第7話 What in the Another world happened to you?
「クスクス……ダメだよアルヴァーナ? この船にはまだ用があるんだから」
着崩した花魁みたいな着物姿の少女が、艶やかに伸びた自分の黒い髪を指で弄びながら喋っていた。
誰しもが状況についていけず唖然としている、この異常な状況にまるでそぐわない緊張感の無い仕草。さらには、どう見てもこの世界観から浮きまくった和服のような衣装。
それら大量の違和感が少女の異質さを分かりやすく表しているようだった。
「せっかくワイバーンを先回りさせて確保した意味が無くなっちゃう」
このドラゴンの頭に立つ妖しげな少女は、なにを言っているのか? ワイバーンを使ってこの船を襲った黒幕っぽい感じのこと言ってるけど。そもそも今なにが起きている?
「ア、アルヴァーナだ……と…?」
そこへカラカラの喉から搾り出されたような犬耳船長のダミ声。
「船長、知ってるの?」
単純な問いだがこの場で唯一、デューだけが船長の言葉に反応できた。
「俺が知ってるアルヴァーナって古龍は……ノーディラムのハイエルフ達が紡ぐ創世神話……そいつに登場する龍たちの始祖。神すらも喰らったという四匹の《真なる龍》がうちの一つ……《不滅の闇龍アルヴァーナ》しかいねぇ!」
神すら喰らった……ドラゴン。
もはや異世界ファンタジーどころか神話の領域だ。
ではそのドラゴンを随えるようにしてるこの和服少女は何者か?
神喰らいの龍は、少女と船を橋渡しするかのように、恭しくその首をこちらへと伸ばし始めた。
いや、恭しくと言ったが、それはあくまで動作のみ。
ドラゴンの縦に割れた瞳に浮かんでいる凄み。
それは俺たちなんかに向けるよりも、遥かに苛烈な殺意を宿しているかのようであった。
俺なら震え上がってしまうようなメンチを切られてる状況なのに、少女は歯牙にも掛けないどころか、むしろ愉しくてしょうがないといった様子。
「さぁ早くしておくれアルヴァーナ、ボクがこの時をどれほど長く待ち侘びていたことか」
呪い殺されそうな視線でドラゴンに睨まれているというのに、そんな事は気にも留まらないといった様子。
『小癪、不滅ノ我ニ、時ノ長サヲ語ルトハ……円環ノ巫女メ』
脳に直接響いてきた不思議な声。これはもう間違いなくドラゴンさんの心の声なんだろうけど……
「クスクス、それは失敬。ただボクとキミとでは『時』の解釈が違うのさ。だからさっきのは別にキミを侮辱するつもりで言ったわけじゃないよ」
周囲を置いてけぼりにしたまま、和服少女と龍の意味不明なセリフは続く。
『覚エテオケ、円環ノ巫女。奇ッ怪ナ術デ我ヲ縛ッタ気デイルノダロウガ。イツカ、必ズ、殺ス。コノ軛ヲ断チ切ッテ、貴様ノ魂ゴト一片残サズ喰イ殺ス。時ハ常ニ我ノ味方デアルコトヲ忘レルナ』
言ってる意味が全然分からんのだけど、そもそも会話成り立ってる? ただこのドラゴンも好き好んでこの場にいる訳じゃなさそうだ。
「おー、こわ。でもキミを縛ってる魔法はこことは”別世界”の理で創られたモノだから。それを破るのはキミでも無理だと思うよ? だけど本当にボクの魂ごと…………いや、いいや。……さてと、無駄話はこれくらいにして」
ドラゴンの鼻先から軽やかに船へ舞い降りた和服少女。
そして近くに来てやっと俺は気づいた。
その瞳が左右で違う色をしていることを。
(青と緑の……虹彩異色症!?)
心の奥底で蓋をされていた記憶が、一斉にフラッシュバックするような感覚。
「あれはどこかな?」
軽い口調とは裏腹に、色違いの虹彩で鋭く船上を見渡す少女。
(な、なぜ? いや……っつうか、なにが、どうして?)
