店長の呟き
文中に日時が表記されておりますが、第一話は「カボチャプリン」主人公がウィンター村に配属された辺りから始まっております。
【王国暦123年6月9日 9:39】
コルンは、通称『黒魔女』に買われた奴隷の一人である。
鼻は低くソバカスがあり、赤毛で、指が太いけど器用な男――――というよくわからない評価をされている。
元々彼は大陸にある国家の軍隊、その料理担当だったので家名はなくもないのだが、軍が敗北して取り残された彼は奴隷として買われ、その時から家名は名乗らなくなった。
だが、彼を奴隷扱いする人間は少ない。ポートマット迷宮都市で一番の繁盛店、その店長だからだ。
「店長ぉ、イモ揚がりますぅ!」
「おうっ。油温戻ったらすぐ次行ってくれっ!」
「はいっ」
正式には奴隷間に上下関係はなく、肩書きも便宜上のものに過ぎない。だが、主人がコルンに支払っている賃金は平店員より遙かに多額で、その分責任も押しつけられている。
「店長っ、魚のストックがっ!」
「わかってるっ! こっち頼むっ。おれがそっちいくっ!」
ポツポツと増えてきたが、迷宮都市には、手軽に食べられる飲食店といえば、実質、この軽食堂――――フィッシュ&チップス専門店――――しかない。そのため、朝っぱらから必死に揚げているところだ。
チップス――――イモの素揚げ――――は一種類だけで、下処理に少々の手間がかかるが、今日の分の仕込みは完了している。
問題は魚のフライの方で、ちょっと前には、扱う魚が十種類を超えていた。魚の量が揃えられず、仕方なく複数種類の魚を使わざるを得ない状況になっていたのだ。その状況を変えたのは、主人が持って来た巨大なカレイで、これ一匹で二日分の営業分が賄えたほどだ。
それでもたった二日分――――。軽食堂の売り上げは、毎日の漁に掛かっていると言っても過言ではない。
コルンは手早く大型の魚を捌くと、一定の大きさに切り身を揃えていった。もう何万匹を捌いたかわからない。尤も、効率のいい捌き方、というのは例によって主人に教わった方法だった。主人によれば、ポートマット中央のギンザ通りにある『シモダ屋』の主人に教わったと言っていた。
「包丁は料理人の魂……か」
主人が推奨した包丁は両刃ではなく片刃のもので、なるほど確かに美しく切り身を作ることができた。細長い、その包丁は鍛造の鉄製で、手入れをし続けないとすぐに傷んでしまう。魚を捌く店員の全員に主人から包丁が渡され、コルンが持っているのは最初の一本だ。『001』と刃に刻まれた印は、密かにコルンの誇りでもある。
そういう、小さな誇らしさの積み重ねを主人はさせていっている。碌に軽食堂に顔も出さないと言うのに、ちょっと厨房を見ただけで問題点を指摘して、即時改善を図る。まさか『不可視』スキルなどを使って覗き見をされているのでは――――と疑ったこともある。
主人はそれさえも見越して、こう言ったものだ。
「厨房は働いている人の、人となりが出るもの、か」
こうも多忙で、戦場のような厨房だから、どうしても掃除が行き届かない場所も出てくる。それも主人に言わせれば、目が届かないというよりは、目が慣れてしまうのだという。つまり、汚れている箇所があっても、毎日を無為に働いていれば、汚れている状況に慣れてしまい、気にならなくなるのだと。
言われてみればなるほど、と感心したもの束の間、主人の部屋はグチャグチャだと照れながら告白もされたので、単にそれは経験則だとも言われた。
そのような経験則を集めて記述して、まとめるのもコルンの仕事だ。手順を教えるには、教える側が手順を覚えていなければならない。教えやすい、と覚えやすい、は同質なのだと。
コルンからすれば主人のノウハウは膨大に思え、本職は魔術師だというものの、長く飲食店で働いていた経験があるのではないか――――と思うこともある。
ところでその主人は、現在ポートマットにはいない。
冒険者でもあるから、一定の場所にいないこともある――――と思いきや、どうやら王都ロンデニオンの北、ウィンターという村の支部長に就任したという話だ。
本当に、ふとした瞬間に、コルンは主人のことを考えてしまう。お腹に施された奴隷紋がそうさせているのか、プロセア軍を退けた強大な魔力に畏怖しているからか……。
いわゆる男女の仲? になるのを期待している?
「ないない」
確かに人間としては敬愛している。それ以上でもそれ以下でもないはず。
いや、でも、まさか?
