第1話 再会
「一年生になったら」の続きとなります。
そしてとうとう今日は入学式。
私は緊張とともにその会場に立っている。周りには、私と同じように真新しい制服を着込んだ男子や女子、そしてめかしこんだ大人たちがたむろしている。大きな制鞄に、まだどこかブカブカに感じる革靴。どうにも自分が小さくなった気がする。制服だけは、一度袖を通した分、まだしっくりしている気がするのは救いかもしれない。きょろきょろしていたら、会場に放送が流れて、私は慌てて自分の席に向かった。
入学式が始まって、壇上に背筋の伸びたお爺さんが出てきた。校長のあいさつ、と司会の人が言っていたので、この人が校長先生なんだろう、とその歩く姿を見ていたら、ふと、ステージの袖から、じっと観客席の方を覗き込んでいる女生徒に気が付いた。緞帳から頭だけ横に出して、隠れているつもりなのだろうが、かなり目立つ。きょろきょろと新入生の席を見渡している。
校長先生のお話が始まっても、その女生徒はこちらを見て何かを探している様子だった。というか、途中から隠れることもやめたらしく、全身が舞台に出てしまっている。でも、誰も注意する様子がない。あれだけ目立って誰も気が付いていないということはないだろうけど、たぶん校長先生の挨拶の途中に邪魔できないということなのだろう。
と、思ったらその女生徒は、すたすたと舞台袖から中央へ――校長先生の立っている真ん中まで歩いて出てきた。私が唖然として、あるいはハラハラして見つめていると、校長先生がお話をしている中、堂々とそのすぐ隣に立って、あろうことか片手をひさしにして会場を見渡しはじめた。なんで誰も何も言わないんだろう。こっそりと隣に座った見知らぬ子の様子をうかがったけど、つまらなそうな表情で校長先生の難しい話を聞いているというか半分聞き流しているだけで、周りもまったくざわつく気配がない。
困惑しているうちに校長先生のお話は終わって、校長先生は壇上から降りて行った。さっきの女生徒は――まだ壇上に残っている。いよいよもっておかしい、と考えていると、司会の人が「続いては、入学許可」と言って、おもむろに、マイクで名前を読み上げられ始めた。スピーカーから名前を呼ばれた新入生は、「はい」と言ってその場に立ちあがっていく。
私は途端に緊張して、なんだかちょっと手先まで震え始めた。こういうのは苦手だ。本当に苦手だ。誰かに注目されたり、皆に自分の声が聞こえてしまう、そういうのは、ほんとにだめ。だけど、入学式なんだから、我慢して、頑張らないと。私は深呼吸して心を落ち着かせようとした。
ア行はあっという間に終わり、カ行、サ行と進んでいく。ハ行に来た時私の緊張は最高潮に達した。
そして――「ホダカ、」と読み上げられはじめたその時。
「――見つけたぞ、探検少女」
真横から唐突に声をかけられ、私は飛び上がった。
「ひゃいっ!?」
タイミングとしては最悪だった。いや、最高だったと言ってもいい。式の進行中、自分の名前を呼ばれ、その返事のタイミングで悲鳴を上げた形になる。けれどもそれは後で考えたことであって、その時の私の気持ちは、ただただ、
(なんで!? なんで私に声をかけたの!?)
であり、
(どうしてこの人が、こんな昼間にでてくるの!?)
