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2、下心はなかった模様です

 わたし、粕谷美樹25歳が勤めているのは、主に中小企業のオフィスリフォームやオフィス家具の配置等を考えるオフィスコーディネートを手掛ける中堅リフォーム会社。今までアシスタントだったのだけど、インテリアコーディネーターの資格を取得したことでアドバイザーに昇格。今回初めて顧客を一人で担当することになったのです。


「ただいま帰りましたー」

 ショールームの上にあるオフィスに足を踏み入れながら、わたしは挨拶する。パーテーションで見えないようになっているデスクのあちこちから、「おかえりー」とか「おう」といった返事が帰ってきた。デザイン課に所属しているのは二級建築士やインテリアコーディネーターといった資格を持ったリフォームアドバイザーと、リフォームアドバイザーになるために修行中のアシスタント。顧客にリフォーム案を説明するためのプレゼンテーション資料を作成する際に集中したいので、部署の中はパーテーションで細かく区切られ、小部屋のようになった所にデスクが一つずつ収まっている。

 ただ、一つだけパーテーションの中におさまってないデスクがあって、入口から真正面に見える窓際のそのデスクへ、わたしは真っ直ぐ歩いていった。

「所長、カタログ預かってきました。どこに置きましょう?」

 首を伸ばしてわたしの手元を見た所長は目を丸くした。

「重そうだな。何冊もらってきたんだい?」

「2組だけです。厚手の紙にサンプルが貼ってあるので、二冊に分かれちゃったんだそうで」

「これ持って電車乗り継いできたんじゃ、大変だったろ?」

「いえ、その……」

「お疲れ、美樹ちゃん! 初打ち合せ、どうだった?」

 背後から声をかけられ、片方の手がふっと軽くなる。

「蓉子先輩。打ち合せはばっちりでしたよ。先輩の教えのおかげです。ありがとうございます」

「これ資料棚に置いてから、報告聞かせて」

 そう言いながら、先輩は壁際に向かって歩き出す。

 わたしは今まで蓉子先輩のアシスタントをしていたこともあって、アシスタントからアドバイザーに昇格してからも指導を担当してくれているのだ。

 壁に埋め込まれた棚の扉を開けて、先輩は紙袋から出したカタログをしまい込む。先輩は手を差し出してくれるけど、わたしは首を横に振った。

「これから提案書を作成するので、このカタログはしばらく手元に持っていてもいいですか?」

「あ、やっぱり自分とこで扱ってる建材を利用してくれって?」

「できればってことでしたけど、国館さんで揃えられるものは全部そうしようかなって思いまして」

 そう。国館さんは顧客であるのと同時に、国館さんにとってもウチは顧客であるのだ。

 国館建材さんは、天然素材や揮発性有機化合物低減建材などの販売取次を行う専門商社だ。

 シックハウス症候群──建材に含まれる揮発性有機化合物によって様々な体調不良が引き起こされる疾患──について相談に来る顧客は年々増えている。リフォームにはお金がかかるから、施工しました、シックハウス症候群になりました、オフィスに入れません──ということになったら大変だもんね。

 リフォームを施工する側としては、広く流通していて比較的安価で便利な建材を使えれば楽だけど、顧客の不安を無視するわけにはいかない。

 国館建材さんが扱っている建材はちょっとお高めなものもあるけれど、天然素材や揮発性有機化合物低減建材などが揃っていて、シックハウス症候群対策を希望する顧客の要望に応えるのにすごく助かっている。

