鳴動2
デュランが歩きながら説明してくれたことによると、さきほどまでいた部屋は前宮にあたり、比較的王宮の入り口から近く、人の出入りも多いそうだ。
これからサナエが身を寄せることになる部屋は更に奥、南の棟の上階に位置するらしい。
国賓用のゲストルームが並んだ棟になるのだろうか。
「今は他にもどなたか滞在されているのですか?その、国賓として」
「いいえ、現在はどなたも。しかし次の召喚期にあたる闇の月の頃には各国からの要人でいっぱいになりますよ。なんせ殿下の戴冠式が執り行われますから。」
ハルシオンでは、光、水、土、風、火、闇、と6つの月に区切られ、これが一巡することで一年と数えられる。
こちらでの暦の移り変わりはわかりやすい。
夜空に浮かぶ2つの月のうち、一方が新しい月が始まると色を変わるのだ。
サナエがこの世界にやってきたのは闇の月、2つ目の月が闇色だったため星空に違和感を感じなかったが、その翌月、煌々と輝く月が並ぶ様をみて、サナエは息を呑んだものだ。
今は風の月、夜になれば銀に薄い青を溶かしたような美しい月が空に浮かぶだろう。
案内された部屋は、国賓を迎えるにふさわしく贅を尽くしてあり、その上で女性の感性に合わせたような部屋だった。
桂離宮の佇まいを美しく感じるサナエの好みには相容れないが、まだごてごてとした華美な装飾がないことに救われる。
大きな天蓋つきの寝台に、華奢なテーブルと長椅子、一人掛けの椅子もいくつかある。
箪笥にしても鏡台にしても、優美な細工が施され、十分な大きさがある。
『国賓』にはふさわしいのだろうが、自分には似つかわしくない、とサナエは小さく嘆息した。
(海外の高級ホテルに泊まると思えばいいかな。落ち着かないけど・・)
レンと暮らした半地下の部屋がすでに懐かしい。
「何かご入用なものがあればそこの侍女たちにお申し付けください。明日にはあと数名サナエ様付きの侍女として参りますが。」
「とんでもないです。それより私、自分のことは自分でできますので、侍女の方は結構です」
「まぁ!」
部屋の片隅で控えていた2人の侍女のうち、小柄な少女が思わずといった形で声をあげた。
ふわふわとした白金に近い髪がまるで羊のようだ。
視線を集めたことに気まずそうに肩を竦めている。
許可を得るまで言葉を発してはいけないのかもしれない、と思い至った。
それを裏付けるようにデュランが彼女に声をかけた。
「いいですよ、言ってみなさい」
「その、観察者様が侍女をいらないなんて仰るんですもの。それではわたくしたちの仕事がなくなってしまいますわ!」
「ミイシャ、口を慎みなさい」
ミイシャと呼ばれた少女は、少し年長に見えるもう一人の娘の言葉に不満そうに口をとがらせる。
「だってサラは有力貴族の娘だもの、また貴人のお世話に呼ばれることもあるでしょうけど、私にとってはこんな機会めったにないのよ。」
「観察者様、ご無礼をお許しください。ミイシャはまだ経験が浅いものですから…」
2人の会話に気を取られていたら、サラという少女が恐縮したように頭を下げた。
ミイシャはきょとんとした顔でサナエを見つめている。
「責めるつもりはありません。あなた方が嫌で侍女がいらないと言ったわけではないのよ。」
「サナエ様、それでは侍女の補充はやめましょう。そのかわりにこの2人はお側付きとしてお仕えすることをお許しいただけませんか?」
デュランの言葉に頷くと、ミイシャがうれしそうに歓声をあげた。
「ミイシャ、落ち着いて。サナエ様、デュラン様、ありがとうございます。誠心誠意お仕えさせていただきます」
「観察者様、デュラン様、とっても嬉しいですわ!わたくし、ミイシャと申します。こちらはサラ。観察者様でありエスター殿下のお妃様になられるサナエ様にお仕えできるなんてこれ以上の喜びはありませんわ!」
「はい?」
思わずデュランを振り仰ぐと、彼は変わらぬ顔で微笑んでいた。
「妃の間に仕えることはわたくし達王宮の侍女にとって夢なんです!わたくしの一族も誉れ高いですわ!」
「ミイシャ、サラ、ご挨拶が済んだのならサナエ様の荷物を預かりにレン殿のところへ行って来なさい」笑顔を寸分も動かさぬまま命ずる姿に、2人の少女は顔を見合わせる。
「どうしましたか?」
「いえ!すぐに!」
デュランの目が笑っていないことに気づいたらしい。2人はぶるぶると顔を振ると兎のように駆け出した。
***
「何だその顔は」
「なぜこちらにいらっしゃるんですか」
「随分だな。婚約者殿の部屋に来るのがそんなにわるいことか?」
「意味がわかりません。私がいつ殿下の婚約者になったのでしょうか」
「その口調はやめろ。だいたいあの時だって俺の正体に気づいていたのだろう?」
都合が悪くなったので黙秘した。
夕食を部屋の応接セットですませサラが煎れた香り高いお茶を飲んでいると、もらってやる発言をいつの間にか宣言に変えていた次期国王がやってきた。
ミイシャは興味津々で部屋に残りたそうだったが、慎み深いサラがエスターにもお茶を用意した後、ミイシャの首ねっこを掴んで退席していった。
案外いいコンビなのかもしれない。
「普通に話せ。」
「ご命令であれば」
「お前なぁ!まぁ、良い。命令だ、普通に話せ」
「で、何で私が貴方の婚約者ってことになったの?」
主君に忠実なデュランは、あの後詳しい説明をしないまま、笑顔で退出していった。
そしてよほど何か言い含められたのか、2人の侍女は給仕をしてくれる間、余計な口を開かずおとなしかった。
サナエの質問にエスターは満足気に頷く。
「俺がそういったからだ。別にすぐとって食おうってわけじゃないから安心しろ。そこまで困っていない。大体ライアスに嫁ぐ話にはすぐ頷いたというのに俺じゃ不満なのか」
「それとこれとは話が違うでしょう。貴方は王族で、次期国王なのでしょう?立場をわきまえたら?」
いっそ、失礼な口を聞く、と斬られればこの状況から脱出できるかもしれない、とふと思いつく。
しかしエスターは不快になるどころかますます愉しげに口元をあげた。
「何がいいのかさっぱりわからないわ。そんなに観察者がものめずらしい?」
「いや?お前でなければ殺したい程度には厭わしい存在だな」
そうだ。すでに一度殺されかけたのだった。
この美しい獣のような王に。
「お前は面白い。この退屈な世において、それは俺にとって十分な理由なんだよ」
傲慢だ、と思う。
彼がサナエに対して愛情のような感情を抱いていないことは、はっきりとわかっていた。
貴族との婚姻を妨げたのも、もらってやると言ったのも、ただの気まぐれなのだろう。
「あいにくこの会話はグウェンとすでにした。つまらんから他の話を聞かせろ」
長椅子にゆったりと腰掛け、長い脚を組む姿に、彼がしばらくここから動かないだろうという意志を感じる。
斬られるではなく斬り捨てられれば命はない。早々に降参し、彼のしたい話に付き合うことにした。