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3、人は見かけで判断しちゃ駄目ってことよね

 国館社長に助けられた時、もう一度恋ができるようになるかもしれないって思ったの。

 長いこと感じられなかったときめきに、心が潤っていくのを感じて。


 二度と恋愛する気にはなれないと思ってた。

 でも違った。

 どんなに辛い目に遭ったとしても、私はきっとまた立ち直れる。



 ──・──・──



 翌週木曜日、リフォーム案を持って再び国館建材さんのオフィスに向かった。

 約束を午前中にしたおかげか、鳴木幸助と遭遇することなく目的地のビルに到着する。

 六階建てのそのビルは、一階二階部分が店舗、三階より上がオフィスになっている。レストランや英会話などの教室を横目に見ながらエレベーターに乗り込むと、三階のボタンを押す。

 エレベーターが三階に到着し扉が開いたのとほぼ同時に、女の人の金切り声が聞こえてきた。


「国館壮一さんに会わせなさいって言ってるのよ!」


 な、何事!?

 わたしが驚いて周囲を見回していると、別の女性の怒鳴り声が聞こえてくる。

「社長はいないったらいないんです!」

「あなた、いつもそう言ってわたしのこと追い払うじゃない! もう騙されないんだから!」

 えっと……修羅場?

 扉が閉まりかけているのに気付いて慌ててエレベーターから降りた私は、廊下を進んで二つ目のオフィスの前に立つ。国館建材と社名の入ったプレートを確認するまでの間も、二人の女性の大声が切れ間なく聞こえてきていた。

「奥の部屋を確かめさせてもらうわ!」

「カウンターの中に入ってこないでください!」

 この声の人は、多分事務員の溝口さん。先週来た時の印象では、対応が丁寧で感じのいい人だったんだけど、今はさすがにキてるみたい。丁寧だけど言い方がキツい。

 けれどこの程度で“敵”が引き下がるわけはなく、さらに声を張り上げた。

「あなたが取り次がないからいけないんじゃない! 国館さーん! わたし先週のパーティーでご一緒した飯塚多可子ですー!」

「大声出さないでください! 迷惑なんです!」

「ちょ……! 何すんのよ!」

 口を押さえられでもしたのか、女性の声のトーンが落ちる。が、すぐにもとの調子に戻った。

「あなた恋人がいるくせに、やっぱり国館さんを狙ってるんじゃないの!? だからこんなに邪魔するんだわ!」

「い、言いがかりはよしてください! わたしは仕事をしてるんです!」

「仕事してるって言うならちゃんと仕事しなさいよ! 国館さんがわたしを追い払うはずがないんだから!」

 これだけの会話だといまいち事情が呑み込めないんだけど、要するに国館建材さんはこの女性の訪問を迷惑していて追い返したいってことよね? 確かにこれは迷惑だわ。扉はきっちり閉まってるのに、この声量。静まり返ったオフィスの並ぶ廊下に高らかと響き渡ってる。


 騒がしい中に、微かにエレベーターが到着する音がした。そちらを見ると、警備員っぽい青色の制服を着た年配の男性が降りてきて、こちらに向かってくる。一歩下がって道を譲ったわたしに不躾な視線を送ってから、国館建材さんの扉をノックした。

「国館さん、またうるさいって苦情があったんですが」

「すみません。また仕事とは関係のない方に入り込まれてしまいまして」

「あなたが国館さんに会わせないからいけないんじゃない!」

「社長は仕事中なんです! お約束のない方をお取り次ぎはできません!」

「だったらそのお約束を取り次ぎなさいよ!」

「静かにしてもらえませんかね? このフロアだけでなく、上と下の階からも苦情がきてるんです。防音設備があるのに、それすらも突き抜けてるんですよ、あなたがたの声は」

「返す返すもすみません」

「関係のない人は引っ込んでて!」

「ここで一番関係ないのはあなたです!」

「だから静かにしてください! まとめて追い出しますよ!」

 三人三様に言いたいこと言うから、めちゃくちゃ。


 それにしても、国館社長はどこにいるんだろ? わたしとの約束の時間がもうすぐだから、近くに来てるはずなんだけど。……まさか社長に限って居留守なんてことないよね?


