10、男の子のプライドって傷つけちゃダメよね
翌朝8時25分。国館建材さんの始業5分前。わたしはノックしてドアを開いた。
「おはよーございまーす」
挨拶しながら入っていくと、真っ先に田端部長が挨拶を返してくれる。
「美樹ちゃん、おはよう。二日酔い大丈夫?」
お、田端部長、昨日と違うスーツだ。自宅に帰って着替えたのかな? それとも溝口さんの部屋に着替えが置いてあるのかな? ……放っておけない溝口さんの様子からして、後者だな。
そんなことをつらつら考えながら、わたしは答える。
「あ、はい。昨日言ったように、わたしアルコールが翌朝まで残らない体質で」
「ホント、記憶もバッチリだね。ここで頭抱えて唸ってるヤツと大違い」
デスクの上に腰かけていた田端部長は、デスクに突っ伏して頭を抱える溝口さんの肩をぽんぽんと叩く。
「触らないで~。痛い~。美樹ちゃん、お、おはよう……」
「お、おはようございます……えっと、薬飲みました?」
遠慮がちに尋ねると、部長が代わりに答えてくれる。
「朝起きてすぐに飲ませたから、そのうち効いてくるよ」
部長の話が終わったところで、わたしは奥の部屋から出てきた国館社長に挨拶した。
「国館社長、おはようございます」
「おはようございます。二日酔いのほうは大丈夫だったようですが、粕谷さんもアルコールを飲んで酔った時は気をつけてくださいね」
「え? 何かあったのか?」
わくわくした様子で尋ねた部長に、国館社長はうっと返答に詰まる。わたしも知りたいところだけど、困って口をぱくぱくさせている社長を見ていてかわいそうになったので、助け船を出すことにした。
「田端部長、聞いてくださいよ。国館社長ってば“何かあったら必ず連絡ください。すぐに助けに行きますから”ですって!」
今朝になって思い出したんだけど、国館建材さんのリフォームデザインを担当させてもらうことになった時、連絡先を教えてもらってたのよね。だから同じ登録情報が二件に。社長が送信してくれたのは「国館建材 国館壮一」ってなってたから、わたしが登録した「国館建材」は削除して、社長からのをとっておきましたよ!
部長はまだそっぽを向いている社長を見てにやにや笑った。
「おお! へたれ壮一でもやるときゃやるなぁ!」
「み、美樹ちゃん、和弥……もうちょっと声落として……」
「あ、ごめんなさい。水分をたくさん飲んだほうがいいですよ」
再びデスクに突っ伏す溝口さんに、カウンターを回りながらわたしは小さめの声をかける。
コーヒーを四人分用意し、溝口さんには二日酔いに効くというドリンクを追加して、早速リフォームのプレゼンを始めさせてもらった。
「最初お伺いした話ですとお客さんはあまり来ないからカウンターはなくてもといいとのことでしたが、今週頻繁に来られた方々のような人を遮る効果有りということで、溝口さんと再度相談の上、今あるカウンターを専門業者さんにコーティングし直してもらってリユースすることにいたしました。奥の応接室にある応接セットもすり切れているだけで壊れていないので、こちらも皮の張り替え等の修理に出してリユースさせていただこうと思います。こちらの四つのデスクと両脇の壁にある大容量の収納庫は、国館建材さんの業務内容からすると大きすぎるということなので、新しいものを入れさせていただいて、ここにあるものはリサイクルに回しますね。ただ、かなり古いもののため需要がなくて廃棄リサイクルに回ることになると思いますが、その際にリサイクル料がかかることになります。もし欲しいという方がいらっしゃるようでしたら、……」
