癒しの会
【王国暦123年10月30日 14:14】
ポートマット西迷宮都市のフィッシュ&チップス専門店は、迷宮広場に面した建物と建物の間、その狭い場所に立地している。
現在の店舗は二代目で、前の店は公衆浴場の二階に併設された軽食堂としてスタートしている。手軽な飲食店が他になかったということもあり、店舗が手狭すぎて多すぎる客を捌けず、より大型の店舗に移ってきた。
フィッシュ&チップスは油の臭いが強く、迷宮内部での食事には向かない。臭いが強いと魔物たちに嗅ぎ付けられてしまうからだ。だから、この料理は迷宮の外でエールと一緒に食べるもの、という認識が強い。弁当としてよりも、迷宮広場にあるベンチやパティオで食べるものとして冒険者たちに浸透している。
しかしながら単一のメニューしかなく、競合レストランが次々に開業している状況で、徐々に客数が落ち込んでいる。
お隣は無発酵パンの専門店で、迷宮都市に住む人たちに単一種類で大量のパンを提供、あまりの激務にパン焼き担当の中心人物四名は、いつも死にそうな顔をしている。ちゃんと店名は他にあるのだが、それが由来で『不死者のパン屋』と言われている。
毎日のパン作りに必死なのは変わりないが、他に競合のパン屋が二店舗開業したため、多少は周囲を見られる余裕が出てきた。と同時に、将来的に売り上げの減少を余儀なくされるのでは、という焦りを感じ始めた。
両者に共通するのは、店内に客席はないため店内で召し上がりは眼中になく、お持ち帰りが主体になっているという点だ。
売り上げと客数が僅かながらでも減少傾向であること、その対策として必要なのはメニューのバリエーションを増やすこと、という点も共通している。
「じゃ、ちょっと出てくるよ」
軽食堂の責任者であるコルンは、お昼ラッシュが終わった後、他の店員に店を任せて広場へと向かった。
広場の東側には馬車ターミナルがあり、そこで待ち合わせをしていた人物に出会う。
「お疲れ様です、コルンさん」
「おはようございます、オダさん」
もう午後でお早うの時間ではないのだが、これは主人が店内での挨拶として徹底させていたため、普段から癖として定着している。言ってから飲食業の人間ではないことに気付き、しまった、という顔になる。一方のオダは言われ慣れているため、華麗にスルーをした。いい心遣いだ、とコルンは感心する。
二人は挨拶を交わした後、並んで中央街行きの馬車を待った。
「ふう、ふう、ちょっと遅れました」
待っている間に、もう一人、浅黒く大柄の男が、汗をかきながら走って来た。
「ふっ、遅いですぞ、アチャンタ殿」
「ちょっとすみません。なかなか抜けられなくて」
アチャンタは軽食堂の隣、パン屋の共同経営者の一人だ。東の国からやってきた、スパイス臭い大柄な体躯は、一度見たら忘れない。コルンの軽い非難にも、白い歯を見せて応える。
「いやあ、楽しみですなぁ」
「ええ、全くですな」
「月に一度、これがまさに命の洗濯ですな」
三人は然り然り、と頷き合った。テンションは高く、まるで子供のような落ち着きの無さで公営馬車を待っている。コルンとアチャンタは店が隣同士なので元々接点があったが、オダは軽食堂の常連客でしかない。三人の接点は、娼館の待合室で遭遇した間柄だ。
ポートマットの娼館街は元々中央街から少し西側、市場近くにあったのだが、ミセス・エメラルドなる謎の人物が全ての娼館を買収、一つの大規模娼館へと統合された。何という手腕、発想だろうか。トーマス商店の隆盛を快く思っていない連中からは、その対抗狼として期待する向きもあるという。
その大規模娼館は開店して一月余りにして、既にポートマットに浸透しつつある。港町で元々ニーズが高かったこともあるが、物珍しい避妊具、家庭用としては滅多に見ない個人用風呂、それまでの娼館とは一線を画したサービス(どんなサービスなのかは多くを語らないでおく)と、ロクに宣伝もしていないのに、口コミで評判を呼んで、大盛況となっている。
