鳴動1
なし崩しでそのまま王宮に迎えられることになった。
ただしあくまでただの国賓、神の眼として。
次期国王の「もらってやる」発言は、本人が退出していたこともあり忠実な臣下であるグウェンによって黙殺された。
何か文句でもあるか、と沸き上がるマグマのような目で凄まれたが、言われなくてもこちらからお断りだ、とサナエは嘆息した。
レンと暮らした半年間は、穏やかなものだった。
なにより、自らの役目から眼をそらすことができた。
一般人が入れる王立図書館にある蔵書では、いくら知識階級が使う教本とは言え史実に関して当たり障りのないことしか載っていない。
それでも何もわからないまま王宮に放り込まれるよりはずっといい。そう思っていた。
しかし、いざ王宮に身を寄せるとなると体が強張る。
正式に神の眼として発表をされ、王宮へと迎えられたら、否が応にも向かい合わなければならない。
神だとか、天罰だという得体の知れないものや、権力争いなどの人間の醜さに。
(どうするかなぁ)
「不安かの?」
部屋に残されたサナエに付き添ってくれているのはダイクンだった。
レンはサナエのわずかな身の回りのものをまとめにあの半地下の部屋へ戻っている。
ダイクンの言葉に、彼を心配させたくないと思い曖昧に頷きながらも、不安な気持ちを吐露しそうになったとき、扉から声がかけられた。
「サナエ様はこちらにいらっしゃいますか?」
現れた青年は人好きのする可愛い笑顔を浮かべていた。
サナエが振り返ると、ぱあっと更に顔が明るくなった。
もし尻尾があればちぎれんばかりに振っていると思う。
「お会いできて光栄です。エスター殿下の従者を勤めさせていただいております、デュランと申します。主君よりサナエ様をお部屋へご案内するよう申し使って参りました」
「ふむ、サナエ殿をよろしく頼むよ。サナエ殿、またすぐ会えるじゃろうが、何か困ったことがあればいつでも相談にいらしてくだされ。わしはあの塔におるからの」
穏やかな笑顔に励まされながら、サナエは今度はしっかりと頷いた。
***
あまりの苛立ちに自然と足音が荒くなる。
すれ違う文官たちが恐れて道を開いて行くが、今は周りを気にする余裕などない。
ただ早く主君の執務室へ辿り着きたかった。
目的の部屋からエスターの従者である青年がちょうど出てきて、彼の顔を見て笑顔を向けてきた。それはもう嬉しそうに。
「グウェン様、もうお聞きになったのですか?」
「何のことかな?」
子犬のような青年に苛立ちをぶつけないよう、忍耐力を総動員する。
まさかと思いたかったことは、しかしすぐにもたらされた。
「神の眼が召喚されたとか。我がハルシオン国に神のお恵みが深いことが証明されましたね。なんともおめでたいことです。エスター殿下もとてもお喜びになってらして、先ほど早速国中に触れを出すようにと。こちらを」
手にした書類を軽く掲げて見せる。
奪い取って燃やしてやりたいくらいだが、大事そうにその書類を抱え直した彼は隠しきれない嬉しさとともに去っていった。
執務室の中には近年稀にみる上機嫌な主君がいた。
つかつかと詰め寄るグウェンの表情を面白そうに眺めている様は我が君ながらいまいましい。
「お考え直しください」
「わざわざ追ってきていきなりそれか」
「他にありますか?」
「グウェン、何が不満だ。言ってみろ」
彼は決して孤独な王者ではない。
人間嫌いと噂される程度には他者を容易く寄り付かせない頑ななところがあるが、その強さはこの国の王として換えがたい素質でもある。
古い歴史のある神の国として周囲の列強からも一目置かれるハルシオンの王は、侮られる存在であってはならないのだ。絶対に。
「貴方は次期国王です」
「あぁ、知ってる」
「よりによってなぜあの方なのです」
含めた意図をわざとそらすようにエスターは肩を竦めてみせた。
「早く妃を娶れとうるさいお前なら諸手を挙げて喜ぶかと思ったが?」
「身分をお考えください、彼女はもとを正せばただの平民でしょう」
「神に祝福された人間という点から言えば王家の姫と遜色ない、とはお前の言葉だったな」
「しかも過去に結婚の経験もある」
「あちらの世界でのことなど言わねばわからない、とも言っていたな。更に言えば、眼の届く範囲にいろとも。俺の妻ならすぐ目の前だ。良かったな」
「殿下!」
我ながら情けなくなってきた。なんだこの会話は。
しかし一生をこの方に尽くそうと決めた限りは、過ちはたださなくてはならない。
「初対面に近いではありませんか。綺麗な方ではありますがあの程度ならもっと若くて適当な娘をいくらでもご用意しましょう」
「面識もないライアスに嫁がせようとした男の言葉とは思えないな」
「殿下、お立場が違います」
それぐらいわかるでしょうに、という言外の嫌味は彼には全く届かない。
否、届いていようといまいと関係ないのだ。
それほどにあの観察者を気に入っている?しかし、なぜ?
訝しげなグウェンに気づいたのか、エスターがいよいよ笑みを深くした。
「あいつは面白いぞ。あいつより美しく、初婚の娘などいくらでもいるだろうな。だが、お前の縊り殺さんばかりの視線を平然と受け止める女はなかなかおるまい?」
それに、と続ける。
「一足遅かったな。デュランにその辺で会わなかったか?すでに触れを出すよう命じた書類を届けさせたあとだ。観察者の来訪と、俺の婚約その両方のな。」
子犬の顔が浮かぶ。そうだ、奴はあれでもこの次期国王の従者を勤める青年。
腹の中まで純朴なわけがなかった。
やはり奪いとって燃やすべきだった、と強く強く後悔した。