋で暮らしていたらしいが、あいつは大人しくしていたのか?」
「レン?かわいかったよ。」
「あぁそれは勘違いだな。あいつほど腹黒い奴は珍しい。」
「なにそれ。エスターに言われたくないと思うよ。」
口を尖らせる姿に、劣情と苛立ちを感じる。
数歩の距離を詰めて、サナエの腕を掴み引き寄せた。
細い腕に黒曜石の腕輪が揺れた。
「面白くないな。」
「ちょっと、近い。何?とって食うほど困ってないんじゃなかったの。」
「他の男を庇うようなことをするお前が悪い」
「男って。レンだよ。竜だもん。」
真面目な顔で言うサナエを、まじまじと見詰める。
しかし誤魔化す様子もない。
まさかと思ったが、気になる位なら聞いてしまえ、と自分を鼓舞した。
「お前知らないのか?」
「なにを?」
黒い瞳はエスターの真意がわからないように不安げに瞬いている。
(ルーカスが買い被りすぎだというのはどうやら当たりだな)
あの飛竜がやけに可哀想に思えた。
この間の様子ではサナエを守ろうと必死な姿だったというのに。
「ねえ、レンがどうかしたの?」
エスターの腕を掴んで顔をのぞきこんでくる姿に、顔を寄せ耳元に口づけた。
盛大な抗議には聞こえぬふりをしてその細い腰を抱き締める。
「無神経な女だな。レンは成人した竜だ、こうされなかったのはあいつの自制心の賜物だぞ。竜が稀少な種族なのは知っているか?あいつらは人間に惹かれやすいんだよ。特にヒト形をとれる力の強い竜はな。つがいに人間を選んできたから同族の個体数が減ったんだ。」
言葉を失ったサナエの首元にうっすらと残る傷痕を見つけた。
そっと指でなぞると強張った顔で見つめてくる。
おもむろに腕をあげるサナエの様子を窺っていると、ぱしっと両手で頬を挟まれた。
「…なんだこの手は」
「レンが一緒に暮らすのを拒んだのはそれのせいだったってこと?でもダイクン様もルーカス殿下も全然気にしてなかったし、実際レンだってチビ竜の姿だったし、ていうか一緒に寝ようとか言っちゃった私をレンはふしだらなおねえさん、とか思ってたの!?」
「落ち着け、サナエ。ルーカスは多分知らなかったんだろうな。ダイクンはああ見えて策士だ。お前とレンがあわよくばと思った可能性はあるが。」
「なんか立ち直れないかも。ちょっとどかして。」
ぽんぽん、と軽く腕を叩かれ、思わず拘束をとくと、サナエは疲れたように長椅子へ倒れこんだ。
「あー。なんか一気に疲れた。後はエスターが話してよ。もしくは帰って。」
「何が聞きたい」
ついぞ自分でも聞いたことがないような柔らかい声が出て苦笑する。
帰る気はない。
あぁ、明日にはサナエの首元を飾る宝飾を作らせよう。自分のものだと主張するような。
しばらく考えた様子のサナエが、じゃあ、と小造りな顔を傾けて問う。
その頬に触れようと手をのばしながら、片眉をあげて先を促した。
「エスターはあと何人奥さんがいるの?」
馬鹿かお前は、とか、どうしてこの状況でそんな台詞が浮かぶんだ、とか、言いたい言葉が次々と口にのぼってきたが、なんとか呑み込んだ。
これでサナエの瞳に嫉妬が浮かんでいたのならまだ許せた。
しかしこいつは倒れこんだ長椅子からさも面倒そうに視線だけ向けている。
頭を抱えたい気分になり、癖毛頭の竜を思い出した。
「そうだな。やっぱりお前は無神経だ…」
「は?」
「うるさい。このバカ。」
その言葉すらどこか甘くて響いて、自分が情けない。
あてられたのは夜の空気ではなく、この娘の夜色の瞳にかもしれない。ふとそう思った。




