悪役令嬢4
「すごい顔色悪いけど、体調悪いの?大丈夫?」
こんな時に優しい声で心配されると、泣きそうになる。
「えっ?ほんと、どうしたの?何かあった?」
気づけば私の両目からは涙がどんどんと溢れてしまっていた。
どうにもこうにも涙が止まらなくなってしまった私は、
リアムの隣に座ってグズグズと鼻を鳴らしている。
「その、僕で良かったら話ぐらい聞くよ?」
「……大丈夫です。グスッ」
「いや、大丈夫じゃなさそうだし。そんな気の利いたアドバイスとかは言えないけど、話を聞くことはできるから」
眼鏡の奥の瞳が心配そうにこちらを窺っている。
「……あの、いつも私に対して良くしてくださっている方が居たんです」
「うん」
「でも、それが嘘だったかもしれなくて……。それどころか、ほんとは私のことを疎ましく思っているかもしれなくて」
「うん」
「そのことに先ほど気付いてしまって……。その人にこれからどう接すれば良いのかわからなくなってしまったんです」
「ああ、それは辛いね」
リアムの優しい言葉に、止まりかけていた涙がまたゆるゆると溢れ始める。
「一番良いのは、その人に直接確認することだと思うけど……」
「きっと確認したら『そんなことないよ』って言われると思うんです。でも、その言葉が本当なのか、嘘なのか、私にはもう……わ、わからなくて……」
また涙が溢れてしまう。
「今はその人に何を言われても、イリスさんは辛くなりそうだね」
「……はい」
私はコクリと頷く。
「その、こんなこと言うのもどうかと思うけど、辛い時には逃げるのも、僕はアリだと思ってる」
「逃げる?」
「そう。その人とちょっと距離を置いてみるとかさ。その間に、イリスさんもこれからどうするかを考えればいい」
そうか、そういう考え方もある。
なにより、今はアルフレッドと顔を合わせるのが辛い。
ちょうど、明日からは学年末テストの勉強期間だ。
いつもテスト勉強期間は送迎を断っているから、ちょうど良いタイミングなのかもしれない。
「……そうしてみます」
「今日はこの後どうする?そんな状態で馬車乗り場まで行くとちょっと目立ちそうだし、良かったら僕の家の馬車で送ろうか?」
「あの、お願いしてもいいですか?」
「わかった。ちょっとここで待ってて。裏門に家の馬車を回して来てもらうから」
裏庭から裏門まではすぐなので、それならこんなぐちゃぐちゃの泣き顔を他の生徒に見られることはなさそうだ。
そうしてリアムはアルフレッドの馬車の御者にも、私が体調不良で別の馬車で帰ると伝えて来てくれた。
なんて気が利く……さすがはサポートキャラだ。
帰りの馬車の中でも、リアムはとても気遣ってくれた。
◇◇◇◇◇◇
邸宅の自室のベッドに寝転び、これからのことを考える。
(このままだと私はどうなるんだろ?)
ニーナがシオンルートということは、アルフレッドと私の婚約破棄は無しということ?
それとも、アルフレッドがニーナを手に入れるために、
やっぱり私との婚約破棄は行われるのだろうか?
今までは断罪されることに怯えてばかりいたが、気付けばアルフレッドとの婚約破棄のことばかり考えてしまっている。
(たとえ婚約破棄されなくても、ニーナへの気持ちを隠したまま私と婚約関係を続けるなんて……)
そう考えた途端に胸の奥がズキリと痛んだ。
そう、それが一番辛い。
(それに、私が婚約者だから、私のせいでニーナと結ばれないって嫌われてしまうかもしれない)
あの優しげに私を見つめていた瞳が、憎悪に満ちて私を見る。
そんなことになるくらいなら、いっそのこと自分から身を引いたほうがいいのかもしれない。
――逃げるのも、僕はアリだと思ってる。
リアムの言葉が頭に浮かぶ。
そう、逃げる。
自分からアルフレッドに婚約破棄を告げて、そのまま逃げてしまえば……。
そうすれば、きっと断罪もなくなって、アルフレッドも卒業して、顔を合わせることもなくなって……。
私はそのままずっとぐるぐると考え込んでいた。
◇◇◇◇◇◇
次の日から私はアルフレッドに会わないように、逃げまくっていた。
逃げるといっても、もともとテスト勉強期間の送迎は断っていたので、あとはランチを断るくらいで済んだ。
最近の私の定位置は裏庭になってしまっている。
どうにも婚約破棄のことで頭がいっぱいで、誰かと楽しく過ごす余裕がない。
放課後も裏庭でテスト勉強をする。
邸宅に帰るとシオンが居る。
ニーナがシオンルートに入ったことで、シオンが敵になってしまったかもしれない。
なるべく今はシオンとも顔を合わせたくなかった。
まあ、テスト勉強をしても、今は全く頭に入らないのだけれど……。
そして私の横にはリアムが居て、一緒にテスト勉強をしていた。
私を心配してなのか、リアムも裏庭が定位置なのかはわからないが、放課後はいつも裏庭に居る。
そして勉強の合間に私の話を聞いてくれていた。
「どう?ちょっとは落ち着いた?」
「はい。今はその相手と顔を合わせないようにしているので、なんとか……」
「それなら良かった。時間が解決してくれることもあるし」
「時間……」
アルフレッドの卒業まであと1ヶ月。
学年末テストが終わればあっという間に卒業式だ。
悪役令嬢の婚約破棄と断罪シーンは卒業パーティがやたら多い。
それまでに私も自分の気持ちと向き合って、どうするかを決めなければ。
「まだどうすればいいか決められないんです」
「うん」
「自分からこのまま離れてしまったほうがいいんじゃないかって、頭ではわかってるんですけど……」
「うん」
「でも気持ちがついて行かなくて……」
「うん」
「このテスト勉強期間中には答えを出せるようにしたいんですけど」
「そうだね。その相手と顔を合わせると気持ちが乱されて冷静に考えられなくなると思うんだ。だから、今の離れた状況でこれからのことを考えたほうがいい」
「はい」
「自分だけじゃなくて、相手にとっても、どうすることが一番いいのか冷静に判断するべきだと思うよ」
ちょっと偉そうだったかな?
