共鳴3
今回は長めです。
かみさま、ごめんなさい。
彼が必死に伝えてくれていた愛を、見えないふりをして傷つけて。
それなのに、最後まで甘えてしまった。彼の優しさに。
どうか彼に伝えてください。
だいすきでした。心から。
同じ形ではなかったかも知れないけれど、それでも確かに愛していたの。
さようなら。
ありがとう、たくさんの愛情を。
あなたの幸せを、祈っているよ。
遠い遠い違う世界の、ハルシオンの空のしたから。
涙が頬を伝わりおち耳に届いた冷たい感触に、目を覚ました。
この数ヶ月ですっかり見慣れた天井が目に入る。
胸の苦しさに息が詰まりそうだった。
起き上がろうとして、同じ枕に小さな飛竜がその頭をのせていることに気づく。
そっと頭を撫でながら、こみ上げてきた何かを誤魔化すように、昨夜と同じ額にキスをした。
何かが起こる予感を伴って、朝がやってきた。
***
初めて足を踏み入れた王宮は、石造りの重厚な外観から想像していたよりも内部は明るく、細部まで施された優美な浮き彫り模様が目を引いた。
慣れた様子で進むレンの後ろを歩いて長い長い廊下を進んでいく。
辿り着いた先に待ち構えていたどっしりとした扉を開けると、すでにルーカスとダイクンの姿があった。
そしてもうひとり。
「グウェン宰相がお越しとは驚いたな」
赤茶の髪に蛇のような眼の男を目にして、レンは咎めるような視線をルーカスへ向けた。
困ったように苦笑するルーカスに変わり、答えたのはグウェンと呼ばれた男だった。
「私とて来たくて来たわけではないのですが、あの方が出席されると仰るので」
「あの方?」
レンが眉をひそめたとき、サナエの背後の扉が再び開く気配がした。
それと同時に、グウェン、ダイクン、ルーカスまでが立ち上がる。
訝しげに振り返ったサナエの目に飛び込んできたものは、青い青い空だった。
否、空を硝子に閉じ込めたような瞳。奇しくも昨夜、サナエの眠りを妨げた刺し貫くような眼。
「え、」エスター、そう口にしようとして意思の力で言葉を封じ込めた。
「久しぶりだな『サナエ』」
名乗っただろうか、と一瞬考え、彼の立場に思い当たりそれ以上考えることをやめた。
どうにでも調べられることだ。もしくは、知っていてあえて聞いたのかもしれない。あの時も。
「エスター殿下」
失礼にならない程度に目を細めると、皮肉な表情に気づいたのか、エスターはわずかに片眉をあげた。
「サナエ殿、兄上をご存知なのですか?」
驚いたルーカスの声に、エスターは上座へ向かいながら軽く手を上げて彼の肩を叩いた。
「お前が気にすることじゃない。余計なことを巻き散らす口なら殺そうとしただけだ」
「兄上!」
「無事なのだからいいだろう。なぁ、サナエ?」
ゆったりと座す姿は、威圧感に満ちている。
ルーカスとレンの顔が青ざめていることに気付き、サナエは笑ってみせた。
「ご冗談を。ルーカス殿下、そんなお顔をなさらないでください。」
レンも、と腕をそっと掴むと、彼は今にも泣きそうな顔で振り返った。
「偶然言葉をかわすことがあっただけです。エスター殿下、その節は殿下とは知らず、失礼いたしました」
サナエの言葉はエスターのお気に召さなかったらしい。
つまらなそうに鼻をならすと、さっさと話を始めろとばかりに片手をふった。
ルーカスがエスターとグウェンに向けてこれまでの経緯を含めサナエを紹介した後、エスターとグウェンについても彼が紹介をした。