パソコンに表示したリフォーム後の予想CG画像を見てもらいながら、リフォーム個所を一つずつ説明していく。普通要望の聞き込みや変更とかで時間がかかるんだけど、要望が的確で一昨日の夕方から昨日にかけてここで作業していたため、細かい希望についての相談をし放題。そのおかげで、提案書の修正を依頼され、修正をしてアポイントを取り直し……という手間も一切なく、社員全員(といっても三人だけだけど)に満足していただけた形で、プレゼンは終了した。
来週末から工事を開始していいか、国館社長がビルの管理者さんに連絡を入れてくれる。許可が降りたので、わたしは会社に電話を入れることにした。一応施工業者さんのスケジュールを押さえてはあるけど、早めに連絡したほうがいいからね。
社長は電話のついでに管理室に呼ばれ、「会社まで送りますから、待っていてください」とわたしに念を押してオフィスから出ていった。
わたしは電話を終えた後、会社から持ってきたノートパソコンを厳重に梱包し直す。
「最後の一人を片付けてから戻りたかったんですが、残念です」
期限はオフィスに押しかけてくる女の人たちを全員撃退するまででなく、このオフィスでできる仕事が終わるまでだから、心残りだけど帰らなくちゃならない。社では別の仕事も待ってるしね。
「滞在できた時間も短かったですし、約束してるわけでもないのに五人もの方と遭遇するなんて幸運、そうそうないですよね」
その五人に対して敬意を払っているのか貶しているのかよくわからない言い方をしてわたしが苦笑すると、デスクの端に腰かけていた田端部長がわたしのほうを向いてにやっと笑った。
「でも、壮一が戻ってくるまでの間にその幸運に恵まれるかもよ?」
「あはは。そうなってくれたらいいですよね」
そんな都合のいいことあるわけ……と思いながらも、わたしは話を合わせる。
国館社長を待ちながら雑談をしていると、田端部長はこんな話をしてくれた。
「壮一が自分に自信を持てないのは、トラウマのせいだろうな。ほら、子どもってさ。自分たちと違うってだけでいじめの対象にしたりするから。小さい頃からあいつかなりの長身だったみたいで、そのことをからかわれたりして苛められたらしいよ。俺があいつと初めて会ったのは高校なんだけど、その頃にはとっくにあんな感じだったな。どんなに頑張っても自分に自信が持てないんだ。背中を丸めて誰かの陰にひっそり隠れようとしてさ。そんなだから、就活も上手くいかなかったあいつを、俺がマンション販売のセールスに引っ張り込んだんだ。口下手なあいつはなかなか成績が伸びなかったんだけど、あの持ち前の真面目さで少しずつ客の信頼を獲得してって、口先だけで営業成績を伸ばしてた俺をいつのまにか追い越してた。今でも、マンション販売員だった頃の顧客から相談を受けたりしてるよ」
幼少期のトラウマが、社長をあんなに自信のない人にしちゃったのね。男性のプライドって脆いところがあると思う。だから小さい頃は特に、プライドを傷つけちゃダメよね。
「……国館建材はさ、あいつの理念で成り立ってるんだ。シックハウス症候群って言葉が世に出て心配する人が増えたけど、実際健康障害を起こす人っていうのは割合少ないんだ。発がん性物質については、国が規制して人体に影響がない程度に抑えられるようになったし。ただ、なまじ知ってるがために不安になって、ストレスを抱え込んで発症してしまうケースもある。化学物質を敬遠し過ぎて住居にダニカビが発生して、それが原因で発症する危険もあるしね。そうした心配や不安を抱えた顧客のニーズに応えたい施工業者のために、条件に合った建材を調達する手伝いをしたい。──そんなあいつの想いからこの会社は生まれたっていうのに、あいつは自分は社長の器じゃないから俺に社長を任せたいって言いやがった。顧客のほとんどがアイツを信用して取引してるっていうのに、別の人間を社長に据えようとしてどーするんだか」
呆れて肩をすくめる田端部長に、わたしは思わず笑ってしまう。