「アハッ♪ 見ぃつけたあ」
目をいっぱいに広げて喜色を浮かべる少女。
「ついに、アハハ! 見つけた! ついに見つけた!!」
狂ったように笑いながら虹彩異色症の和服少女が見据えたのは。
人形のように美しく、そして相変わらず感情が抜け落ちたような表情をしている少女ーーーーハドリーだった。
「アハ! すっごく可愛い顔してるじゃないか。超魔導帝国時代の最高傑作なんて言われてるけど、本当は違う目的もあったんじゃない?」
(やめろ……そんな顔するんじゃねぇ……)
「まぁいつの時代だって男が考えることなんて大して変わりばえしないものだしね。どうだっていいか。それじゃ…………一緒に来てもらおうかな」
妖花のように、美しくも得体の知れない虹彩異色症の眼差しがハドリーをまっすぐに捉える。
ここにきて一段と思考がまとまらない。何か行動を起こすべきだと本能は訴えるが体はピクリとも動いてくれない。
「ハドリーになんか用か!?」
妖花のごとき少女のただならぬ様子を警戒したデューが、ハドリーを守るようにその大きな体を一歩前進させる。
「用? あるに決まってるじゃないか。ボクはそれを手に入れるために来たんだから」
「それってハドリーのことか? 人をモノみたいに言うなよ!」
「ヒト? アハハハハハッ! ヒト? それは……」
狂気の篭った笑い声を上げたかと思うと、その直後にひどく冷酷な目をした和服少女が言った。
「それは人ではなく……〈魔導神器〉と呼ばれたモノだ」
「まどーじんぎ? なんだそれ? 意味わか…」
「もういいから……邪魔」
「っ!!?」
その一言で、見えない壁にでも吹き飛ばされたかのように、デューの体が不自然に横っ飛びしながら船の帆柱にぶち当たる。
「デュー……っう」
デューに駆け寄ろうとしたハドリー。
だがその彼女もまた、不可視の力で縛られたように動かなくなる。
(やめ……)
なにしてんだ、俺!
動け! アレを止めないと!
固唾を呑んで見守っていた船員達も、そこでようやく我に返ったのか、虹彩異色症の和服少女を警戒するようにワイバーン戦で使っていた武器を慌てて構えなおす。
「他の人たちも邪魔するようなら殺すよ?」
得体の知れない少女のその一言と、背後にいるドラゴンのせいで、荒くれ者にしか見えない船員達の表情も、いまは完全に恐怖で引き攣っている。
「そうそう、大人しくしてればいいから」
そう言った虹彩異色症の少女は、金縛りを受けたように微動だにしないハドリーへと近づき、その腕を取った。
「でもキミは別。キミはボクと一緒に来てもらって……」
鋭く細められた青と緑の虹彩がギラリとした熱を帯びる。
「…………殺す」
ーー殺す?
誰が?…………オマエが?
誰を?…………ハドリーを?
虹彩異色症の少女が腕を掴んだまま歩き始めると、まるで地面から浮いてでもいるように滑らかに引っ張られていくハドリー。
船員の誰もが動けない。デューも倒れたままで、もはや生きてるのか死んでるのかも分からない。
「ゃ……めろ」
震える手を伸ばす俺。
緊張と混乱で喉の奥が張り付いたように痛む。
「んー? 誰か、やめろって言った? もしかしてコレより早く死に……」
振り向いた少女の色鮮やかな双眸が俺の視線と交わる。
ガキの頃から見覚えのある、青と緑の虹彩異色症。
呆れるくらい何度も心を奪われた、俺の青春の色そのもの。
それが確信に変わった瞬間、頭ん中のどっかがブッ壊れたのか、堰を切ったように溢れ出す激情に突き動かされて俺は叫んでいた。
「やめろって言ったんだよっ! 神楽ぁあっ!!!」
6年前に死んだはずの、初恋相手の名を。