グウェンは30代に見える若さで宰相という要職についているらしい。
もっとも、次期国王のエスターはサナエと変わらないくらいに見える。
グウェンは、不快なものを見るような目でじっとレンとサナエを睨んでいた。
(まぁ、慣れてるけどね。特に違う世界の人間なんて怪しいだろうし)
商社に勤める父の関係で、海外での生活が長かった。
嫌なことばかりではもちろんなかったけれど、全ての場所で問題なく受け入れられてきたわけではない。特に子供の世界は正直だ。
人種の違いを感じることもあったし、反日感情を目の当たりにすることもあった。
彼のような視線に晒されることは慣れたものだった。
そして、この場でこちらが引けば、侮られることも身にしみている。
(勝とうってわけじゃないけど、やられっぱなしも悔しいのよね)
グウェンに対し、サナエはわざと冷笑を浮かべながら平然とその視線を返していた。
「今日集まったのは、サナエ殿の今後についてですが」
ダイクンの遠縁の娘としてレンの部屋で暮らせる期間はもともと1年と区切られている。
それも残すところ数ヶ月、どの時点で王宮に入り観察者としての教育を始めるべきか、ルーカスはサナエの気持ちをできるだけ尊重しようと、こうしてこの事実を知るものたちを集めたのだろう。
「それについては私に提案が」
ルーカスを遮ったのはグウェンだった。
「貴族たちがいらぬ騒ぎを引き起こす前に、観察者殿にはしかるべき家へ落ち着いていただく方がよろしいかと」
「家?」
「はっきり言え、グウェン」
エスターの声にグウェンが小さく頭を下げる。
怪訝そうな表情のルーカスは、心配そうに二人の顔を見比べた。
おそれながら、とグウェンは続けた。
「前任の観察者殿が王宮に身をよせている期間、各貴族がその庇護権を獲得せんと騒ぎを起こしたことはご存知のはず。此度の観察者殿も妙齢の女性となると、そのお心を射止めようと騒ぎ出す貴族も多いでしょう。ならばいらぬいさかいを避けるためにもしかるべき貴族をこちらで選び、早々に嫁していただくのがよろしいでしょう」
“かしていただく”の言葉がうまく変換できず、サナエは宙を見つめ首を傾げた。
その間にレンが噛み付いた。
「ちょっとグウェン、どういうことだよ!サナエの意思はどうなるの!?」
「竜は黙っていてください。これは人間の問題です」
「なんだとこのくそガキ!」
「貴方に言われたくありませんね。大体いまでは私のほうが大人です。見た目も中身も。すっかり丸くなった貴方を見て随分失望しましたが、更に今日はその上をいくようで大変残念ですよ。新しい観察者にもうほだされましたか?あなた方はつくづく観察者という生き物に弱いと見える」
古の種族、竜は精霊の眷族として圧倒的な力をもち、民から尊敬を集めるとサナエの読んだ本には書いてあった。
随分と砕けた竜ではあるが、それでルーカスやダイクンがそんな彼に敬意を表することに納得したというのに、まさかこの国の宰相がこのような態度をレンにとるとは思いもしなかった。
「グウェン、なんと失礼な。レン殿はこの国を守護する精霊の眷族だぞ。それに今の話は」
「まぁ、ひねくれたグウェンの嫉妬は置いておいたとしても、その言は一理あるな」
まだレンと睨みあっていたグウェンが、どこか触れられたくない部分を指されたような表情を見せる。
その顔に、およそ彼には似つかぬイメージがかぶった。
(拗ねた子供の顔?)
