すてご
今となっては昔の話ですが、私がまだ20歳で大学に通っていた頃、日本はむんとした暗い雰囲気に覆われていました。アレは政治がどうの経済がどうのと言うよりか、列島が黒い病を患っていたのだと思います。節々の痛みを誤魔化していった結果、気が重くなり、嫌な病気に罹ったのでしょう。そしてさらに合併症を……と、負のスパイラルに陥っていたのです。
そんな時代ですと様々なものが吹き出てきます。例えばこれからお話しする、捨て子。当時はオブラートに包んで、置き去り赤ちゃんと言われていました。その捨て子の数がぐんぐん増えました。専用の窓口(赤ちゃんポストというのがありました)に放り投げられるのはまだいい方で、酷いときには、より古典的に寺の前やら橋の下やらに毛布にくるんで捨てられていたそうです。
さて、私の話になります。
ある秋の日のことです。フランス語の中間試験を終えると、曇り空の下、真っ直ぐ帰路につきました。城南大学の西門を出、三崎通りを春原橋の方面へ、当時の人が皆そうであったように私も早足で歩きました。私が借りているアパートまでは徒歩20分ほど。もう間近というところで、路傍の段ボール箱に目が留まりました。異質。箱に誘われ中を開くと件の捨て子でした。この時初めてニュースがエクスペリエンスに変容わりました。ショックというにはあまりに鈍くねっとりとした驚きでした。申し訳程度の毛布の中で眠る乳児――服の下の体は青く冷たく固く、息は細く短く弱々しい。放っておいたら死ぬとわかったので、慌てて段ボールから毛布ごと赤子を取り出し、アパートへ駆けました。
101号室扉を乱暴に開けて、キッチン廊下を走り、6畳間に飛び込みました。ベッドに優しく寝かせて、私の毛布やタオルケットも使って三重に包みました。エアコンをつけ、濡れタオルを3枚ほど掛けたところで次の手に困りました。ミルクを与えようと思いついたものの、さすがに牛乳をそのまま温めるだけではまずいと感じました。それに哺乳瓶もありません。ネット検索をしても、的はずれなまとめサイトが出てくるだけでイライラしたことを覚えています。とにかく何かをしなければいけないと焦った私は、赤ちゃんを見守ることを諦め、ドラッグストアへ向かいました。必死に走ったのでものの5分ほどで最寄りの店へ到着しました。帰りは7分くらいかかった気がします。不安でいっぱいになりながら部屋に入ると、ほっとしたことに赤ちゃんにさしたる異変は無く、じっと眠っていました。
ミルクを作り終えると、ちょうど部屋から泣き声が聞こえてきました。この子は生きれたんだと心底安心しました。抱きかかえ、哺乳瓶を口に近づけると、夢中になって飲み始めます。体は痩せていても良い飲みっぷりでした。その後少しぐずったのであやしていると、赤ちゃんが私の乳房を掴みお乳を探し始めました。胸のつけねからピリピリと母性が先端に向かって伸びてくる、そんな気がしました。
再度温かいミルクを与えた後、眠ってしまったので再び毛布に埋めました。今度は落ち着いてたので、やさしくふんわりと。赤ちゃんは皆そうなのか、ちょっとやそっといじっても全く目を覚ましません。私もどっと疲れがでたので少しのうたた寝を挟んだ後、ピケティを読んでから晩御飯やシャワーをすませ、早めの就寝としました。思えば、その間、夜泣きのひとつもしないことは翌朝の不思議の伏線と捉えられたかもしれません。
目覚めると、ベッドにぬっとした何かが聳えていました。いえ、実はただ昨日の赤ちゃんが座っているだけでした。しかしもうそれは赤子と呼ぶにはあまりにも成長していました。保育園に預けてもいいほどに背は伸び、肉もつき、髪ものびていました。
「なんで? 誰?」
半パニックになった私はベッドから素早く降りて問いかけましたが、その子はこちらを見つめるだけで何も言いません。見回しても他に姿はなく、あの子と同じ位置に青あざがあったので、この子があの赤ちゃんだと判断するほかありませんでした。乳児の時は判別が難しかったですが、その日は男の子であろうと分かりました。確認しようと、おそるおそる近づくと不意に「おなかすいた」と彼が喋りました。思わず腰が抜けそうになりましたが、この怪奇現象から目を逸らすように無心で支度を始めました。
当時私はこの不思議な子どもをもうどうすることもできないという感に打ちひしがれていました。病院だとか役所だとかはこの奇跡に対して全くの無力であることは明らかでした。そこでなし崩し的に私の家で匿うことになりました。