主人の身長はコルンよりも遥かに低く、それでいて体重は恐らくコルンよりもある。顔は可愛らしいものの……可愛い主人……。
「いやいや」
ぶんぶん、と首を横に振る。
こんなことを考えてしまうなんて、人肌が恋しいのだろうか。コルンは浅ましい自分に嫌悪感を抱く。
きっと心が疲れているんだ。そう決めつけたコルンは、お昼の混雑時を越えたら、今日は半休にしようと誓った。
【王国暦123年6月9日 13:26】
「よし、後は頼むよ」
「あい、店長」
この偉そうな口調も最近は慣れてしまった。軽食堂の一切合切は人事権を含めてコルンが仕切っているから、自然と平店員の方から気を遣われる。
蒸発した油が満ちた、どう考えても異臭がする厨房を出て、事務所へと向かう。
軽食堂は昼を過ぎると、あとは夕方にもう一山あるまでは、ダラダラと客足が続く。立ち上げ時にはその両方ともコルンが店を見ていたのだが、最近では昼に上がり、そこから事務仕事をすることが多くなった。
魚の仕入れも一人専任を就けたし、イモと油はトーマス商店の素材部が納入してくれる。コルンがやることと言えば、衛生管理、火気管理、誰をどの時間に働かせるかの人事管理、そして金銭管理だ。
店に併設されている事務所では、お仲間である奴隷の一人、カールが食事をしていた。ここは休憩スペースも兼ねているのだ。奴隷に休憩? と最初は耳を疑ったものの、主人の提示した労働基準は実にユニークで、大体四刻毎に一刻休め、というものだった。何でも、火気を扱うから、意識を集中して仕事をしないと大変に危険であると。そのために休憩時間を設けて、体力と気力を回復させよ、という。
やらされてみるとなるほど、体が慣れていくとはいえ、四刻も立ちっぱなしなのは辛い。そこに一刻の休憩がオアシスのように感じる。
「なんだっけ、ブラック?」
「何だよコルン店長。マスターが言ってたやつか?」
「そうそう。休憩を貰って恐縮してたら、それでもブラックだ、とか言ってたんだよ。黒いってどういう意味なんだろうな?」
「しるか」
カールは奴隷としては同期で、元貴族でもあるからそれほど不出来な人物ではない。それなのに立場に差がついていることに不満を感じてもいるだろう。今まで軍の料理番に過ぎなかった自分が、末席とはいえ、元貴族様をこうやって部下として使っているのだから。
奴隷落ちしたことからもわかるように、彼らは本国から斬り捨てられた。行き場所を失い、農作業をさせられて一生を潰すのかと諦めていたところで主人に買われた。
それは、彼らにとって救いだったに違いない。少なくとも、この店で働いている奴隷たちは、皆明るい表情をしている。賃金がいいこともあるし、一号店の繁盛振りを見たら、いずれ二号店、三号店を出店することになるのは明白で、そこの店長の座を皆狙っている。だから手を抜けないし、心を見透かすような主人のことだから、適材適所を優先するだろう。
「それ、何食ってんだ?」
コルンが訊くと、カールは食べかけのサンドイッチを見せた。
「オムレツサンド。リンケとメグレの店のやつ」
「ああ、それがそうなのか」
リンケとメグレは、コルンたちと同時期に買われた奴隷だが、主人が違う。トーマス商店の経営者であるトーマスと、その養女であるドロシーの所有奴隷だ。『黒魔女』はトーマス商店の店員でもあるから、広義ではお仲間と言える。
トーマス商店は、ポートマット地域で大きな力を持っている。この迷宮都市でも手広くやっていて、息が掛かっていない店はない、といっても過言ではない。
「卵を贅沢に使ってる。お高いが美味い」
「ほう……。養鶏場が完成したとはいえ、まだ卵は高いからな」
カールは新しい物に飛びつく。実に元貴族らしいと仲間からは揶揄されることもあるが、コルンとしては面白い資質だと思っている。
「ウチもな、揚げ物一辺倒ではなく、新しいメニューが必要な時期なんじゃないかと思ってな」
「カールよ。マスターがいつも言ってるじゃないか。敢えて単品の店にしているんだと」
「それは何度も聞いているさ。料理の素人が料理を出す店で働こうと思ったら、難しいことはできない、この軽食堂は職業訓練施設みたいなもの……ってやつだろ?」
わかってるじゃないか、とコルンが軽く頷く。
「でもな、こうやって迷宮都市に色んな食い物屋が出来てくるとな……」
