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8、八割方本気です

 これだけ響けば、確かに近所迷惑だわ。

 人目がないのをいいことにわたしは廊下を走る。国館建材さんのオフィスから、扉の効果が一切感じられない大声が響いた。

「ですから、それはお答えできません!」

 溝口さん熱くなってるな。四人目のこの人も、どう見ても学生さんって感じじゃない。まだ5時も回らないこの時間に現れたってことは、今日が定休日なのかわざわざ有給休暇を取ったのか、どっちだ?

「いい加減にしなさいよ! あんたに何の権限があって取り次ぎ拒否すんの!? あたしが国館さんに渡してほしいって頼んだ名刺も、あんたが握りつぶしたんでしょ!」

「そんなことしてません! ちゃんとお渡ししています! あなたこそ、連絡がないのは脈がない証拠だって何でわからないの!?」

「それはあんたが決めることじゃないでしょ!? しゃしゃり出ないでよ!」

 わわわ、これ以上エスカレートしたらヤバい! すぐさま飛び込んで仲裁に入りたいと思ったけど、それをこらえて一呼吸置いてからドアを開けた。

「ただいま帰りました~」

 わたしはわざとのんびりした口調で言う。カウンターにへばりついていた女性は勢いよく振り返って割り込んできたわたしを睨んだけれど、溝口さんはぽかんとして挨拶を返してくれる。

「お、おかえりなさい」

「先ほどの方にはわかっていただけて、快く帰っていただけました」

「あ、そ、それはよかったわ」

 わたしの様子が予想外だったのだろう。溝口さんはキレかけていたのを忘れてしどろもどろに返事する。わたしは四人目の女性を無視してカウンターを回り、貸してもらったデスクに着いた。


 四人目さんは自分に関わろうとしないわたしに反応しあぐね、溝口さんはどう動くべきかはかりかねてわたしの行動を見守るばかり。

 二人の頭が冷えたのを見計らって、わたしは溝口さんに声をかけた。

「そちらの方は例の方ですか?」

「え? ええ……」

 わかりきったことを聞かれ、溝口さんは戸惑っている。ごめんなさい、困惑させて。でもこれも作戦の内なんだ。

「壮一さんに会いに来たんですよね? だったら待ってもらいましょうよ。静かにしていただければ問題ないですし」

 溝口さんが次の言葉を口にする前に、わたしは四人目さんに声をかける。

「壮一さんがいつ戻ってくるかわかりませんが、それでもよろしければお待ちください」

 椅子は勧めない。もちろん飲み物も出さない。わたしはデスクの引き出しにショルダーバッグをしまい、会社から持ってきたパソコンを開いて起動する。

「溝口さんも仕事に戻りましょう」

「そ、そうね……」

 わたしの言葉に助けられたかのようにほっとしながら、溝口さんは席に戻った。


 静かになったオフィスの中に、パソコンを操作する音だけが響く。わたしはリフォームの要望を聞き終えていたし、溝口さんが仕事の関係でわたしに話しかける必要もない。待ってていいと言われた四人目さんは文句を言う余地を奪われて、手持ち無沙汰に立っている。


 居心地の悪さから四人目さんが声をかけてきたのは、5分も経たない頃だった。

「ちょっと、壮一さんはいつ戻ってくるのよ」

 今までの対応と違うせいで戸惑ってるけど、わたしに対抗してか四人目さんも社長のことを名前呼び。溝口さんはどうすべきか指示を仰ごうとするかのようにわたしを見る。わたしは溝口さんに目配せしてから、四人目さんに返事した。

