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5、肝心の打ち合わせは?

 国館建材さんのオフィスは、入ってすぐのところにカウンター、その後ろに事務デスク四つが向かい合わせにくっつけられている。その奥にはドア付き間仕切り壁があり、長方形の部屋を二部屋に区切っている。壁際に古いタイプの事務戸棚。どれも、前にこのオフィスを借りていた企業さんが置いていったものだそうだ。その企業さんはオフィスのメンテをすることなく長年使っていたようで、オフホワイトだったと思われる壁紙はよく見るとうっすら違う色がかかり、端のほうが少しはがれかけていた。経費削減は天井や床にも及んでいて、汚れや擦り切れが目立っている。

 このビルのオーナーは、他のテナントに迷惑をかけさえしなければ各々のテナントで好きにリフォームしてくれていいと言う。そこで国館建材さんは、会社設立当初から取引のあるウチの会社にリフォームを依頼してきた。


 間仕切り壁の奥の応接室に案内されたわたしは、これまた前の借家人が置いていったという古びたソファに座り、頬に濡れたタオルを押し当てている。

 そんなわたしの向かい側に座る二人が、こんなやりとりをしていた。

「へー、そんなことがあったんだ」

「“へー”じゃないわよ。何で肝心な時にいなかったの?」

「無茶言うなぁ。予定通り得意先回りしてこいって言ったのはおまえじゃないか」

「それにしたって、すっかり終わってから戻ってくるなんて、タイミング良すぎ!」


 溝口さんが責めている相手は、営業部長の田端さん。

 国館建材さんは、社長の国館さんと、営業部長の田端さんと、事務を担当している溝口さんの三人で運営している会社だ。

 そして溝口さんと田端部長が付き合っていると知ったのは、あの女が押しかけてきた事情について教えてもらった時だった。

 知り合いにどうしてもと頼まれて、先週末のお見合いパーティーに出席することを決めた田端部長。でも田端部長には溝口さんという恋人がすでにいる。単なる数合わせだと言い訳されても、男女の出会いの場に恋人が出席すると聞かされて、溝口さんが穏やかでいられるわけがない。話を聞かされる数日前まで喧嘩していたからこそ、裏切りとも言えるその行為が許せなくて。田端部長は溝口さんの言い分に納得し反省したものの、義理やら何やらあってそのパーティーに空席を作るわけにはいかない。そこで国館社長が代わりに出席することを申し出た。ところが田端部長の知り合いさんとやらは、ピンチヒッターにすぎない国館社長をパーティーの目玉みたく紹介したため、フリートークの時間開始早々女性たちは国館社長に群がる群がる。──あ、この情報は田端部長の知り合いさんからだそうな。社長はお見合いパーティー恒例の「何番の人が気に入りましたか?」アンケートを無記入で提出してすたこら帰って来たけれど、会社名をパーティーで公表されてしまったせいで会社の所在地を突き止められ、現在五人の女性に代わる代わる押しかけられているのだという。


 ちょうど話が終わったところで田端部長が帰ってきたものだから、溝口さんは“タイミング良すぎ”と怒っているわけです。

 先ほどあった話を聞き終えた田端部長は、本当に残念そうにしみじみと言う。

「いやー、残念だよ。そんな面白い場面に出くわせなくてさ」

「面白くなんかないわよ! 粕谷さんを巻きこんじゃって怪我までさせちゃったんだから! あんたがいればそんなことにならなかったかもしれないのに!」


 週末明けから女性たちが押しかけてきたということだったけど、昨日までの三日間は田端部長と警備員さんで何とか追い返していたんだそうな。けれど今日は田端部長がいなくて警備員さんが追い返そうとしていたところに私が居合わせて、騒ぎを大きくしてしまったというわけだ。


 こっちこそ間の悪い時に居合わせちゃってごめんなさい。──と言い出すとまた堂々巡りになっちゃうので黙っていると、田端部長が申し訳なさそうな笑みを浮かべて話しかけてきた。

「怪我、そんなに酷いの?」

 わたしがずっと頬に押し当てているタオルに視線が移る。

「いえ、大したことないです。そう何度も申し上げてるんですが……」

それ以上言いにくくて言葉を濁すと、わたしの後ろに立っていた国館社長が怒ったように言った。

「腫れてはいなかったですが、赤くなっていたじゃないですか。痣になったら大変だから病院に行くべきなのに、冷やすだけで十分だからとおっしゃるから冷やしてもらっているんです。──そろそろタオルを交換しましょう」

