6、何の打ち合わせしてるんだか
『ノートパソコンを持っていけば、国館君とこのオフィスでも仕事ができるし、細かなリフォームの要望を聞けて好都合だからね。もちろん、粕谷君の意向も聞かなければならないけど。どう? 残り四人の女性も何とかできそう?』
『お任せいただけるなら、精一杯やらせていただきます!』
『じゃあ決まりだね』
『ちょっと待ってください! これ以上ご迷惑をかけるわけには……!』
『国館社長。田端部長からお話をいただいた時はあんまり出しゃばってもどうかと思って申し上げなかったんですが、雇用主である綿谷所長から許可をもらったので、これで心おきなく戦わせていただくことができます。うふふ、腕がなるわぁ』
『あ、あの、粕谷さん……?』
『期間はプレゼン終了まで。一日くらいで終わるだろうけど、その女性たちは毎日のように訪れているそうだから、全員と遭遇できる機会があるでしょ。じゃあ粕谷君、準備をしておいで』
──というやりとりがあった後、会社に送ってもらったはずのわたしは、社長の運転する車に再び乗っている。
固辞しようとしていた社長は、わたしが準備のために離れている最中に綿谷所長に説得されたらしい。支度を終えて戻ってくると、項垂れた社長が所長に「じゃあよろしくね」と言われ肩を叩かれていた。
ちなみに、何故田端部長の車を借りたのかというと、社長の車は自宅マンション地下の駐車場に停めてあるため、マンションを出入りする姿を見られてしまう危険があるからだ。今のところバレてはいないけれど、住まいまで知られてしまうとマズい。さっきの女とのやりとりを見た限り、部屋に上がられてしまうのがオチだ。それ以上の想像はコワいのでやめておくことにして。
社長みたいに長身で体格がいい人に「迷惑ですから二度と来ないでください」って怒られれば、怖くて逃げてい──かなかったとしても、多少は彼女たちを大人しくさせられるんじゃないだろうか。
発信した車が最初の赤信号で停まった時、国館社長は思い切ったように切り出した。
「やっぱりやめましょう。粕谷さんが危険です」
「他の四人の方って、そんなに凶暴なんですか?」
「い、いえ、そういうわけでは……。ただ、粕谷さんが積極的に関われば、事故か何かで先ほどよりひどいことになる場合だって……」
社長が最後まで言えず黙ってしまった時、交差する道路の信号が青から黄色に変わるのが見えた。
「あ、信号変わりますよ」
「ここを曲がって一周回れば、御社に戻れますよね?」
「戻っても、また綿谷所長に説得されるだけですよ。国館建材さんのオフィスに向かいましょう。リフォーム案もまだ見ていただいてないですし」
信号が青に変わり、社長は車を直進させた。もうちょっと揉めるかと思ったんだけど、すんなり行ってもらえてよかった。運転中に行き先を迷うのは危険だからね。
車がスピードに乗ると、社長はまた話しかけてきた。
「リフォーム案を見せていただいたら、もう一度御社にお送りします。やっぱり粕谷さんを巻き込むわけにはいきません」
言い寄ってくる女の人たちは追い返せないのに、こういうところは頑固なんだなぁ。──と失礼なことを思いながら、私は遠慮がちに返す。
「でも、あと四人の方も追い払──いえ、国館社長のことを諦めていただかなくては、リフォーム案を見ていただいても意味がなくなってしまうような気がするんですが」
さっきみたいなことが頻繁に起こるようじゃ、オフィスを構えても仕事にならない。周囲のテナントさんやそこに訪れるお客さんにも迷惑だから、最悪退去も考えなくちゃならないだろう。
社長もわたしと同じことを考えたらしく、「う……」と小さく呻いて黙りこんでしまう。ちらっと目をやると、社長は前方を見ながらも、困り果てて渋いものでも食べたように顔をしかめていた。
年上でわたしよりずっと背の高い男の人のそんな情けない様子に、わたしは失礼だと思いながらもかわいいと思ってしまう。
ホントに困ってるんだろうなぁ。わたしを巻き込んでもし何かあったらいけないと思うけれど、現状を考えたら他に打開策を見いだせなければわたしどころかもっとたくさんの人に迷惑をかける(かけ続ける)ことになる。気が弱くて優しすぎるから、迷惑をかけてくる彼女たちの事をきっぱり拒絶して傷つけることもできない。で、悩み過ぎて身動きが取れないでいる。
いい人ではあるのよ。ただ優しすぎるせいで、優しさの方向を間違えちゃってるだけで。
で、何でこんな気の弱い人が起業することにしたのか不思議だったりするんだけど、今はそれより社長を説得しなきゃね。国館建材さんがテナントを退去することになって、リフォーム案まで作成した仕事がフイになったら泣くに泣けない。
何と言ったら納得してもらえるか、悩みながらわたしは話し始めた。
「あのですね。わたしは国館社長に恩返しができて嬉しいんです。ほら、先週助けてくださったじゃないですか。すごく困ってたところだったので、助かったんです」
