姫の咀嚼
【王国暦123年6月9日 14:19】
一般的には驚きをもって捉えられるはずだが、トーマス商店迷宮支店もまた、迷宮の一部になっている。
この店の品揃えはシンプルで、体力回復錠剤、通称タブレットを主力商品として、他は雑貨店としては最低限の品揃えしかない。
元々、この店は工場の直売所のようなもので、店そのものも工場に併設されている。その、工場の動力源として迷宮から魔力の提供を受けている。
ポートマット西迷宮の管理者は、例によって『黒魔女』だ。
勇者オダがポートマットに住むようになって、『黒魔女』の影響を見ない日はなかった。工業的な手法、料理、建築、教育……。どこまで食い込み、周囲の人間がその恩恵に与り、利用しているのか、ちょっと見当も付かなかった。
政治的にも文化的にも、もちろん軍事的にも、この島国――――グリテン王国を内から蚕食している。誰一人として、それに違和感があると声を上げない。
かく言うオダも、影響下に長くいるもので、今では違和感を覚えなくなり、あるのが当たり前になってきている。それは、黒魔女自身が奴隷であるコルンたちに指導した言葉そのもので、慣れてしまうと、目に入らなくなる――――ものだ。
黒魔女は、ある程度までは導くものの、その後は割と投げっぱなしで、その人任せにする。使い方次第では神にも悪魔にもなる――――と言ったのは誰だったか。
オダはふと、何かを思い出しかける。
が、やはり思い出すには至らない。
首を振っていると、トーマス商店迷宮支店の販売窓口に到着した。
「いらっしゃいませ。こんにちは、オダさん」
営業スマイルです、と顔に貼り付けた挨拶でも、無いよりはマシ。トーマス商店には従業員が何人かいるが、今日の担当はダフネという少女だった。冒険者の知り合いによれば、コケティッシュな外見に騙されてはいけないぞ、忠告されるほどに内面が苛烈な娘らしい。このダフネにはペネロペという双子の妹がいて、俗に『キツい方』がダフネ、『キツくない方』がペネロペ、とも聞いていた。
「こんにちは、ダフネ。ええと――――」
「錠剤をお求めですかぁ? 十セット? お買い上げありがとうございますぅ」
「ちょっ」
百粒も要らないのに……とオダは真面目に答えようとした。
「違うんですかぁ~?」
「いえ、下さい」
「ありがとうございます~」
オダは押しの強い女の子には弱い。押しが弱くても弱いのだが。今日も忠告は役に立たなかった、とオダは心の中で泣いた。
「ああ、あのね、サリー……さんはいる?」
サリーの名前を出すと、ダフネの営業スマイルは、鼻の穴が急拡大して、軽い怒気を含んだ。それでも笑っているから尚更に怖い。
「サリーは作業中です」
ダフネはサリーよりも年長だ。可愛い妹を守ろうとしているのか、姉として嫉妬しているだけなのか、オダにはわからなかった。
「あの、これ、うちの姫様から。サリーさんにはいつもお世話になっているから、持って行きなさい、って」
とりあえず姫様の名前を出して、自分の意思が介在していないことを示す。パッとダフネの表情が和らぐ。
「あら、そうだったんですか。失礼しました」
「はい、これ、ハーブです」
ハーブといえば迷宮内部にある植物園産だ。
「ありがとうございます。サリーに渡しておきますね。姫様から、って」
サリーは好みの女の子ではあるが、こうもシャットアウトされると、オダに残っている僅かなプライドも傷つくというもの。
「うん、よろしく」
支払いを済ませ、押し売りされたタブレットを自分の『道具箱』に入れる。『道具箱』スキルはいわゆる収納魔法で、グリテンでは覚えている人が多い、割と一般的な魔法でもある。
手を振ってから、オダは領主別宅へと戻った。
【王国暦123年6月9日 14:52】
「まあっ! 見るからに油っぽい……!」
「オダ、貴方はいつもこんな、不健康そうな食べ物を!?」
細い姉妹が揃って驚愕の声をあげた。午後の紅茶タイムには相応しくない食べ物、フィッシュ&チップスがテーブルの上にある。
「動き回る仕事をしている分には、このくらいの食べ物がいいのです。短時間で素早く栄養が摂取できるからです」
オダはもっともらしい説明をするが、これは高カロリー食品を日常的に食べている釈明に過ぎない。動き回る仕事、というのも、オーガスタ、ヴェロニカ姉妹は、庭仕事だと思っている。オダは迷宮の中で摂る食事として持参しているわけで、塩漬けの乾燥肉よりはずっといいと自負しているくらいだ。