「先ほども申し上げたように、いつ戻ってくるかわからないんです。それでもいいからお待ちくださってるんですよね?」

 好きなだけお待ちくださればいいわ。溝口さんが連絡しなければ、社長は戻ってこないだろうけどね。心の中でほくそ笑み、わたしはすぐパソコンに目を戻す。

 溝口さんはわたしの意図を察したのか、もう四人目さんを気にしたりはしなかった。ディスプレイに集中し、パソコンを操作する手は速くなる。

「いつ戻ってくるか壮一さんに連絡して聞いてよ。それくらいのことしてくれたっていいでしょ?」

 四人目さんはうんざりした口調で再び話しかけてくる。

 この状態をいつまでも続けるのも面倒くさいか。わたしは仕掛けることにした。

「お仕事の邪魔をしたくないので、よほど緊急な用事でなければ連絡しないことにしているんです。──あなたはお仕事の用件で来社されたわけではないですよね?」

 四人目さんはかちんときたように眉をひそめた。

「そういえばあんた誰? 今まで見かけたことがなかったと思うけど」

 よくぞ聞いてくださいました。

「壮一さんの彼女です」

 目をむく四人目さんに、わたしはにっこり笑いかけた。


 一瞬信じかけた四人目さんだけど、国館社長がいない今は三人目さんのように上手くはいかない。

 見開かれた目はすぐにうさんくさげに細められた。

「本当に?」

「はい」

「嘘でしょ」

 四人目さんはあっさりと切り捨ててくれる。そうこなくっちゃ──なんて思わないです。面倒は少ないに越したことはない。

「どうせ、そこの人と同じように彼女のフリしてあたしを追い払おうって魂胆じゃないの? もう騙されないわよ」

「別に信じてくださらなくていいです。わたしは聞かれたから答えただけですから」

 パソコンに目を戻させまいとするかのように、四人目さんはカウンターに身を乗り出して声を上げる。

「じゃあ何で今まで出てこなかったのよ? 壮一さんもあんたのこと、一言も言わなかったわ」

「わたしが内緒にしてほしいって、壮一さんにお願いしたからです。仕事を通じて知り合ったので、せめてその仕事が終わるまで秘密にしておきたくて」

「仕事?」

「このオフィスのリフォームデザインを担当させてもらってるんです。仕事にプライベートを持ち込むのは、社会人として間違ってるでしょ? だから仕事の関係が切れるまではと思ってたんですが、仕事でこちらに伺ったらあなたのような人がたくさん押し掛けてきてると聞いて、仕方なくオープンにすることにしたんです」

 わたしのもっともらしい言い分に、四人目さんは多少怯む。でも職場にまで押し掛けてくる根性があるだけあって、それだけでは引き下がるつもりはないらしい。

 四人目さんはきつく睨みつけてきた。

「あんたが壮一さんの彼女だっていうなら、その証拠を見せなさいよ」

 証拠ときましたか。わたしは引き出しからショルダーバッグを出し、四人目さんににっこりと笑った。

「証拠が見たいなら表に出ましょうか。ここだとお仕事の迷惑です」


 そして本当に表に出ました。ここはテナントビルの入り口に面している通りです。車が車道を行き交い、歩道では人通りもそこそこある。そんな中で女二人が対峙してるものだから、目立つ目立つ。通行人の皆さんは礼儀正しく視線を逸らすけれど、どうしても気になってこちらにちらちらと視線を向けてくる。

 仁王立ちになって腕を組んだ四人目さんは、横柄な態度でわたしに言った。

「ここまで連れ出しておいて、実は証拠はないって言ったら許さないからね」

 わかってます。ここで証拠はないなんて言ったら、振り出しに戻っちゃうしね。わたしはショルダーバッグからスマートフォンを取り出し、待ち受け画面を表示して四人目さんに突きつける。

 四人目さんは再び目をむいた。国館社長の背後から抱きつき、社長と顔を並べるわたし。よく見ようとして手を伸ばしてくる四人目さんを避け、わたしはスマホを急いでジャケットのポケットにしまった。

「ちょっと、ちゃんと見せなさいよ」

「イヤ。まじまじと見られちゃったら恥ずかしいもの」

 よく見ようとした四人目さんに焦って、急いでポケットにしまったのに気付かれたかもしれない。四人目さんは嫌味な微笑みを浮かべ、口元を歪ませる。

「そんなこと言って、ホントはヤラセ画像だってバレるのが困るんじゃないの?」

 うん、するどい。実は昼食を食べた喫茶レストランで撮ったんだ。溝口さんとジャケットを交換してね。服装が今日と同じだとバレバレだからだけど、ジャケットのサイズが違うのに気づかれても、デートの服装とは思えないことに気づかれてもマズい。顔アップにしたから気づかれにくいとは思うけど、わざと撮ったことがバレると面倒だからね。

「だから、わたしは壮一さんと付き合ってることをあなたに知ってもらう必要はないんですってば。わたしは壮一さんに愛されてるってよくわかってますし、壮一さんのことを信じてます。お付き合いに大事なことはそういうことであって、他の誰がどう思おうが関係ないと思うんです」

「もっともらしい言い訳したって信じないわよ! ホントだっていうなら、今の画像をちゃんと見せなさいよ!」

 四人目さんはわたしのポケットに手を伸ばしてくる。わたしは身をよじって、四人目さんの手がポケットにかかるのを防ぐ。すると四人目さんはわたしの袖を掴んでスマホをしまったポケットの側を手繰り寄せようとした。