「なるほどな……」
コルンは、カールが感じている焦りの原因がそこにあるのか、と納得した。確かに、一時期に比べれば客足は落ちている。迷宮都市に滞留する人間も増えているのに、他の飲食店が増えて、この軽食堂――――フィッシュ&チップス専門店――――は苦戦して見えるからだ。
「気持ちはわかる。だけど、マスターはもっと遠くを見ておられるようだ。俺たち奴隷が、次の、将来へのステップに進めるように」
「奴隷に将来とかステップなんてあるのか?」
尤もなツッコミをカールから貰う。
「ある。マスターはそう言っていた」
コルンは、奴隷頭であるクレメンスと共に、大まかなプランを聞いていた。最終的には奴隷から解放するつもりであること、ポートマット市民として登録すること。そして、この軽食堂の想定される未来も聞いていた。
「そうか……。マスターの言うことなら間違いはないな」
「ああ。たとえ間違っていても、俺らには付いていくしかないんだがな」
「そうだな……。奴隷紋の影響かな? 暇があるとマスターのことを考えてるよ」
カールも、自分と同様にマスターのことで頭が一杯なのか。共感を覚えてコルンは苦笑した。
ちなみに、奴隷紋に記述されている魔法陣には、主人のことを考えるようには書かれていない。主人にそう説明された時、コルンは逆に戦慄したものだった。
【王国暦123年6月9日 14:12】
「おや、オダさん、こんにちは」
「おや、コルンさん。お出かけですか?」
事務仕事を終えたコルンは、半休のつもりで街へ出ることにした。ポートマットの中央街近くにある娼館街へ行こう、と考えていたのだ。
迷宮都市とポートマット中央街を結ぶ、乗り合い馬車の乗り場へと向かう途中で、コルンは知り合いに出会った。
オダは『勇者』という肩書きを持っているが、見るからに庶民だ。軽食堂の熱烈なファンらしく、二日に一度は来店する。いいお得意様の一人でもある。
既にフィッシュ&チップスを購入した後らしく、持ち帰り用の袋を手にしていた。
「ええ、まあ、アレに行こうかと」
コルンが恥ずかしそうに言う。
「ほう、アレですか」
オダは好色そうに笑った。アレ、で話が通じることからもわかるように、この二人は娼館の待合室で出会ったことがあり、お互いに気まずい思いをしてから仲良くなったという経緯がある。
「ええ、アレは心の洗濯ですから。オダさんはお店の方に行かれたんですか?」
この場合のお店は、コルンの店、軽食堂のことだ。
「今行ってきたところです。今日は姫様が所望していたもので」
オダは首を捻り、手に持っていた袋を掲げてみせた。姫様、というのは本物のグリテン王女、オーガスタ姫のことだ。正確には『元』がつくのだが、血縁上は現王の実子だ。
オダはもう一つ、袋を持っていた。何やら葉っぱが袋から見えている。
「そちらの袋はハーブですか?」
「トーマス商店のサリーさんにお届け物ですね。姫様が持っていけというので」
それにしても姫様の従者というよりはお使い犬のようだな、とコルンはいつも思う。かくいう自分もそのように思われているんだろう、と自嘲もする。
「そうですか……最近、アレの方は?」
「いえ、アレは……最近は行っていないので、また近いうちに」
オダは恥ずかしそうに目を伏せた。実に女慣れしていないのがまるわかりだ。コルンはそんな勇者に、同情とも憐憫とも懐古ともつかない、複雑な気分にさせられる。
「そうですか…………では」
オダに手を振って別れる。オダの性的趣味については、以前酒を一緒に飲んだ時に、涙ながらに吐露されたことがあった。何度か通った娼館には、オダ好みの女の子は勿論、コルン好みの女の子もいる。
「何と罪深い……」
オダの嗜好を聞いてみれば、まるで主人を求めているようでもあった。
しかし、自分も、これもオダと同様に、ドワーフの女の子(に見えるけど年齢不詳)を指名し続けている。客の秘密は厳守しているとか言っていたが……大丈夫だよな、主人にバレなければいいな、と戦々恐々としているが、どうにもやめられない。
「キャサリンちゃん、いるかな……」
コルンは、女の子の源氏名を口にしながら、娼館への道のりを急いだ。
なお、大規模娼館がポートマットの東に建設中で、娼館街が統合のために休業しているのをコルンが知るのは、今から一刻後のことである――――。