 テーブルに置いてあったタオルを手に取ると、社長は部屋から出ていってしまう。


「ホントにもう大丈夫なんですけど……」

 直接言えずに扉が閉まってからぽつんとつぶやくと、田端部長がこぶしで口元を押さえぷっと噴き出した。

「ごめん。あいつ、何事も思い詰める性格でね」

 自信に満ち溢れててもおかしくない外見をした社長が、何故そんな性格になったのか。気になるけど、仕事の関係で知り合ったばかりなんだから聞いたらマズいよね?

「はあ……」

と、曖昧に返事を返すと、正面に座っている田端部長にさらに笑われた。隣に座る溝口さんが、部長の膝を叩く。

「責任を感じてるのよ。ほら、粕谷さん名刺を渡しちゃったでしょ? あの人が粕谷さんに迷惑をかけやしないかって心配してたし。わたしも逆恨みが心配だわ。そういうことしそうなタイプに見えたから」

 溝口さんは酷く心配げな顔をする。うーん、助けたつもりが逆に心配っていう迷惑をかけちゃったな。

「心配をおかけしてすみません。でもこっちだって連絡先を握ってますし、あの方治療費云々に怯んでましたから、下手な手には出てこないと思います。もし何か仕掛けてきたって、返り討ちにしますから大丈夫です!」

 安心してもらおうと力説すると、困った顔をする溝口さんの隣で田端部長が三度みたび笑い出す。

「いやぁ、頼もしいねぇ。そんな粕谷さんを見込んで頼みたいんだけど、壮一の恋人役やってくんない?」

「は?」

 突拍子のない申し入れに、わたしは思わず間の抜けた聞き返しをしてしまう。田端部長はわたしの不作法を気にせず、得々と語り出した。

「もちろん“フリ”ね。押しかけてくる女の子たちも、壮一に決まった相手がいると知ったら諦めるだろうし。もし諦めなかったとしても、君なら撃退できそうだ」

「何馬鹿なことを言ってるんだ。そんなことを頼めるわけがないだろう」

 どこから話を聞いていたのか、国館社長が呆れ口調で言いながら戻ってくる。傍らで膝をついた社長に絞ったタオルを差し出され、わたしは「ありがとうございます」と小さく礼を言って今まで頬に当てていたタオルをテーブルの上に置いてから受け取った。うーん、厚化粧はしてないけど、やっぱりタオルにファンデがついちゃったな。真っ白だから余計目立つ。普通に洗濯して取れるんだろうか? ──と考えていると、社長がそのままの姿勢で話しかけてきた。

「田端が図々しいことを言ってすみません。粕谷さんをこれ以上巻き込むわけにはいきませんから、気にしないでください」

「国館さんの言う通りよ。だいたい、お願いしたところで粕谷さんにもお仕事があるんだから、ずっといてもらうわけにはいかないでしょ?」

 溝口さんのもっともな意見を聞いて、田端部長はごにょごにょとつぶやいた。

「そりゃそーだけど、名前だけでも借りれたら偽の恋人でも信ぴょう性が増すんじゃないかって思っただけで……。だいたい、最初は夕歩が恋人のフリしてたのに、壮一が馬鹿正直にバラすから」

「嘘だってわかってながら嫉妬してたのは、どこのどいつだ」

 話の流れからすると、ユウホっていうのは溝口さんのことかな? でもって、社長ってもしかして内弁慶? 社長の冷ややかなツッコミの後に、溝口さんがため息混じりに言った。

「名前だけ借りたところで、あの人たちが引き下がるとは思えないわ。彼女たちも必死だし、一度嘘がバレたからには、そう簡単には騙されてくれないと思うの」

「どちらにしろ、粕谷さんに頼るのは駄目だ。──粕谷さん。今から会社に送ります。粕谷さんを巻き込んでしまったことを謝罪しに伺わなければならないですし、上司の方と相談してやはり行ったほうがいいということになりましたら病院に連れて行きますから」

