木と油の香り
【王国暦124年3月30日 10:51】
「スーパーバイザー、チキン揚がりますぅ!」
「おうっ。油温戻ったらすぐ次行ってくれっ!」
「はいっ」
あれ、おかしいぞ、この風景は見たことがある……。
コルンは既視感を覚える。
しかし何のことはない、飲食店の厨房というのは、既視感の連続で、そこに違和感があれば、修正をしていくのが日常なのだ。
違和感といえば、役職名が格好良くなったくらいか。
十日前から新発売したレモンチキンサンドは売れに売れている。
材料の調達が間に合わず、この数日は限定三百個という販売制限までしているほどだ。今日も、昼前には売り切れてしまうだろう。
レモチキの製造は、チキンを揚げて、建物が繋がっている、隣の『不死者のパン屋』に渡しているだけ。実際の作業はパン屋の方で調整している。
レモチキの販売をパン屋に任せて(譲っている感覚が正しい)いるから、本来の意味での客単価の増加、という当初の目的は達成できていないものの、売り上げの増加には繋がっている。
これはこれで良かったのではないか、とコルンはドロシーの差配に納得するものがあった。
「じゃ、ちょっと出てくるよ。後は頼む」
「あいよ」
本日分のチキンを揚げたところで、顔を拭いて、コルンは店を店長に任せて外へと出た。
【王国暦124年3月30日 11:33】
すぐ隣の『不死者のパン屋』入り口には、長蛇の列ができていた。ここでも副主人の指摘が正しかったのだとコルンは思い知る。
そう考えると、この迷宮都市にフィッシュ&チップス屋を開業させた主人の慧眼こそ畏怖するものだった。
一年ほど前と比較すれば少しだけ、立場とやることが変わった。魚を揚げているだけではなくなってきている。
この変化を後押ししているのは、迷宮都市への流入人口の増加なのだろう。
「何が誰にウケるのか、知ってたってことか……」
誰でも作れる簡単で雑な料理。
自分は料理人ではあったが、プロセア軍での料理など、フィッシュ&チップスに比較しても料理とは言えなかった。ましてや、他の奴隷は料理などしたことがなかったのだ。
そんな連中を戦力として飲食店を運営する仕組み……実に先進的な試みだとコルンは何度目かの感心をする。
ドロシーの話では、さらにシステマチックに軽食堂を運営するためには、ある程度、調理作業を簡略化する必要があるだろう、とのことだった。
そのキッカケになったのはチキンで、毎日早朝に、気持ち悪くなるほどの数、鶏胸肉を加工しているのだ。つまり、他の場所で、チキンなり魚なりを加工する工場を立ち上げないと、早晩、店舗での作業だけでは破綻する、と判断されたのだ。
これはマヨネーズに関しても同様で、攪拌作業によってオダの右手だけが鍛えられてしまうのも遠い話ではなさそうだ。例のレモンジャムも、オーガスタと一緒になってオダが煮ている。家内制手工業では自ずと限界が見えている。
その食品加工工場設立の準備で、コルンはトーマス商店迷宮支店へと足を向けていた。ただ、呼び出したのはドロシーではなく、サリーだったりする。
道中でコルンはオダに出会った。
「おや、同志オダ」
「おお、同志コルン。息災ですな」
『癒しの会』での口調はそのまま。ただ、会合はここのところ多忙過ぎて行われていない。疲れている今こそ必要な癒しだというのに……。
「同志オダも迷宮支店に用事ですかな?」
「ええ、納品ですよ。『不死者のパン屋』ではなく、在庫管理を一元化するために、トーマス商店の方に納入することになってまして」
「はははっ」
オダが単に納入先を伝えただけだというのに、それが自分たちと繋がっている証拠だと感じて、コルンは何だか嬉しくなった。
多くの人たちが一つの目的に向かって進んでいるのは心地良い。トーマス商店に関わっている人間であれば、それは誰もが持つ共通体験だろう。
システムを作った当の本人である『黒魔女』が、今のコルンの思考を読んだら、『ブラックに毒されている』などと揶揄しながらも、ニヤリと笑ったに違いない。