「やっぱりその画像、あたしとか追い払うためにわざと撮ったんじゃないの!?」

「そう思ってるなら、それでもいいんです! あなたが何を思おうが、わたしには関係ありません!」

 もみ合ううちにショルダーバッグが肩から外れてアスファルトに擦れる。袖を掴まれ引っ張られるので、破られないまでも大きな型崩れをしそうで怖くなる。買い替えにいくらかかるかな、と。──それはともかくとして。


 ヤバいな。ここまで食い下がられるとは思わなかった。あれだけ親密な画像を見せられちゃ、社長が好きな人には大きなショックになると思ったんだけど。さすが他人の迷惑も顧みず、会社に押しかけて騒ぐだけのことはあるか。田端部長が言ってたように、社長が好きってわけではなさそう。いっそ画像をもう一回見せちゃう? いやいやそれは上手くないな。“あなたは社長のどこが好きなの?”と切り返してみるか。上手くすれば画像から意識を逸らせるかもしれない。


 自分の立てた計画にいまいち自信が持てないけど、勢いに乗らなきゃボロが出る。わたしは四人目さんの手を振りほどこうとしながら、次の計画に取りかかるために息を吸い込んだ。

 その時、思わぬ声が耳に飛び込んできた。

「粕谷さん!」

 わたしはぎょっとして硬直する。国館社長、出てきちゃったの!?

 切羽詰まった呼び声につられて顔を上げた四人目さんが、弾んだ声を上げた。

「壮一さん……!」

 うわー、ヤバい、もっとヤバいよ。午前中に仲裁すらできなかった人が、午後になってできるようになってるとは思えない。

わたしが対処に困って一瞬硬直した隙に、四人目さんはわたしから手を離して社長に駆け寄ろうとした。

「壮一さん。わたしオフィスに伺ったんですが、オフィスにいた人たちってばヒドいんです。取り次ぎすらまともに」


「ここで何をなさってたんです?」

 四人目さんも、もちろんわたしも予想していなかった、低く怒った声だった。


「そ──く、国館さん?」

 親密な画像はショックでなくても、国館社長の怒りはショックだったみたい。四人目さんは怯えて、呼び方も元に戻す。

「ここをどこだと思っているんです? 隣に多くの車が走る歩道なんですよ? こんなところで喧嘩をするなんて、どれだけ危険かわかってるんですか?」

 社長のお説教が始まりそうな雰囲気。この流れもヤバいよ。午前中親身になってもらって、わたしもほだされかけちゃったもん。わたしはとっさにちゃちゃを入れた。

「そーだそーだ。喧嘩はいけないんだぞぅ」

 わざとふざけた言い方をすると、説教の矛先はわたしに向く。

「粕谷さんもです。約束しましたよね、危ないことはしないと。なのに通りに出て喧嘩をするなんて、何を考えてるんです?」

「単にビル内で騒ぐのは迷惑だと思って、外に出ただけですけど……?」

 とぼけたように返事をするわたしに、社長は苛立ったように声を荒げた。

「喧嘩に気を取られるあまり、誤って車道に出てしまったらどうなったと思ってるんですか? 怪我をするだけじゃすまなかったかもしれないんですよ?」

 あ、そういう心配もあったか。わたしだって命は惜しいからその辺は常に気を付けてるけど、そんなの他人から見たらわからないよね。

「そうですよね。すみません」

 素直に謝ると、社長は顔をしかめて私の姿を眺めた。アスファルトに落ちかけていたショルダーバッグを拾い上げて私に手渡し、片側の肩が抜けかけていたジャケットを襟元を引き合わせるように整える。ええ!? ちょっと待って! 男性が女性の衣服に手をかけるって! わたしが内心動揺しているというのに、社長は全然意識しないらしい。わたしの肩に手を置いて、項垂れながら深いため息をついた。