実際、迷宮に潜る冒険者の中には、実用の軽食としてフィッシュ&チップスを持参している人も散見する。油の臭いが強いので、下の階層に潜るようだと流石に持って行けない。迷宮は深部に行くほど魔物が強くなり、狡猾にもなるので先手を取られたくないからだ。
オダも普段は第三階層までしか潜らない。これには幾つか理由もあって、第一、第二階層の敵は弱すぎて剣の練習にはならない。また、第一階層からは第三階層に直行するルートがあり、短時間で行けるのが第三階層であること。オダは以前、このポートマット迷宮に自殺のつもりで深部に挑んだことがあり、その弊害か、第四階層までしか狩りが許可されていない。
この迷宮の管理人――――『黒魔女』からは、オダ本人のため、と言われていたものの、明らかに魔物資源を浪費することに懸念を抱いた様子だったことを、オダは覚えている。
「イモの方はゆっくり……」
と、注意点を言う前に、姫二人はすでに食べ始めていた。
「あら、魚が案外さっぱりしていて……!」
「見た目ほどにはクドくないのね」
文句を言いつつもサクサクの魚フライが、細い姉妹の胃袋に収まっていく。
「おイモのフライは……パサパサしているわ」
「何か付けないと食べられない……」
イモフライの方はちょっと不評っぽい。オダとしては、少し冷めて、水分を吸ったイモフライの方が好みだ。姫たちが言うようにパサパサしているのは間違いない。その場合はケチャップか、疑似ケチャップをつけるのが初心者にお勧めの食べ方となる。
「でも何だか……ング。あとを引くわ……」
「んぐんぐ……そうね……ンググ…………ひっく」
オーガスタにしゃっくりが始まった。しまった、とオダは慌てた。
「イモの方はゆっくり食べませんと……」
オダはお茶ではなく、水をガブ飲みすることを勧めた。イモを急いで食べる者にはしゃっくりの刑が待っている。これはフィッシュ&チップス愛好家の間では常識だ。注意点を聞かない姫二人が悪いのだが、しゃっくりを止められないのは従者が悪い……という気分になっていた。
「ひっく」
「姫様、失礼します」
オダはオーガスタの背中を優しく叩いた。叩く手には、オーガスタが着用していた、トーマス商店下着部製のブラジャー、そのホックが触れる。
細い女のブラジャーを叩く! なんという甘美だろう!
オダはフィッシュ&チップスのチップスさんに感謝をした。
「ふう、ふう……危険な食べ物ね……!」
「でも悪くない、悪くないわ」
涙目のオーガスタをよそに、ヴェロニカの方は優雅にイモフライを食べていた。ちゃんと一口くちに入れて、水と一緒に咀嚼している。
なるほど、目の前の危険を察知できずに真っ直ぐ進んでしまうのがオーガスタで、言われた通りに石橋を叩いて渡るのがヴェロニカか。ノーマン伯爵の眼力は、より細君として適した方を選んだ……ということらしい。
「大丈夫ですか、姫様」
「ふう、ふう、ありがとう、オダ」
本気で苦しかったのだろう。オーガスタは潤んだ目でオダを見つめる。ああ、自分は、より無防備な方を選んでしまったらしい、とオダは震えた。
「大丈夫です、姫様、ゆっくり食べましょう」
オダは思った。
オーガスタ姫にフィッシュ&チップスを食べさせる自分の姿……これが二人の理想像ではないかと。
主従揃って、どちらも駄目人間なのだが、オーガスタ命のオダが、それに気付くはずもなかった。
【王国暦123年6月9日 17:25】
領主別宅の出入り口は二箇所にあり、一つは正面玄関で南側を向いている。もう一つは裏口で、崖に沿うように建てられているため、正面玄関から見ると階下に裏口があることになる。
北側から見ると四階建て、南側から見ると二階建てに見える。オダの住んでいる庭師の小屋は領主別館から見ると北側にあり、ガラス張りの半地下植物園の脇、ということになる。
改めて見ると、この領主別館や植物園は巨大で、比較的短期間に建設された、という話を聞くと、当然ながら『黒魔女』が関わっているのだとわかる。
あのチンチクリンの魔術師は、こういった建造物を作るのに執心するところがあり、その最たるものは、迷宮の南側にある『塔』だろう。この『塔』は夕方になると、多少は見やすくなる。普段はどういう理屈なのか半透明で、ボンヤリとしか輪郭が見えない。
話によれば、『塔』の影になってしまう地域が出来ることを懸念したものだという。
「…………ニッショウケン?」
オダは、そんな言葉を聞いたことがあった。太陽光の当たる権利は平等である、と主張するものだったか。これは記憶ではなく知識だ。この世界ではきっと役に立たないムダ知識だ。元の世界に由来すると思われる単語は、こうやって、時々、オダの脳裏に軽い頭痛を伴って浮かび上がる。
