片翼の悪魔①
「こんにちは、ミウくん」
宿屋の扉を開けて真っ直ぐ受付に向かうさなか、横から声をかけられて思わず「げっ」と声が出てしまった。
受付の手前、受付待ちの人が座って待つようなソファに座り、こちらに視線を送る若い魔法使いの女性が一人‥‥魔法使いと言っても別に魔法使いらしい格好をしているわけではなく(分厚いジャケットに動きやすそうなパンツ、髪は後ろで一つに縛っている‥‥よくいる冒険者の格好だ)、ただしミウはこいつが魔法使いであることを知っている。
しかしよりによって、こんなところで会ってしまうとは。
いや、こんなところだからこそ、会ってしまったといってもいい。
ただミウとしては、なるべく会いたくはなかった。
なにせこいつは何かにつけて、すべてを台無しにしてしまう。
彼女はそんなこちらの顔を見て察したのかむくれた顔をして見せるものの、すぐに気を取り直してこちらに笑いかけてきた‥‥そこそこかわいい顔をしているし、話していて楽しいやつなのだけれど、ただ正直本当にこういうところでは会いたくない。
まだ仕事前なのだ。
「奇遇ね、こんなところで会えるなんて。
でもあなたがここに来たってことは、やっぱりあの噂の信憑性は高いってことね!
よかった、安心した。
あたしも今回は来るかどうか迷ってたから」
「あと一週間くらい迷っててくれてよかったのに」
「それじゃあミウくんに会えないじゃない」
彼女の名前はユクルートリアと言って、若いながらもそれなりに名の知れた魔法使いであり、トレジャーハンターでもある。
トレジャーハンターとしては、格別腕がいいというわけではない。
ただ魔法の力は一級品だ。
この世界中を見ても五本の指に入るのではないだろうか‥‥それだけの実力者であることは間違いない。
けれども彼女が有名なのは、その魔法の力なわけでもない‥‥いや、ある意味魔法の力もそこそこ有名ではあるのだけれど。
なにより、彼女が関わったことによって台無しになってしまった数々の妖精の遺跡や遺産があまりにも多すぎるのだ。
彼女がいることを知っただけで、同業者が関わることを恐れて手を引いてしまうこともあるくらいに、彼女の悪名は轟いている。
だから彼女のことをより詳しく知る者からは、トレジャーハンターと言うよりも、トレジャークラッシャーと呼ばれることの方が多い。
そしてそんな奴が、妖精の遺産を求めてやってきたミウの前で微笑んでいるのだ。
これほどまでに不吉なことはないだろう。
「え、あたしそんなふうに言われてるの?」
なんかやだ‥‥とどんよりするのだけれど、どう考えても自業自得だ。
ミウが初めてユクルーにあったのは西方のトラン城という遺跡だったけれど、その時は遺跡である古城が炎に包まれた。
「ちょっとしたぼやじゃない」
「炭しか残らなかったけど」
その次に会ったのは王都の近くのドルーガ渓谷だ。
渓谷と呼ばれる部分のうち半分は土砂に埋れてしまって、その時は妖精の遺産も粉々になったのだ。
「あれは崖が脆くなってただけだし‥‥それに結局おもちゃはもともと使い物にならなかったわけでしょ?関係ないじゃない」
「貴重な研究対象」
「あー、もう!
細かいこといちいち突っ込まないの!そんなじゃ彼女もできないでしょ!
