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異世界でオムライス  作者: マーブル
異世界でフィッシュ&チップス
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白金魔女の赤い食事


【王国暦123年8月28日 10:33】


「バニラなるものが欲しいわ」

 ドロシー・テルミーがぽつりと呟いた。ここはトーマス商店本店の二階にある事務室で、本来の主であるトーマスが商業ギルド支部に詰めていることが多いため、実質、店長のドロシーの執務室になっている。

「……トーマスさんは何て言ってたんですか?」

 サリー・オギルビー、本名サリー・テルミーは、バニラ、と聞いてアイスクリームなる新料理を思い出し、そして胸がキュ~ンと締め付けられた。少しだけ心が苦しいのを我慢して、相槌を打つ代わりに訊いた。

 ドロシーは一呼吸置いてから話し出した。


「『東の帝国の青都』って知ってる?」

「ああ、はい。確か、大陸にある南の二大国の東、五国連邦のさらに東にあるとか……」

 サリーには距離感が把握できなかった。とりあえず遠そう、とだけ理解していた。東の帝国、というのは半ば揶揄も含んでいて、過去には広大な版図を誇っていたのだという。青都とやらはその首都で、物流が集まり、華やかで、人種の坩堝だと聞く。

「そこにならあるかもしれない、って言ってたわ。もしくは探検船を待つか、あるいは組織して運行させるか……」

「グリテン島の中で暮らしているだけじゃ、得られないモノは多いんですね」

「それはそうよ。世界は広いわ。どんな商材が眠っているかわからないもの」

 ドロシーにとっては、新しい品が商売になるかどうかが重要である。

 対して、サリーの方は魔法、錬金術を含めた学術的興味が勝る。

 共通しているのは、美味しいかどうか、くらいだ。


「ううーん、どうにかして入手できないかしら……」

 ドロシーは腕を組んで考え込んだ。

「植物のことなら……クレーンさんに訊いてみては如何でしょう?」

 ガザ・クレーンはポートマット西迷宮にある温室や、その周囲の植物を管理している男だ。王都郊外にあった王立植物園を管理していたお庭番、クレーン卿の次男坊で、貴族籍を外れ、トーマス商店の従業員として夫婦で雇われている。


「なるほど。そうね、バニラに繋がる話が聞ければいいわね」

「私はこの後、一度迷宮に行く用事があります。その時に訊いてきましょう」

「頼むわ。私の方は運河の方に行かなきゃ」

「運河……昨日は私もそっちで作業してました」


 サリーは昨日の作業を思い出して、その作業がどんなに面白かったのか、ドロシーに説明しようとした。が、話す前に思い止まった。魔道具の据え付け作業を面白いと感じるのは、自分か、師匠である『黒魔女』くらいのもので、一般の人には受け入れて貰えない感性なのだと。

 せいぜい、レックスが理解を示してくれるくらいで……。


 レックス……。

 レックスとジゼルの仲が接近しているのは、二人から漂う雰囲気で察していた。二人が交尾をしているのか、それはわからない。裸で抱き合って、肌を接触させることにどんな意味があるのか……。頭では理解できなくとも、心の奥底では嫌悪感が囁いている。親密さをアピールされて、どう反応していいのか戸惑った。

 少し前に師匠(くろまじょ)はサリーの頭を撫でながら、サリーの、まとまらない、言葉になっていない愚痴を、ずっと聞き続けてくれた。


 なんだっけ、君はタンポポなんだっけ? どういう意味なんだかサッパリわからなかったが、何だか大人になるための大切な課業? 見せしめ? なんだそうな。説明されても首を捻るしかなかった。

 全く、姉さん(くろまじょ)の考えは崇高過ぎて、まだまだ自分が足りない人間なのだとサリーは思い知るのだった。


「そうだったわね。ホテルを建てるって話が、どうして運河になっちゃうのか、理解に苦しむところではあるわね……」

 ドロシーが会話を続ける。一秒にも満たない間に、サリーの思考は高速回転していた。

「街の再開発計画と密接に繋がっているからでしょう? 姉さんが関わると大袈裟になるのは否定しませんけど」

 そうだそうだ、姉さんが言っていたじゃないか。思考に割くエネルギーの幾分かを、表情に回してみたらどうか、とか。

 サリーはそれを思い出して、微妙に口元を歪めてみた。


「まあ、そういうことね。…………サリー、笑う時は、こう、よ」

「あ…………はい」

 どうやら不気味に嗤っていたようで、ドロシーに修正を受けた。作り笑顔というのはなかなか難しい、とサリーは嘆息した。



【王国暦123年8月28日 11:24】


「いらっしゃいませ」

 ポートマット西迷宮の入り口脇に建つ、巨大な宿屋がホテル・トーマスだ。その一階はレストランになっていて、サリーはその常連でもある。

 名前が示す通りに、このホテル・トーマスも、トーマスが経営している店の一つだ。そのうち、ポートマットで商売をしているあらゆるものは、トーマスの名が冠されるのではないか、などと商売関係者の間では冗談が飛び交っているらしい。本当にそうなりそうだ、という恐怖にも似たやっかみが多分に含まれていそうな話ではある。


