トーマス商店の魔の手
【王国暦123年6月11日 10:06】
どうにもあのトレーニング方法は腹筋や体幹に効くらしく、そこの筋肉がまるでなかった姫様二人には辛かったようだ。だが、逆に言えば、鍛えなければならない箇所でもある。
現在、ポートマットにいる治癒術師で、一番能力が高いのは、これも何とサリーである。次点で聖教会のユリアン司教、シスター・カミラ、そしてスーパー産婆さんことシスター・リンダ、というところ。
オーガスタとヴェロニカの主治医と呼べるのは、王都にいる『慈母』と呼ばれる男性の治癒術師、ダミアンだが、彼女は王都に一定の顧客がいるため、なかなかポートマットには来られない。
そうなるとサリーに頼らざるを得ない。しかしサリーは魔道具を作ったり、設置したり、難しい薬の調合をしたり……と多忙でもある。
そこで姫様二人が起き上がれない状況になった、と聞いて、駆けつけてくれたのは、トーマス商店の細身店員こと、ジゼルだった。
「サリーに頼まれて来ただけですが」
ジゼルはそう、ぶっきらぼうに言った。オダはジゼルとは店員としては会ったことはあったが、こうして間近に来られると、威圧感が凄いな、と後ずさりした。
ジゼルは背が高く、細身なのに身が詰まっている感じだ。腹筋が割れてる、とサリーが言っていたのを思い出す。細マッチョというやつかもしれないが、それを女性に適用していい表現かどうかはわからない。
少なくとも、オダがジゼルと戦ったら負ける。そのくらいの実力者なのは、オダにもすぐに理解できた。なにより意思の力が強い、とも感じた。
下世話な話として伝わってくる噂では、ジゼルとサリーは、同じくトーマス商店の店員であるレックス少年を取り合う間柄なのだという。その真偽は別にして、サリーがジゼルを送り込んで来たのは、自分が提示したことへの責任感が見て取れた。
「体、固いですね」
ジゼルはオーガスタの体をマッサージしつつ言った。
「うう……そうかしら……」
筋肉の柔軟性がない。これは危険なサインだ、とジゼルは唸った。
ポートマットには職業訓練施設を兼ねた学校があり、読み書き、生活魔法などを教えている。学科の一つに医療科があり、看護と薬学、より上級の外科……もある。看護と薬学は既存に知られている情報を教えているだけだが、外科の方はほぼ解剖の実験で、これは教える人がいないため、希望者で献体を精査している状況だ。
ジゼル、そしてサリーは解剖の実験は皆勤賞で、どの筋肉がどう繋がり、骨がどう……と、人体の機能というよりは構造の方に興味を惹かれていた。これは当然の話で、外側から見て役割が理解できる内臓と言えば心臓と肺くらいのもの。ジゼルは人体を効率良く破壊するために、医療の知識を求めている。ちなみにサリーの方は自作の人形作りのために学んでいる。二人とも純粋に人を治療するためには学んでいないのが、何とも『黒魔女』の弟子らしい話ではある。
「オダさん」
ジゼルはオダを睨むようにして見つめた。怒っているのではなく、ジゼルは真っ直ぐにしか感情表現ができない。
「は、はい」
年下の細身少女に威圧されて、オダは怯みながらも応えた。
「オーガスタさんとヴェロニカさんの役に立ちたい、と思いませんか」
「立ちたいです」
オダは即答した。
「オーガスタさん、ヴェロニカさん」
「は、はい」
姫様二人も、威圧されて、反応するのがやっとだった。怒られているわけでもないのに、まるで詰問されているかのようだ。
「お二人の体は、まるで老齢の婦人のようです」
「なっ」
「えっ」
ジゼルが以前に解剖した老婦人の献体……筋肉は衰え、骨は脆く……。姫様二人の肉体は、限りなく、その老婦人に近い状態だった。
「軽い運動はされているようですが、まだ十分とは言えません。このままではお世継ぎを作ることもままならない……」
「そんなっ!」
ヴェロニカが驚愕して叫んだ。
「穏やかな暮らしをしているだけでは、座して死を待つようなもの。段階的に訓練強度をもっと上げるべきです」
緩やかな死亡宣告にヴェロニカは慌てたものの、オーガスタの方は、まるで他人事のような顔をしていた。
「オーガスタさん、貴女にだって、貴女が死んだら悲しむ人がいるはずです」
「姫様……」
オダが声を掛けると、オーガスタはハッとしてオダを見つめた。世界中の誰が悲しまなくとも、自分は悲しいです、とオダの視線が訴えかけ、姫はその思いを受け取った。
「本当は自分のためなのでしょうが。他人のために頑張ることで継続できるなら、それでもいいと思います」
ジゼルは冷徹に言ったが、それは『陰影』のブリジットに、ジゼル本人が言われたことでもある。
「誰かのために頑張る……。オダに苦労させないためにも私が頑張る……」
オーガスタの呟きに、オダは身悶えしそうになった。姫として育てられたオーガスタが他者に依存しなければならないのは道理だ。その依存の相手が自分だというのは行動を見れば察知できていた。それでも、言葉にされるのは別格の嬉しさがある。
「姫様が頑張ってくれるのならば、俺はどのような扱いをされても構いません」
我ながら下僕根性が身についたものだ、と自嘲する。しかし、あの姫様が自分のために、と言ってくれたのだ。国にも王にも見捨てられた悲運の姫、オーガスタの、唯一の騎士なのだ、と自覚する話でもある。
オダはグッと拳を握りしめ、姫様に運動をさせる決意を新たにした。
ここに、鬼コーチ・オダが誕生したのだ!
