7、ヘタレ社長の胸の内
オフィスに戻ってすぐ、和弥に引っ張られて外に出た。僕たちがいると粕谷さんの邪魔になるからだというけれど、僕としては気が気でならない。
「粕谷さんに大変なことを任せておきながら外出するなんて、無責任じゃないのか?」
和弥の車の助手席に乗り込んでそう言うと、運転席に乗り込んだ和弥はうんざりしたようにため息をついた。
「あのなあ壮一。女どもに煮え切らない態度しか取れないおまえがいたって、美樹ちゃんの迷惑にしかならないだろ」
その通りだ。
僕のはっきりしない態度が招いてしまったこの事態。事情はあれど自らの意思でお見合いパーティーに出席したという弱みと、もともと他人に対して強く出られない性格もあって、訪れる女性たちを拒絶し切れなかった。心配だからと応接室に籠っていても、役になど立つわけがない。姿を現したところで、粕谷さんのすることの邪魔にしかならないに違いない。粕谷さんも、僕が和弥に引きずられていく様子を、どことなくほっとした様子で見送っていた。……情けない。
シートベルトをした和弥は、すぐに車を発進させた。
「それにしても意外だったよ。あんなに美樹ちゃんの怪我を心配してたのに、渡りに船とはいえ女どもを追い払ってもらうのを承諾するなんてさ。おまえのことだから、何が何でも断ると思った」
僕は無言で窓の外を見遣る。
そのつもりだったさ。部外者である彼女を巻き込みたくなんかなかったし、怪我をさせてしまったからには、これ以上危険な目に遭わせたくなかった。だけど、綿谷課長のあの言葉。
──粕谷君のことをね、よろしく頼むよ。
そのことを、僕は頭の片隅でずっと考えている。
──・──・──
二人目を撃退した後、国館建材さんのオフィスに戻ると、溝口さんの休憩中に留守番をしていた田端部長は、国館社長を連れて外出してくれた。
言わなくてもわかってもらえて助かっちゃう。女の戦いに男が混じると泥沼になる場合があるから、お二人には席を外してもらえて都合がいい。特に社長はテンパっちゃってわたしの足を引っ張りそうなので、いないほうが助かるのよね(やっぱり社長に対して遠慮がない)。田端部長が女性だったら、わたしがいなくても彼女たちを追い払えたでしょうに。ザンネンザンネン。
肝心のリフォーム案については、溝口さんに見てもらえばいいと、引きずられながらも社長は言い置いていってくれました。オフィスにいる時間が一番長いのは溝口さんなので、前に聞いた要望をクリアしたら、あとは溝口さんの好みにしていいのだとか。
で、その前に社から持ってきた粗品を手に、周囲のテナントに挨拶に伺った。
「えっと……リフォームの予定期間はまだ決まってないということですか?」
「はい。ですが、その前にまたちょーっとうるさくしてしまうかもしれませんので、その予告とお詫びも兼ねて、ご挨拶に伺った次第です。リフォーム期間については、決まり次第書面にして郵便受けに投函させていただくということでよろしいでしょうか?」
他のテナントオフィスでは。
「あの女どもには、わたしも腹に据えかねてたんですよ。“常識わきまえろ!”って。やるなら徹底的にやっちゃってくださいね!」
「はい、お任せください!」
一通り回った帰り道、溝口さんに耳打ちされた。
「ねえ、粕谷さん。リフォーム工事の挨拶回りって、こんな風でいいの?」
「これからまた少し騒がしくしてしまうことのお詫びもしなくちゃならなかったですし、何度もお邪魔するより直接伺う機会はまとめて最小限にしたほうが、皆様も都合がいいかと思いまして」
挨拶回りが済んだ後は、溝口さんにリフォーム案を見てもらって、要望を聞いたり話し合ったりした。そうして出てきた新たな案を、持参したノートパソコンのプレゼンデータに反映させる。最近のノートパソコンは性能がいいから、リフォーム専用のプレゼンテーションソフトなら十分使えるのよね。