一瞬驚いた目をわたしに向けてきた社長は、すぐに前を向き、ほんのり目元を染めてもごもごと言った。
「いえ、あの時はただもう必死で……。ろくにしゃべれないしがたがた震えるしで、情けなかったです。今思えば、僕の助けなんかなくとも大丈夫だったのではないかと。余計なことをしたのでしたら、申し訳ないです」
「余計だなんてとんでもない。あの人は何を言っても話が通じないので、国館社長に割って入っていただけて本当に助かったんです」
「ですが、そのせいで粕谷さんが二股をかけているなどという不名誉な誤解を受けてしまうことになって……」
あーうー。そういう見方はあるにはあるんだけど、そっちに行ってほしくないんだってば。わたしは社長のほうを向いて力説する。
「そのくらいのことであの男を追っ払えたんですから、安いものですよ! そしてご安心ください! ああいったタイプはプライドが高いので、自分が二股をかけられてたなんて不名誉な噂をバラまいたりなんかしません」
文句を言うために篤史さんにバラした可能性があるけど、それはなかったことにして話す。
「あの人が一人で勝手にそう思ってるだけで、わたしや、もちろん国館社長の評判も傷ついたりなんかしませんから! わたしが厄介な男から解放されたっていういい面だけを見ましょ。ね?」
「ですが」
まだ何か言おうとする社長を、わたしは自分の言葉でぴしゃりと遮った。
「その話はともかくとして、今一番に話し合うべきはわたしが国館社長の問題に関わるか関わらないかです。わたしのことを心配してくださるのはいいんですけど、溝口さんはどうするんです? これからもずっとあの方たちの対応を任せるおつもりですか? 一番大変なのは直接対応する溝口さんなんです。国館社長の一存で断ったりなさらず、まず溝口さんの意見を聞くべきなんじゃないですか?」
取引先の社長さんに対する言い草ではないけれど、こうでも言わなきゃ話が終わらない。
社長が反論できなくなってほどなく、車はオフィス近くの月極駐車場に到着した。
送ってもらったのに戻ってくるって、マズいことしたわけじゃなくてもいたたまれないものなのね。
「お邪魔しまーす……」
国館社長が開けてくれたドアをこそこそくぐると、パソコンから顔を上げた溝口さんは一瞬不思議そうに首を傾げかけながらも、にこやかな表情をして立ち上がった。
「あら? 粕谷さん、何か忘れものですか?」
「いえ、実はですね。ウチの所長に言われて、残り四人の方たちもわたしが引き受けてはどうかという話になったんです」
「はい?」
今度こそ完全に首を傾げる溝口さんに、わたしは手短に経緯を話した。
すると、溝口さんはぱあっと顔を輝かせて、カウンター脇に立っていたわたしの目の前まで近付いてくる。
「ホントにいいんですか!? ありがとうございます! 助かります!」
「え……あの、溝口さん?」
社長は心のどこかで溝口さんも反対してくれると思っていたらしい。真逆のリアクションにおろおろしだす。そんな社長を気にせず、溝口さんは満面の笑みで言った。
「よかったですね、国館さん。粕谷さんならきっとあの人たちを追い払ってくれますよ」
頼みの綱だった溝口さんにも裏切られ(?)、社長はがっくりと項垂れた。
仕事の打ち合わせもそっちのけで、何の打ち合わせしてるんだか。──と思わないでもないんだけど、オフィスビル二階にある喫茶レストランにて、昼食をとりつつ急を要する案件から取りかかっているところです。
「家族構成を教えてください」
「父と母は健在で、兄と弟が一人ずついます。遠くに住んでいるので、あまり行き来はしていないです」
「じゃあ次は略歴を教えてください」
何をしてるかというと、社長に言い寄ってくる女性を追い払うなら恋人のフリをするのが効果的で、恋人役なのに社長のことをろくに知らないのではマズいので、社長のプロフィールを一通り聞き取っているのです。
社長は小中高と地元の公立の出で、大学は国立の経済学部。卒業後は田端部長に誘われてマンション販売員になって8年ほど勤めたけど、不況のあおりでマンションがあまり売れなくなってきたのを機に販売員を辞めて、田端部長と一緒に起業したんだそうな。
あの押しが強そうな田端部長なら国館社長をそその……いや、国館社長に起業の決心をさせるくらいわけないと思うんだけど、そこで一つ疑問が。
「一緒に起業したなら、何で田端部長は社長にならなかったんでしょ? 部長の押しの強さは会社を引っ張ってくのに適任だと思うんですけど」
正面の席で日替わり定食に箸をつけている社長。やっぱりかっこいいな。これでヘタレ(←わたしの脳内ではすでに遠慮がない)じゃなきゃなおいいんだけど。
残念なことに、社長の返事は口調も内容も弱々しかった。
「僕もそう思って社長になることを勧めたんですが、和弥──田端が“おまえが発案者なんだからおまえが社長になるべきだ”と言って譲らなくて……」
田端部長ってリーダー気質だと思ってたんだけどな。それとも、社長の責任を引き受けるのが嫌とか?
