後を追う音4
バン、と大きな音を立てて扉が閉まった。
どうしたのかと首をのばしてみると、その場にしゃがみこんだサナエの姿があった。
「具合悪いの?」
長い黒髪の頭がふるふると降られる。
「なんかあった?」
今度は頭が動かない。
「サナエ?」
文字通り飛んで行ってサナエの肩にとまる。
冷えた指先が翼ごと体をとらえて、ぎゅっと胸に抱かれた。
サナエと暮らすようになってから、食事と家事をする時以外は竜体に戻ることが多くなった。
本来の大きさでは地下の精霊の間にいるしかないので、子供の頃の大きさに調整している。
精霊の間は荘厳といえば聞こえはいいが、地下特有のじめじめした陰気な雰囲気がレンにはどうしても好きになれなかった。それに、思い出したくないことを思い出させる場所でもある。
いくら人間じゃないと見当をつけていたとは言え、サナエが自分と暮らすことを主張したときにはその貞操観念を疑ってしまった。
暮らしてみれば、全く男として見ていない、更に言えば人間として見ていないことがよくわかったが。
ダイクンもルーカスも、同じなのだろうと思う。
初めての夜もレンばかり意識をして、今思えばかなり恥ずかしい。
鳥にもはつかねずみにもなれないので小さな飛竜になってみたら、その姿をサナエが思いの外気に入り、地下へ追いやられることは免れた。
それでもレンは女性であるサナエが安心できるよう自主的に駕篭に入ろうとしたのだが、当のサナエに引き止められ、結局は寝台の隅に大判の膝掛けを折り畳んだ小さな寝床がレンの定位置となった。
ヒト形でふざけている時のレンには容赦なく冷たい視線を送るサナエも、小さな竜体になったレンには優しい。
完全にペットを見る眼だと思い当たった時には何とも複雑な気分だったが。
それでも、ふたりでの生活は存外に楽しいものだった。
レンが竜であることを知るものは少ない。
さらに竜の姿を怖がらない人間も珍しい。
自分の姿を偽らずにすむことがこれほど居心地の良いものとは知らなかった。
だからこそ、胸が痛むのだろう。解っていてもまだもう少し、この生活が続くことをレンは願っていた。
抱きしめてくるサナエの首に薄く血が滲んでるのが見えた。
「サナエ!ケガしてる!」
「え?あぁ」
思い当たることがあるのか、サナエは苦いものを咬んだような表情になった。
「血が出てるよ!止血しないと!」
綺麗な首筋に痕が残ってしまったら大変だ。
「大丈夫、そんなに痛くないし。自分じゃ見えないから気にならない」
「見えなきゃいいわけじゃないでしょ!」
サナエはたまに自身のことに関してひどく無頓着になる。
すっと通った鼻筋に滑らかなクリーム色の肌。長い睫毛に縁取られ知性を湛えた涼しげな目元。
十分に美しいと形容される女性だというのに、それを忘れているように見える。
「なんで?誰がやったの?これ刀傷だよね?」
パタパタと羽を羽ばたかせサナエの目をのぞきこむ。
サナエは顔をしかめた後、もう一度小さな飛竜を抱きしめた。
「なんでもないよ。大丈夫。でもちょっとだけ怖かったから…、しばらくこうしていて」
ぎゅっと力がこめられても、苦しくはない。
それよりも、心配だった。
いつも本音を見せずに周りにも、そして何より自分に厳しいこの娘が。
ダイクンを通してルーカスからの召集を伝える知らせが届いたのは、サナエの首筋の傷がうっすらとした痕が残るほどになっていた頃だった。