「さて、マッサージをお教えします」
ジゼルは表情を変えずに三人に向き合う。そもそも、ジゼルが今日、ここに来たのは姫様二人の筋肉をほぐすためなのだから。
「……マッサージ……!」
「そうですよ。これは力の強いオダさんがやるべきお仕事です。付き人であるならこのくらいはしませんと」
お前がやるんだよ、とジゼルに真顔で言われる。
オダは表情筋を硬く保とうと努力したものの、内心の動揺は抑えきれず、顔を歪めた。そして拳を握りしめる。
「っ! 頑張ります!」
ここに、鬼マッサー・オダも誕生したのだ!
【王国暦123年6月13日 13:12】
「こんにちはー! 毎度お世話になっております! トーマス商店ですー!」
トーマス商店で働く男性は何人かいるが、声の主は少年と言っていい年齢だった。丸く、ふくよかな体躯は、見る人が見れば、すぐに彼がレックス・テルミーであると気付いただろう。
ポートマット西迷宮近くにある領主別宅を訪問したレックスは、メイド長さんに姫二人の部屋へと案内された。
「んんっ! はぁ~! 良いわっ、オダっ!」
「姫様! こうですか! ここですか!」
「そうよっ、オダっ! そこォ!」
年配のメイド長さんは、姫二人と勇者オダのやり取りを見てジト目を浴びせていた。若い男女がこんな昼間から妖しい施術を行っている。放蕩に過ぎるだろうと非難している目つきだった。それをまた、こんな子供に見せて……と。
その子供であるレックスは、声の発生源をガン見している。あまつさえ顎に手を添えて、ふむ、などと言っていたりもする。
「おおっ、レックス殿では! ありま! せん! か!」
「おおおおだぁぁぁ! そこ! そこよぉ!」
勇者パワーがマッサージに有効活用されている。うつ伏せになったオーガスタを、布の上から親指で指圧。肩胛骨の下から徐々に降りて、腰骨の辺りまで。広背筋をほぐしているのだ。
「メイド長さん、これは治療行為ですから、誤解しないでやってください」
「は、はぁ……」
レックスがオダを擁護すると、メイド長さんは、何だ、この子も同類なのか、とガックリ落胆した溜息をついて、お茶を淹れてきます、と部屋を去った。
マッサージを終えたオダがレックスに向き直る。
「それで、レックス殿、本日はどのような御用向きで?」
「ああ、はい、実はですね。サリーとジゼル姉さん、それとアーサお婆ちゃんから、日焼け対策をした方がいい、と助言を貰いましてね」
「日焼け……?」
レックスが取り出したものは、ベールのついた帽子と、長袖の肌着、そして手袋だった。
「はい。そこで――――肌着ではありますけど、腕だけでも効果はあります。要は素肌を露出させないことが大事、とのことでした」
「レックスさんは日焼けを悪しきものだとおっしゃいますの?」
先にマッサージを受けていたのだろう、上気した顔を向けたのはヴェロニカだった。
「はい、ヴェロニカさん……いえ、奥様。過度に日焼けをすると、日焼けした肌が病気になる可能性があるそうです」
「病気に……?」
これもふやけた顔をしたオーガスタがうつ伏せのまま、レックスに訊いた。
「はい。肌が黒ずみ、そこから腐っていき、遠からず死にます。肌の白い人は、そうなる可能性が高いそうです」
グリテンには色々な人種の人間が住んでいる。エルフやドワーフだけではなく、ヒューマンであっても肌の色は様々だ。オダのいた世界で言う、いわゆる黒人も時々見かけるくらいだ。
「死……!」
「もちろん、ケアをしていれば、そうはなりにくいそうです。サリーの話ですけどね」
レックスの物言いは、『黒魔女』を想起させた。影響を受けるというのはこう言うことなのか、とオダは戦慄する。
「では、この長袖の肌着が、病気になりにくい肌着……?」
「はい。その通りです。帽子は麦わらです。ウチのアーサお婆ちゃんが編み方を知っていましてね。習いながら編み物を完成するのに丸一日かかっちゃいました。ベール、肌着、手袋は綿です。麦わらはともかく、綿はお高いのですが…………」
持参したのは試供品で無料。しかし、病気や死を回避する便利商品は消耗品でもある。となると予備を買わねばならない。そちらは有料で――――。
こんな丸っこい少年が一端の商売センスを見せつけてくる。これが商人というものなのか、とオダはまたまた戦慄する。にこやかに恫喝商法を展開してくるのがトーマス商店の常套手段である、という噂は聞いたことがあった。彼らが慈善団体の人間ではないと再認識する興味深い話ではある。
この世界に召喚されて、いきなり首を断ち切られ、勇者としての矜恃を示せず、オダが自暴自棄になっていた時期に、手を差し伸べてくれたのは『黒魔女』である。
しかし彼女がトーマス商店の関係者だということは、自分を助けたのも、何か商売上の利点があったのではないか――――などと邪推もしてしまう。
いや、とオダは首を振り、そんな考えを振り払う。『黒魔女』はオダとオーガスタが一緒に暮らせるように環境を整えてくれた。生きる希望も与えてくれた恩人である。そんな恩人を疑うなんて、人として間違ってる、とオダは思い直し、ニコニコしているレックスに向き直った。
レックスは表情を保ったまま、数字が書いてある紙を見せてきた。
「十枚セットでもう一枚お付けします。今ならこの価格で如何でしょうか?」
なお、レックスが提示した金額に、オダ、オーガスタ、ヴェロニカが目を丸くするのは、三秒後のことである。
なかなか終着しないという……。
キャラクターたちには主張したいことがあるみたいです……。