だった。
入学式の進行なんかどこ吹く風、横合いからいきなり声をかけてきたのは、私のよく知っている人だった。というより真横に立たれて気が付いたけれど、さっき壇上にいた女生徒はこの人だ。
口をパクパクと開閉させるしかできない私に、その女生徒はニヤニヤと笑いかけた。
「くっくっく、良い反応だね、『アイ』ちゃん」
どうしてその名前を知っているのか、という疑問が浮かぶ余裕もない。
その女生徒は私のよく知っている人だった。いや、人と言っていいのだろうか? 昨日、私がほんの好奇心で学校探検に出かけた時、出会った「幽霊」だった。
「そのあわてっぷりはなかなか可愛いのでまだしばらく見続けていたい気もするが、残念、今はやめておこう。またあとでおいで」
こっちの驚きには特に構わず、女生徒は、にやにや笑いのまま手をひらひら振り、スゥッとばかりにその場から消えた。
いきなり出てきたと思ったらあっという間にいなくなった。嵐のような幽霊だった。
そこでハッと気が付いた。周りの生徒が一斉にお辞儀をしている。私もワンテンポ遅れてあわててお辞儀をした。着席。嵐が吹いている間に、入学式は終わろうとしていた。
先生の先導に従って、ぞろぞろと教室に行くと、そこには案の定というか、その『幽霊女生徒』がいた。にやにや笑いながら、気安い様子で手を挙げて、
「やあ、遅かったね。待ちくたびれたよ。待ち人がいるという経験は、なかなかどうして久しぶりだから、なんだか新鮮な気持ちになったが、それでも来るか来ないか不安に思いながら待つ時間というのはやはり辛いものがあったよ。まあここに来ることはもう分かっていたから、待ちぼうけの心配こそなかったけれども、それでも何があるかわからないのがこの世の中だ、こうして無事に出会えたことをまずは喜びあおうじゃないか、ねえ、アイちゃん?」
と、怒涛の勢いで言われる。教室で待ち構えられていたことは自体はある程度予想していた私は今さら驚かない。とはいえ、大きな問題があった。私としては、出来るだけ平静を装って反応しまいとしているが、『幽霊女生徒』はそんな私の努力などどこ吹く風で、私が教室へ入って自分の席を見つけ出し、座るまでの間、ひっきりなしに言葉を投げかけ、座ったら座ったで、通路になっているすぐ隣を占拠して、まくしたててくる。私はそれを必死で無視する。「やめて」と告げたいのを飲み込んで、私は口をしっかりと閉じ続けた。
「そうだ、自己紹介がまだだったな。はじめまして、アイちゃん。昨日ぶりだね。私の名前は『アラタニ トウメ』という。以後、末永くよろしく」
必死にそっちを見ないようにする私の間横で『幽霊女生徒』改め『トウメ』はどうどうと自己紹介をした。こんな状況で自己紹介されても、どうしたらいいのかさっぱりわからない。
『トウメ』は他の人には見えないという事実は、入学式の壇上の一幕で完全に把握していた。昨日、一人で『冒険』していたときなら気にすることもなかったが、今はまずい。『トウメ』が誰にも見えないということは、私が『トウメ』に反応してしまったら、周りからどう見られるか、考えるまでもない。私は隣の『トウメ』から目をそらしつつ、できるだけ自然を装いながら、カバンの中の筆記用具を探した。
メモ用に持ってきた手帳に、急いで書きつける。
『今はダメ、あとでおねがい』
『トウメ』は私の手帳を覗き込み、にやっと笑った。
「わはは、なんだいなんだい、逢瀬を見つかりそうになった秘密の恋人みたいなメッセージだね?」
『トウメ』は可笑しそうに笑うばかりで、立ち去ってくれる気配はなかった。私は焦って書き足す。
『目立ちたくない、おねがい、今ははなしかけないで』
「ふむん、嫌われたもんだね。なんだか悲しいから、もう少しここに居続けることにしようかな」
『こまる』
「あは、可愛い反応だね、アイちゃん。ますますいじりたくなってきた。とはいえまあ、初日から友達を困らせ続けるのも悪いというのも事実だな。ふっふ、じゃあ、アイちゃんご指定の、『あとで』を楽しみに、今は消えるとするかね?」
言い終わるが早いか、『トウメ』は煙のように消えてしまった。私は大きく安堵のため息をついた。けれどそれがいけなかった。
「おーい、そこの、えっと、『ホダカ』さん? ねむいだろうけど、もうすこしがまんだよ」
担任の先生の笑いを含んだ声にハッと顔を挙げると、周りから大注目を浴びていた。私は顔が一気に赤くなるのを自覚。掌で両頬を押さえ、たまらずうつむいた。うつむいた自分の後頭部に沢山の視線が突き刺さってくるような気がして、私はぎゅっと目を閉じた。
だから、いやなんだ、注目を浴びるのは……!