オダはコルンが何故笑っているのかはわからなかったが、元の世界に暮らしていた時の性か、釣られて笑った。
二人は肩を並べて、笑いながら歩いた。
【王国暦124年3月30日 11:38】
「軽食堂のコルンです。呼び出しに応じまして参上致しました!」
「オダです。マヨネーズとジャムの納品に参りました!」
迷宮支店の店頭で直立不動になり、声も高々に張り上げる。
「ああ、どうも」
アンニュイに二人を迎えたのはトーマス商店が誇る美少女店員こと、フローレンスだった。フローレンスに気のある男性は少なくないが、見た目のキツさと中身のキツさから、彼女には触れない、というのがファンの中で不文律になっている。
無闇矢鱈にプレッシャーを放出するものだから、オダも、コルンも、フローレンスは苦手な部類だった。
しかし、これだけ冷たく対応されると、眠っていた男の矜恃が刺激される……。
「あ、中どうぞー」
フローレンスの後からサリーが顔を出して、かくん、と首を傾げて手招きをした。
「あ、はい」
オダとコルンは不思議な開放感を覚えて、自分たちがフローレンスの虜にされかかっていたのだと気付き、戦慄する。
フローレンスは表情を変えず、つまらなそうな顔のまま、背後のサリーへの嫌悪感を隠さない。しかし、それはサリーに伝わっているのかいないのか、こちらもコケティッシュな姿勢を崩さない。
冷たい戦争――――そんなキーワードがオダの脳裏に浮かんだ。
【王国暦124年3月30日 11:40】
トーマス商店迷宮支店――――工場の中に入ると、十数人が整然と働いていた。
何人かは鍋をかき混ぜていたり、怪しげな魔道具を操作したり……。殆どは声も出さず、ジェスチャーを主に意思伝達しているようだった。
迎えてくれたのはサリーと、もう一人、シスター・カミラだった。
「どうも。ああ、ええと、ごそくろう? いただきましてありがとうございます?」
サリーは取って付けたような、部下に対して相応しくない丁寧な言い方をした。
「いえ、サリー様。食品工場の調整の件ですよね?」
スルー力が高まっているコルンが、慣れない言い方に自分で戸惑っているサリーに用件を切り出すように促す。それは年相応に、子供を諭すような言い方なのがコルンにとっても可笑しく思えた。
「そうなんですよ。本店長に言われてから対応を始めたんです。雑菌が入らないように別棟を建てていたんです。仕切りを作るよりは気密性が……この場合は機密性も……重要だったので結局増築したんですよ。紙の製造工場も分けた方が良かったですし、この機会に、ってことなんですけど。食品工場用に魔力噴出口を増設する格好になっちゃいましたけど、これはこれで正解だったんじゃないかと思います。ああ、それで、私自身は、自分で言うのもなんですけど料理の腕がアレなので、実際に料理をする人に意見を訊いた方がいい、ってお婆ちゃんからアドバイスも貰ってまして、そこでコルンさんに来てもらったというわけなんです。オダさんの方は納品ですよね?」
一息でここまで喋ると、サリーはオダの方に振り向いた。
「えっ、ああ、そうです、そうです。マヨネーズとジャム、それにドライハーブも持参しました」
急に話を向けられて焦るオダは、慌てて反応した。勇者の反応速度がまるで生かされていないのは、相手が『白金の魔女』だからか。
「納品できる形の完成品と原料ってことですよね。オダさんが実際に調整なさっているとお聞きしました。その辺りも魔道具作りの参考にしたいのです。いやあ、マヨネーズを作る魔道具とか、アイデアはあるんですけどどうやって実現しようか、なかなか形にならなくて苦労してるところなんですよ。そのドライハーブ? ですか? お婆ちゃんによれば使い勝手がいいと好評なんですけど、今のところサンドイッチの材料、いえ、変わり種マヨネーズの材料としてしか使ってないのは勿体ない、とも言ってまして。私もそれは同感だと思うんですよね。そこでブランド価値をちょっとだけ付加してみてはどうでしょうか。たとえば、『姫様が作りました』みたいなロゴを入れるとか、ああ、イラストなら私が請け負いますよ? これでも絵は得意なんです! 生産者が誰で、どのような商品なのかを示すことは消費者からすると安心する要素だと思うんですよ」