「エスター殿下、一理あるとはそれはサナエ殿の婚姻の話じゃろうか?」
それまで黙っていたダイクンが初めて口を開いた。
エスターは面白そうな表情を隠さずに頷く。
「王宮にいる間、取り入ろうとする貴族がうるさいのは必至。それでグウェン、お前のことだからすでに相手の候補はあげてあるのだろう?」
えぇ、と頷くグウェンはすでに先ほどの感情を浮かべていなかった。
鉄面皮、そんな言葉の似合う顔で慇懃に伝える。
「アルヴァーソン家のご長男、ライアス様を」
「ライアスか」
顎を撫でながら、エスターが視線を巡らせる。
「観察者はその血筋こそ繋がっていないものの、ハルシオン神の祝福を受けた人間であることは、恐れながら王族の姫と遜色ありません。不幸があったアルヴァーソン家の面子を回復させることもできましょう。」
「不幸か、王家に娘を殺された家が王家が寄越す姫を喜んで迎えるとでも?」
「殿下、リシェル様は事故で亡くなられたのです。それにアルヴァーソン家は公爵の家柄、名誉の復興を願わぬはずはありません。」
エスターの不穏な発言は、たしなめるようなグウェンの声に流された。
触れられたくない部分を抱えるのは、グウェンばかりではないらしい、とサナエは傍観していた。
「グウェン、それではサナエ殿の意思はどうなる!?この世界に落とされた時から、望まぬ運命に巻き込まれているというのに、それを更に・・」
「王家に深く関わる身上になった以上、あきらめていただくしかありません」
「構いませんよ」
「厄介な相手に引っ掛かられても面倒ですし、はい?」
「別に構いません。そちらの都合の良いように取り計らってください。相手の方が可哀想ですけど・・」
「サナエなに言ってるの!?」「そんな自己犠牲をすることはない!」
レンとルーカスの焦った声に、サナエはうーん、と困ったように呻いた。
「結婚に夢見る年齢でもないとか言う気!?だめだよ、サナエはまだ十分若いって!グウェンなんてこれで35だよ」
振り上げた手をテーブルに叩きつけながら、レンが力説した。
サナエばかりではなくグウェンの頬も引き攣らせたことには気づいていない。
「あなたからしたら彼女なんて生まれたてでしょうね、何歳ですか?600超えてます?」
「まだ来年!」
思わぬところでレンの年齢が聞けた。
それにしても、さすが長命な種族なだけある。ミレニアムまであと少し、と変な感慨を抱きながらどう話したものかと悩む。
正直、どうせ庇護されるべき相手を見つけるまで周囲がうるさいのだろうということは予想がつくし、適当な落ち着き先を用意されるならそれでも構わなかった。
いくらなんでも周囲に観察者だとばれてからも、ダイクンの弟子と思われている若い少年(に見える)のレンと暮らし続けるわけにもいかないだろう。
更に言えばレンもかわいい彼女ができる年齢になったら困るだろうし。もしくはすでにそうなのかも知れないが、なんせ600歳だ。
「これから心を通わせる者もあらわれるだろうに、なにも今…」
困った顔をしたルーカスが取り成すように言葉をかけた。
あぁ、違います、とサナエも同じくらい困った顔で笑ってみせた。
相手には悪いが、貴族であるなら望まぬ結婚などありえることなのだろうから、目をつぶってもらうしかない。
観察者の庇護をすることで、権威が復活するという何とか家なら、それだけで利用価値を見出してもらえそうだ。
「正直、それに関してはどうでもいいというか…。静かに暮らせればそれで構いません。本当は一人で暮らしたいくらいですけど許されないでしょうし」
「それ、って。サナエ、一生のことだよ?」
「確かにわれわれの目の届く範囲にいていただかなくては困りますがね」
「グウェン、少し黙っていろ。サナエ殿、レン殿の仰るとおり、互いの愛情があってこそのものだろう?」
ルーカスの言葉が、ちくりと胸に刺さった。
そう、互いの愛情があってこそのものだった。
黙り込んだサナエに勇気を得たのか、ルーカスがなおも励ますように言った。
「サナエ殿は美しく、知性もある。ライアスがどうというわけではないが、何もわれわれに気を使って今後を決める必要はないのだよ?」
あぁ、とサナエは苦笑した。
自嘲に近かったかもしれない。
「別に自分を卑下しているとか、軽くみているわけではありません。ただ、一度したことあるので、今さら淡い夢なんて持ってないだけなんです」
結婚というものに。