決して所属の女の子は少なくないはずなのだが、一ヶ月先まで予約が取れない、などという事態も生んでいる。そんな事情もあり、前回の入浴後に予約をして今日に至る。一ヶ月に一度、ということで、定例になりそうな気配がする、男三人の娼館ツアー、というわけだ。
「お、馬車が来ましたぞ」
公営の馬車は何系統かのルートを通る。ポートマットの北側にある新西通りを経由して中央街に直接向かい、港で折り返す『02系統』、街の西端にある馬車ターミナルと迷宮を往復する『04系統』、午前中の早い時間のみ、旧西通り(夕焼け通りと俗に言われる)を通って港へ向かう『06系統』がある。数字が偶数なのは、『上り』馬車であることを示している。つまり迷宮都市の馬車ターミナルが終端で、ここに向かう馬車が『下り』というわけだ。もしオダに、バスや鉄道の知識があったとしたら、それが元の世界由来の決め方ではないか、と疑ったことだろう。
馬車が到着すると、御者が『01』のプレートを外し、『02』と付け替えた。
所定の駐車位置に止まると、十数人の乗客が幌の後から飛び降りてくる。こういう降り方をするのは冒険者に多い。一般人や女性は、少しあとから降りてくるものだ。しばらくすると、シスター服に身を包んだ妙齢の女性がゆっくりと降りてくるのが見えた。
背中を見せて降りる様は、ヒップラインが強調されて実に色っぽい。前の乗客が降りきるのを待っていた三人の、好色な視線がシスターに注がれる。
「………………なんですか?」
好色な視線に気付いて、シスターの冷たい反応が、三人の股間を直撃した。
「何でもないです!」
コルンとオダは目を逸らしたが、アチャンタの目は血走ったままシスターに釘付けだった。彼にとってクールな女性はストライクだったのだ。
シスターは男性の視線には慣れているのか、特に非難をすることもなく、全てを無視して、急ぎ足で広場の方へ向かっていった。
「むふう、ちょっと良い女……!」
「クールだよな」
「わかります」
三人は頷きあって、良い物を見た、と得した気分になりながら、馬車に乗り込んだ。
【王国暦123年10月30日 14:45】
「ふんふん、なるほど、新商品ですか……」
「アチャンタ殿のところは如何ですか……?」
「ええ、まあ……ちょっとそうですね……」
馬車の中では、コルンとアチャンタが小声で話していた。オダはその内容が聞こえていたものの、本業ではないので口を挟まずにいた。
アチャンタはコルンの言葉にむむ、と腕を組んで思案顔になる。
ここのところ、コルンは新商品の開発を迫られていたものの、多忙で進捗状況が滞っていた。本格的に始めたのは月初めで、そのころポートマットにいた主人に相談を持ちかけたのだが、『任せる』の一言で要領を得ない返答を貰い、さらに考え込んでしまっていた。普段と違う様子を怪しくも思ったし、どうにも本人ではない気もするが……。あの主人のことだから、考えているようで考えていないこともあるし、その逆の時もあるから、全部を疑ってかかった方が正解のことも多い。
それはともにかく、店を任されている者としては、これ以上の売り上げ減少には何かの対策を施さねばならなかった。この状況を放置することは無能の証明だ。四ヶ月前とは違って、領主の結婚式で周辺地域から注目を浴びたこともあり、迷宮都市に流入する人間は増えて、飲食店の出店も倍増している。
軽食堂の優位な点は、それでも広場に一番近い飲食店だということと、老舗で認知度はある、ということ。エールの販売数は物凄く伸びている反面、本来の主力商品であるフィッシュ&チップスは販売数が落ち込んでいる。客数そのものは横這いか微増で、つまり客単価が落ちているということでもある。例年、秋から冬にかけてエールの販売数は落ち込むから、客数そのものは増加傾向だとも言える。
夕方から夜にかけて迷宮広場を観察してみると、エールは軽食堂で買い、料理は他の店で、というケースが散見されたのだった。ここに至って、コルンはカールが言っていたように危機感を覚えたというわけだ。
「まあまあ、お二人とも。まずは楽しもうではありませんか」