 これを聞いて、わたしは慌ててしまう。

「そこまでしていただくことはっ! ホント、大したことないんです!」

 大げさにしてもらうのはちょっと困る~。けど、社長にぴしゃっと言い返されてしまった。

「仕事のために来てくださった粕谷さんを怪我させてしまったんですから、会社に謝罪に伺うのは筋というものです。──和弥、車借りるぞ」

「へいへい」

 面倒くさそうな返事をした田端部長は、立ち上がってスラックスのポケットから鍵を出して渡す。

 社長が扉に向かうと、田端部長は仕方なく立ち上がったわたしの側に寄ってきて、こっそり耳打ちした。

「ごめんね。あいつ、こうと決めたらてこでも動かないから」

 ……はい、それは何となくわかってきましたが、肝心の打ち合わせは? まだ始めてもいないんですけど……。



 ──・──・──



「ただいま戻りましたー。所長、お客様です」

「し、失礼いたします」

 元気に挨拶するわたしと、おどおど小声で言う国館社長。

 パソコンから顔を上げた綿谷所長は、嬉しそうに笑って席を立った。

「おお、国館君。久しぶり」

「綿谷所長、お久しぶりです」

 国館建材さんとは前からウチと取引があるから顔見知りであってもおかしくないけど、何かそれ以上に親しげな感じ。デスクを回って近寄ってきた綿谷所長は、国館社長の肩を叩いた。

「今日はどうした?」

「アポイントも取らずにお伺いしてすみません。実は、粕谷さんを私事に巻き込んでしまい、怪我をさせてしまいまして……」

 社長が深々と頭を下げようとするので、わたしは慌てて弁解する。

「大したことないんです。ただ、国館社長にすごく心配をかけてしまっただけで」

「いえ、それだけでなく、我が社の窮地を救っていただくために、やっか──いえ、問題のある方に名刺を渡してしまわれまして」

 わたしたちが交互に課長に話しかけていると、いつの間にか近くにいた蓉子先輩が提案した。

「所長。どうやら込み入った話のようですし、場所を変えませんか?」


 小会議室に移動し一通り話を終えると、蓉子先輩がほっとしたように言った。

「それじゃあ怪我と言っても頬が赤くなっただけなんですね? 社長さんが直々に来られたから、もっと酷いのかと思っちゃいました」

 わたしの指導係ということでちゃっかり同席した蓉子先輩は、国館社長とわたしの言葉を巧みに引き出し、事の全容をほぼ聞き取った。綿谷所長はほとんど口を開かず、ふむふむと耳を傾けていただけだったりする。そのためか、国館社長の謝罪の言葉は蓉子先輩に向いた。

「女性の顔に傷を付けてしまったこと自体、申し訳のないことです。それに、名刺には御社の所在地等書かれていたものですから、もしその女性が逆恨みをして御社に迷惑をかけることになってしまいましたら……」

 それについて考慮しなかった点は、わたしも軽率だったと思う。わたし個人に向かってくるだけなら受けて立つけど、会社を標的にされたらわたしだけの問題じゃなくなっちゃうし。うーん。

 反省してしおらしくしていると、蓉子先輩は所長に話しかけた。

「所長。美樹ちゃんは社の人間として、国館建材さんのオフィスに訪問した理由を説明するために名刺を渡しただけですから、特には問題ないですよね?」

「ああ。まあそうだな」

「もしその女性が我が社に嫌がらせをしてきたとしても、我が社にも“美樹ちゃんにも”身に覚えのないことですから、警察に訴えることができるでしょうし」

「え? でも……」

 わたしが困惑して遠慮がちに口を挟むと、蓉子先輩はわざとらしいくらいの明るい笑顔をわたしに向けてきた。

「だって、美樹ちゃんは誰なのか尋ねられたから名刺を渡して自己紹介をしただけだし、被害者として相手の連絡先を要求するのは当然。迷惑を考えずに押しかけて自分の要求を押し通そうとするヤツなんて、追い払って正解よ。わたしは美樹ちゃんを“よくやった!”って褒めたいわ」

 あれ? それで本当にいいんですか? 戸惑いながら所長に目を向けると、所長は温和な笑みを浮かべながら、少し前かがみになって組んだ手をテーブルに置いた。

「うん。まあ国館君も大変だったね。それで、粕谷君が一人にお引き取り願うことを成功したみたいだけど、まだ四人もいるんだって? 何だったら少しの間、粕谷君を君のオフィスに行かせようか?」

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