共鳴1
「兄上、報告書をお持ちしました」
自他共に認める人間嫌いの兄の執務室には珍しく、先客がいた。
すらっとした立ち姿、軍の制服に身を包んだしなやかな体は、美しくも逞しい。
まるで女性のように整った顔立ちに、一瞬過去の亡霊がよぎった気がした。
「…ライアス」
「おひさしぶりです。ルーカス様」
兄の忠実な部下だった彼は、殿下という敬称を第一王子にしか使わない。
それすらも懐かしかった。
「いつこちらに?」
「北の任地での役目を終え、つい先ほど戻ったばかりです。殿下にはそのご報告とご挨拶に」
近衛第一師団の副官を務めていた彼が僻地に出向をすることになったのは、彼自身の希望によるものだった。第一王子の学友でもあった彼は周囲からの信頼も厚く、将来の軍幹部候補としても有力視されていた。そんな彼に、友人を巻き込んだ悲劇が起きたのは3年前。
王都から離れたい、という彼を止める術を持つものは誰もいなかった。
「あれからすでに3年か…、公爵夫妻にお変わりは?」
「おかげさまで健やかに過ごしておりますよ。私も実家に帰るのは3年ぶりですが、姉の子供が産まれて以来、孫の世話に忙しいようです」
最後に会ったときに彼の中にみた絶望の影は鳴りを潜めている。
その穏やかな笑顔に、時間が流してくれた何かへルーカスも感謝をしたくなる。
ライアスは彼にとっても頼りになる兄のような存在だったから。
「それはさぞ心穏やかであろうな」
けれど兄の言葉は凍り付くような嘲笑が混じっていた。
「兄上」
諌めようとするルーカスに、ライアスは小さく微笑んで首を振った。
「罪人の家族です。心穏やかなだけではありませんよ。それでも殿下の寛大な処置のおかげでみなつつがなく暮らしております」
「王都に帰ってきたということは兄上の近衛に戻るのか?」
「正式な辞令は公布されておりませんので、当分は王都の邸で待機をすることになるでしょうね。殿下、ルーカス様、まだ軍本部へ挨拶に参らねばなりませんので、今日はこれで失礼します」
緩やかに波打つ金髪に柔らかい微笑。
優雅に一礼してライアスは出ていった。
「ライアスが帰ってくるとなると王宮の女官たちが喜びますね」
次期国王の極度の女嫌いは有名な話だ。
数年後には30になろうというのに妻のひとりもめとらず、愛妾の影もない。
無遠慮に言い寄る女性が絶えない時期もあったが、それを平然と剣で斬って捨てたため今では迂闊には近寄るものもいない。
また、ルーカスは兄が伴侶を得るまで自分も妻をめとらないと公言していた。
そのため年頃の娘を持つ貴族や王宮の夢見る女官たちは、ライアスのように見目麗しく将来も有望な男を放ってはおかないだろう。
当の第一王子はルーカスの言葉をくだらないとばかりに鼻で笑い、手を伸ばして催促をしてきた。
「いつまでそうしている。報告書をよこせ」
「あぁ、すみません。それにしてもなぜ今頃?以前同じ報告書をお持ちした時には見向きもされなかったのに」
軽い皮肉は黙殺された。
冷たいようでもこの兄が唯一心を砕くのが自分だと、ルーカスも自覚している。
手にした報告書に最近付け加えられた一文を目にした彼の口元が、何かたくらみを思いついたように歪んだ。
「ほう、今後についての話し合いか。面白い、俺も出よう」
「兄上が?」
「神が遣わした観察者殿だろう?この国の代表が迎えるは当然。」
神が祝福せし空を丁寧に嵌め込んだような瞳が楽しそうに細められる。
「飽いていたところだ。退屈しのぎには丁度良いさ」
ルーカスは兄の久しぶりに見る上機嫌な姿に、哀れな生贄となるサナエを思い浮かべて謝罪の言葉をとなえることしかできなかった。