ね、あたしが一緒にごはん食べてあげるから。
ここのモーモー料理は美味しいって評判なの。
特別におごってあげる!」
本当に人の話を聞かないやつだ。
まぁ一緒に食事くらいはいいだろう。
このレットリレアロア地方に眠ると言う妖精の遺産について、ほかにも何かユクルーから分かるかもしれないから。
レットリレアロア地方は魔法学園の南に位置し、王都からも一番遠いため大陸鉄道も及ばない辺鄙な地方だけれども、その名前だけなら大陸中の誰もが知っている。
かつて妖精たちの一部が人に対して戦争を仕掛けてきたとき、その指導者的立場にあった四天王のうちの一人ルマーファージャが、英雄ツートゥアナによって滅ぼされたのがこの地とされているからだ。
これは神殿学校などの初期教育でも必ず習う。
また草木が全く生えない地としても知られていて、それも上述のおとぎ話とセットで扱われる‥‥いわく、ルマーファージャは滅ぶ際、その瞳に映る全てのものに呪いをかけ、そこでは全ての命の営みが無に返るのだとかなんとか。
実は、この地でなんとか草木を育てられないか、実際に色々と試した人もいたらしい。
土も問題なく、水もそこそこにある。
けれどもどんなに試行錯誤しても草木は育たず、芽が出る気配すらなかったのだとか。
ただし、その土や水を持ち帰り他の地で育てると、そこではちゃんと芽をつけるという。
最近の研究では空気がダメなのだとか、風が悪いものを運んでいるのだとか、色々と呪いを否定したいような論文も多く出ているようだけれどどれも決定的ではなく、魔法がどんどん進歩している今でもなお、説明しようのない四天王の呪いなどというもを、否定できないでいるのだ。
けれどもそんな土地だから、研究することに意義はある。
それはもちろん未知の探究という学術的な面からもだけれど、経済的な見返りを期待してというのも大きい。
この不毛な地で新たな生産性が生まれるようなことがあれば、例えば食物が取れるようになるとか、食料となるような生き物の養殖ができるようになるとか、もしくは衣類の材料、建築物の材料、なんでもいい。
ここに生産性を見出せるようになったのならば、その人は間違いなくこの不毛な地で莫大な利益を得ることができるのだ。
王都から一番遠く、支配の及ばないこの地だからこそ。
なのでこの地方に来ている研究者のほとんどは王都の商家や魔法学園の有力グループ、その他各大都市の有力貴族など、何かしらスポンサーを背負っている。
当然、人も資源も大量に投入されている。
そんなわけで、人が住むにはよろしくないけれど結構な数の人が常にこの地を訪れていて、そういった人を相手に商売する人たち‥‥今ミウが泊まっている宿屋だってそうだ‥‥が集まってきて、今ではそこそこの街を形成していた。
「鉛の町とかよりもよほど活気があるのよね」
宿屋からほど近く。
ミウはユクルーと食事をとっていた。
大通りに面した飲食店で、店内のスペースはわずかだけれども、大通りにまでテーブルを出して食事を提供している。
大通りの賑わいを眺めながらの食事はそれなりに楽しいけれども、ミウとしてはなんとも落ち着かない。
「それはミウくんにやましいことがあるからでしょう?」
「お前はもう少しやましいという気持ちを持った方がいいと思うぞ」
「そうかしら?」
彼女は首を傾げる。
どうやら本気でそうは思っていないらしい。
ため息をついて‥‥どうせ彼女に自身のやってきたことの重大さを伝えることなどできないのだから、せっかくなので食事に取り掛かる。
「ところでね、お目当てのおもちゃの在り処はもう分かったの?」
ぶっ、と思わず吹き出して、慌てて周囲を見回す。
おもちゃ、とは妖精の遺産のことを指す。
妖精の遺産のほとんどは非常に強力な魔法具であり、人の世界においては一国をも揺るがしてしまうほどの大きな影 響力があるとも言われている。
ただそんなものすごい魔法具でさえ、膨大な魔法力を有する妖精たちにとってはほんの些細なものなのだ。
さしずめ子どものおもちゃのように。
だから妖精の遺産について、関係者からは“おもちゃ”と表現されることが多いのだ。
「誰も聞いてないわよ。
聞いてたとして、理解できる人なんてそうそういないでしょ?」
そうは言ってもね‥‥むせつつ口を拭って、目の前のあほちんを睨みつける。
けれども彼女は全く気にしないようだ。
「で、どうなの?」
「そっちはどうなんだよ。
だいぶ前からこっちにきてたんじゃ?」
「ううん、昨日来たばっかり。というかあんな記事が出てから行動を起こして、どんなに急いだって昨日着で精一杯よ。