「オムライスと生トマト、トマトスープを」

「かしこまりました。食後は如何なさいますか?」

「カモミールティーをお願いします」

「かしこまりました」

 ウェイターが恭しく合掌し、お辞儀をする。このウェイターも広義ではサリーの従業員仲間である。イケメンというわけでもなく、良い匂いがするわけでもなく、印象に残らない男性だ。


 トーマス商店はどうにも女所帯だったのだが、最近では割と男性の採用も散見するようになった。サリーは、そのことについて、以前、トーマスに訊いてみたことがある。なんでも、ポートマット中心街にある幾つかの宿屋が、その跡取り息子たちを修行をさせて欲しい、などと申し出てきたらしい。ドロシーにそのことを言うと、ニヤリと笑って、大筋ではその通りよ、と言っていたのを思い出す。

 どこに笑う要素があるのかは、サリーにはわからなかった。大筋では合致している、ということは、細部では違う事情がある、ということ。その細部とは何だろうか、と思索の海に出掛けてしまう。


「お待たせしました。スープでございます」

「ハッ」

 凡庸な顔のウェイターが料理を持ってやってきて、サリーは思索の海から戻された。

 このホテル・トーマスのレストランはポートマット中心街にある飲食店と比べても料理の値段が高い。いわゆる高級店に分類されるだろう。

 サリーも、今から真っ赤な料理を口にするには危険過ぎる、白いローブを着込んでいるが、それも客層に合わせてのことだ。ここは迷宮に入る冒険者たちの宿に併設されているレストランだから、正式にドレスコードが指定されているわけではなく、ラフな服装でも入店を拒否されるようなことはない。

 ところが実際に営業してみると、紳士淑女を気取った連中ばかりが客層の中心となった。そうなってくると、格式の高いレストランである、と見なされてしまい、着飾るつもりがなくとも、着ていた方がいい、と諭された。


 ちなみに諭したのはレックスで、恥じらいながらも、『サリーは綺麗な服を着ると、もっと綺麗だよ』などと言われたから。言われたその時は何も感じなかったが、後で反芻してみると、とんでもなく恥ずかしい台詞を言われたのではないか、などと軽く赤面してしまう。

 そうだ、レックスはいつだって自分を守ってくれている。見てくれている。安心感に身を任せていたら、そこにジゼルが名乗りを上げて、レックスを攫っていこうとしている。


 孤児院の時は、フローレンスたちと一緒に自分たちを虐めてきたくせに、この心変わりは何だろうか、と考える。レックスが将来有望な錬金術師だとわかったから? 社会に出て評価されているから? 金の卵が欲しくなったから?

 言っちゃアレだとはサリーも思うが、レックスはそんなに格好良い男の子というわけではない。健康的に太って美味しそうではあるが、食材としての評価は置いておくとして……。


 ジゼルの攻勢が激しくなったのは、サリーが西のブリストの街に出張で留守にしていた間……辺りからだと記憶していた。

 サリーがポートマットに戻って来た時には、レックスは大怪我をしていて、その間の看病をしていたのがジゼルだった。完治後のレックスは、少しはにかんで据わりの悪いような顔をしていたのを思い出す。

 その直前に、チーム『第四班』所属の、ラルフとラナ、ダンによる恋の話を見ていたこともあって、レックスの表情が何なのかは、すぐに思い至った。


 好きだけど、好きと言えない、ごめん。


 言葉にすれば謝罪に近いニュアンスではあった。

 おかしい、何故レックスは謝るのだろうか?

 どうして謝罪を受け入れる自分は、こんなに悲しい気持ちになるのだろう?


「お待たせしました。トマトサラダでございます」

「ハッ」

 ウェイターが次の料理を持ってきて、自分が思索の海に再びこぎ出していたのに気付く。アーサお婆ちゃんがこの場にいたら怒られているところだ。


 料理に失礼だから、食べる時は集中して食べなさい。


 そうだ。アーサお婆ちゃんはいつだって正しい。その言葉を並べてみれば、人間は、食べて、働いて、寝るだけの生き物なんじゃないかと錯覚させられる。しかし、人間は生き物なのだから、それで正しいのだと。

 サリーは、少し冷めたトマトのスープを一掬いして、口に入れた。


「ん……」

 酸味と旨味が口の中に広がった。アーサお婆ちゃんの料理とは違うが、作り慣れた感のある、プロの味がした。師匠たる『黒魔女』によれば、煮込んでいる時間が家庭料理とは決定的に違うのだそうで、ある程度の大量生産は、味わいに大きな影響を与えるのだという。