 棚の扉を閉め、蓉子先輩は言った。

「小会議室に行こうか」

 ここは静かに作業したい人たちが優先の部屋なので、報告や打ち合わせのように長時間会話することになる場合はみんな隣接する小部屋を利用している。

 そこに移動する最中、先輩はわたしにこそっと耳打ちした。

「今晩空いてる?」

「空いてますけど、でも今日金曜日……」

 平日忙しい二人にとって、週末は貴重な時間のはず。

 曖昧な笑みを浮かべて断ろうとすると、困ったような申し訳なさそうな顔をした先輩に先廻りされた。

「篤史からさっきメールがあって、美樹ちゃんに謝りたいから連れてきてって」

「は、はあ……」

 もう先輩にまで話が回ったのか。鳴木幸助も先輩の彼氏さんも対応が早いわ。



 一時間の残業を終え、会社から歩いていける距離にある行きつけのダイニングバーに行く。蓉子先輩と一緒に先に入って注文を済ませると、ドリンクが出てくる前に蓉子先輩の彼氏──篤史さんもやってきた。

「ごめん! ほんっとーにごめん! お詫びに今日はオゴるから!」

 ドリンクを運んできた店員さんにウーロン茶を頼むと、篤史さんはわたしの斜め向かい、蓉子先輩の隣の席に座る。

テーブルにおでこがくっつくくらい頭を下げる篤史さんに、わたしはどう反応したらいいか困ってしまう。


 きっと鳴木幸助から篤史さんに、文句のメールか電話がいったのだろう。その内容がわたしを侮辱したものだったに違いない。けど、ヤツと会うことに決めたのはわたしで、その結果ヤツとの間に起きた出来事にまで責任を持ってもらうつもりはない。

「あの、気にしないでください。それよりわたしのほうこそごめんなさい。お付き合いを断ったりして」

 肩をすぼめて謝ると、篤史さんはがばっと顔を上げた。

「いや! 付き合わなくて正解だよ! あんなヤツだとは思わなかった。高校の時のクラスメートでちょっと前にあった同窓会で再会したって話したと思うけど、高校の時は仲間内では気が良くて、ちょっとお調子者なところもあるけど、イイヤツだと思ってたんだ。顔も悪くないのに『誰か紹介して』って言われて、“何でこいつに彼女がいないんだろう”って不思議に思ったんだけど、その理由がようやくわかったよ」

 頭を抱える篤史さんを尻目に、蓉子先輩はドリンクのグラスを片手に追い打ちをかけた。

「まったく、十年以上会ってなかった知り合いなんて、赤の他人も同然じゃないの。よく知らない相手を紹介すること自体間違ってるわ」

「……ごもっとも」

 ぐうの音も出ない様子の篤史さんがかわいそうになってくる。


 蓉子先輩が好きになったくらいだから、いい人ではあるのよ。ただ今回は、安易に走り過ぎたというか。よくあるよね。久しぶりに会ったんだけど、ずっと知り合いだったように錯覚して、相手が変わったことに気付かないとか。特定の付き合いしかしてないから、相手の一面しか見えてなかったとか。仲間内では気のいい人でも、彼女に対してもいい人とは限らない。


 付き合うことにしておけば丸くおさまっていた事を考えれば、篤史さんが謝ってくれたこと自体わたしにとっては奇跡に近くて、感謝してもしきれないくらい。


 なので、話を逸らすことにした。

「ホント気にしないでくださいよ。鳴木さんに絡まれたおかげで、わたし国館社長に助けてもらって美味しい思いをしたくらいなんですから」

 わたしがへらへら笑いながら説明すると、蓉子先輩は興味引かれたようにテーブルに身を乗り出してきた。

「え? どういうこと? 何があったの?」

「それがですねー。重たいカタログ持たせちゃって悪いことしたって思ってくれた社長が、追いかけてきてくれたんですよ。で、わたしが絡まれてるところに遭遇して、鳴木さんから守ってくれたんです。その時の国館社長がもうかっこよくて! おまけにカタログを届けるついでに、わたしも会社に送ってくれたんですよ」


 社長の国産高級車に乗せてもらってウチの会社に向かう途中、わたしは心配になって尋ねた。

 ──助けていただいて何ですけど、あんなことをおっしゃって大丈夫なんでしょうか?

 ──えっと、何のことですか?