癒されに行く道中で仕事の話になってしまうというのは全くリフレッシュになっていないではないか、とオダは深刻な顔で唸っている二人の会話を、尊大な言い方で止めた。
「おっ、そうですな!」
「全くですな!」
さすがに二人もその通りだ、と思い直し、仕事の話を止めた。
ここで乗客が彼ら三人だけなら、話題は娼館でどんな女の子を選ぶのか、などと下世話な会話になるところだが、生憎とそうではなかった。そのため黙り込むことになった。
「………………」
「………………」
「………………それで、ですな。魚以外の商品を開発した方がいい、と思いましてな」
「………………ウチもちょっと、発酵パンを作った方がいい、と思いまして」
結局仕事の話に戻ってしまい、呆れたオダは、仕方なく自分も参加することにした。
「ハーブの取引先が増えないものかと思案してまして……」
オダの身柄は王都ロンデニオン騎士団の第二騎士団所属で、元姫の護衛任務に就いている――――という名目で騎士としての給料を貰っている。実際に護衛の仕事はしているが、オダ一人で二人の元姫をカバーできるものではない。足りない手は、領主ノーマン伯爵子飼いの冒険者チーム『シーホース』のメンバーと連携することになる。
今日は月に一回のお休みの日で、『シーホース』のメンバーと護衛の引き継ぎをして、オダはその貴重な休日を娼館行きに費やそうとしていた。
自分だって健康な男子、護衛対象を異性として見ないための必要な措置だ――――と自己弁護をしている割に、痩せぎすで金髪のロングヘアの女の子を良く選ぶ――――と、むしろ妄想が高まるようなチョイスなのだが。
騎士団からの給料は名目上のものでしかなく、年に一回、ロンデニオン騎士団から年額が一括で渡される。一般の騎士団員と比較するとかなり少額で、お小遣い程度にしかならない。ではどうやって娼館行きの費用を捻出しているのか、と言えば、姫様たちが育てたハーブを街で売り捌いているのだ。
本筋としては、姫様たちの庭仕事を監督しているガザ・クレーンがトーマス商店の従業員なので、トーマス商店に卸すのが正しい。ただ、庭仕事も多忙を極めていて、ガザやその細君が売り歩く訳にもいかず、姫様が売り歩く訳にもいかず、そもそもの事業規模が小さいため、オダが担当することで間に合わせている。
トーマスやドロシーが黙認している形なので、儲けが出る、と判明した時点で何らかのアクションがあるだろう。つまりオダは自覚なく市場調査をやらされている、とも言えた。
ハーブの売り上げは微々たるものなので、オダの取り分は、今のところ、月に一回の娼館通いに費やせば霧散してしまう。しかし、これは散財ではなく、癒されて労働意欲を高めるものなのだ――――。
とは思うものの、ハーブ売りも、もう少し実利があってもいいんじゃないか、程度にはオダも考える。取引先、それも大口が開拓できれば、もう少し自分も、姫様も楽をさせてあげられる。
妹君のヴェロニカは伯爵夫人だからお金に苦労はしないだろうが、姉であるオーガスタはそうではない。王宮から一定の金額が支出されてはいるが、十分とはいえない。姫様らしい生活は難しいだろうが、せめてもう少し経済的に楽にしてあげたい。
………と、そんな思いが口から出た。
「三者がそれぞれ、違うものを売りたがっているわけですが……」
「ちょっと、そうですね、たとえば……」
「三つの力を一つにしてみるとか……」
それだ、と三人は顔を見合わせ、将来への明るい展望を発見したような、晴れやかな気分になったところで、馬車がポートマット北門に到着、停車した。
「おおっと」
「着きましたな」
「ええ」
三人は馬車から降り立つと、すぐに南北通りを南に歩き始めた。徒歩で数分のところに大規模娼館があり、すでにその威容は見えているほどだ。
新商品の開発話を一旦頭から追い出して、それぞれがニヤニヤしながら、どんな女の子を指名しようか、野卑な想像を逞しくするのだった。
なお、娼館に於いて三人が三人とも、冷たい印象の女性を指名したのに気付くのは、一刻後のことである。
三人はクールなシスター(のコスプレをした嬢)に癒されはしなかったかもしれない。