1、運命はうっかり引き当てちゃうもの
『運命は自分で切り開くもの』という言葉があるけれど、今のわたしにはこう言いたい。
『運命はうっかり引き当てちゃうもの』
駅名を聞いた時から嫌な予感がしてたんだ。紹介で知り合った男──鳴木幸助の勤務地が、この辺りだって聞いてたから。
駅のほうから歩いてきた鳴木幸助は、そこそこイケメンな顔に爽やかな笑みを浮かべて、歩道に立ち尽くすわたしに近付いてきた。
「わざわざ会いに来てくれたの?」
「──いえ、偶然です。仕事の取引先がすぐそこにあって、打ち合わせが終わったので会社に戻るところなんです」
今のわたし、仕事着っぽいパンツスーツ着てるし、両手にはビジネス鞄と紙袋持ってるし、見るからに仕事中じゃありません? なのに何でそういう発想になるんだろう。いや、わかるんだけどね。相手の思考パターンがわかってしまうから、余計嫌というか。
読み通り、鳴木幸助はわたしの警戒した声と表情をまるっきり無視して、慣れ慣れしく言った。
「またそんなこと言っちゃって~。ホントはオレに会いたかったんだろ?」
何で自分に都合よく話をねじ曲げちゃえるの? そんなだからわたし、あなたを懸命に避けようとしていたのに。
鳴木幸助とは一カ月くらい前、会社の先輩の彼氏さんの紹介で会った。
恋愛する気はあんまりなかったけれど、断れなかったんだ。
彼氏は作らない。友達もいない。休日はどこにも出掛けないで一人で過ごす。そんなわたしを心配して、先輩の蓉子さんは仕事帰りや休日にも誘ってくれた。そういう状況に困ってしまったのが、先輩の彼氏さん。蓉子先輩がわたしをしょっちゅう誘うので、デートも満足にできやしない。
そこで先輩の彼氏さんは、わたしに彼氏ができれば、蓉子先輩もわたしをあまり誘わなくなると考えたワケだ。
わたしとしても二人の邪魔をし続けたくなかったから、先輩の彼氏さんが友達を紹介してくれる話を断るわけにはいかなかった。会ってみたら案外恋愛してみたい気になるかもしれないし。そうならなくても話のわかる人だったら、蓉子先輩のお誘いを断る口実になってほしいとお願いしようかと思ってた。
ところが実際会ってみたら、宛てが外れたどころか、マズい人物と知り合ってしまったと大後悔。
鳴木幸助は紹介された直後から慣れ慣れしく肩を抱いてきて、反応しづらい話を連発して同感を求める。同意できない、けれどいざこざも起こしたくない。それで曖昧に笑ってごまかし話についていけないとそれとなくアピールしてたのに、鳴木幸助は「オレたち気が合うね」とか言い出す始末。
その日は何とかやり過ごしたものの、大変だったのはそれだけじゃなかった。
紹介されてすぐスマホの番号とメルアドを聞かれ、断るわけにもいかず連絡先交換しちゃってて。その日の夜から電話やメールがじゃんじゃんかかってくる。お義理程度に返信して“あなたとはもう会うつもりもないし、電話やメールも迷惑なんです”と態度で暗に示したつもりなのに、二週間経っても一向に通じない。会う日を決めようとしないのを責められた時、たまりかねて「二度と会うつもりはないし、もう連絡してこないでください」と言って電話を切り、スマホの設定を『許可した人以外着信拒否』にした(そうしないと、別の端末を使ってかけてくるかもしれないから)。
それが二週間前のこと。その時は「生活圏がずれてるから、もう会うことはないだろう」と思ってたのに。
顧客の会社と駅までの距離、わずか7分。それだけの時間の間に会っちゃう確立って、べらぼうに低いはず。なのに何でわたし、彼の帰社時間に合わせて顧客のオフィスから出てきちゃうかな。
鳴木幸助が“外回りを四時くらいまでに終わらせて会社に戻って、その日一日の事務処理を片付けて定時に退社できるのが理想的だよね”と言ってたから、わたしは二時前に打ち合せを終えたのに、今日に限ってそれが裏目に出た模様。
ヤツの行動パターンの裏をかくなんて考えなければよかった。駅までの直線コースを通らず大回りすればよかった。そもそも気が乗らなかったんだから、紹介の話を断ればよかった。
いくつも反省点を思い浮かべるけれど、あとの祭り。今日のこの偶然を引き寄せたのは、自分自身だ。だから思わずにいられないのよ。『運命は自分でうっかり引き当てちゃうもの』だって。
