婚約
「喜べ、イリス。お前が、アルフレッド王太子殿下の婚約者に決まったぞ」
「は?」
次のお茶会を翌日に控えた日の夜、執務室に呼ばれた私は、やたら機嫌が良さそうな父の第一声に、間の抜けた返事しか返せない。
「さすがは我が娘だ。よくやった」
(いや、なんで?先週のお茶会の空気最悪だったよね。アルフレッドすっごい不機嫌だったよ)
意味がわからない。
てっきり先週のお茶会で嫌われたと思っていた。
でも、これで婚約者に選ばれることはないだろうと安心してたのに……。
イリスを褒めまくる父の声が耳をすり抜けていく。
(まさか……裏から手を回したとか?)
私は珍しくご機嫌な父の顔を、疑いの眼差しでじーっと見つめる。
しかし、父はそんなイリスの視線に気付くことなく、バーンスタイン家の今後の繁栄について、饒舌に語っていた。
(まさか……これもゲームの強制力?)
執務室を出て廊下を歩いているとシオンが声をかけてきた。
「義姉さん、王太子殿下との婚約が決まったんだってね。おめでとう。お義父様も喜んでただろ?」
「うーん。すごい喜んでたわね」
「えっ、義姉さんは嬉しくないの?」
「うーん。なんで選ばれたんだろう?……って」
イリスの浮かない表情に、シオンは驚く。
「それは義姉さんが殿下の為にいろいろ頑張ってたからじゃない?いつも図書館に通ってたのって殿下の為でしょ?」
「うん、まあ、それは殿下に調べものを頼まれたから……」
「だから、それが嬉しかったんじゃないの?」
「え?なんで?」
シオンが残念なものを見るように、こちらを見ている。
「だって、子供にあんな切なげな顔で頼まれたら、断れないでしょ?それに、引き受けたからにはきちんとやらないと失礼じゃない」
「義姉さんも子供だけどね」
「……」
いや、わかってる。
でも精神年齢は成人を過ぎて、だいぶ経っている。
「明日殿下と会うんでしょ?直接聞いてみたら?」
「うーん……」
困ったことになってしまった……。
このままアルフレッドの婚約者になると、ゲームの設定通りになってしまう。断罪されてしまう確率が跳ね上がる。
(なんとか断れないかな……)
◇◇◇◇◇◇
翌日、もともとお茶会の予定だった時間に王宮に到着する。
私は少し緊張しながら、アルフレッドの元へ向かう。
(よし、会ったらすぐに断ろう)
もう、直談判しかない。
幸い、まだ婚約誓約書にサインもしていないし、婚約発表も行っていない。
今なら、バーンスタイン家と王家の話し合いで、なんとか無かったことにできるはずだ。
(それに、父が裏で手を回した婚約なんて、アルフレッドにとっても不本意なはず……。父はごねるかもしれないけど、当人達が嫌がってるから無理だって押し切ろう)
今日のお茶会は、初めて会った時と同じ、庭園のガゼボだった。
「やあ、いらっしゃい。バーンスタイン嬢」
「お招きいただき光栄です。殿下」
アルフレッドは柔らかい笑みを浮かべて、イリスに座るように促した。
「今日は大切な話をしようと思ってね」
「……婚約のことでしょうか?」
(よし、きた!)
「そう。今日から婚約者になるのだから、お互い名前で呼び合ったほうがいいと思うんだ」
「えっ?」
「イリスって呼んでもいいかな?」
「いえ、その……」
「君も私のことは名前で呼んで」
ちょっと待ってほしい。話に頭がついていかない。
「ダメ?」
「いえ、そうではなくてですね、殿下は、その、なぜ私と婚約することに……?」
「君と婚約したいからだよ」
あっさりと言われた。
「え?あの、それは殿下の意思ですか?」
「……どういう意味かな?」
心なしか、空気が冷えた気がした。
「えっと、父が、私の父が何かしたのではないかと……思いまして」
なぜか責められてる気がして、言葉の後半は尻すぼみになってしまう。
「……君のお父上が、この婚約に何か手を加えたってこと?」
「は、はい」
「もし、そうなら君はどうするつもりだったの?」
(やっぱり父が裏で手を回してた?)
「あの、父のせいで私が婚約者になるのは、殿下にとっても不本意だと思いまして……」
「……婚約を断るつもりだったの?」
「……はい。殿下にご迷惑はかけたくありませんので」
(言えた!)
「ふーん」
「……」
「じゃあ、君のお父上がこの婚約に手を加えてなければ、君は婚約を断らないんだよね?」
「!?」
「だってそういうことだろう?」
(そういうこと……になるの?)
「安心して。この婚約に君のお父上は一切関与していないよ」
「そ、そうですか……」
「これで君が私との婚約を断る理由はなくなったね」
すごくいい笑顔で言い切られる。
「そ、そうです……ね」
「ふふっ、良かった。もう他の家門にも報せを送ったところだから、今更断られたらどうしようかと思ったよ」
「えっ?」
「今朝早くに早馬に報せを持たせたんだ」
「今朝?」
「うん。どうせ今日婚約するんだから、早いほうがいいと思ってね。今頃届いてるんじゃないかな?」
「今日婚約?」
「そうだよ」
アルフレッドが右手で合図を送ると、侍女がうやうやしく箱を持って現れる。
私に見えるように、ゆっくりと箱を開けると、中には上質な紙と額縁が入っていた。
「婚約誓約書だよ。君のお父上には昨日すでにサインをもらってある」
「……」
私の手元にペンが置かれる。
「あとは君のサインだけだから」
溢れんばかりの笑顔を向けてくるアルフレッドに、もう逃げきれないことを悟る。
私は震える手でゆっくりと自分の名前を書くしかなかった。