 せっかく来てるのに、この騒ぎの中へ入っていくのは気が引ける。けれどこのままだと約束に遅れてしまうことになる。どうしたものかと悩んでいると、警備員さんが扉を大きく開いて壁に押し付けて固定した。それからどう見ても仕事で訪問したとは思えないおしゃれをした女性を、肩を押してオフィスから出す。巻いた髪を胸元まで垂らしたその女性は、中に戻ろうとして警備員さんと押し合いになった。

「警備員呼んで追い出そうとするなんて卑怯よ!」

「苦情を言ってきたのは、国館建材さんじゃないんですけどね」

 警備員さんがぼそっと言うけれど、頭に血が昇ってる女性の耳には入ってないみたいだ。再入室を阻む警備員さんの肩越しに、懸命に訴える。

「国館さんに会いたいだけなのに、何で邪魔するの!?」


 その言葉に、わたしはちょっとほだされてしまった。

 会いたくて仕方ないから、周りの迷惑を顧みずに必死になっちゃったのね。

 国館社長とはどういう関係なんだろう? パーティーで知り合った仲?

 事情を聞くくらいしてあげてもいいのかもしれない。部外者が口を挟むべきではないから言わないけど。


 そんな訳で成り行きを見守っていると、もみ合っている二人の向こうから溝口さんが顔を覗かせた。わたしと目が合うと、申し訳なさそうに手を合わせてみせる。

 女性を刺激しないように気遣ってくれたんだろうけど、それもマズいですって。

 溝口さんのリアクションからわたしの存在に気付いた女性は、予想通り恐ろしい形相をわたしに向けてきた。

「あなた誰? 国館さんの何?」

「いえ、わたしは」

 国館社長と個人的なお付き合いがあるわけではなく──と続けようとしたのだけれど、その前に彼女の手が飛んでくる。


 とっさに避けようとしたけれど、間にあわなかった。

 頬から顎にかけて強めの衝撃が走り、避けようとしていたせいもあって体勢を崩してしまう。


「粕谷さん!」

 溝口さんの悲鳴のような声が上がった時には、わたしは硬い廊下に尻もちをついてしまっていた。

 いたた……柔道の受身みたいに手をついたけど、あまり役に立たなかったみたい。


 わたしが転んだのを見て我に返った女性は、自分は悪くないと示そうとするかのように顎を上げて嘲るように言った。

「や、やだ。何転んでるのよ。わたしは当てるつもりはなかったわ。あれくらいのものを避けられないなんて、あなた運動神経鈍いんじゃないの?」


 前言(といっても、口に出してないけど)撤回。この女(もはや最低限の礼儀も不要)、やっぱり自分勝手だわ。


 女を押し退けて出てきた溝口さんが、わたしのそばにしゃがみ込んで声をかけてくる。

「すみません。大丈夫ですか?」

 自分との対応の差が癪に障ったのか、この女は横柄に言い放った。

「国館さんの会社の事務員に取り入るなんて、上手い手を考えたものね。そんな姑息な手を使う人に負けたりなんかしないわよ」

 わたしに向けられた言葉に怒ったのは、溝口さんのほうだった。

「あなた何言ってるんですか! こんなことしておきながら、謝罪の一つもできないんですか!?」

 この騒ぎにはさすがに無視を決め込むことができなかったのか、いくつかのオフィスのドアがそっと開いて、中から数人の人たちが顔を出す。


 そんな中、新たな声が響いた。

「あ、あのっ。何があったんですか!?」

 この声って──

 国館建材さんのオフィスの入り口に目をやると、青ざめた顔をした国館社長が飛び出してくるところだった。──って、え? ホントに居留守だったの?