じりじりと後退るわたしが拒絶していると考えもせず、鳴木幸助は目の前まで来てしまう。そして“わかってるから”とでも言いたげににやりと口の端を上げて言った。
「着拒否までして連絡断ったのは、今日のサプライズのため?」
どうしたらそういう話になるわけ? わたしがこんなに拒否ってるのに、何でそんなに爽やかな笑顔なの? 怖い、怖いよ。話が通じないって、こんなに怖いことだって初めて知った。
「俺、今ちょっと時間があるんだ。そこの店でちょっとお茶してかない?」
「ちょ! 困ります!」
紙袋の取っ手を掴まれそうになって、あたしは慌てて手を背後に引いた。う、重さが手と腕にずしんとくる。これ、重いんだよ。分厚いカタログが四冊も入ってて、紙袋も破れないように三重にしてるくらいだから。
「遠慮しなくてもいいのに」
「ど、どうぞお構いなく。わたしは急いで社に戻らなくちゃならないんです」
恐怖のせいで、声が震える。それを遠慮と受け取ったのか、彼はわたしの背後に手を伸ばして荷物を奪い取ろうとする。
「お茶する時間くらいあるだろ?」
「就業時間内の休憩時間は会社の規則で定められていて、わたしは今日の分の休憩を使い切ってるんです」
「そんな固いこと言うなよ。俺を待ち伏せしてたくせに」
だからそんなことはしてません! ──って言っても、どれだけの人が信じてくれるだろう。
けど、信じてもらえないかもしれないからって、負けてたまるか!
わたしは身をひるがえして逃げようとした。けれど至近距離から重い荷物を持って逃げようとしたって、逃げ切れるわけがない。すぐに二の腕を掴まれて引き戻される。
本気で逃げ出そうとしたわたしを見てようやく現実に目を向ける気になったのか、鳴木幸助は思いっきり顔をしかめてわたしの顔を覗き込む。
「人が親切にしようとしてるのに、何だよ。だいたい、付き合ってるのに着拒否って」
鳴木幸助の自分勝手な言いがかりに、わたしは怒りのこもった冷ややかな声で答える。
「わたしたち、付き合ってなんかいません。わたしはもちろん、鳴木さんも告白すらしてないじゃないですか。鳴木さんからお付き合いを申し込まれても、申し込まれたとしても丁重にお断りさせていただきます!」
鳴木幸助の顔色がさっと変わる。それを見て、わたしも言い過ぎたとちょっと後悔した。でも、今までだってやんわり拒否し続けてわかってもらえなかったんだから、これくらい言わなきゃダメだったのよ。
彼の手が緩んだ隙に、わたしは逃げ出すべきだったかもしれない。けれど無意識に“常識”が働いて、嫌々ながらも謝罪の言葉を口にしていた。
「誤解させてしまったのでしたらごめんなさい。付き合ってほしいと言われてもなかったので今まではっきり申し上げられなかったんですけど、わたし、鳴木さんとはお付き合いできません」
言い終えてペコっと頭を下げると、鳴木幸助は眉をひそめて不愉快そうな顔をする。
「……何だよそれ。付き合う気もないのに俺と会ったっていうのか?」
「違います。お付き合いできたらいいなと思ったんですが、実際お会いしてみて無理だってわかったんです」
“無理”という言葉が相手に対してすごく失礼だったと気付いたのは、彼がみるみる顔を真っ赤になった時だった。
「無理って何だよ! 馬鹿にしてんのか!? おひとりさまで寂しくて、他人のデートの邪魔してたんだろ? だからお情けで付き合ってやろうってのに、何様だよ!」
大きく振りかぶられた奴の手に、瞬時に殴られると悟る。
逃げられない。重い紙袋に身動きが取れなくて。放り出せば何とかなるかもしれないけど、大事な預かり物を放り出すなんてできない。
不思議なもので、とっさにこれだけのことが脳裏を巡る。あたしは覚悟を決め、衝撃に備えぎゅっと目をつむった。
ところが、思っていた衝撃がやってこない。その代り、背後に人が寄り添った気配がし、頭上高めから低めの男性の声が聞こえた。
「人に手を上げるのはやめたほうがいいと思います」
聞き覚えのあるこの声に、わたしは真っ青になる。
えええ!? さっきオフィスで見送ってくれた人が、何でここにいるの? こんなところ見られちゃって、わたしどーしたらいいの?