入学式のあれこれが終わって、解散となった時、私は、校舎に残ることにした。両親には先に帰ってもらった。そして今、教室には私だけが残っている。残る私に気が付いた先生は心配そうにこちらを見ていたけれども、知らぬふりで通し、今は私だけが教室に残っている。目的は、当然――
「『トウメ』! あなたのせいで、酷い目にあったんだから」
周囲に人の気配がいなくなった途端、見計らったように私の目の前に現れた『トウメ』に、私は早速文句をつけた。
入学式の返事やお辞儀の遅れ、それに教室での一幕。冷静に思い返せば、私は相当目立っていたに違いない。今日はまだお互い見知らぬ同士で遠慮があったから何も言われたり変な視線をむけられたりまではしなかったけれども、明日からクラスメートとして共に過ごすことになる周りの人たちに、どんな印象を与えてしまったか、考えるだに恐ろしい。ただでさえ、あがりやすい私が、今回みたいなトラブルに、きちんと対応できるはずがなかったのだ。それもこれも、全部――
「ねえ、きいてるの、『トウメ』。明日から私、どんな顔をして学校に来たらいいのかわかんない」
怒り心頭。口調が多少強くなるだけで、本当に怒っていることがなかなか相手に伝わりにくい私だけど、怒っているのは紛れもない事実。怒りを表現せずにはいられなかった。そして私の怒りを受け止めた相手――『トウメ』の反応はと言うと。
まず、目をぱちくりと瞬き。それから口を開き、口の中で何かを呟くようにもごもごと動かし、そうした後で、徐々にニヤニヤ笑いになっていく。
「嬉しいよ、アイちゃん! いやあ、君とは良い友達になれそうだ」
むちゃくちゃ上機嫌になっていた。え、なにその反応。戸惑う私に、両手を差し出し、今にも手を取ってぶんぶんと振り回しそうな勢いで、トウメは続けた。
「私のことを最初から『トウメ』と呼んでくれるなんて、なんだか感無量だね! かつての我が親友は、頑なに名字でしか呼んではくれなかったからな。「私を名字で呼ぶのは敵だけだ」なんて言うどこぞの請負人じゃあないが、それでも、下の名前で呼んでもらうというのは、実に嬉しい経験だ。なんだかちょっと照れ臭いくらいだよ! ふふふ、とはいえ私の方からは、『アイちゃん』で通させてもらうよ。ああしかし誤解しないでおくれよ? 下の名前で呼ばないからといって、アイちゃん、君のことが嫌いというわけではないんだ。むしろ、あだ名で呼ぶという行為はある意味、より親しみのこもった表現行為だよ。まあ、かつての我が親友は、そこのあたり、全く解している様子はなかったが、改めて解説をつけるのも野暮というものだ。そう思うだろう、アイちゃん?」
怒涛だった。怒涛すぎて何を言っているのか途中から全く分からなくなっていた。とりあえずわかったのは、私の『トウメ』呼びがお気に召したらしいということだ。
「ねえ、トウメ、伝わってる? 私、怒ってるんだよ。明日から、友達できなかったらどうしてくれるの」
その場で踊りだしでもしそうなくらいに嬉しそうなトウメに、私はくぎを刺す。幽霊にどれだけきくのかはわからないけれど。
「あっはっは。まあまあ、怒るな、怒るな。案ずることはない、アイちゃん。その友達第一号は、不肖なるこの私、『アラタニトウメ』がなってやる。それで問題解決だ。そうだろう、我が友?」
私の刺したくぎは、あっさりどこかへ貫通していってしまった。トウメの無茶苦茶な論理に、二の句が継げないでいると、トウメは私に笑いかけた。
「ともかく、これからよろしく、アイちゃん」
にやり、とそんな形容が付きそうな、決してさわやかとは言い難いその笑顔。しかし私はつられて頬を緩ませてしまう。
そうなってしまっては、もうどうしたって私の負けだった。溜息のように、私は小さく呟いた。
「……うん」
こうして私は、新しい学校で、新しい友達を得た。出会って一日ぶりの、学校に住む幽霊の、友達。
この日の再会が、これから先、何度も思い出す、『始まり』になるということを、この日の私はまだ知らない。