 社長を見て、女の態度がころっと変わった。

「国館さん、やっぱりいらっしゃったんですね! わたし、先日のパーティーでご一緒しました飯塚多可子です。お会いできてよかったわ。事務員の方に取り次ぎをお願いしたんですけど、“いない”の一点張りなんですもの」

「え? あ、あの」

 しなだれかかる女に社長はうろたえ、真っ青だった顔が、湯気が出そうなほど真っ赤になる。

「お電話番号がわからなかったから、直接お伺いしたんです。今晩空いてらっしゃったら、ご一緒に食事なんてどうかなーと思いまして」

「あのっ。困ります、そんな……」


 ……おいこら、ちょっと待て。もしかして社長ってば、居留守までしておきながら実はまんざらでもなかったってこと? 長身でイケメンの彼が真っ赤になって、女性の誘惑を跳ね除けられないのは、つまり多少はその気があったってこと?

 必死に追い返そうとしてた溝口さんの苦労は? 巻き込まれて不様な姿をさらすことになったわたしの立場は?


「駄目でしたら、今からお茶だけでもー」

 なおも迫る女から、社長はじりじりと後退った。

「いえっ、それも困るんです! 僕は、その……っ」

「お茶くらいいいじゃないですかー」

 女はだんだん甘え口調になっていく。それに対して、社長の口調はどんどん必死に。

「だっ駄目です!」

「えー? 即答で駄目ってひどーい」

「あっ、す、すみません……」

「じゃあお詫びにお茶に付き合ってください。お茶だけでいいですから、ね?」

「そっ、それはできな──」

「今日が駄目なら明日でもいいんです。明後日でも明々後日でも。そうなると連絡取り合えないと困っちゃうんで、電話番号とメルアドを教えてくださいね」

「い、いえ、それもちょっと……」

「あれも駄目これも駄目ってずるいですー。最低でも一つは選んでくれないと。いいですか? もう一度最初から言いますよ」


 さすが会社まで乗り込んできただけあるわ。断られても断られてもめげずに次の手を繰り出す。

 って、あれ? これはもしかして、社長は本気で嫌がってる?

 社長は女に押され押されてオフィスの中に逆戻り。カウンターに突き当たると、女は社長が逃げられないようにぴったりと体を添わせる。逃げようとして体を反らせる社長は、ちょっと涙目だ。


 えっと、社長の見た目からは想像つかなかった展開についていけないんですけど……

 立ち上がったわたしは、オフィスの中を覗き込みながら呆然とする。


 不意に、先週の国館社長を思い出した。

 逆上する鳴木幸助に落ち着きを払って話しかけ、ヤツを追い払った後に武者震いしてた社長。

 背が高いしイケメンだし、助けてもらったこともあって、カッコいいとしか見てなかった。

 でも思い返してみれば、話し方は不自然なくらいゆっくりだったし、終わった後で武者震いというのも、ちょっとひっかかっていた。

 けれど、社長が気弱な性格だというなら説明がつく。


 ……要するに、人は見かけで判断しちゃ駄目ってことよね、うん。


「お怪我はないですか? 本当にすみません」

 申し訳なさそうに声をかけてきた溝口さんに、わたしは人差し指を唇に当てながら目配せする。表情は強張ってしまったかもしれない。溝口さんは戸惑ったように小首を傾げる。


 まあちょっと緊張してるのですよ。頭の中でシュミレーションしてみたけど、本当に成功するとは限らなくて。

 でも、社長には先週助けてもらったことだし、今度はわたしが助けましょう。


 わたしは深呼吸をして気持ちを落ちつけてから、怒りのこもった声をぶつけた。

「国館社長。仕事のお約束があって御社に伺ったわたしが、何故暴力を振るわれなければならなかったのか、その理由をお聞かせ願えますか?」

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