わたしが焦っている間に、二人の間で会話が進む。
「あなた誰ですか? 他人のことに口を出さないでください」
営業職に就いているだけあって、一応礼儀はあるらしい。鳴木幸助はむっとしながら、あたしの背後に立つ男性に話しかける。
「見て見ぬ振りはできなかったんです。──この女性は、僕の会社の取引先の社員さんでしてね」
この張りつめた状況の中でゆっくりと話す男性に、鳴木幸助はイラついた言葉を返す。
「こっちはプライベートの話をしてるんです。邪魔しないでもらえます?」
「それは、えっと……僕も彼女とプライベートでも関係があると言ったら、話に混ぜてもらえますか?」
は!?
驚きのあまり声も出せず、わたしは勢いよく背後の人を見上げる。
そこにいたのは、身長百五十八センチのわたしが見上げるほど背の高い人。肩幅の広いがっしりとした体に、細面で優しげな顔立ちをした。
人違いしてなかった。
さっきまで訪問していたオフィスの社長、国館壮一さんだ。
──って、今の社長の発言はマズいでしょ!
案の定、鳴木幸助は勘違いする。
「……そういうことかよ。おい、あんた騙されてるぜ? この女はな、オレとあんたを二股にかけてたんだ!」
ひー、人聞きの悪いことを人通りの多い場所で叫ばないで~。
ここは駅前通り。商店や雑居ビルが並んでいて、平日の昼間でも人通りが多い。軽自動車が通れそうなくらい幅が広い歩道とはいえ、さっきから立ち止って通行の邪魔をして、おまけに鳴木幸助が騒ぎ立てるものだから、道行く人たちにじろじろ見られていたたまれない。
でもここで違うと言えばさらにややこしくなる。成り行きを見守ろうと黙っていると、国館社長を頭から足の先まで見た奴の顔色が、苦々しいものに変わった。きっと社長を見聞して、自分には勝ち目がないと判断したのだろう。
「あんたもせいぜい気を付けるんだな」
どこかで聞いたことのある捨て台詞を吐いて、鳴木幸助は肩を怒らせてこの場から離れていった。
えっと……その台詞、この状況で言うのはちょっと変じゃないですか?
ぽかんとしながら見送っていると、国館社長が紙袋に手を伸ばしてきた。
「す、すみません。これ、重いですよね。電車で帰られるのに大変な荷物を預けてしまったことに気付いて、慌てて追いかけてきたんです」
「え? いえ……」
仕事だから文句なんかないけれど、正直重くて手が痛くなってきていたので、ありがたく持ってもらう。
「あ、あの。助けてくださってありがとうございました。それとごめんなさい。さっきの人、何か変な勘違いしちゃったみたいで……」
言いながら、わたしは深く頭を下げる。聞きようによってはそういう意味に取れるってわたしも思ったけど、それにしたってとんでもない誤解。この界隈にオフィスを構える社長に、悪い噂がつかないといいんだけど。
「気にしないでください。偶然駆けつけることができてよかったです。怪我はないですか?」
「は、はい……」
恐縮しながら返事をしたその時、紙袋を持つ社長の手が震えているのに気付いた。重いのかな? いい体してるから、腕力あると思ってたのに。
「やっぱりわたし持って帰ります。電車に乗ってる時は置けばいいですし、ウチの会社も駅から近いですから」
頭を上げてそう言うと、社長は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「徒歩十五分でしょう? これを十五分も持って歩くのは、女の子にはキツいですよ。そのことを忘れて預けてしまってすみませんでした」
うわー、そんな細かな雑談まで覚えててくれたんだ。助けてくれた時の毅然とした態度といい、なんてかっこいいの!
──って、のぼせてる場合じゃなくて。
「でも重そうですから……」
遠慮がちに言いながら、ちらっと社長の手に目を向ける。すると、社長は困ったような笑みを浮かべた。
「いえ、重いわけじゃないんです。粕谷さんを偶然助けることができて、興奮してるというか、今頃緊張してるというか……」
思わぬ弱気を見せられて、わたしはまじまじと社長を見詰める。すると社長は、恥ずかしそうに目を逸らした。
「カタログを届けるついでと言っては何ですが、会社まで車でお送りしますよ」
ぽかんとしていたわたしは、それを聞いて我に返る。
「え!? いいえ、とんでもない! カタログもわたしが持って帰れますから!」
取引先の社長に送ってもらうなんて図々しいことできません!
社長は今の弱気と打って変わって、きっぱりと言った。
「先ほどの彼が戻ってくるといけません。やっぱり送りましょう」
そう言いながら向けられた笑顔に、私の頭はくらっとする。
「……はい、ありがとうございます」
鳴木幸助との遭遇にダメージくらってたし、言われたことはもっともだし、社長の魅力的な笑顔に抵抗できなくて、わたしは素直に好意に甘えたのだった。