記事を見たってことは、あたしだって学園にいたってことなんだから」
学園とはサザーランド魔法学園のことだ。
しっかりと魔法を学ぶとしたら王都の宮廷魔法使いになるか魔法学園に入学するしかないのだけれど、宮廷に上るには強力なコネが必要だ。
魔法学園は誰でも入学することができる‥‥といっても、こちらもそれなりの授業料を取るのである程度のお金がなければ門前払いだけれど。
そしてこの魔法学園、基本的に卒業がない。
一度入学してしまえば、例え授業料が払えなくなって途中で授業を受けることがなくなったとしても、魔法学園に所属しているということになる。
挫折してか、もしくはある程度魔法の知識を修めて授業に行けない、行かなくなった人たちはどこに行くかと言うと、もちろん各大都市でそれなりの地位を得るなんてこともあるけれど稀で、多くは魔法学園の周辺で魔法具を作ったり、一人もしくは有志何人か集まって独自の研究を続けたり、要は魔法学園のすぐそばに生活の基盤を整え、そこでそのまま暮らす人が大半なのだ。
学園といえばもちろん魔法学園という教育機関のことでもあるのだけれど、同時に魔法学園を中心とした巨大な都市のことでもある。
そしてミウはそこに住んでいるしもユクルーも仕事柄、そこに滞在している時間が長いのだ(妖精の遺産に関わる仕事をするなら、魔法関連の情報が一番集まる場所にいた方が遥かに効率がいい)。
ただし、二人とも魔法学園の生徒であったことはない。
学園を中心に発展した大都市は、もはや魔法学園の生徒だけのものではないのだ。
そしてユクルーが語る“あんな記事”とは、そんな学園の住人向けに発行されている新聞に寄せられた、とある記事を指している。
このレットリレアロア地方で空飛ぶ片翼の巨大な悪魔を見たという記事だ。
片翼の悪魔‥‥読者の投稿だから正確性も何もあったものじゃないけれど、もし本当ならばこれは一大事だ。
妖精の四天王ルマーファージャが、あろうことかとるに足らないと思われていた人間に滅ぼされたと聞いて、同じく妖精の四天王であったガーザルドが怒り狂い、数々の強力な魔法を使って人々を苦しめたと言われている。
その魔法の一つが、片翼の悪魔の召喚、と記されているのだ。
さらにはその七百年後にも、片翼の悪魔は登場している。
魔王帝とかいう魔法使いが当時栄華を誇っていた帝国に反旗を翻すのに、片翼の悪魔を召喚したと言うのだ。
ちなみにそのときの記録はかなり詳細に残っていて、帝国の騎士数百人をものの数分で全滅させただとか、砦を一つぺしゃんこにしただとか、とにかくただの人間ではまったく歯が立たなかったということらしい。
「それは黒い鋼鉄の体、三本の光り輝く角をもち、目と耳はなく、首が異様に長い片翼の悪魔。
記事に投稿された目撃情報とほとんど一致するわね」
ナイフとフォークを使って、それなりに上品にステーキを食べながら、ユクルーはニヤリと笑う。
「正直ね、眉唾とも思ったのよ。
こんな読者投稿蘭なんて、だいたい適当なことばかり書いてあるじゃない。
あたしだって懐に余裕がなければくることはなかっただろうけれど、レットリレアロアにも来てみたかったし、まぁ骨休めの旅行だと思えばね。
ただ万が一この記事本当だったとしたら、あなたたちは絶対にこの件を放置したりはしない‥‥そしてこんな微妙な案件にもほいほい来るとしたらミウくんしかいないじゃない?
街の入り口にほど近い宿屋で張ってて、まぁ二、三日中にうまくあなたを見つけられれば便乗しようかと思っていたわけよ。
そしたらまさにビンゴ。
これはもう明日から一緒におもちゃを探しに行こうって思ったら、ごはんおごってあげるしかないなって」
ミウは憮然とした。
なるほど、それでこのディナーなわけね。
「けどね、ユクルー。
こっちも仕事だし、そんなに簡単にお前に言うわけにはいかないでしょ」
「いいわよ」
え、いいの?
「あたしもそんなに簡単にあなたがゲロするわけないと思ってるし。
でもたまたま目的地が一緒で、たまたま行く方向が同じなら、仕方ないじゃない?」
こいつ、ついてくる気満々じゃねーか。
「まぁ食べてよ、あたしがおごるなんてなかなかないわよ。
ほらもっと飲んで」
やたら飲ませようとするところをやんわりと断りながら、ミウはあくまでも自分のペースで食事を取る。
というか、こいつが注いだ酒なんか、何が入っているかも知らないし‥‥とりあえずこの場はおごらせておいて、あとでさっさとトンズラするか。
そうミウは心に決めていた。