共鳴4
たくさんの白いドレス。
レース、オーガンジー、サテン。
どれにしようか選んでいるときも、どこか他人事に思えた。
健太郎の優しい眼差しに何もいえなくて、笑顔を作って答えることしかできなかった。
3年前に両親を事故で亡くしひとりになったサナエを支えてくれた大切な友人。
彼の愛情に応えたくて、指輪を受け取った。
失いたくなかったのは友情。でも彼が求めていたのは、サナエからの愛情だった。
彼の裏切りを知った時、責めるよりもどこかほっとした自分がいて、それが一番つらかった。
***
サナエの発言に固まったのはレンやルーカスだけではなかった。エスターとグウェンまでもサナエを見つめたまま固まっているのを見て、どうやら自分の発言がまずかったらしい、と思いながらサナエは耳の小さなピアスをくるくると回した。
ライアスという男性がどういう人物か年齢すらわからないが、もしかしたらサナエよりもずっと年下である可能性もある。
(いくらなんでもいたいけな少年とかは嫌かもなあ、犯罪者の気分になりそう)
「しかし不思議じゃのう」
それまで傍観していたダイクンが口を開いた。
意図がわからず首を傾げると、彼はいつものように優しい眼差しで頷いてくれた。
「ハルシオン神は神の眼を選ぶにあたり、もとの世界と縁が薄い者を選ぶといわれておる。じゃからこれまで配偶者と引き裂かれて連れてこられたものはおらなかったんじゃよ。」
確かに残してきたものの存在が大きければ大きいほど、また多ければ多いほど、悲嘆も大きくなるだろう。
場合によっては受け入れられずに自らの命を絶つものがいてもおかしくはないかもしれない。
そう思ってそっと目を伏せた。
平然と振る舞える自身の境遇が、急に心許なく感じた。
「確かサナエ殿の世界でも、婚姻の誓約を神の前で行うのじゃろう?神との誓約を持ったものは、違う世界の神であるハルシオンの縁とはなり得ないはずなんじゃが」
ダイクンの言葉に、あぁと納得した。
簡単な話だ。
「式の前に取り止めになったので神の前での誓約はしていないんです。もっとも私自身は特定の信仰も持っていませんでしたし、式自体が形式的なものですけど。」
式の前に籍だけ入れていたから、バツイチには違いない。
それともただの紙切れには何の効力もないということだろうか。
彼女にとってそうだったように。
「取り止め?」
思わず、といった形で問いを発したルーカスは言葉を口にしたあとでばつの悪そうな顔をした。
「他の女性を妊娠させたことがわかって、彼から取り止めたいと」
「その口振りでは、お前はそれでも構わなかったように聞こえるが?」
「まさか。子供の父親を取り上げるなんてできません。それに、彼女、その女性が彼のことを強く思う気持ちは純粋にすごいなって」
エスターに答えながら我ながら他人事のような言い方だ、と思う。
傲慢に聞こえるかもしれないが、彼が自分からサナエを裏切ったとは思えなかった。裕佳梨の執着心の強さを知っていたからかもしれないが。
きっと裕佳梨が仕掛けて、何かのきっかけで彼が流された。でもその心の隙間を作ったのは、他ならぬ自分だ。
式の前に新居での暮らしを始めようと新しい家へ越したその日、共通の友人だった裕佳梨は子供ができたことを報告にきた。まだ荷物がほどかれる前の、その家へ。
あの時の彼女の誇らしげな顔。望むものを手に入れた喜びに満ちていた。
それがただ眩しくて。サナエの横で茫然とする彼とは対照的だった。
「もしかしてその相手って、“ケンタロー”?」
訝しげないくつもの視線に、レンが顔を歪める。
「時空の時差を使って、一度だけあちらの世界に行ったんだ。サナエは部屋の整理をそいつに頼んでた。でもまさか昔の恋人だったなんて。てっきり友人なのかと…。その、あまりにも事務的なやり取りだったから」
「友人、そうね。友人でありたかった。それが私の叶えられなかった最大の我が儘」
彼の実家は比較的資産家で、新しい家も新婚ながらに戸建てで、しかし彼の両親が暮らす同じ敷地内に建てられていた。
彼に非がある破談とは言えサナエがその家に残るわけにもいかず、かといってすでに解約した以前の部屋に戻ることもできない。
慰謝料がわりにとあちらのご両親が急遽用意したアパートの部屋へ、ほどくまえに行き場を失った荷物はそのまま送ることになった。
レンに頼んで荷物の整理をしにもとの世界へ戻ったとき、名義変更の申請手続きの途中だったこともあり、健太郎に部屋を引き払う手続きや諸々の処理を託してきたのだ。
彼にはただ、海外へ行く、とだけ伝えてきた。
多少不自然でも本当のことを伝えるわけにもいかないし、ましてやあの状況で失踪したと思われたら彼の心が傷つくことは目に見えていた。
そしてその時を最初で最後として、サナエは一度も時空の時差を使っていない。
もう帰る場所はないのだから。
「まあ良い。サナエ、お前が結婚をしようとしたことがあるのはわかった。グウェン、アルヴァーソン家に出戻りを押し付けるわけにはいかないな?」
「兄上!」
悲鳴のような声が実直な弟王子からあがる。
つくづく似ていない兄弟だ、顔立ちの美しさ以外には。
エスターの言葉にサナエを仇のように睨んでいたグウェンすら嘆息した。
「しかし、婚姻の誓約をしたわけでもないようですし、ましてあちらの世界でのことなど他に知るものもおりません。どうにでもなるかと」
要は黙っていればわからない、ということだろう。
「気持ちの問題だ。誠意が伝わらん。アルヴァーソンは別の形で取り成すさ」
エスターはグウェンの提案を完全に握り潰した。
臣下のためを思えば当然か、と苦笑したとき、低い魅力的な声がサナエの名をなぞった。ひきよせられるように顔をあげると、再び貫かれる。どこか愉しげな空色の瞳に。
「このまま王宮に入れ。俺がもらってやる」
よし、これで解決したな。と言わんばかりに次期国王は上機嫌で席を立ち、その場で石になっている臣下のことなど眼もくれずに退出していった。