マヨの食卓
【王国暦123年12月18日 14:02】
情報が集まって来た。
本来、奴隷の立場であるコルンが、商会のお偉方であるサリー、会長の義理の母親であるアーサに何かを伺う、など、あまり実現味のない話である。
だが、そこは街を牛耳るトーマス商店、有意義な提案があれば何でもやらせてみる。まるでどこかの世界の洋酒メーカーの社是みたいではある。
「もう体調はよろしいのですか、アチャンタ殿」
「ええ、ご心配をお掛けしました、コルン殿、オダ殿」
「全く、アチャンタ殿はパン屋の鑑ですよ」
そうは言うものの、アチャンタの魂はパンで削られていっているようだ。
軽食堂のオーナーとは迷宮そのもの……『黒魔女』で、不死者のパン屋の方はトーマス商店が経営母体だ。つまりちょっとした合意さえあれば両者は連携できる。
そこで、コルンが奴隷紋によるもう一人の主人――――副主人という――――と相談したところ、軽食堂から二名ほどをパン屋に応援に行かせることになった。
この副主人とはドロシー・テルミーなので、両店は、より意思疎通が図られた、とも言える。
「それで、ですな。ウチの副主人様――――ドロシー様から伝えられたのは、三月末までには一定の成果を見せよ、とのことでして」
「むぅう」
「ドロシーさんが出てきちゃったのか……」
オダにとって、『黒魔女』を時々叱責する姿を見せるドロシーはボスキャラに匹敵する存在だ。大物を招き寄せてしまって、事態が自分たちではコントロールできなくなっているのでは、と恐怖する。
「そうなのですよ。同時に、パン屋の労働環境改善の仕事まで回ってきましてね」
「コルン殿、全く面目ない」
アチャンタが疲れた顔で頭を下げる。
「頭を上げて下さい、アチャンタ殿。我らは『癒しの会』の仲間ではありませんか」
コルンがそう言って宥める。実際のところ、長時間の飲食店営業について、シフト制なり、人員の差配なりのノウハウは軽食堂に十分に蓄積されたものだ。主人が決めることは、どうしてこんなにも先進的で、効率的なのだろうか、と奴隷の身分ながら感心してしまう。
ともあれ、人事管理のノウハウを惜しみなく不死者のパン屋に導入、人員が増えたことも相まって、労働環境は劇的に改善された。
もともと、無発酵パン屋は薄利多売で、原価も売値も安い。元々が飲食店の無い、この迷宮都市での無償配給からスタートしているので、慈善事業の側面がある。
『他の飲食店が続々開店している現状では、既にその役目を終えたのかもしれないわね』
アチャンタには言わなかったが、コルンはドロシーにそうも言われていた。だからこそ、無発酵パン屋には次なる役目が必要なのだと。
主人もそうだが、副主人のなんと視野の広いことよ……。
感心したのはいいとして、何だかんだと無発酵パン屋の建て直しをやらされているのも確かだった。そこで、ドロシーは、カールに軽食堂の店長代理をやらせて、コルンにはスーパーバイザー的なポジションに就くように指示を出した。両店を見ろ、と言うのだ。
三月末、というのは、建て直しも含めてという意味になるので、要するに新メニューを作り、無発酵パン屋の収支を改善せよ、ということ。
「私は、商圏の環境が変わったことに対応しろ、というお達しだと。前向きに考えています」
「コルン殿……さすがですな……!」
「私の上司になるのですな……」
アチャンタはその点については多少なりとも複雑な感情があるようだが、コルンは首を横に振った。
「自分の身分は奴隷です。騎士であるオダ殿、平民で冒険者であるアチャンタ殿とは、そもそも比較になりません」
そうは言うが、黒魔女やドロシーを始め、トーマス商店の従業員からは奴隷だ、とは思われていない。単なる従業員、と見られているのがわかるだけに、商会の内部では旧来の身分制度は崩壊していると言って良い。
「身分通りにコルン殿を見ている人など、このポートマットにはいないでしょう」
オダの言う通りだ、とアチャンタも頷く。
「我らの中で一番の年長、『癒しの会』会長ですからな」
「かっ、会長……。その言葉の響き、悪くないですな……」
コルンはまんざらでも無さそうに破顔した。
「では俺から報告しますぞ」
オダはすっかり『癒しの会』会員の口調になっていた。
「お願いします、同志オダ」
「コホン。クレーンさんと話した結果、葉菜類に適したモノがありそうです」
「スミマセン、葉菜類……とは?」
アチャンタの疑問に、オダは用意してあった説明を述べる。