「サリーさん」
息つく暇もないサリーの言葉責めを止めたのは、サリーの傍らに立っていたシスター・カミラだった。
オダとコルンからすれば、サリーに圧倒されて後ずさりしたところだったので、クールな表情のカミラに諫められた格好のサリーは、『あっ、やっちゃった』とでも言いたげなバツの悪い顔を三人に向けた。
「ああ~。私一人で喋っちゃって……。シスター・カミラは紙工場の拡張で来てもらってました」
「は……はは……。サリーちゃんが壊れちゃったのかと思ったよ……」
「サリーさんは昔からこうでしたよ……」
カミラは遠い目をしながら苦笑した。
先程、フローレンスの塩対応に触れたオダとコルンにとっては、カミラの見せた微笑は寒空に吹く暖かな風にも思えた。
「しっ、シスターは……とても……いい匂いがします……」
揚げ物の香りがする男、コルンは思わず口に出してしまった。場合によっては、これも口説き文句なのだろうが、コルンの身分――――奴隷である――――を考えると、あまりいい顔はされない。グリテン王国には奴隷から平民への不敬罪などというものはない。しかし、それ以前に女性に対するマナー違反ではあるだろう。
それでも、サリーも、カミラも、コルンを咎めることはなかった。
「いい匂い……? 木の香りはするかもしれませんが」
カミラがマナー違反をスルーして首を傾げる。
「そういえば、ちょっと甘い香りがしますよね!」
サリーはコルンへのフォローのつもりで、あまりフォローにならないことを言った。
「木材チップの加工に付き合っていただけなんですが」
「ははは、その匂いが抽出できたら、香水とかになるかもしれませんね!」
食品工場への意見出しなどそっちのけで、サリーはアイデアを口にした。
たとえ脇道に逸れまくっても、この『白金の魔女』は数日もあれば工場のアウトラインを決めて稼働にまでこぎ着けてしまうのだろう。万事を魔法と結びつけて考えてしまう性は、誰から見ても危ういものであるのに、サリーだから、で片付けられてしまうキャラクター性は、もはや神性に近いものがあるのかもしれない――――。
いや、そこは魔女だから魔性と言うべきだろうか。
これがドロシーだと、飴と鞭と理詰めで強引に言うことを聞かせるケースが多く、イエスマンしか集まらない傾向がある。言うなれば心を縛っているわけで、ドロシー自身が間違った時には取り返しがつかない事態に陥る可能性がある。
それに対してサリーの言動はエキセントリックではあるが、他者の心根を掴んで離さない。
実際、工場の中に入ってきた時はコルンもオダも緊張していたのに、今は素直に何でも話せる雰囲気が出来上がっている。
他者の心を無垢にする……。これこそがサリーの魔法なのかもしれない、とオダは内心で唸る。
両者に共通するのは、やはり『黒魔女』の影響だろう。
そして、今、自分も黒魔女の影響でここにいて、オーガスタと共にいる。これ以上の幸せがあるだろうか? オダはこの境遇を噛みしめるようにして、微笑んだ。
コルンは、結果論であることは重々承知していたが、この場所にいられて良かった、と、これも境遇に感謝をしていた。
本人に言わせれば、仕掛けが成功している、ということだけなのかもしれない。
本人たちが幸福だと思っているのなら、それを揶揄するのは野暮というものだ。
オダは、何か目的があって他の世界から召喚された勇者だ――――という立場をすっかり忘れていて、今日のこの喜びをオーガスタに伝えなければ、と軽く拳を握った。
なお、本当に木材から香り成分が抽出されて、それが人工バニラ香料だとわかり、ドロシーが歓喜するのは、一ヶ月後のことである。
シスター・カミラはジジ専なので、コルンには脈がなかったりします。
次話より次章となります。
ちょっと投降に間が空くかもしれません。