子どもはみるみる成長しました。次の朝には5歳児ほど、そのまた翌朝には小学校低学年ほどになりました。そのため最初の朝に買ってきた服がすぐに着られなくなり弱りました。彼は見た目相応に言葉を解し、会話することができました。何者であるかは判明しませんでした。質問の意図も伝わっていなかったようです。彼は我儘も言わず、非常に落ち着いた子どもでした。一度部屋を散らかしたので叱りましたが、聞き分けがよく、それ以降は部屋の隅で洗濯ばさみやハンガーをいじって、ぶつぶつ言いながらごっこ遊びのようなことをしたりしてました。テレビゲームを教えるとマリオを好んでプレイしました。食事については、箸も自然と使えていてとても不思議でした。私と同じで甘いものが好きで、怪我をした時などは、コンビニデザートを食べさせたら凄く喜んで機嫌がなおりました。
3日目の朝、留守番させても大丈夫だと踏んだ私は大学に登校しました。友人には風邪をひいたと嘘をついてレジュメなどを頼んでおいたので、それを貰って空きコマを使ってノートを作っていると、突然幸運が訪れました。私が予てより好意を寄せていたサークルのT先輩にカフェに誘われたのです。快復祝いと銘打って、大学の近くの『O douce etoile』というケーキの美味しい喫茶店に同伴しました。ここは城南生にとってカップルで訪れるお店でしたので、私はいろいろと思うところがあり、心が舞い上がりました。談笑しながら先輩が私の名前を呼ぶ度に赤面しそうでした。
5限を終えて帰宅すると、幸福が顔に出ていたのでしょう、漫画を読んでくつろいでいた彼に「なにかいいことがあった?」と聞かれたので「ちょっとね」と返しました。すると彼は新しい漫画をねだりました。上機嫌の私はスーパーのついでにレンタルショップで10冊借りてきて渡しました。ずいぶん漫画にはまったようで、その日のうちに7冊は読んでしまっていました。一人で黙々と読んでいるので、彼と遊べず私はちょっと退屈でした。あまりに暇になると、漫画を読んでいる彼にちょっかいを出したりもしました。また、彼は本の影響もあってか、私にいろいろと質問をしてきました。
「学校では何をしているの?」
とか
「友だちとは喧嘩するの?」
だとか。また、ラブコメ漫画を読みながら「僕のこと嫌い?」とも聞かれました。私は「好きだよ」と答えました。彼は満足とも無関心ともとれる風に「ふーん」と言ってまた漫画本に目を落としました。
次の日のことです。休日でしたが、10歳ぐらいにまで成長した彼を残してサークルに出かけました。先輩に会いたかったからです。午前練、昼食、午後練とこなし、15時にお開きとなりました。同級生の女子がカラオケに行くのを尻目に待ち合わせの場所に向かいました。実はお昼にT先輩からLINEをもらっていたのです。
『サークルの後時間ある? 冬合宿の予定たてたいから話したい』
と。サークルで会計をしていて本当によかったと思った瞬間でした。
二度目のランデヴーの舞台は学内のカフェテリアでした。合宿の打ち合わせも早々に、雑談に花を咲かせました。私は先輩がサガンを読むことを知っていたので、それとなく最近はまっているのだと伝えると、喜んでバッグからちょうど読み終わったという『逃げ道』の文庫本を取り出して貸し与えてくれました。結局これが私の初めてのサガンであることを打ち明けることはありませんでしたが。
先輩の声はとても心地よく体に響き、私は髄から彼に没頭してました。一つひとつの仕草を観察する度に、私の乙女心が悶え、今彼は私のものなのだという気がしました。次第に会話のペースが落ちていき、同時に一つひとつの言葉がよりいっそうの甘みを含むようになり、またカフェテリアの時計の秒針の音が大きくなりました。そしてそれらがハッと息をのむように重なった瞬間、その無音の刹那、彼は私に秘密を打ち明けました。
「君が好きだよ」
左手に重ねられた先輩の右手の熱さをジンジン感じながら、私と先輩の交際が始まりました。
家に帰ると、交際の甘美さにあてられたからなのか、先輩とお付き合いする女として相応しい部屋ではないと感じたため、捨て子に構ってから掃除を始めました。物が整理されていくに連れて、理想の自分に近づいていく気がして、独特の高揚感を味わいました。あの子も手伝ってくれましたが、やはり女子力的なセンスは欠けていて、結局私がすべてコーディネートしました。掃除が終わったところで、彼が自分の服を汚してしまったため、洗濯をさせている間に駅前の店で彼用の服を買ってきて着せました。その日はずっとそわそわしながら借りた本を読んだり、先輩とLINEしたりしてました。彼も黙って漫画を読み直していたので、好きなだけ自分の世界に入れました。