溝口さんもパソコンの前に座って、お互い黙々と仕事をする。キーボードを叩いたりマウスを動かしたりする音が響くだけで、とても静か。
国館建材さんには固定電話はないんだそうだ。基本的にホームページで注文を受け、製造元へ自動的に発注する。国館社長、田端部長は仕事用のスマホを持っているけれど、番号は顧客にしか教えていない。今のところそれで事足りるので、ホームページには電話番号を載せてないそうだ。もしここに固定電話があってホームページに番号を載せていたとしたら、電話もじゃんじゃんかかってきてうるさかっただろうな。
そんなこんなで四時過ぎまで仕事に集中できたところで、三人目がやってきた。
控えめなノックの音がして、日本人形みたいにまっすぐで真っ黒な髪をしたおとなしそうな女性が入ってきた。
溝口さんは席を立ってカウンターに近寄る。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」
打ち合わせ通り、まずは溝口さんが通常の対応に出る。今まで迷惑かけられてるからといって、最初から喧嘩腰になると余計ごたごたしちゃうからね。
「あ、あの、国館壮一さんは……」
「社長の国館は、あいにく外に出ております」
おどおどした二十代後半くらいの女性に、溝口さんはカウンター越しに取りつく島のない返答をする。押さえてるんだろうけど、怒りが見え隠れしてるよ、溝口さん。今のところ迷惑行為には見えないんだけど、何度も対応している溝口さんは堪忍袋が切れかけてるんだろうな。
「い、いつ頃お戻りに……」
「申し訳ありません。本日は帰社しない予定になっております」
「で、でしたらいつなら……」
「申し訳ありませんが、社長の予定は流動的なので定かなことをお答えすることはできないんです」
「あの……前に私の連絡先を伝えていただくようお願いしたと思うんですが、まだ連絡をいただけていないんです」
「お預かりしたメモは確かに国館に渡しましたが、プライベートに関してはわたしのほうではわかりかねます」
「……」
うつむいた彼女は、出ていくわけでもなく何か言うわけでもなく、その場にじっと立ちすくんでいる。
静かだけど、うーん、こういうのも確かに困るな。
わたしは黙って立ち上がり、ショルダーバッグを持ってカウンターに向かう。接客カウンターを回って戸口のほうに出ると、わたしは困った来訪者さんに声をかけた。
「国館社長のプライベートの話がしたいなら、ここから出ましょう」
「え……?」
「ここで話し込んでしまうと、お仕事の邪魔になるので」
来訪者さんは、途端にかあっと真っ赤になる。うん、いるよね。思い詰めるあまり、自分がどれだけ周囲の人に迷惑をかけてるか気付かない人って。
この女性は良識のある人だったみたいで、二度も言わなくてもわたしについてオフィスから出てくれた。
「立ち話も何ですから、下の喫茶店に行きますか?」
「……はい」
階段のほうへ向かうわたしの後ろを、彼女がおとなしくついてくる。わたしは防火扉の枠をくぐって、階段を下りはじめた。
そう。何で防音効果の高いビルの上と下の階にまで何で騒ぎが届いてしまったかというと、階段のところに防火扉はあっても、普段開けっぱなしなので筒抜けになっちゃうのね。
階段を一階分下りてすぐのところに、昼食を食べた喫茶レストランがある。
「ここでいいですか?」
「あ、はい……」
オルゴール曲が静かに流れるレトロな内装の喫茶店に入っていくと、40代くらいの女性の店員さんが「いらっしゃいませ」と声をかけてきながらわたしに目配せした。実は戦いの舞台の一つにさせてほしいとあらかじめお願いしてOKもらってあったんだ。
わたしは店の隅っこのほうにある、大きな観葉植物の陰になっている席を選んで座った。
「ご注文をお伺いいたします」
「わたしはブレンドコーヒーで。あなたは?」
