永遠の女性、eternal female 永遠に女性的なるもの、、。が、、世界を救う。
ベアトリーチェ、
ディオティーマ、
ゾフィー、
グレートヒェン、
さてここにいくつか西洋の女性名を並べましたが
これはなんでしょう?
そうです。
これらの女性は
詩人たちに
霊感を与え
鼓舞し
偉大な創作へと向かわせた
詩の女神たちなのです。
もしこれらの女性に巡り合わなかったら
詩は開花せず、
詩人も生まれなかったかもしれません。
ただこれらの女性たちは
詩人のフィルターで
かなり誇大妄想的に
女神化されている節もあります。
確かに、、これらは現実の女性ですが、、、、
詩人の心の目で見ると
飛んでもない崇高な女神に変身させられてしまうのでしょうね。?
ただこれらの女性は
尽きせぬ詩の泉となって
詩人の発想を高めたことは事実です。
ということは
詩人は巡り合う前から
その永遠の女性像を心に持っていたということにほかなりません。
つまりユング心理学風に?言えば、アニマに出会うべくして出会ったということに過ぎないともいえます。
ダンテがベアトリーチェにもし出会わなかったら?
いいえ、
出会うように決まっていたのです。
それが宿命だったのですから。
さていらぬ補足かもしれませんが
ベアトリーチェとは
あの「ディヒナコンメーディア」(神曲)に
絶大なインスピレーションを与えた
ダンテ・アリギエリの
永遠の女性です。
ディオティーマは
狂気のギリシャ憧憬詩人
ヘルダーリンの
永遠の女性です
ゾフィーとは
ドイツロマン派の
思想的な中心人物である
ノヴァーリスの
アニマ(ミューズ)です。
グレートヒェンは
あの「ファウスト」に
登場する
薄幸の少女ですね。
こうした詩人たちに
インスピレーションを与えた
永遠の女性は
ほかにもたくさんいるでしょう。
というか詩人が100人いれば
100人のこうした
ミューズが存在するのです。
なぜならそれは
現実に存在しようがすまいが
結局のところ
どうでもいいことなのですから。
心の中にいる
アニマが現実化しようが
夢の中だけで
存在しようが
同じだからです。
私にも
実はアニマがいます。
つまり永遠の女性です。
それは母であり
妻であり、
幼馴染であり、
要するに
私のアニマです。
現実に存在しているかって?
いいえ、
現代というややこしい時代には
それはむしろ
夢の女性のほうがいいのです。
もし現実に存在したら?
下手すれば
私はストーカーとして
犯罪者?になっていたかもしれませんから。
詩人の思い込みが
その現実女性に通じればよいですが
もし一方的な
思い込みだったとしたら?
現代ではそれを
ストーカーと言って犯罪行為なのですからね。
低次元なたとえで申し訳ありませんが
もしダンテが
他の男と結婚した
ベアトリーチェを
付け回しでもしたら
現代ではそれは
犯罪なのですから。
夢の中にいるだけの永遠の女性のほうが現代では
好都合?なのです。
夢の中だけの永遠の女性は
まさにあなただけのもの
あなただけのミューズ(詩の女神)でしょうからね。