けど、話してくれた田端部長が自嘲気味だったので、わたしはその笑いをすぐに引っ込めた。その代り、嬉しくて口元が緩んでくる。
「何?」
不思議そうに尋ねてくる部長に、わたしは笑顔を向けた。
「すみません。てっきり国館社長が田端部長に頼ってばかりだと思ってたんですが、田端部長も国館社長を認めてるところがあるんですね」
お互い認め合ってるから、付き合いが長く続く。いいよね、男同士の友情って。
田端部長は、一瞬驚いたように目を見開いた後、何だか落ち着かなげに目を逸らして顎の横を掻いた。
「ああ。まあね……」
その時、廊下から甲高い声が聞こえてきた。
「国館さん! 偶然ですわね! 今丁度オフィスにお邪魔しようとしていたところなんですのよ!」
何? この芝居がかった話し方。
それはともかく、わたしはハンドバッグの中を探りながら立ち上がる。
「運がよかったみたいだね」
田端部長はのんびりとした様子で、デスクの端に腰かけたままにやり笑った。これはもしや。
「この時間に来るって知ってたんですか?」
「いいや。ここ一週間の彼女らの訪問頻度を考えれば、最後の一人もそろそろ来なきゃおかしいなぁって思ってただけ」
「なるほど」
わたしは部長の読みに苦笑しながら、バッグから出したものを指にはめて廊下に向かう。
ドアを開けると、社長の弱々しい声も聞こえてきた。
「あ、あの、ちょっとすみません」
「そうですわよね。ここじゃゆっくりお話もできないですもの」
エレベーターの前に、掴まれた腕を懸命に引こうとする社長と、その腕を離すまいとしがみつく女の人がいる。
「いえ、そ、そうじゃなくて」
「どこへ行きます? ホテルのラウンジ? スイートで二人っきりになってゆっくり話してもいいんですのよ」
うわお、積極的。これは普通の男の人でもたじたじになりそうだわ。てか、付き合ってもいない男の人に、お酒に酔ってるとか特殊な状況もなく、しかも真昼間にそういう誘いをかけるのってアリ? わたしはナシだと思うんだけどな。ドン引きされそう。
社長も五人目さんも必死で、近付いていったわたしにまるで気付かない。わたしはそれをいいことに、社長の空いている腕にするりと手をかけた。
「壮一さん、この人誰?」
「か……! あのっ」
うろたえる社長の腕に、わたしはさらに強くしがみついて合図する。“お願いだからわたしに合わせて。できないなら黙ってて”
それが通じたのかどうなのか。社長はぴたりと動くのをやめて、口を開かなくなる。よし、今の内だ。
「あなた誰?」
胡散臭げに眉をひそめる五人目さんに、わたしは警戒の視線を緩めないまま口元だけほころばせて答える。
「壮一さんの恋人ですけど、何か?」
全身をブランド物のような服と小物で固め、セミロングの髪をベージュに染めて巻いている女性。化粧濃いな。でもって台詞も残念。
「嘘おっしゃい! だったら何で国館さんがそう言わないの!?」
今時、“嘘おっしゃい”って言葉を口にする人と遭遇するとは思わなかったわ。ホント芝居がかった話し方。上品ぶってるんだろうけど、この人の場合どこか空々しい。セレブを気取ろうとして、失敗してる感じ。何でか知らないけど、たまにいるよね。“あなたどこの星から来たんですか?”って尋ねたくなるくらい現実離れした人。わたしの想像通りなら、この人の撃退は簡単だ。
薬指に指輪をした左手を突き出して、わたしはわざと自慢げな笑みを浮かべた。
「こ・れ。壮一さんからもらったんです。──意味、わかりますよね?」
左手の薬指にきらりと光るファッションリング。男性が女性の左薬指に指輪を贈る場合、その女性に好意を抱いていると解釈するのが普通だもんね。
けれど五人目さんはショックを受ける様子もなく、わたしが突き出したままにしている左手をじろじろ見た後、「ふんっ」と馬鹿にしたような笑い方をした。