ま、それはともかくとして。
「どういうきっかけで発案なさったんですか?」
「マンション販売員だった頃、お客様からシックハウス症候群の相談を受けることが多かったんです。当時シックハウスのことがマスコミで取り上げられはじめたばかりで、情報があまりなかったためにその名前だけが一人歩きしてしまっていた時で。一販売員にできることなんてたかだか知れてるんですが、情報を集めていくうちに低シックハウス建材を使ったリフォームを行う方法があることを知ったんです。ですが僕の勤めていた会社には当時リフォーム部門がなくて、リフォームをしてくれる会社を探して連絡を取ったんですが、シックハウス症候群についてよく知らないからと難色を示されましてね。ともかく自然素材を使った建材を利用してもらえればと頼んでみたんですが、マンションのような気密性の高い住居に従来の建材が合うかどうかという問題に行きあたって。──有機化合物を使った建材は、防腐性防かび性に優れてますからね。ご存知かと思いますがシックハウス症候群の原因は揮発性有機化合物だけではなく、住居に発生したカビやダニによっても起こります。室内環境に由来する健康障害を総称してシックハウス症候群と呼ぶのですが、原因も症状も多種多様で、今もまだ発症のメカニズムは解明されていません。ですがシックハウス症候群に悩んでらっしゃる方がいるからには、メカニズムが解明されていないからといって何もしないわけにはいかない。それで自然素材を使った建材でマンションやビルといった気密性の高い建物でも利用できる建材を探しているうちに、少人数で建材を製造している方々と知り合うようになって。ですがいい建材を製造していてもそれを手広く販売する方法がない、自然素材を使ったリフォームを手掛けたいけどいい建材を手に入れられない。そういう方々の取引を円滑に行う方法はないかと考えているうちに不況になって販売成績が落ちてきたんで、いっそマンション販売員を辞めて会社を起こそうということになったのが三年前なんです」
私の隣に座っている溝口さんが、溜めていた息を吐くように感慨深げに言った。
「そういうことだったんですね。わたしも常々不思議に思ってたんですが、ようやく納得しました」
「え? 溝口さんもご存知じゃなかったんですか?」
意外に思いながら横を向くと、溝口さんはちょっと気まずそうな笑みを返してきた。
「今まであまり話をする機会がなかったから聞きそびれちゃってたの。──わたしが国館建材の従業員になったのは、二か月くらい前なんだけど、ここのオフィスを借りるまでわたしは在宅勤務で、それまでほとんど国館さんとはお話したことがなかったのよ」
「えぇ!? そうだったんですか!」
二か月? てっきり、もっと前から勤めてるんだとばかり思ってた。わたしが驚くと、「ええ、そうだったの」と溝口さんは苦笑する。
「前からホームページの管理を手伝ってきたんだけど、今までは外注みたいな立場で仕事量に見合う報酬をもらってたの。でも国館建材が軌道に乗って仕事量が増えてきたから、勤めていた会社を辞めて国館建材に正規雇用されることになったのよ」
「そうだったんですね~」
当然と言えば当然だけど、知らないことばっかり。
その後は溝口さんとばかり話して、昼食を終えた。
「そのようなことをしていただくわけには」
「いえ、このくらいのことはさせてください」
「これくらいのお礼は受け取っちゃいましょうよ。わたしも迷惑料にオゴってもらうし」
「はい……じゃあごちそうさまでした」
そうしてお店を出てすぐのこと。
「国館さん! ここでお会いできてよかったー。今オフィスに伺ったら、お食事に出てらっしゃるって聞いてー」
エレベーターのあるほうから歩いてくるのは、午前中に遭遇した女同様おしゃれをした女性。この人も今日がお仕事お休みなのかな。──もしかして有給使って来てたりして。
斜め前に立つ国館社長の体が、動揺してびくっと震えるのが見えた。本気で怖がってるなぁ。女性恐怖症? とふと思ったけれど、溝口さんやわたしに接する時はまあ普通だし、そんなことないか。
後退りかけた社長の腕にわたしはするりと手をかけた。
「壮一さん、この方誰?」
彼女は一瞬で想像をめぐらしたのだろう。
お店から社長と一緒に出てきた女(あ、わたしのことね)。腕を組むほどの親密な様子。何気ない一言とは裏腹に、あからさまに警戒する女の視線。
女性は羞恥に頬を染め、振り上げた手で思いきり社長の頬を叩いた。
「彼女がいるならいるで、ちゃんと最初からそう言いなさいよね!」
くるりときびすを返し、肩を怒らせて去っていく。
姿が見えなくなり、階段を下りていく足音が遠ざかったところで、後ろにいた溝口さんが社長の前に回ってきた。
「だ、大丈夫ですか……?」
社長は呆然としたまま、叩かれた頬にのろのろと手を添える。わたしはその頬がちょっと赤くなっているのを見て苦笑した。
「まあ、ビンタ一発で追い払えたなら安いものですよね? これで一人──いえ、二人目クリアです」