メニューを広げて差し出したけど、彼女はろくにメニューを見ずにおどおどと答える。
「あ……わたしも同じものを」
「ブレンドコーヒーを二つですね? 少々お待ちください」
好奇心を押し隠しながら店員さんが離れていったところで、目の前の女性は打ちひしがれた様子で謝ってきた。
「……さきほどはすみませんでした。なんてお詫びをしたらいいか……」
そこまで思い詰めなくてもいいんだけどな……。
「わかってくださればそれでいいんです。人は誰でも間違えますし、これからの行動を改めてくだされば」
できるだけ柔らかい口調で慰めるように言ったけれど、うつむいたまま悲愴な表情も少しも和らがない。
「……はい。申し訳ありませんでした」
きっと何事も思い詰める性質なんだろうなぁ。思い詰めるあまり突飛な行動に出てしまって、その行動がマズかったことに気付いて心底自分を責めている。
この分だと、果てしなく自分を責め続けそう。わたしも経験のあることなので、放っておけず一つひとつ問題点を洗っていった。
「他の人が国館社長を狙ってるって知って、遅れを取っちゃいけないって焦っちゃったんですよね?」
「……はい」
「あなたは他の方々と違ってうるさくしないから迷惑はかけてないって思っちゃっただけで、お仕事の用事でもないのに職場に押しかけて居座ることも迷惑になるって、ちゃんと気付きましたよね?」
「……はい」
「国館社長があなたと連絡を取ろうとしないのは、残念ながらあなたとおつきあいするつもりがないという意思表示だと思うんです。ですから……」
話しかけたところで、わたしはぎょっとする。
相手の女性はぽろっと涙をこぼし、バッグを探ってハンカチを取り出そうとしてるところだった。
「ご、ごめんなさい……やっぱりそうですよね。わかってたんですけど、諦めきれなくて……」
……やっぱり不思議だわ。あの社長のどこにこんなに惚れ込んだんだろ。
「あの……」
話しかけようとしたところにコーヒーが運ばれてきて、わたしは口をつぐむ。
「お待たせいたしました」
店員さんはコーヒーをテーブルに並べながら、わたしのほうにちらちらと好奇と同情の視線を向けてくる。わたしも彼女がこっちを見てないのをいいことに、“大丈夫です。ありがとう”代わりに苦笑してみせた。
わたしはコーヒーにフレッシュだけ入れ、かき混ぜながら尋ねる。
「えっと、立ち入ったことを申し訳ないんですけど、国館さんとはお見合いパーティーで知り合われたんですよね? 国館さんのどんなところが好きなんですか?」
日本人形みたいな髪の女性は、真っ赤になって動揺し、それからうつむいてぽつぽつと話し始めた。
「国館さんだけだったんです。お見合いパーティーで声をかけてくれた人は。……わたしこんなだから、頑張らなきゃ結婚もできないと思って、思い切ってパーティーに参加したんですけど、誰にも見向きされなくて。そんな時に、国館さんが声をかけてくださったんです。たくさんの人たちに囲まれてたのに、その人たちをかき分けてわたしのほうへ来てくれて。他の男性の方と話せるように話題を振ってくださったんですけど、その時にはもう、国館さんしか見えなくて。それで、どうしてももう一度お話ししたかったんです……」
声を詰まらせ涙をこらえる彼女を見ながら、わたしの中でいろんな思いがふつふつとわき上がる。
この人の性格からして、積極的に出なきゃいけないお見合いパーティーは向いてないよ。結婚相談所とかで話を聞いてもらいながら相手を探してもらったほうがいいと思うんだけど。ってそんなおせっかいな話はどーでもよくて。お見合いパーティーで誰にも相手にされなくてぽつねんとしてるところに、他の人たちを振り切って話しかけてくれる人がいたら、わたしだってよろめいちゃうよ。わたしを助けてくれた時といい、国館社長ってば天然たらしの素質があるんじゃない?