「葉っぱが食用になる野菜全般のことを指すそうです。概して葉が柔らかく、モノによっては結球します」
「結球……ああ、キャベツのような?」
「そうです。クレーンさん曰く、葉菜類は通常、生では食べません」
「それは……まあ、肥料として糞尿がかかってますからなぁ」
コルンもアチャンタも、その程度のことは知っている。だからキャベツは茹でるか、煮込んで食べるのが常識だ。
オダがニヤリと笑う。
「その点をクレーンさんに訊いたところ、迷宮の水耕栽培で、スライム粉を使えば、ある程度は衛生的な作物が栽培できるのではないか、と言われました」
「ああ、それで……なるほど……」
コルンが掌を叩く。
「コルン殿にも話が行っていましたか」
「そうなんです、同志オダ、同志アチャンタ。サリー様に伺ったところ、トマトについては快諾を頂きました。また、水耕設備を使っていい、とも言われまして。同志オダの話を聞いて合点がいきました」
「つまり、生食できるキャベツを水耕栽培で試作、商品化に持っていけ、ということですか?」
アチャンタが訊く。
「いえ、キャベツではなく、レタスなる葉菜類がありまして。試食したところ、固かったのですが……育ちきらないうちに出荷すれば、十分に生食できると判断しました」
オダの知っていたレタスは結球するものだけだが、クレーンに提示されたのはリーフレタスのような結球しないもの。しかし、それでも十分だった。
「おお……サリー様から同志オダにはもう一件、言伝がありましてな。『マヨネーズ』なる調味料のレシピも完成させよ、とのことでしたぞ」
「あっ」
オダが声をあげる。そうか、マヨネーズか。レタス、トマト、マヨネーズ。それならばサラダとして成立しそうだ。
「そして、アーサ様からも助言がありましてな。鶏肉の胸肉をフライにするのであれば、先に漬け汁を揉み込んでおく下処理をした方がいい、と」
「なんと!」
そうか、鶏の唐揚げって漬け込んで揉み込むのか。それでジューシーなのか。そうだったのか!
「さすがは料理の鉄人、目から鱗が落ちましたぞ」
「しかし、揚げ物はコルン殿の担当ですな」
それを伝えるのは変だな、と思い、オダが訊く。
「実は、その漬け汁のレシピに、マヨネーズが必要なのですよ」
「そういうことですか……」
王都ではそれなりに出回っているはずだが、実はマヨネーズを作るのは非常に手間のかかる作業なのだ。しかし、鶏卵が潤沢に流通している産地であるポートマットであれば、商売になる、とわかれば生産体制を確立してしまえばいい。
「レタス栽培の確立とマヨネーズのレシピ製作、引き受けていただけますかな、同志オダ。ハンドミキサーなる道具を主人から与えられておりましてな。便利に使えるかと思います」
「無論です、同志コルン。ドロシーさんやトーマス商店に乗せられている感はありますが……」
「それは致し方ありますまい。同志オダはともかく、私や同志アチャンタにとっては雇用主なのですから」
思いつきが金になる、夢のような環境には違いない。今は境遇を生かそう。オダはそう思い直すことにした。
【王国暦123年12月21日 6:42】
領主の館、別宅は、ポートマット西迷宮に併設されている。
その簡易食堂では、アイザイア、オダ、オーガスタ、ヴェロニカが朝食を摂っていた。
以前は仕事に追われ、朝食さえまともに摂れなかったアイザイアだが、新婚の花嫁を放置してまでやることか、と部下であるスタインから諫言をもらい、改めるようになった。
オーガスタは領主夫人の姉という立場、オダはそのオーガスタの従士……という扱い。ところがオーガスタは元姫とはいえ王籍から抜けているため扱いは平民で、騎士籍を持つオダの方が身分上は上だ。それでも、二人は、本来であればアイザイアやヴェロニカと食事を同席するべきではない。
しかし、姉妹はお互いが精神安定剤になっている――――という事情を考慮すると、ヴェロニカが同席を希望すれば、旦那としては断れない。彼女たちは辛い生活をしてきたのだから。
朝はなるべく四人で、ここで頂くのが日課になっている。アイザイアとしては渋々、認めたつもりだった。
「ほう、この野菜は……珍しいな」
朝食のメニューは代わり映えのしない、パンとチーズ、果物と紅茶……。であるはずが、今日はどうにも勝手が違う。
生野菜のサラダがテーブルの上に載っているのだ。
野菜が食卓に並ぶ時もあるが、大抵は温野菜である。糞尿を肥料に使うため、衛生面で生食は望ましくないのだ。
それなのに、だ。
「はい、伯爵閣下。粗く刻んだリーフレタスとトマト、それにクルミを砕いたものを和えています」