 ──その……わたしが社長とプライベートでも関係があるとか何とか……。

 ──ああ、そのことですか。どんな関係かと突っ込んで聞かれなくてよかったです。さすがに嘘はつけませんからね。僕は“関係があったら”と仮定で話しましたから、あとは彼の勝手な解釈です。それより、僕のほうこそすみません。彼に誤解させる真似をしてしまいましたが、ご迷惑ではなかったでしょうか?

 ──迷惑だなんてとんでもないです! 助けてくださってありがとうございました。話が通じなくて、本当に困ってたんです。でもあの人、あの近くの会社に勤めてまして。変な噂が広まらないといいんですけど……。

 ──粕谷さんが問題ないなら、僕も問題ないですよ。付き合ってる女性はいませんから、誤解が広まって困ることはありませんし。ですが、あの近くにお勤めですか……。また行き合ってしまうかもしれないから、ウチへの行き帰りが心配ですね。何でしたら僕が送り迎えしましょうか?


「──って、さすがにそんな図々しいことできないですから、全力でお断りしましたけど。もうやることなすことスマートでかっこよくて!」

 ハートを飛ばす勢いで語り尽くすと、篤史さんは何故か心配顔。

「えっと、それって大丈夫なのかな? その社長さん、何か下心があったりするとか……」

 篤史さんは年上なせいか、わたしに対して小さい女の子に対する口ぶりになることがある。

ちょっとくすぐったく思いながら、わたしは苦笑した。

「残念ながら、そういう様子は全くなかったです。わたしにちょっかい出す気があったら、鳴木さんのことをもうちょっと聞いてきたと思うのに、社長さんからは何も質問されませんでしたし。最低限の話が終わったら、あとはお仕事の話しかしなかったんですよ。わたしとしては、カッコいいしいい人だし、下心あってくれたらいいなぁなんて思ったりしたんですけど」

「美樹ちゃん……」

 蓉子先輩にかわいそうな子を見る目で見つめられる。しまった、ちょっとしゃべりすぎちゃった。わたしはそれをごまかすために、「あはは」と明るく笑う。

「先輩も心配しないでくださいよ。取引先の社長さんにのぼせあがったりしないですってば。それに社長さんでイケメンですよ? 誰もいないわけがないじゃないですか。“付き合ってる女性はいません”っておっしゃったのは、わたしの罪悪感を減らそうと思ったからなんじゃないかなって思うんです」

 これだけ言っても二人の表情が変わらないから、わたしは間を置かず話し続ける。

「って、そんな顔しないでくださいよ~。今日の事があって本当によかったんです。わたしもまた、恋愛しようかなって思えましたし。あ、もちろん国館社長以外とですよ? それで、今日は篤史さんのオゴりなんですよね? 遠慮なくオゴられちゃいますから~。すみませーん。追加オーダーお願いしまーす」

 店員さんを呼びながらドリンクメニューに手を伸ばすわたしを見て、蓉子先輩の顔にようやく笑顔が戻ってきた。

「アルコール類飲み放題にしたんだから、“遠慮なく”もないでしょうに。ちゃんとご飯類も食べなさいよ。アルコールだけでお腹膨らすのは体に悪いから」

「ちょっと待って! 美樹ちゃんそれ何杯目!?」

 空いたグラスを脇に寄せていると、篤史さんが焦って声をかけてくる。わたしは陽気に答えた。

「まだ四杯目ですよ~」

「え!? そんなに飲んで大丈夫?」

 大して飲んでるつもりはないのに、篤史さんはホントに心配そうだ。彼女の蓉子先輩があまり飲めない人で、彼女を基準に考えてるせいなのかな?

そんな篤史さんに、なだめすかすように蓉子先輩は言った。

「このコ、見かけによらずザルだって言ったじゃない。酔ってくると言動がおかしくなってくるけど、酔い潰れたり具合が悪くなったりしないのよ」

「そーでーす。酔ってても記憶がなくならないし、翌日に酔いを残さないのが自慢でーす」

「……それでさっきから、妙に舌ったらずな話し方になったのか」

 女の酔っぱらいは苦手なのか、篤史さんはまたもや頭を抱えた。

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