翌日は先輩との初デートでした。渋谷でランチとショッピング。アパレル、雑貨屋、化粧品店……どこへ行っても幸せな気分でした。他のサークル員に自慢してやりたかった。先輩との会話は全く底をつきませんでした。先輩が映画を観るのが好きだと言ったとき、私の頭の中では、ベッドで肩を寄せあって映画を観ている景色が鮮明に浮かんでいました。淡く美しい色彩、優しくも楽しい音楽、割れるクレームブリュレ、素敵な女の子のいたずらでみんなが幸せに。私も、そして彼も。あの綺麗に整えられた部屋で。
――違う。あの部屋には彼を呼べない。捨て子がいるあの部屋には。
帰宅。玄関を開ける。「おかえりなさい」
柔らかな色味の家具。ぬいぐるみ。気品ある本棚。落ち着く香り。「またゲームしてたの?」
恋する女学生の清潔な部屋、に、中学生。今朝から一気に逞しくなりはじめた。漫画読んでゲームしてるだけとは思えない筋肉。力はすでに私よりもありそう。似合う? この部屋に。「今片付ける」
私は急にこの子が恐ろしく思えてきました。もともと得体の知れない子でしたが、成長しすぎたような気がしました。
いつものように食事をして風呂に入れました。その日はなんとなく彼と遊びませんでした。彼が上がり、私もシャワーを浴びようとバスルームに入ると、洗い場の端の短い毛を見つけました。拾って見ると忽ち不快感に襲われました。紛れもなく彼の陰毛であるようでした。途端にあの子どもに男を感じるようになり、とても汚い印象を受けました。私は彼のことが嫌で嫌でたまらなくなったのです。最早初日に彼が乳房をまさぐってきたことも、非常に気持ちの悪い行為だったような気がしてきて、何度も胸を擦りました。風呂から上がり居間に戻ると、先程までは感じなかった臭いにおいを察知しました。あの落ち着く香りは幻想だったのでしょうか。その日は彼と距離をとって床につきました。ですがなかなか寝つけず、彼をどう対処すべきかということを考えていました。
次の日学校で先輩に、今度私の家に行ってみたいという旨のことを言われました。とうとう私は彼を追い出さなくてはいけないと決断しました。できるだけ穏便に、刺激せず。
逆風の中、三崎通りを黙々と歩きました。その日はかなり冷え込み、道行く人々から暗い印象を受けました。それに曇天が拍車をかけていたと思います。アパートが近づくにつれ人気がなくなってきました。
部屋に入ると奥で、目のすわった彼が上裸で立っていました。無数のアザやみみず腫などが、隆々とした肉体をさらに力強そうにみせていました。彼は首だけでこちらを向き、何も言いません。私は窮鼠にまさに噛まれんとす猫のように硬直してしまいました。そして、彼がこちらに向かって一歩踏み出そうとした瞬間、私はひきつった笑顔で「そろそろうちにはいられないね」と早口で言いました。
するとどうでしょう。彼の髪の毛が急にパラパラと抜け落ち、体が小さくなっていくではありませんか。彼の急成長を凌駕する衝撃でした。そして縮んだ彼は、初めて出会った時の赤ん坊の姿になってしまったのです。私は何がなんだかわかりませんでしたが、急いで彼を毛布でくるみ、仕送りが入ってた段ボールに入れて、外へ飛び出しました。なるべく遠いところへと走りました。この時は人気のない近所が幸いしました。そして普段私が使わない路地に辿り着くと、目撃する者が誰もいないことを確認して箱を置き捨て、一目散に逃げ帰りました。家に入るとすぐさま鍵を閉め、胸を撫で下ろしました。力なく部屋に戻ると、抜け落ちたはずの髪の毛がきれいさっぱり消え失せていたことは驚きでした。何はともあれ私はあの子どもを捨てることができたのでした。
このように交際の障壁はなくなりましたが、その後、先輩が暴力を振るうような男であることがわかり、傷つけられた私は先輩に捨てられる形で破局となりました。奇妙な話ですが、私に手を上げる時の先輩の顔つきが、あの捨て子とダブって見える時がしばしばありました。それ以降トラウマになったのか、捨て犬やら河原の粗大ゴミを目にすると、胃酸がムカムカと喉をのぼってきて気持ち悪くなるようになってしまいました。あの日あの捨て子を拾わなければ、このような理不尽な苦痛を味わうことなどなかったかもしれないのにと悔しくてなりません。この記憶から距離をおくために、この度書き起こしてみましたが、辛いことには変わりなく、記憶ごと捨ててしまいたいとただ無意味に思うばかりです。
おわり