その度に、如何に自分が半端な存在なのかを思い知る。
夕方の影が伸びて、薄暗くなった庭園を、文字通り黄昏れて歩くオダは、同じように黄昏れた様子で庭園を見る二つの影に気がついた。
「っ………。オダ殿か」
スッと警戒態勢に入り、すぐに解いたのは、『シーホース』のリーダー、スタインだった。スタインは常にノーマン伯爵に付き添い、護衛兼副官として動いている。ということは、隣にいるのは――――。
「こんばんは、ノーマン伯爵閣下、スタイン殿」
「おや、オダ殿か。帰宅途中かね?」
そういうアイザイア・ノーマン伯爵は、やや疲れた表情でオダに向き直った。ノーマン伯爵はオダよりも少し年上ではあるものの、領主としては異常に思えるほどに若年だ。
「はい。姫様たちとお会いしておりました」
「そうか。いつも助かっているよ。ヴェロニカにもオーガスタ嬢にも、違う世界を見せてくれるのはありがたい」
あまり本気で言っているようには聞こえなかったが、オダにとっては最大の労いの言葉に聞こえた。
「ありがとうございます」
年齢はそう変わらないのに、この威圧感は何だろうか、とオダは不思議に思う。
「仕事がどうにも多くてな。なかなか婚約者の相手もできない」
影でよくわからないが、苦笑しているようだった。
「そうご自分を卑下するものではありますまい。伯爵閣下が頑張っているのは領民全員が知っていることですぞ」
スタインが宥める。彼自身は貴族でもなんでもないはずだが、しっかり領地ナンバー2の地位にいる。これが立場を掴んだ者なのか、とオダは内心で唸る。
「そうは言うが、立場に追われているようでな。弱音の一つも吐きたくなる」
なんと。立場は人を追うこともあるのか。オダはまた内心で唸った。
「時々は吐いても宜しいではありませんか。奥方に吐かれてみてはいかがですかな?」
「ヴェロニカに?」
「そうですとも。時には女性に弱みを見せることも必要ですぞ。現に私など家内に弱音を吐きまくっております」
屈強な冒険者の奥さんともなれば、岩のような女性を想像してしまう。
「あの奥方なら受け止めてくれるだろうな。ヴェロニカに突撃したら折れてしまいそうだ」
ふむ、とスタインは少し考えてから、オダにとってはあまり嬉しくない提案をした。
「伯爵閣下、それならば良い食べ物がありますぞ。公衆浴場に併設されている軽食堂の……」
「むぅ、確かに。フィッシュ&チップスを毎日食べさせれば、スタインの奥方に匹敵するような体躯になろう」
アンチダイエット食品になっているフィッシュ&チップスを思い、オダは内心で慟哭した。
「伯爵閣下、スタイン殿、私は二日に一度はフィッシュ&チップスを食べております」
あまりにも貶められているので、ファンとしては反論せざるを得ない。オダは勇気を出した。
「なにっ……! あまり太らないものだな」
伯爵は自分と同じように、痩せた女性が好みなのではなかったか? オダが疑問に思っていると、
「どちらにせよ、健康的に太ってくれるならそれが一番良い。痩せた女は好みではあるが、もう少し肉がついてもいいと思うのだ」
疑問はすぐに伯爵自らが解消してくれた。
「それならば肉ですな」
「しかし肉は嫌いだと……」
オダをよそに、ノーマン伯爵とスタインは太る食事について議論を始める。すっかり周囲は暗くなっていた。
「オダ殿はどう思う?」
「健康的に太る食事、ですか」
それについて考えることは本来、自分の役目ではなく、領主に雇われた料理人が適任だろう。しかし、自分が考えることがオーガスタの役に立つのであれば意味はある。
こういう食に関することなら、『黒魔女』に相談するのが一番手っ取り早い。しかし、彼女は王都の北にある村に赴任しているとも聞く。
となると次善の策は…………。
「トーマス商店のサリー嬢に聞いてみてはいかがでしょうか?」
「なるほど」
「それはいい案だ」
どうやら自分の意見が聞き入れられたと知り、オダはホッとする。
「明日にでもトーマス殿、サリー嬢に相談してみましょうぞ」
「うむ、うむ」
キリが無さそうなので、嬉しそうな二人に挨拶をして、オダはその場を辞去することにした。
一言、案を出しただけなのに、あんなに喜ばれるとは想定外だった。
歩きながら、オダは、良いことをしたなぁ、と上機嫌で庭師の小屋へと帰っていった。
なお、明日は朝から付き合え、とスタインから連絡があるのは、これから一刻後のことだった。