「……お願いですから、今度こそ、二度と危ない真似はしないと約束してください」

 午前中のことといい、社長ってば心配性だな。何と言ったら心配しなくて大丈夫とわかってもらえるか悩んでいると、四人目さんの白けた声が聞こえてきた。

「あー馬鹿馬鹿しい。帰ろ帰ろ」

 四人目さんは心底うんざりした様子で言うと、もみ合って乱れた服をささっと直し、駅に向かってすたすたと歩いていった。


 四人目さんが三軒ほど向こうのお店の前を通り過ぎたところで、あとからのんびりやってきた田端部長がぼやくように言う。

「何だったんだ? あれ」

「多分、社長とわたしのやり取りを見て、バカップルがじゃれ合ってるように見えたんだと思います」

 怒りながら相手の衣服を整えるなんて、すごく親密に見えるもんね。社長がわたしのことをそういう意味で好きじゃないってわかってても、どきっとしちゃったもん。

 わたしから一歩離れて呆然と四人目さんを見送っていた社長は、咎めるような口調でわたしを呼んだ。

「粕谷さん……」

 わかってますって。わたしはごまかし笑いをしながら、社長の次の言葉を遮る。

「あはは、ごめんなさい。引き受けておきながら上手く追い返せなくて。社長が来てくださって助かりました。ありがとうございます」

 素直にお礼を言うと、社長は手のひらで目を覆ってまた項垂れた。

「粕谷さん……お願いですから、ご自分を危険にさらさないでください」

「わかってますよ。わたしに何かあったら、ご迷惑をかけてしまいますもんね」

 すると社長は、救いようがないとでも言いたげな深いため息をついた。



 その後国館社長と田端部長と一緒にオフィスに戻り、わたしが今日中にやりたいと思っていたところまで仕事を終わらせるのを待ってもらって、それから四人一緒に夕食に行くことになった。

 オゴってくれると言われたので、一応遠慮したのよ? 大したことしてないのに昼もオゴってもらっちゃったから。でも田端部長も溝口さんも迷惑料代わりにオゴってもらうというし、行き先候補を聞かされて、ちょっと興味津々に反応しちゃったの。……“興味津々”なのに“ちょっと”とは言わないか。


 そんなわけで、地元で有名なダイニングバーに連れてきてもらいました。木材が多く使われたシンプルな店内を、オレンジ色の照明がうっすらと照らしていい雰囲気。

 最初に注文したドリンクとおつまみの枝豆が届いた頃に、田端部長がしみじみと言った。

「いや~見事な手腕だったんだね。俺ら三人が三日間手を焼いてたコたちを、一人で一日四人も片付けちゃうとは」

 これは車の中や、ドリンクが来るまでの間に報告したことへの感想。部長はもちろん、社長もほとんど居合わせなかったし、溝口さんも喫茶店で三人目さんと話してた時のことは知らないしね。

「喫茶店でお話しした方はこれからですよ。国館社長、約束してきてしまったので、ちゃんと連絡してくださいね。話せば分かる人ですから、ちゃんと向き合ってあげてください。何でしたら、試しにお付き合いしてみるのもアリだと思いますし」

 わたしに話を向けられた社長は、困ったようにそっぽを向きウーロン茶に口をつける。注文の際、車を出してもらったせいでアルコールが飲めなくて申し訳ないと言ったら、部長が「こいつ下戸だから」と教えてくれた。社長は反論してたけど、どちらにしろアルコールは苦手らしい。よかった。遠慮なくアルコールを楽しめるわ。

 わたしの隣に座る溝口さんが、早くもアルコールが回ってきたらしく陽気に話し出した。

「それにしても、二人目の時はすごかったわぁ。瞬殺ですもん」

「八割方本気ですからね」

 けろっと言うと、溝口さんががたたと椅子を鳴らして立ち上がりかける。

「えっっ!? そうなの!?」

「それくらい本気でやんなきゃ、嘘がバレちゃうじゃないですか」

「あ、そういうこと」

 何期待してたんだろ? 見るからにがっかりして座り直す溝口さんに、わたしは苦笑する。田端部長も口元を曲げて笑いながら、わたしに話しかけてきた。

「でさ、興味本位で聞いちゃうけど、美樹ちゃんは壮一のこと気にならないの? ヘタレだけど、この身長にルックスで、おまけに社長だよ?」

 部長の話の途中でウーロン茶を噴いた社長が、咳き込みながら部長に文句を言う。

「ヘタレは余計だ!」

「照れ隠しすんなよ。おまえだってちょっとは気になってるくせに」

「そんなんじゃない! 僕はただ、粕谷さんのことが心配なだけで」

 あーあ、からかわれちゃって。社長っていつも部長にこんな風に遊ばれてるのかな?

 社長の反論を無視して、部長は身を乗り出すようにしてわたしに言った。

「美樹ちゃんもフリーなんでしょ? いっそのことフリじゃなくて本気で付き合っちゃったら?」

 魅力的なお誘いだけど、残念。わたしは肩をすくめながら答えた。

「わたし、国館社長を恋愛対象として好きになったりしませんから」

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