「この安物が何だっていうの? 国館さんは社長なのよ? その国館さんがこんな安物を贈るなんて、わたしが信じるとでも思ったの?」
わたしは息を呑んで怒り出す。もちろん演技だけど。
「安物ってヒドいわ! 壮一さんに謝ってよ! 事務所を移転したばかりで資金繰りが大変なのに、無理して買ってくれたのよ!」
「は?」
社長の腕を掴んでいる五人目さんの手が緩む。わたしは追い打ちをかけるようにまくし立てた。
「オフィスを見てないの!? デスクは古いし、壁もカウンターもぼろぼろだったでしょ? オフィスを借りられたはいいけど内装が古いままだったから、これからリフォームしなきゃならないの! お金がまだまだかかるのに、それでも買ってくれたんだから!」
「え……」
五人目さんの手が、とうとう社長の腕から離れた。オフィスのドアと社長の顔をたっぷり二回見比べた。きっと、社長を捕まえることに必死で、テナントビルの一室にオフィスを構える小さな会社だと気付いてなかったに違いない。あ、もちろんオフィスの大きさだけの話ね。そこから会社の規模を推し量ることはできないけど、人は見た目で判断してしまいがち。
五人目さんも例に漏れず、国館建材さんを弱小企業だと判断したんだろう。腰に手を当て背筋を伸ばし、再びふんと鼻を鳴らす。
「社長だっていうから頑張ったのに、貧乏だなんてがっかり。あーあ、頑張って損したわ。せいぜいその安上がりな彼女と幸せになるのね」
言いたい放題した後、五人目さんは悠然とした仕草でエレベーターを振り返り、開のボタンを押す。この階に止まったままになっていたエレベーターはすぐに開き、五人目を乗せて再び閉まった。
降り始めたのを見届けたわたしは、扉に向かって悪態をつく。
「あんたになんか国館建材さんの本当の価値がわかってたまるか。二度と来るな、自分の星へ帰っとけ」
本人に直接言えば余計な悶着になるだろうから、これで溜飲を下げておく。
わたしがひとまず満足して息をつくと、頭上から社長の弱々しい声が聞こえた。
「粕谷さん……」
あ、口が悪すぎたか。それはともかくとして、謝らなければならないことが。
「すみません。国館建材さんのこと貧乏みたいな言い方して」
そう言いながら傍らの国館社長を見上げると、社長は何故か真っ赤っか。
「それは構わないんですが、その……」
ちらちら視線を向けるのは、社長の腕にしがみついているわたしの手。腕組まれたくらいで真っ赤になるなんて、純情だなぁ。わたしは苦笑しながらからめていた腕を離す。
ドアを小さく開けてこちらの様子を伺った田端部長は、五人目さんがいなくなったことを確認すると、オフィスから出て大股に近寄ってきた。
「いやーお見事! あっという間だったね。ところでその指輪は、前の彼氏にもらったもの?」
「違います。自分で買ったんです。左手の薬指は好きな人ができた時のためにとっておくって話を聞きますけど、そういうことに拘らなければどの指に指輪をはめても構わないって聞いたこともあって、それで」
部長とわたしが気楽な話を始めたからか、他のオフィスからも人が出てきた。
「ねえねえ、今のどういうこと?」
「喫茶店の人から話を聞いたんだけど、もう一人追い返してるんですってね」
わたしは一つひとつ質問に答えていく。
その隣で、社長に近寄っていった部長がこそこそ話しかけていた。
「おまえ、よりにもよって何でこんなところでとっつかまってたんだ?」
「エレベーターが上がり始めたばかりだったから、待ってるより階段を上がったほうが早いと思って……」
「それでエレベーターに追いついちまって、偶然乗っていた彼女と遭遇しちゃったってワケね。……おまえも大概運がいいよ」
背後に聞き耳を立てて心の中で笑ったわたしは、どこかの会社のお局様が注意に来てくれるまで、集まっていた人たちと談笑していた。