そう言ってリアムは照れくさそうに笑った。
その笑顔に、私もつられて少し笑ってしまった。
◇◇◇◇◇◇
どんなに悩んでいても、時間はあっという間に過ぎて行く。
今日でテスト勉強期間の最終日だ。
私は今日も1人でぼっちご飯をするべく、裏庭に来ていた。
「あ!委員長」
リアムはいつも放課後は裏庭に居るが、昼休みに裏庭で会うのは初めてだった。
「昼休みも裏庭なんて、珍しいですね?」
「今日は裏庭で食べたい気分だったから。良かったらイリスさんも一緒に食べない?」
「はい」
私はリアムの隣に座り、買って来たサンドイッチを広げた。
「あのさ、テスト勉強期間中にはこれからどうするか決めたいって話してただろ?」
「はい」
「もう決まった?」
どうやら私のことを心配して、昼休みも裏庭に来てくれていたらしい。
「はい」
私はずっと考えていた。
最初は、自分から婚約破棄をして断罪からも逃げよう。そう思った。
でも、彼と婚約してからのこの5年間、アルフレッドは私のことを尊重し、大切にしてくれていた。
それが義務感からだったとしても、陰ではニーナを愛していたとしても、私は彼に婚約者として蔑ろにされたことは一度もなかった。
「やっぱり私は逃げることはできないみたいです」
「……そう」
「相手に私の気持ちをちゃんと伝えて、それから話し合ってみようと思います」
「でも、相手の言葉が信用出来ないんでしょ?」
「それでも、です」
それでも、アルフレッドにきちんと自分の気持ちを伝えたい。
そして、彼の考えを聞いて、どうするか決めたい。
彼が私を婚約者として今まで尊重してくれたのだから、私もそれを無下にするような勝手な行動はしたくない。
(一方的に婚約破棄を告げて逃げるなんて……それこそ、悪役令嬢を断罪する王子様と一緒だ)
たとえ婚約破棄になるとしても、2人で決めたい。
「学年末テストが終わったら、話し合いをしようと思ってます」
「そっか……」
(え?)
「イリスさんの決心が聞けて良かったよ」
「あ、委員長にはずっと話を聞いてもらってばかりで、すみません」
「そんなこと気にしないで」
なんだか一瞬、リアムが苛立ったような気配がしたのだが、今はいつもの優しい雰囲気に戻っている。
(気のせい?それとも話を聞かされてばかりで苛つかせたのかも……)
「今日の放課後も裏庭に来る?」
「はい。明日からテストですし」
「じゃあ僕もちょっと教えてほしいところがあるんだ」
「わかりました」
(せめてものお詫びに、テスト勉強のお手伝いを頑張ろう)
◇◇◇◇◇◇
放課後、私は裏庭に向かい、いつものベンチに座ってリアムを待っていた。
しかし、なかなかリアムは現れない。
とりあえず先にテスト勉強を始めておこうと、テーブルにノートを広げた。
「イリスさん!」
なんだか焦ったようなリアムの声に呼ばれ、振り向くと、そこにはニーナを抱えたリアムの姿があった。
「え?ど、どうしたんですか?チェルニーさん?」
「それが、裏庭に来る途中の空き教室で、ニーナさんが倒れてて……」
見ると、ニーナは真っ赤な顔をして苦しげに息を吐いている。
その額にそっと手で触れると、かなりの熱さがある。
「熱があるみたいです。急いで医務室に」
「それが医務室の先生が出張で居なかったんだ。このまま放っておくわけにもいかなくて、とりあえず家の馬車でニーナさんの家まで送ろうと思って」
「手伝います」
「助かるよ。裏門に馬車を回してもらってるから、そこまで運ぶの手伝ってくれる?」
「はい!」
アーサーくらい体格が良ければ、小柄なニーナを運ぶくらい簡単そうだが、リアムはシオンと同じくらいの体格なので、1人では大変そうだ。
私とリアムでニーナの両脇を支え、引きずるように裏門へ向かう。
ニーナからはとても甘い匂いがした。
裏門で待っていた馬車の扉をリアムが開けて、私は中にニーナを運び込む。
と、その時にふと違和感を覚えた。
(あれ?この馬車、家門の紋章が無い?)
その瞬間、後ろから思いきり背中を押された。
支えていたニーナと共に馬車の中に倒れ込む。
突然の衝撃に驚いて声をあげる間もなく、今度は顔に柔らかい布が押し付けられる。
そのまま私はゆっくりと意識を失った。
押し付けられた布からは、ニーナと同じ甘い匂いがした。