 どちらがいいとかじゃない、両方美味しい、でいいじゃない。


 なんて含蓄に富んだ言葉だろうか。美味しいものが美味しいのは当たり前なのだ。

 そうか。

 レックスは美味しいんだ。

 だから、美味しいものに敏感な人が、レックスに寄り集まるのか。


 サリーは何だか悟りを開いたような気になって、少し嬉しくなり、料理に集中しだした。

 スープを急いで飲み、櫛切りにされたトマトを頬張る。トマトを生で提供しているのはポートマットではこのホテル・トーマスのレストランだけで、他は加工されたものしか流通していない。種の伝播を危惧しているとのことで、この生トマトも出荷時には種を抜かれている。

 トマトを生産しているのは農家でも何でもなく、迷宮の内部にいる、再生不死者(リヒューマン)たちで、迷宮の管理権限を持つサリーは、食べようと思えば迷宮に行って、もぎたてのトマトを口にすることはできる。迷宮内部にある工房に籠もる時などは、煎ったドングリとトマトだけで済ませることもある。


「オムライスでございます」

 トマトを咀嚼していると、ウェイターがメインディッシュを運んできた。オムライスはグリテンでは珍しく、米を使った料理で、その基本レシピは、他ならぬサリーが一助を担っていた。とはいえ、生来、手先が器用とは言えないサリーなので、明らかに自分が作ったものより美味しいものを作ってくれるのなら、プロに任せたい、と強く思っていた。


 ケチャップで何故かハートマークが描かれているのは伝統というやつで、これこそがサリーが拘ったレシピの一つでもあったりする。

 ハートマークを潰して、オムレツに広げる。黄色がオレンジに染まっていく。最近になって養鶏場が完成したため、ポートマットで鶏卵は安価に、潤沢に流通しているのが嬉しい。

 ケチャップはポートマットと王都で作られているが、そのどちらもが迷宮産。調味料の一つとして浸透しつつある。


 美しく均一になったところニヤッと笑い、右端をスプーンで崩す。

 カッ、カッ、と軽快な音を立ててオムレツと、その下にあるケチャップライスを掬う。綺麗な層を描いていて、冒涜的な気分になりながら、口の中に放り込む。


「んっ!」

 自分が作ったオムライスよりも二割増しに美味しい!

 食べ慣れた、この店のオムライスではあるが、何度食べても美味しい。実はサリーが提案したレシピから加えられたモノがあって――――。

 炒めたタマネギのみじん切りとキノコの薄切り、そして鶏肉が、ケチャップライスに混ぜられているのだった。そこで香りと食感、旨味が加わり、平坦な味わいだったオムライスを、起伏ある料理に変えている。少量の油が料理に混ぜられるだけで、これほどまでに重厚な味になる。

 本当に、料理って不思議だ。

 そう感嘆しつつ、サリーは夢中でオムライスをかき込んでいく。


「ふう~」

 一気に食べてしまった。吐く息さえもオムライス臭いが、心地良い。

「食後のお茶でございます」

 凡庸な顔のウェイターが、作り笑顔で最後の注文品を持参する。

 コトリ、とティーカップを優雅に置くと、リンゴのようなカモミールの香りがテーブルを包んだ。


「今日も美味しかったです」

「ありがとうございます」

 料理を作ったのはウェイターではないが、とても嬉しそうな表情になった。これは作り笑顔ではないな、とサリーも、ちょっと嬉しくなった。

 そうか、笑顔は作らなくても、自然に滲み出るものだけで事足りるのだ。


 ハーブティーを口の中に含み、オムライスの残滓を消していく。スッと清純な香りが鼻孔を支配した。

「むふう……」

 料理を味わうために鼻で息をするのは、よく師匠(ねえさん)がやってたっけ、と思い返す。自分も多忙だが、黒魔女(ねえさん)はもっと多忙だ。彼女はどういう話の流れなのか、今は王都の北、ウィンター村の冒険者ギルド支部長になっているらしい。

 サリーの本心としては、もっと黒魔女と一緒にいて、薫陶を得たいところだ。しかし、こうやって放置されているということは、自分でどうにかしろ、と言われているのだと、そう思うことにしている。

 自分で感じ、学ぶことこそが大事なのだと。

 それは魔法や錬金術だけではない。恋についても同じことだ。


「恋……?」

 ゴクン、とハーブティーを飲み干して、頭の中に浮かんだ言葉を何度か反芻した。

 恋について学ぶ?

 誰との、恋?


 サリーは眉根を寄せて考え込んだが、答えが出そうになる度に自分で否定した。結論が出そうになかったので、諦めた。

「工場いこうっと……」

 釈然としないまま、サリーは工場へと向った。



 なお、サリーがレックスへの恋心を自覚するのは、それから約一年後のことだった。






※このオムライスは初代から数えて四つめのバリエーションなので、『四号オムライス』とサリーは(心の中で)名付けています。


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