そんなことをぐるぐる考えていると、女性はまたぽろっと涙をこぼした。
「最初からわかってたんです。国館さんはパーティーの終わりに誰ともカップルにならなくて。だからわたしのことも選んでくれなかったんだって。諦め悪いですよね。自分でも嫌になっちゃう……」
泣きながら懸命に笑顔を作ろうとする彼女に、わたしの目頭はじんと熱くなる。望み薄だとわかっていても、それでももう一度チャンスが欲しかったんだよね。
お節介が過ぎるかもしれないけど、彼女にもう一度チャンスをあげたい。群がる女の人たちに恐れをなして逃げ帰った社長には、誰かを選ぶどころか一対一で向き合う余裕すらなかったはず。だから、国館社長には彼女と向き合って選ぶか選ばないか決めてほしい。彼女の気を引いたのは社長なんだから、それくらいはしてもらわなきゃ。この人が常識のある人だってわかったから、そう思うんだけどさ。
それに、社長も逃げてばかりじゃ駄目だと思うの! ──っていうのは、引き受けたのとは違うことをする自分への言い訳だったりするけど。
「じゃあこうしましょう。もう一回だけ、あなたが連絡を欲しがっていたと社長に伝えます。あなたは社長からの連絡を待ってください。ただ申し訳ないんですけど、社長がすぐに連絡してくださるとは限りません。実は国館社長も大層気弱な方で、それであなたや他の方々からも逃げ回っていたものですから」
「は、はあ……」
女性は生返事をしながら、困惑した表情をする。そりゃそうだよね。自分を救ってくれた“王子様”が、よもや“気弱”であるとは思うまい。その気持ち、わたしもよくわかるよ。──としみじみ思うのは後回しにして、わたしは話を続ける。
「ですが、社長から必ず一度は連絡をするよう伝えます。その代り、社長がどんな返事をしたとしても、その結果を受け入れてください。お約束いただけるのでしたら、わたしが責任もって社長からあなたに連絡させます」
わたしってば、勝手なこと言ってる。でもちゃんと女性と向き合えなくちゃ、社長だって今後困ると思うの。──というのは余計なお節介だとはわかってるけど、彼女みたいな人を追い払うこと自体お節介が過ぎると思うから、いいよね?
女性はかすかな希望を抱いたようで、「は、はいっ」と急き切って答えて、バッグから名刺を取り出した。
「こちらは国館さんに。それと、あの、あなたにも……」
「あ、そうですね。じゃあわたしも」
わたしも名刺を取り出してスマホの番号とメールアドレスを書き込み、彼女の差し出す二枚と交換する。……長谷川千弓さんか。名刺大のカードに、几帳面な文字で電話番号とメールアドレスが書かれている。
わたしの名刺をじっくり見た後、長谷川さんは戸惑いながら顔を上げた。
「あの、えっと……“オフィスリフォーム・レイアウト 綿谷デザイン”って……」
「わたし、国館建材さんの社員じゃないんです。国館建材さんのオフィスのリフォームデザインを担当している者でして。国館建材さんが困っておられるのを事務所の所長が聞きつけまして、それで所長公認でわたしが問題解決のお手伝いをしているというわけです」
「あ、あの……申し訳ありませんでした……」
「わかってくださればいいんで、もう気にしないでください」
その時、遠くから女性のヒステリックな声が聞こえてくる。話が終わりかけてるところに、何ていいタイミング。わたしは預かった名刺をバッグにしまって財布を取り出した。
「あ、ここはわたしが」
「いえ、ワリカンで!」
私は一杯分のコーヒーの代金をテーブルの上に置くと、財布をバッグにしまって立ち上がる。
「慌ただしくてごめんなさい。お引き受けしたことはちゃんとしますから!」
喫茶店の店員さんに会釈しつつ、早歩きでお店を出て、わたしは急いで階段を上がった。