料理人でもないのに、サラダについて解説をしたのはオダだ。
「リーフレタスというのか……」
緑と薄茶色の葉。刻んであるトマト。クルミはコクと食感をプラス。
そして、全体を薄くコーティングしているのは、酸味のある白いソースだった。
緑と赤と白。食欲をそそる、見た目のバランスもいい。
「マヨネーズとやらの応用性は高いのだな……」
王都で密かなブームだというマヨネーズ。利に聡いトーマス商店が目を付けていない筈はなく、プロジェクトが動き出したのは遅いくらいだ。
アイザイアは、トーマスの薫陶を受けたドロシーが、会議中の雑談として、マヨネーズの話題を出してきたのを思い出す。
系列の飲食店従業員と共同で、オダにマヨネーズの開発を依頼している、という話だった。
「はい、伯爵閣下。リーフレタス単体では、それほど美味しいものではありませんが、このマヨネーズをつけて食しますと、葉の苦みが旨味に置き換わったかのように滋味となります」
「生食することへの対応はどうなっているのだ?」
「マヨネーズに含まれている酢に殺菌成分があります。もちろん限度はありますので、葉野菜を水耕栽培し、スライム肥料を使うことで、元から衛生的な食材を作る方針です。新鮮である、というのもポイントです」
「ふむ……」
オダがあまりにも歯切れの良い回答をしてくるので、アイザイアは気圧されたかのように唸った。
オダが勇者である、というのはアイザイアも知っていたが、オーガスタの付属物の印象が強く、その能力については未知数で、評価は高いものではなかった。
それがどうだ、ドロシーからマヨネーズの開発を任されただけで、こうもオダは積極的になり、領主たる自分に対する姿勢も、いつもとは違って堂々としている。
領主として、それなりに他者を効率良く使っているつもりであったが、オダの変わり様を見ると、トーマス商店の手法が凄いのか、ドロシーの手腕が凄いのか、アイザイアとしては考えさせられる事案だった。
「でも、どうして門外漢のオダが調味料の試作をすることになったの?」
ノーマン伯爵夫人、ヴェロニカが素朴な疑問を投げかける。
「はい、奥様。実は、ハーブの販路拡大を友人たちと話しておりまして、そこで彼らの新メニューを手伝うことになったのです」
「オダのお友達というと、フィッシュ&チップス屋さんと、パン屋さん?」
「そうです、姫様」
オダは未だにオーガスタをそう呼ぶ。
「ハーブの拡販……。オダ、貴方はそんなこと、しなくてもいいのですよ?」
ヴェロニカは諭すように言った。伯爵夫人ともなれば、多少は金銭的な余裕がある。
「はい、いいえ、奥様。奥様と姫様が一生懸命育てたハーブです。もっと広く世に知ってほしいのです」
「オダ……」
オーガスタは濡れた瞳で呟く。
アイザイアから見ても、オダとオーガスタは互いに依存し合っている。元はヴェロニカもそうだったのだろうが、今は自分の方に気持ちが移っているのがわかるだけに心配はしていない。
オダは飛躍を始めた。ヴェロニカは変わりつつある。ではオーガスタは?
「姫様、どうぞ、召し上がって下さい。このオダが作ったマヨネーズです!」
とは言うものの、オダがやったのは調味料や油の組み合わせを考えた程度で、労力が必要な攪拌は魔道具任せだったりするのだが。
マヨネーズの材料は卵、油、塩と香辛料。卵と塩については入手先が限定されていたものの、油と香辛料については工夫の余地があった。
オーガスタはオダに促されて、リーフレタスにちょび、とマヨネーズをつけ、小さな口に小さな欠片を緩慢な動作で入れて、ゆっくりと咀嚼した。
「美味しい……」
「白い調味料は見た目にも鮮やか、食欲をそそりますね。ん、美味しいですね」
ヴェロニカは、オーガスタとは対照的に、フォークで器用にリーフレタスをまとめて、たっぷりのマヨネーズをつけて、一口で食べた。
ポートマット領主、アイザイア・ノーマンは、元気になっていく妻を見て眼を細め、その一方で、鬱屈したままの義姉が元気になるにはどうしたらいいのだろうか、と思案する。
「そうですか、それは良かったです」
自作のマヨネーズを褒められて破顔するオダを見て、やはり、この男がキーマンなのだろうな、とアイザイアは一人頷くのだった。二人が結ばれてくれるのなら、どんな形であれ、義姉は安定してくれるだろう、と。
なお、オダとオーガスタが結ばれた場合、オダが義兄になってしまうことに気付いたアイザイアが狼狽するのは、十秒後のことである。




